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| 02月25日 水 めでたくもありめでたくもなし |
新舞浜の医大病院に通う日にかぎって、けっこうな雨が降っている。
このところの雨不足を思えば世間的にはめでたいことであるが、個狸的には、やはり鬱陶しい。
右目の黄斑はほぼ旧に復しており、矯正視力も1.0まで回復していた。
しかし、その矯正視力は、あくまで視野の良好な部分の視力であり、部分的なボケや歪みは回復していない。
クールな熟女先生は「このぶんなら二三か月は注射不要でしょう。その間に、自覚症状も改善する可能性はあります」とおっしゃるが、あくまで可能性の話で、どのみち月に一度の検査は欠かせない。
左目に関して相談すると、緑内障の兆候があるのは確かだし、両眼ともに眼圧が高いので、地元の眼科に眼圧低下の目薬を処方してもらったほうがいい、とのこと。
大学病院というところは、あくまで地元のいわゆる『かかりつけ医』と二本立てが望ましいらしく、あっちこっちに、その旨のポスターが貼ってある。救急車と同じで、あまり気軽に利用されても困るのだろう。
と、ゆーわけで、今月の払いは1510円ポッキリ。
しばらくはウン万円の注射も打たずにすみそうだが、右目のマダラボケは、やっぱり鬱陶しい。
と、ゆーわけで、今日の雑想のタイトルも、軽く鬱陶しいわけである。
◇ ◇
猫の日がらみの自動録画物件が、案の定、大量に貯まった。
岩合さんのネコ歩きの再放送も多く、当分は猫に困らない。
ただし、民放の猫系バラエティーは、タレントさんのしゃべくりが邪魔になって肝心の猫に集中できないケースが多い。
そのタレントさんが猫愛に満ち充ちていることは理解できるものの、狸としては、人の声よりも猫の声が聞きたい。
岩合さんのように控えめなナレーションは歓迎するが、バラエティーの場合、中川翔子さんの心地よい声くらいにとどめていただきたい。
ちなみにAI猫動画方面では、いっぺんハマったシリーズも、マンネリ化や、ネタ切れによる無茶ブリで、困ってしまうケースが増えてきた。
そんな中、この『ボス猫おとこめし』シリーズは、細部の演出が毎回出色で、泣かせ方にも昔の松竹喜劇のような味がある。
AI使用作品だろうがなんだろうが、細部のニュアンスは、やはり、それを使う側のセンスしだいなのである。
| 02月17日 火 その日暮らしの手帳 |
例年、一月後半から二月いっぱいは日銭稼ぎが滞ったものだが、今年はけっこう稼げている。
それだけ世間の人手不足が激化しているのだろう。
コミュ力に恵まれた若手の底辺層なら時給のいい接客仕事にありつけるし、不愛想な奴や日本語の得意でない外人も体力さえあれば、デバン仕事や引っ越し等、時給のいい仕事に不自由しない。
ならば狸らのような爺い連中は不利かと思えば、軽作業系の大型ロジ等の夜間少数募集は、要領を心得たベテランの日雇いが、あんがい重宝される。
ビンボな爺い連中は日雇い歴も長いので、各社各部門の作業手順が体に馴染んでいる。ハンディターミナル等も、各現場のカスタマイズ品を操作できる。つまり少数精鋭――といえば聞こえはいいが、要は、夜中にほっといても、朝までにはなんとかなるわけである。
かくして軽作業系の深夜現場では、お若い方々に混じって、年金だけでは食えない狸のような世代、さらに七十を過ぎても足腰の立つ連中がウロウロしている。
渋谷あたりで小金持ちの若い衆が購うブランド物や、今時の子供たちが喜ぶ高価な玩具を、孤独死候補の高齢者が在庫管理している――といえば聞こえはいいが、要は、昼間に残ってしまったあっちこっちの安手間仕事を、夜中に片付けて回っているわけである。
どこかでデータチェックしながら、たまに現場に顔を出す担当者も、ちょっと上等な派遣社員、つまり非正規労働者にすぎない。
正社員は最上階の事務所に昼間なら二三人いれば上等、夜間だと一人いるかいないかだ。
そんな現場から吸い上げられた利益は、ブルジョアさんたちのフトコロにせっせと積みあがる。
ね、ビンボな狸がマルクス主義に憧れるくらい許してくださいね、痔眠バンザイの皆さん。
◇ ◇
