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07月16日 水 風立たぬ 死んでるのかもしんない |
まだ狸は生きているはずなのだが、時々、死んでいるような気もする。
◇ ◇
こないだパソコンのキーボードに麦茶をぶちまけてしまったのだが、なぜそうなってしまったのか、まったく記憶にない。
つまり、グラスを倒した記憶がまったくないのに、気がついたらグラスが横になっており、中の麦茶が目の前のキーボードに押し寄せ、「うわ」とか叫んで慌ててティッシュをあてがいまくったのだが、グラスを倒した記憶自体は、やっぱりまったくない。
てっきりキーボードがオシャカになったかと思ったが、現在も何事もなかったかのように正常に作動しており、そうなると、麦茶をぶちまけてしまったこと自体が実は捏造記憶、あるいは妄想だったような気もする。
◇ ◇
一昨日は、夕飯の冷や奴用に用意しておいた生姜醤油の小皿が、忽然と下腹にひっくり返った。
これも、小皿を取り落としたり、ひっくり返した記憶がまったくない。
この件に関しては、短パンや雑巾はすぐに洗ってしまったが、醤油まみれのティッシュがゴミ袋に残っているので、捏造記憶でも妄想でもないと思われる。
◇ ◇
で、昨夜の夜勤中は、なぜか以下のような俳句を、しきりに口ずさんでいた。
『アナコンダ 今日はどこまで 這ったやら』
『アナコンダ 今日は何人 呑んだやら』
ちなみに季語は『アナコンダ』である。日本では季語として認められていないが、南米俳句協会では、正式に夏の季語として認められているのである。
……んなわきゃねーだろう。
我ながら頭がおかしくなったのかと思ったが、確かにいつぞやラジオで聞いたような気もして、さらによっくと記憶を探ってみたら、もうずいぶん昔、夢の中で聞いたラジオ番組の記憶なのであった。
◇ ◇
思えば、近頃、懐かしい光景や道筋の記憶が忽然と脳内に蘇り、「あれはいつどこを歩いた時だったか」としばし黙考した末に、実は現実の記憶ではなく昔見た夢の記憶だったと確信し、我ながら呆れかえったりもする。
だって、確かに昔住んでいた町と同じレベルで、克明に思い出してしまうのですよ。町並みも、彼方の山も。
◇ ◇
こうして何事も夢だか現実だか混沌としてしまい、しまいにゃすべてが茫洋としてしまった末にこの世と決別できたら、それはそれでシヤワセな生涯とも思える。
07月08日 火 風立たぬ でも死んでない |
探食活動の日は、狸の死骸を狸自身の亡霊が引きずって狸穴に戻り、その死骸を風呂に漬けて、ようやく蘇生させるような有様になる。
休みの日も、ちょっと買い物に出ただけで帰途は半死半生になり、風呂に倒れ込んでようやく蘇生している。
風呂がなければ、今夏の狸は、とっくに死んで腐っている。
ああ、蔵王高湯あたりで避暑生活を送りたい。
でもまあ、狸穴にちっこい風呂桶があるだけ、まだシヤワセではある。
◇ ◇
近頃は、この国の巷でも、金メッキされたウンコたちが、真夏の陽気で熟成発酵した肥溜めのような臭気を漂わせている。
そのウンコに金メッキしたがる連中も、ずいぶん増えてきたようだ。
まあ、今のところ、他の国のように天を突くほど巨大な金メッキされたウンコではないのだが、どうも近頃は痔民党までウンコ票欲しさに巨大な真夏の肥溜めと化しつつあり、左側通行の狸としては、いつも鼻に栓をしなければならないのでうっとうしい。
この国の国民性を思えば、人口の過半数がウンコ好きになった時点で、国民の九割が雪崩をうってウンコ好きに、いやウンコそのものになってしまう恐れがある。
天を突くほど巨大な金メッキされたウンコよりも、はるかにたちが悪い。
でもまあ、そうなったらそうなったで、現在の逆張り大好きな連中は、かえって盲目的な左側通行に転向してくれるかもしれない。
どのみち狸個狸は、自分の糞はこっそり土に埋め、我が愛する猫のように、いつでも吸ってもらえる小動物でいたい。
そのためにも、風呂桶のある狸穴だけは、死ぬまで確保せねばなるまい。
◇ ◇
ともあれ、ようやく、長い真夏への覚悟ができた。
毎年恒例のアレを、忘れずに起動するとしよう。
07月01日 火 夢、現実、そしてAI |
わはははははは。
雨が降っても気温はまったく下がらず、夜空からお湯が降り注いでいる。
狸はすでに半死半生です。
◇ ◇
で、夢。
現実。
そしてAI。
◇ ◇
いずれにせよ、餓死したくないので、狸は明日も探食活動