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11月25日 火  雑想

 師走が近づき、案の定、探食活動の口が増えてきた。力尽きない程度に、懐を温めておかねばならぬ。
 まあ、老いても寒冷にだけはしぶとい北方亜種の狸、こないだのロングラン酷暑のように、完バテする心配はなかろう。

          ◇          ◇

 週初めの帰省時に心底痛感したのは、コロナ等で数年ほど帰省できなかった間に、山形の市街地が、まるで別世界のように変貌してしまったことである。

 駅チカの生家から霞城公園にかけてが、町並みごと消滅してしまった件は、以前にもたびたび記した。
 しかし、さほど駅から離れていない地域にも、狸や姉が「……ここは誰? 私はどこ?」と放心してしまいそうな、だだっぴろい通りが出現したりしている。
 その大通りが、それなりに賑わっていればまだ納得できるのだが、なんじゃやら真新しい、生活感の乏しいマンションやビルがちらほら建っているだけだったりすると、バブル後の失われた30年を鷹位置さんが嬉々として50年にも60年にも延長しそうな昨今、マジに故郷の将来が心配になる。
 その道の先に、外資系の半導体工場や、軍需に対応できそうなアヤしげな重機工場でも建設中であればまだ納得できるのだが、ちょっとした新興住宅地、そして日本全国どこにでもある各種のチェーン店が、ちらほら点在しているだけなのである。

 変貌したのは市街地だけではない。
 狸の記憶にある、ごちゃごちゃと懐かしい町外れの商店街の細道や、鬱蒼とした林にかこまれていた神社などが、あまりにもスッコーンと白日の下に晒されていると、それが地元の方々にとっては立派な進化なのだろうと思いつつ、個狸的には、やはり寂しい。

 そんなこんなで消沈してしまった狸は、車を運転する義兄にお願いし、かつて十代の狸がしばしばサイクリングしていた、城南陸橋から西の彼方の山際まで伸びる通りを、ひたすら西進してもらった。
 途中にある小学校の西側は、昭和の大阪万博あたりまではまだ一面の田圃で、放課後の幼狸達は、畦道の横の水路で蛙の卵やオタマジャクシを愛玩していたものだが、高校時代あたりになると、すっかり宅地化していた。
 当然、現在では見渡す限りが宅地と化し、コンビニの店舗や、中規模の見慣れない工場が、広々とした通りの両側に続いている。

 しかし、それでもどんどん西進して山並みが近づいてくると、「はい、市内再開発はここで終了で〜す」と言わんばかりに道幅が突然狭まり、半世紀前と変わらない田舎の車道になる。
 その広からぬ道の先に、昔と同じ須川が流れている。

 ちなみに須川は最上川の支流であり、蔵王あたりの酸性泉が混じって川の水が酸っぱかったから本当は酢川、そう昔から言われていたが、残念ながら狸は一度も舐めたことがない。

 まあ実際には、その辺りとて半世紀前よりはずいぶん開けているのだが、ところどころに記憶のままの風情が残っており、老いた狸も当時の少年狸に戻れそうな気がして、遠足中に歌った『ウルトラセブンの歌』や『ガメラの歌』(ひばり児童合唱団が歌った元祖バージョン)を、思わず口ずさんだりするのであった。

          ◇          ◇

 ところで、今回の帰省では、久しぶりにスマホ写真をけっこう撮ってきたのだが、加工が面倒なので、大谷資料館の駐車場の入口にあった、飲料自販機の正面と側面だけを置いておく。
 なんでわざわざそんなシロモノを、とおっしゃる向きもあろうが――。

     

     

 遠目に見えてきたときは、「ずいぶん薄汚れた自販機が目立つところに置いてあるな」と呆れていた。
 しかし、近づいてよっくと見てみたら、大谷石でできた自販機、そんな設定でペイントしてあった。
 つまり、日本中を探し回っても、そこでしか見られない自販機なのである。



11月18日 火  帰省と法事

 旅行に出かける費用もない、などと言いつつ、姉との合議の末に、遅ればせの父親の三十三回忌と、早めの母親の十三回忌をまとめて決行することになり、日曜から本日にかけて帰省した。

 早めの法事はともかく遅れての法事など、昔の田舎なら顰蹙をかったのものだが、墓じまいなども盛んな昨今、お寺さんでは「やるだけ上等」と引き受けてくれる。本来なら2回分のお布施も、「私も姉夫婦も年金とアルバイトで生活しておりますし、長引く物価高もなかなかアレなものですから、何かと手元不如意でごにょごにょごにょ」などと相談すれば、ちゃんとお布施も割り引いてくれる。
 お布施に定価があるわけではないから、2回分のご当地相場数万円をガン無視して万札1枚、いっそ千円札1枚でも出禁になるわけではないのだが、ずいぶん維持費がかかりそうな大寺院だし、事前に割引特価で話がつけば、包む方としても気が楽だ。

 で、日曜の午後、紅葉の落ち葉にまみれたお墓をせっせと磨き上げ、ビジホに一泊して月曜の午前中に法事を済ませ、帰路は宇都宮に一泊、大谷資料館や日光東照宮を見物してきた。
 狸も姉夫婦も初めて訪れる大谷資料館は、事前の想像を遥かに凌ぐ広大な地下空間がアッパレで、「こんなに岩を掘り出すには、きっと大量の非正規労働者が過労死したにちがいない」と思ってしまったし、どちらも過去に急ぎ足の観光経験があった東照宮も、ゆっくりくまなく回ってみれば、「よくもまあここまで満艦飾の神社仏閣を、ここまで大量に、微に入り細に入り建てまくったものだ」と、感嘆しきりであった。

