いっかいめ 〜 ぴかぴか、たかちゃん 〜
はーい、いちおくにせんまんのよいこのみなさん、きょうもちゃんとお顔を洗いましたか?
あらあら、みなさんなんだかふしぎそうなお顔をしていらっしゃいますね。
あのケバいおねーちゃんはいったい誰だ、そんなお声もきこえるみたいですね。
それじゃあ、ねんのため、せんせいのお顔をおぼえていらっしゃるよいこのかた、元気に手を上げてみてね。
はーい。
ひの、ふの、みー。
…………。
…………。
……うふふふふ。はい。せんせい、いっきにすべての生きるいよくを失いました。
きれいさっぱり、うしないました。
でも、しんぱいなさらないでくださいね。
生きるいよくのないひとでも、それはもう今夜鴨居に首を吊って死のうと決意した末期鬱病患者のような無気力な教師でも、に○きょ○そに加入している限り、教壇でなにかじかんをつぶしていれば、おきゅうりょうはちゃんとでるのです。
おきゅうりょうはちゃんとでるので、もうせんせい、きょうはもうなんの教育的意識など持たずに、いーかげんにお話しさせていただきます。
はい、それでは、いちおくにせんまんぶんの三のよいこのみなさん、たいぼうの『よいこのお話ルーム』だい二シーズン、はじまりでーす。
★ ★
あのとき、まだ幼稚園のちっちゃい組だったたかちゃんは、もう、ぴかぴかの一ねん生です。
みんくくじらさんにつぶされてしまったおうちも、ひとがよいだけのパパにかわって、ママがほけんのみずまし請求をたくみにおこなってくれたので、前よりもりっぱなおうちがたちました。
「いってきまーす」
よいこのたかちゃんは、きょうもげんきに、がっこうにかよいます。
★ ★
「はい、それでは、かたぎりたかこさん」
やさしさのなかに、まけぐみの哀愁をややたたえた先生が、たかちゃんをさして言いました。
「一月一日は、何の日ですか?」
この先生は、あくまでもお話の中の先生なので、わたくしではありませんよ、ねんのため。わたくしは、おととし成人式を終えたばかりです。だれですか、見えねー、などとつぶやく、悪いよいこのひとは。はいあなた、お話がおわったら、ひとりでしょくいん室にいらしてくださいね。いいですか、あなたひとりでですよ。それはもう、にどとおうちに帰れなくなるくらい、かわいがってさしあげますからね。
さて、お話の中の先生は、とうぜん、おしょうがつ、がんたん、そんな答えを期待していたのですが、これはあきらかに、人選みすでした。
なんといっても、ほっかいどうのひぐまさんから、日本海のうみぼうずさんまで、ママのお留守にちゃあんとお相手してしまうたかちゃんですものね。
たかちゃんは、むねをはって、げんきにこたえます。
「いい日!」
「は?」
「いちといちで、いい日。♪ いーいひー ♪ たびーだちー ♪」
さすがにお台所限定シンガー・ソング・ライターのたかちゃんです。おおむかし、パパが若さゆえの夜ごとのこどくなひとりあそびのおせわになっていた伝説のももえちゃんなども、しっかりカバーできるのです。
でも、先生は、とってもこまったようなお顔をしています。
お正月の話題を導入として、日本の四季の行事などの社会科に誘導しようとしていたのに、いきなり前世紀の親爺ギャグに突入してしまったのです。
でも、先生も、だてに婚期をいっしてまで、サミしくきょういくにいのちをささげているのではありません。
ここでむりやり本来の授業にはいるのは、たかちゃんの繰り出した意外な答えにこくこくと感心している、ほかのよいこたちの心理を、萎えさせることになりかねません。
先生は、やさしくにっこりほほえんで、ここは巧妙に逆転の機会を窺おうと、たかちゃんにたずねます。
「じゃあ、たかちゃん、二月二日は?」
どうじゃ雛《ひよ》っ子、ぐうの音も出まい――そんなほんねは、おくびにも出さない、りっぱな先生です。
「ふふの日」
この小娘、まんま読んで済むほど世の中甘くないぞ――そんなほんねも、やさしいびしょうの奥に隠ぺいできる、りっぱな先生です。
「はい、それはどんな日ですか?」
「ふふ、なんてわらう日」
これはちょっと、のほほんでいいかもしんない――日々の乾いた教師生活にやや疲れを感じ始めたりしている先生は、じょじょにたかちゃんのひっさつのてんねんこうげきに、のまれつつあります。
「……三月三日」
「みみの日」
「はい、これは本当ですね。お雛祭りの日ですが、耳の日、でもあります。では、四月四日は?」
「よよの日」
「……どんな日でしょう」
「よよよよよ、なんて、むかしのおんなの人みたいに、泣いちゃう日です」
