[戻る]
08月30日 土 はじめての狸です |
食いたいだけ食っても体重が減ってゆく、という現象を、この夏、生まれて初めて経験している。
冷静に考えれば、単に暑すぎて食欲が減退し、摂取カロリーが減っているだけの話なのだが、少なくとも去年までは、冬だろうが夏だろうが、食いたいだけ食えば、体重は際限なく増えていた。
無意識の内に食費を抑えている可能性も、けしてなくはない。
エンゲル係数がハンパないビンボな狸にとって、昨今の食費の上昇は、確かに恐怖すら覚える。
でもまあ、時給だってそこそこ増えているのだし、別に飢えているわけではない。
要は、単に暑すぎる、それだけのことなのだろう。
あとは、狸がどんどん爺いになっている、それだけのことなのだろう。
思えば、丑の日に吉野家で鰻重の二枚盛りを食った時も、普通に一枚盛りで良かったかな、などと思った。
あれもまた、生まれて初めての感想だった。
ことほどさように、精力の減退を実感する今日この頃、皆様方におかれましては、いかがお過ごしのことでございましょうや否や!!
◇ ◇
と、ゆーわけで――。
某所の怨霊物件、今夜も二話ほど更新しました。
しかし、このまま酷暑が続いたら、一週一話くらいのペースに、落ちそうな気もします。
08月23日 土 僕らはみんな生きている |
日常的に此岸と彼岸の間を行ったり来たりしているような自覚はあるのだが、脳味噌は、まだなんとかナマモノとして機能している。
国外でも国内でも、こんだけ脳味噌が茹だってしまったエラブツが世迷い言を口にしまくり、脳味噌が茹だってしまった民衆がそれを支持している現実を思えば、狸もなかなかしぶとい小動物と言えよう。
僕らはみんな生きている。
生きているから、殺しちゃいけない。
◇ ◇
と、ゆーわけで――。
いや、別に関連性はまったくないのだが、某所の怨霊物件、今夜も更新しました。
08月17日 日 「生きてんの精いっぱい」 |
「生きてんの精いっぱい」――。
自分は精いっぱい生きている、といった、積極的な意味の言葉ではない。
故・渥美清さんが、寅さんシリーズの最終作を演じていた時、旧知の付き人さんにだけ、もらしていたという弱音である。
つまり、「今の自分は、ただ生きてるだけで精いっぱいなんだ」、そんな弱音なのである。
当時のメイキングなどを見返すと、ロケ中に声をかけてくるファンには一切笑顔を見せず、終始不機嫌に無視してしまうため、ファンからはブーイングが上がったりしている。
完成作品中での表情も、デスマスクをドーランで塗り固めたように見えた。
それでも演技上の笑顔はなんとか維持していたし、後日、すでに病魔の末期にあった事実を知ったファンたちは、そこまでして『寅さん』を演じ切ってくれた渥美さんに、改めて感謝の念を表している。
◇ ◇
さて、渥美氏の言葉を借りるのもおこがましい、一介の野良狸にすぎない自分であるが――。
正直、今夏は、まさに「生きているだけで精いっぱい」である。
東京湾岸には、まだ秋の予感などヒトカケラもなく、朝も昼も夜も、照っても降っても、ただ噎せ返るような湯気が肺を満たすばかりである。
あまつさえ、この惨禍なみの酷暑はまだまだ終わらないと、気象予報士のおねいさんが太鼓判を押したりしている。
……でもまあ、何をも恨むまい。
少なくとも狸は、まだウンコになっていない。
世界のあちこちに君臨する、天を衝くほど巨大な金メッキされたウンコと違って、鉄砲で撃って鍋にすれば、おいしい狸汁になれる。
仮に路傍で息絶えたとしても、すぐにサバけば、ちゃんと食える。
すでに死後硬直が始まっていたりしたら、ツミレ串にして、濃いめのタレで炙るのがお勧めです。
◇ ◇
ただ、こうして無駄口を叩く気力も、ぶっちゃけ、尽き果てようとしている。
今後は、あそこの更新が週末に一度でも行われていれば、まだ生きていると思ってやってください。
実は昨夜も、ちゃんと更新してます。
今のところ、週末ごとに二話、そんなペースで。
08月09日 土 死ぬには暑すぎる日々 |
思えば、今年の酷暑が始まってから、そろそろ二ヶ月が過ぎようとしている。
冗談抜きで、六月中旬から、狸穴界隈はずっと酷暑なのである。
で、今週の頭、狸はついに歩行不能に陥った。
探食活動後、狸穴に這い戻ったとたんに、もはや風呂を沸かす気力もなく台所で横たわったまま小一時間、なんぼなんでもこれはおかしい、水分も塩分も充分摂ってる筈なのに、などと思いながら熱を計ってみたところ37度半ばの微熱に過ぎず、いつもなら平然と動けるはずである。