 無数の人夫の過酷な労働も、代々の将軍様の名誉を賭けた大散財も、徹底すれば、驚嘆するべき巨大な偉業である。
 その証拠に、インバウンドの外人さんや、修学旅行らしい学生さんの集団で、平日も大入り満員なのである。
 まあ紅葉シーズンであることや、中国のプーさんのお怒りが、まだ徹底していないためでもあろうが。

 ちなみに宇都宮名物の餃子は、駅近くのドンキの地下に何店も集っているテーマパークがあり、あっちこっちから同じテーブルに各店の餃子を運んでくれる。
 しかも店々の個性が想像以上に違って、それぞれに安価で美味。
 餃子に合わせた地ビールも、まさに餃子ぴったりの味で、リーズナブルなお値段であった。

 そんなこんなで、往復の足は丸々義兄の車に頼り、お布施以外にも仏供料やら塔婆料やらお花代やら色々嵩んだ寺での費用は姉弟で折半したものの、元来ビンボな狸の懐中はますます寒冷化してしまったが、師走の探食活動はほとんどアブれないし年金も入るので、正月の餅に困る心配はない。

 クリスマスにも鶏モモくらいは食えるだろうし、年越し蕎麦にも海老天の一本くらいはのせられるはずである。



11月10日 月  生存報告

 狸のサミしい余生など、鷹位置さんの思い通りに、底辺層からどんどん遠ざかってゆく富裕層の生活を羨みつつ、息絶えるまで探食活動に勤しむしかないわけだが、目減りする一方とはいえ年金は振り込まれるし、近頃ますます増えているらしいネットカフェ難民の方々よりは、まだ恵まれていると言っていいだろう。

 ところで、非正規現場に入り浸っていると、相変わらずお若い方々や外人さんと接する機会が多いのだが、お若い方々の中に賛成や酷民を支持する連中はほとんどいないし、ヤバげな外人さんなどもほとんど見かけない。
 あれって、本当のところは、けして豊かではないにしろ食うには困らない方々が、単なる世間知らずゆえに支持しているだけなのではないか。
 なんとなれば、けっこう年季の入った中年以降の非正規の方々、しかも親が建てた屋根のある家に住んでいる方々などが、妙な陰謀論にハマっている場合が多い。
 それでも、外国人差別がさほど見られないのは、今どきの非正規労働現場が、もはや外人さん抜きでは成立しないと、身をもって知っているからだろう。

、だいたい、こんな円安続きでもわざわざこの国を出稼ぎ先に選んでくれるのは、まだまだこの国が他国に比べて暮らしやすいからと思われるが、今後の成り行きしだいでは、愛想をつかされる日がこないとも限らない。
 どんなにAIや自律型ロボットが進化したって、3K仕事にそんなコストはかけられないだろう。

 アマゾンのピッキングや配送のように、なんでもかんでも一定のサイズの箱にブチ込んでしまうなら話は別だが、現実の日本のロジでは、それはもう臨機応変の複雑怪奇な手作業を、日々こなしているのである。
 それはどんな業界だって同じことだ。

          ◇          ◇

 などと言いつつ、ろくに旅行費用も蓄えられない狸は、相変わらず、仮想の猫に旅情を託している。
 この分野だけは、AI様々なのである。

          

          

          

 まあ、ろくでもない詐欺目当てのフェイク動画などは、製作者全員、今夜中に「う」とか呻いてそのまんま動かなくなっても、なんら痛痒を感じないが。



11月03日 月  進化と退化

 ウインドウズ11、アレコレいじっているうちに、ようやく主力機へと進化した。
 ビスタの時代の機械に無理矢理10を入れていた旧環境を思えば、ありとあらゆる動作が見違えるように早い。

          ◇          ◇

 引き替えに、失なわれた物も少なくない。
 XP以前にネット購入した音楽ファイルが、どうやっても再生ソフトに読み込めないのである。

 な、なんでや。いかに大昔とはいえ、ちゃんとオゼゼを払って買ったんだぞ。
 ――などと文句を言ってもしかたがない。
 どこぞのサイトで買って、当時のXアプリに取り込んだまんま、漫然と過ごしていた狸が馬鹿だったのだ。
 そもそも著作権が組み込まれた、特殊なファイル形式なのである。拡張子がソニーのMDのファイル等と同じであっても、売ったサイトが消滅してしまえば、ソニーが保証してくれるはずはない。

 まあ、XP以降にアマゾンで購入したMP3ファイルなどは今も健在なので、我慢するとしよう。

          ◇          ◇

 あと、これもマイクロソフトの責任ではないのだが、やはりXPの頃まで利用していた老舗の書籍データ販売会社が、再生ソフトのウインドウズ対応を停止してしまった。

 スマホアプリなら対応していると言うが、そこで販売した書籍データは、紙の書籍と同じ体裁なのである。
 文庫本でも1ページ丸々をそのまま読むのはキツいし、たとえば大判の山岳写真集や戦時中の広告写真集などは、いちいち指で拡大しないと細部が観賞できず、使い物にならない。

 MP3の音楽ファイル同様、不幸中の幸いだったのは、95や98の頃、出版社自体が販売してくれた小説のテキストデータを、今でもパソ上でいじりまくれる事である。

 今となっては信じ難い事だが、今ほどネットが盛んではなかった当時は、高橋克彦先生や半村良先生の大長編伝奇を、ナマのテキストデータで売ってくれていた。
 あの頃は狸も完璧な社畜であり、自ら創作する時間など皆無だったが、諸先生の何千枚にも及ぶテキストデータを自分で勝手にバラし、ストーリー展開の構造を把握したりするのは、数少ない休日の、何よりの楽しみだった。

 いや、今ならAIがあっと言う間にやってくれるぞ、とおっしゃる向きも多かろうが、自分でやるから楽しいのである。
 分析も、そして構築も。