などと愚痴をこぼしつつ、未明の湾岸ロジから、昼間はディズニーランドの客で賑わう舞浜駅に向かって、とぼとぼと歩いたりする。
その時間帯だと、路線バスはもとより、送迎バスさえ走らない。
道々、コンビニだけはふんだんに開いているから、ファミマで新商品らしいチーズ入りのファミチキ、そしてコーヒーは現在最も安価なセブンイレブン、そんな二度手間をかけて20円程度を節約し、始発に乗るために舞浜をめざす。
噂に聞くディズニーのアンバサダーホテル、そこに向かうモノレールの高架下を通りながら、今夜はいったいどんな方々がそこに泊まっていらっしゃるんだろうなあ、などと思いをはせる。
それでも存外、満ち足りた気分である。
チーズ入りのファミチキもコーヒーも、思わず唸ってしまうほど旨い。
何十年か昔には、竹葉亭の座敷で鰻を食った。
上野を散歩したあと伊豆栄の鰻で一杯、なんてこともできた。
その十年前には、歌舞伎町で一番いい女(あくまで若輩狸の主観)と同衾した。
うん。
狸は思い出だけで生きていける。
◇ ◇
などと強がりつつ、右目のマダラボケは、やっぱりしこたま鬱陶しい。
思い出さえも、立体感を失ってゆく気がする。
左目の視力をこれ以上落とさないよう、次回の通院時、クールな女医さんに相談せねばなるまい。
| 02月10日 火 雑想 |
いやあ、今回の、鷹位置さんの選挙活動には舌を巻いた。
とにかくブレない。
いまどきのライトな押し活ノリの有権者にも、容易に理解できる語彙と単純な文法に徹し、いつもの景気のいいキャッチフレーズを、ひたすら元気に繰り返す。
そして、聴衆のノリが特に盛り上がった場では、いつもの詐欺的な大ボラをすかさずカマしてくる。
それが真実とは程遠くとも、押し活ノリの有権者は、真偽など気にしない。
いっときのノリによる高揚感、それが全てなのである。
それに対し、宙道の選挙活動は最悪だった。
対抗馬の鷹位置さんや痔眠を、上から目線で批判してはいけない。前回の痔眠が「民主党政権の悪夢を思い出せ!」と叫びまくって、もののみごとに逆風を加速したのと、同じ轍を踏んでいる。
いまどきのライトな押し活ノリの有権者は、どんな場であれ、相手を罵る側をパワハラと認定する。
たとえば、自分に明らかな非がある場合でも、親や教師や上役が声高に非難してくれば、それは理不尽なパワハラに他ならない。相手に明らかな理があっても、である。他人が一方的に非難していいのは、自身にとっても目障りな相手だけなのだ。
かてて加えて、いまどきの押し活ノリの有権者は、そもそも『中道』という言葉の意味を知らない。
「痔眠は右に偏りすぎている!」「私たちは右にも左にも偏らない!」などと叫んでも、「道の真ん中歩いてたら車に轢かれるでしょ」くらいしか頭に浮かばない。
ネトウヨやパヨクといったネットスラングすら、2チャンや5チャンを知らない方々には、すでに通じないのである。
その点、狸の御贔屓の協賛は、相変わらず不動の主張を真正面から叫んで、心地よかった。
それでも、マルクス主義を表に出さないよう、ずいぶん大人になった感はある。
まさか、いまどき「ブルジョアやプチブルなんぞ裸にひん剥いて、その富をプロレタリアにバラ撒こう!」とは言えない。「プロレタリア独裁こそ共産主義社会の始点だ!」とも主張できない。まして、まだ皇帝化する前の純粋な毛沢東のように「革命とは暴力行為である!」などと主張しようものなら、それこそテロリスト扱いされる。
当節は、せいぜい「大企業の莫大な内部留保や超富裕層の金融資産に相応の課税をすれば、財源問題なんぞ即解決」と主張するのが関の山だ。
それでも、それしきの正論すら、「まあ食品だけ2年間ゼロにしてもらえれば上等でしょ」、そんな民意に埋もれてしまう。
日々、市井の人々が「生活が苦しい」とか愚痴りつつ、この国は、まだまだ豊かなのである。
自発的に望まないかぎり、餓死できない国だ。児童も保護者に虐待されないかぎりは餓死しない。
道端に蠢く野良狸だって、心奥では共産主義革命を夢見つつ、やっぱり次の天皇は愛子様がいいなあ、とか、足腰が立たなくなったら市役所の窓口で狸寝入りしてればなんとかなるよな、とか、日和りまくっている。
餓死したくなくとも、他者から略奪しなければどうしても餓死してしまう国が、この地球にはまだまだある。