とりあえずなんとか飯を済ませ、翌日、かかりつけの医院に這いずりこんだら――。
「コロナは陰性ですね。たぶん典型的な夏バテでしょう。齢を考えて生活してください」
いつのまにやら体重が、3キロ近く落ちていたのである。
水分やミネラルはしっかり摂りながら、肝心のカロリーやら蛋白質やらが、ちっとも足りていなかったらしい。
あまつさえ、その晩あたりから、なんでだか咳が止まらなくなった。
粘っこい痰が、やたらと喉に絡む。
で、翌日、再び医院に這いずりこんだら――。
「近頃、百日咳が流行ってますし、一応レントゲンを撮ってみましょうか」
で、恐る恐る結果を見てもらったところ――。
「気管支炎の寸前です。要は夏バテが原因で夏風邪が悪化したんでしょう。一応、抗生物質と咳止めを出しときますが、くれぐれも齢を考えて養生してください」
幸い消化器官は異常なしだったので、その後、卵やサバ缶や野菜炒めをおかずにカリフォルニア飯をかっ喰らいながら、爺い相応にダラダラと養生した結果、昨日あたりで咳も痰も治まったのだが――。
いやあ、情けない。
齢は取りたくないものである。
◇ ◇
体の老化もさることながら、エアコンをつけっぱなしで何日も過ごした後の、電気代が恐ろしい。
かてて加えて、ラジオ番組が原爆関係ばかりで気が滅入ってしまい、思わずネットで、北杜夫先生の『どくとるマンボウ航海記』の朗読データを全巻ぶんダウンロード購入してしまった。その引落も怖い。
まあ、今月は年金が入るから、なんとかしのげるはずだが――まさか、この酷暑、十月まで続いたりするんじゃなかろうな。
08月02日 土 融けて流れてまた化けて |
風呂の中で液状化したまま風呂の栓を抜いてしまえば、狸穴を事故物件にするまでもなく彼岸に渡れて楽なわけだが、楽になるぶん、冷や奴も納豆も冷やしトマトも、吉野家の牛丼もかっぱ寿司のエンガワも食えなくなってしまうので、やっぱりまだまだ人に化けていたい。
化け続けるためには、たとえ世界中が焦熱地獄となっても、探食活動を続けねばならぬ。
そんなこんなで、この季節、郷土の生んだ偉大なる歌人の作品が、どこからともなく狸の耳に響いてくるわけである。
――ものみなの饐《す》ゆるがごとき空恋ひて鳴かねばならぬ蝉のこゑ聞ゆ―― 斉藤茂吉
蝉のように、束の間の生にしがみついていればこそ、狸は今夜の江戸川花火大会にも這いこめる。
華やかな大輪の花火だけでなく、この時期にしか拝めない浴衣姿の女児なども、思うさま鑑賞できるのである。
◇ ◇
で、ころりと話は変わって――。
近頃は、小説のプロットやキャラ設定だけ組み立てて、本文はAIに任せる方なども増えているらしい。
世の中には、物好きな方がいらっしゃるものである。
その際、作者様の脳内麻薬は、どの時点で噴出するのだろう。
狸が他の方の作品を読む側にある時は、魅力的なキャラたちが魅力的な演出で魅力的なプロットを紡いでくれれば、享受者としての脳内麻薬は、きっちり噴出する。
その作品が難解な純文学作品だとしても、狸の脳内の琴線に触れてくれれば、やっぱり脳内麻薬が噴出する。
しかし、自作となると話が違う。打鍵中はバクチの連続だ。
とくに長編の場合、同じ部屋で同じバクチを何年も打ち続けているようなものである。
で、そのバクチのルールや勝ち負けもまた、自分の主観でしか決まらない。つまりバクチの胴元もまた、他ならぬ狸自身である。
ああ、今、キーを打ち続けているこの瞬間、俺はこのバクチに勝っている――。
そう思える時に噴出する脳内麻薬、これが狸という創作ジャンキーにとって、ズブドロの醍醐味なのである。
そんなバクチの醍醐味を、AIに任せるわけにゃあ、いかんでしょ。
◇ ◇
今夜もNHK界隈で、アニメ『火垂るの墓』と高畑勲監督に関するETV特集とか、ずいぶん昔のNHK特集『夏服の少女たち』を取り上げた新しい番組とか、色々録画できた。
アニメを主軸に広島の原爆被害を描いた『夏服の少女たち』は、何十年も前にビデオ録画して、落涙した記憶がある。ただ、当時のベータで録画してしまったため、そのうち再生できなくなってしまい、何年前だったか、わざわざNHKアーカイブで再視聴して号泣した記憶がある。
つまり、涙腺が緩んで決壊しがちな現在の狸が、この時期、気軽に再生するべき作品ではない。
ただでさえ今夜は、花火大会の高気温と高湿度の中で浴衣姿の女児を、いやいや華やかな花火を眺めまくったため、狸穴に帰って2〜3時間は、固形物が喉を通らないほど脱水症状を呈していた。
再生するタイミングを誤ってはならない。脱水症状で死ぬ恐れがある。