ぎく。
先生の腰が、ちょっと引けたりします。
この子は――できる。
「――五月五日は?」
「こどもの日」
「あら、どうしてごごの日じゃないの? たかちゃん」
「こどもの日のほうが、おねだりできるから」
先生は、ちょっとがっかりしてしまいました。
――この小娘は、やはりただの雛っ子に過ぎなかったのだろうか。
「でも、女の子のお節句は、ほんとはさっきの三月三日、お雛祭りですよね。ほんとは五月五日は、端午の節句、といって、男の子のお祭りなんですね」
「ぶー」
たかちゃんは、むじゃきにほっぺたをふくらませます。
「大丈夫。今は子供の日ですから、男の子でも女の子でも、お祝いしていいのよ」
先生がそういうと、たかちゃんのとなりの男の子が、
「そんなの不公平じゃん。じゃあ、なんで三月三日は、女の子だけなんだよ」
訊かれてもいないのに、こにくらしい口をたたきました。
ほんとうなら、こういう男の子は、甘やかしてはいけません。
「はい。あなたはまだまだ男としての自覚が足りないようですね。いいですか。男というものには、出産、という生物学的に最も重要な、しかし大変苦痛を伴う能力が備わっておりません。種の蒔きっぱなしで、蒔いた時にキショクのいい思いをするだけでは、生物として不公平です。だから、お外に出て必死こいて家庭のために働いて過労死したり、お祭りが女の子より少なかったりするんですね」
「ぶー」
「はい、それも女の子ほどかわいくないので、やっぱり先生に無視されたりしちゃうんですね」
こんなふうに、はっきりとげんじつのきびしさをたたきこむのが、ほんとうのきょういくです。
でも、お話の先生は、わたくしほど理想に燃えていないのですね、あいまいなびしょうで男の子をその場の流れから排除し、たかちゃんにたずねます。
「それでは、六月六日は?」
すでに当初の目的を、忘れてしまっています。
これが、ひっさつたかちゃんこうげきのいりょくなのです。
「むむの日」
「もしかして、むむむむむ、なんて考えこんじゃう日ですか」
「ぴんぽーん」
「七月七日」
「たなばたさらさら」
「ちょっと違いますね。正しくは、笹の葉さらさらですね。でも、たしかに七夕の日です。では、八月八日は?」
「ややの日」
「……それは、どういう?」
「ややっ、なんてびっくりする日」
「九月九日」
「くくはちじゅうく」
「ちょっと違いますね。八十一ですが、まだ一年生で九九という発想ができるところが、すばらしいですね。それでは十月十日は?」
じゅうじゅう……やきにく……ちょっとむりがあるかなあ、などと、たかちゃんもちょっとネタに詰まったりします。
「えーと、えーと……ととの日!」
「……それはもしかして、蒲鉾《かまぼこ》は魚《とと》かいな、の、おととのことですか?」
たかちゃんは、ふるふるとかぶりをふって、
「『あーいー、ととさまの名は、あわのじゅーろべー』」
「……なんで平成の小学一年生が『傾城阿波の鳴門』などというものを知っているのか、そこはたぶん台本作家の嗜好でしょうから、ツッコまないでおきますね。さて、それではいよいよ難しくなってきます。十一月十一日は?」
「とってもいい日」
「……はい、うまく逃げましたね。それでは、最後の質問です。――十二月十二日は?」
「いにいに……ひふひふ……いっちにーいっちーにー……元気に行進する日!」
とうとういちねんぶんが終わってしまいました。
このままでは、先生のはいぼくです。これでは、教育者としての精神的優位がはたんしてしまいます。
先生の目が、きらりと光ります。
――ここは……危険な裏技『発想の転換』で、逆転を。
「はい、良くできました。それじゃあ、たかちゃん」
先生は、ゆっくりと、両手の人差し指を、立ててみせます。
「一たす一は、いくつでしょう」
おそるべき禁じ手――しゃかいの時間に、さんすう!
しかし、たかちゃんのちっちゃなむねのなかにみゃくみゃくと流れるボケの血は、かつてらいおんさんやてぃらのさうるすさんのツッコミをものともしなかったように、むいしきのなかでそのちからを発動します。
たかちゃんは、ゆっくりと、そのもみじみたいなちっちゃい両手の、人差し指を立て返しました。
「――いちいち」
おう、と、ほかのみんなが息をのみます。そう、それは自由へと続く真理。
こうして、きょうもたかちゃんは、朝からせんせいにしょうりしたのです。
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