それでも狸は、全世界が、うにょうにょごにょごにょの巨大猫鍋と化してくれる日を、夢見ずにはいられない。
いつの日か、巨大企業や超富裕層が、釈尊の説く正しい道に、目覚めてくれますように。
無常の世界では全ての者が等価――。
などと、狸自身は悟ったつもりでいるが、原始仏教の色濃い『バーリ仏典』の中で、釈尊は、こうもおっしゃっている。
人は、親しむべき友と、親しむべきでない友を、見分けねばならない。
親しむべきでない友とは、貪りの深い人、言葉の巧みな人、諂う人、浪費する人である――。
たとえ無常の世界でも、与する相手は、しっかり選ばないとね。
ちなみに狸自身は、今回は宙道に投票した。
他には右側通行の人や、詐欺的な人しかいなかったからである。
それに、立件と肛明が拮抗する『中道』も、なかなか興味深いと思えた。
◇ ◇
話はコロリと変わって、狸の右目の自覚症状は、やはり改善の兆しがない。
左目がカバーしてくれるので生活に不自由はないものの、探食活動の後など、さすがに左目にも疲れを覚える。
とくに、遠近に気を使う作業後は疲れる。
一方、等距離を見ているだけなら、ほとんどストレスを感じなくなった。
つまり狸穴内なら、テレビもパソコンのモニターも、不自由なく見続けられる。
例の怨霊物件もちまちまと打鍵再開したが、師走から続いた精神的な負荷のせいか、ちっともペースが上がらない。
今後は、従来の一章分丸々の更新ではなく、区切りのいいところで投入してしまおうと思う。
最大に見積もっても5名程度の読者様におかれましては、お好きなペースで覗いてくだされば幸甚です。
◇ ◇
ところで、投票日の翌朝、狸穴の水道が凍結していた。
流しも風呂場の蛇口も、いっさい反応しない。
管理人さんに連絡すると、揚水ポンプ内部で分配用の細い水道管が凍結したらしく全室がアウト、午前中には水道業者が対処してくれるとのこと。
落ち着いて考えてみたら、電気湯沸かし器の中にお湯はあるし、非常用の保存水も、シンクの下になんぼか確保してある。
老狸もまるっきりの馬鹿ではない。
よって、探食活動に出るのに、なんら不自由はなかった。
……いや、実はトイレの小を流さずに放置して出たのだが、大は仕事場でできるので、さほど実害はなかった。
そして帰穴後、無事に全ての蛇口から水が出て、風呂にも入れた。
それでも、水道管の凍結など、今の狸穴に越してきてから初めての事態である。
異常気象もここに極まれり――。
つくづく、そんな感を覚える。
| 02月03日 火 節分と猫の月 |
今年も、ちゃんと恵方巻を食えた。
例によって処分特価品ながら、駅ビルの伊勢丹系スーパーの売れ残りなので、具もなかなかゴージャスであった。
元の姿をとどめた鰯はすでに売り切れており、今年の鰯は、残念ながら処分特価のフライになった。
当然、鰯の頭は失われていたが、たぶん大勢の仲間の頭といっしょにどこぞに運ばれ、肥料や飼料となって農作物や家畜を育むだろうから、ちゃんと、この国を寿いでいる。
柊は買えなかったが、ちっこい豆の袋に、有頭鰯と柊の邪気払いが印刷してあったので、それで良しとしよう。
その豆も、例によって部屋には撒かず、袋のまま三和土に置いた。
食後、袋の中身を68粒だけ食おうと思ったが、素朴な味についハマってしまい、結局、全部食ってしまった。
狸穴の鬼は、主に狸自身の体内に巣くっているので、無事に逃げ出してくれたはずである。
右目の邪気も、なんぼか払われた気がする。
◇ ◇
で、二月は、猫の月なのだそうだ
。
本番の猫の日はまだ先のはずだが、ケーブルテレビ界隈では、すでに大量の猫番組が流れ始めている。
今年も記録用HDDが、猫でパンパンになるだろう。
ああ、猫は、いい。
選挙演説の車も、もっともらしいタテマエなんぞ流さないで、猫の鳴き声を流せばいいのである。
喉を鳴らすゴロゴロ音なら、一晩中、流してもらってもかまわない。
いや、むしろ流すべきである。
それが右巻きの車であったとしても、左巻きの狸さえ思わず洗脳されてしまい、いつもの小学校で、投票用紙に『鷹位置早萎』とか『痔憂眠守党』とか、記入してしまうかもしれない。
……どっちも無効票ですけどね。