そのいち 〜 ぽっ 〜
はーい、よいこのみなさん、たのしい夏やすみ、いかがおすごしですか?
あらまあ、あそびほうけてまるでク●ンボさんのようにまっ黒になったよいこのかた、おそとはあかるいひざしでめいっぱい輝いているというのに引きこもってげーむやびでお三昧のよいこのかた、うつろに宙をながめむなしくただ時の流れを墓場に向かって流れているだけのあおじろいよいこのかた、いずれにせよお休み明けには楽しい宿題の提出が待っておりますので、よろしくおねがいいたしますね。
教育ねっしんなせんせいが配ってさしあげたあの大量のプリントは、もしかしたらまだ中身をあらためもせず、ふん、そんなのさいごの一週間でらくしょー、そんなふうにナメていらっしゃるよいこも多いでしょうが、うふふふふふふ、世のなかというものは、そんなにあまいものではありませんよ。すでにお気づきの勤勉なかわいくねーよいこのかたもいらっしゃるでしょうが、あれはきちんと一にち八じかん、まいにち毎日こなしていかないと、ぜったい終わらないように計算してあります。
夏やすみというのは、みなさんのようなおこさんにとっては、たいせつな社会べんきょうののぞめる時期ですので、みなさんのお父さんがたのような、とるにたりないまったんの労働者のげんじつを知る、いい機会でもあります。ほんとうは、ざんぎょうなどもりあるにしこたま課してあげたかったのですが、幸運にも定時で解放されるのは、楽しい夏休みだからこそのせんせいのやさしさなんだなあ、と、こころの底からかんしゃしてくださいね。なお、一にちでもていしゅつの遅れたよいこのかたは、定年まで続くとっても楽しいきゅうじつしゅっきんの嵐が待ち受けておりますので、もう手おくれのかたは、充実した人生のはかばをごきたいくださいね。
こほん。
はい、それでは夏の終戦記念特別番組、隅田川納涼大花火大会きゃぴきゃぴれぽーと、夏だお盆だ恐怖の怪談特集さんぼんだて、『たかちゃんはなび』のはじまりでーす。――タイトル以外、全部ウソですけど。
★ ★
カジムの妹は、五歳の新年を待たずに、ある朝息絶えた。
まだ十歳に満たなかったカジムは、すでに自分が息絶えないだけのために生きていたので、家屋といっても廃材と錆びた釘の集合にすぎない小屋の中、なんの劇性もなく静かに呼吸を止める骨のような妹を見下ろしながら、また裏の固い土を掘らなければ、そう力なく吐息するだけだった。
輝かしい新世紀を迎えるべく、この地上の各地でお祭り騒ぎが繰り広げられている事など、なんの外的情報にも繋がっていないカジムには、想像もつかなかった。吐息できる己はまだ生きているらしい、そんなことを僅かに自覚できるだけで、彼の生存本能は微かな喜びさえ覚えた。
灼熱の太陽の下でだらだらと穴を掘っていると、荒野の彼方、岩山の裾を走る街道から爆発音が響いた。妹と同じ、骨のような自分の体が共振するほど、激しい響きだった。続いて断続的な銃撃戦の、母親が昔炒ってくれた豆が爆ぜるような軽やかな音も、乾いた風に乗って流れてくる。
その母親は、今掘っている穴の横、いくつかの土盛りのひとつに眠っている。父や最後に残った長兄は、二週間前街に出たきり戻ってこない。いつか食べ物を持って帰ってくるかも知れないし、もう幾つかにバラけて腐っているのかもしれない。いずれにせよ、今妹の墓穴を掘るのは自分しかいない。
次兄の穴の時よりもずっと体が辛いのに、ずいぶん入念に掘ってしまったのは、やっぱり妹は一度も自分を殴らなかったからか、などとも思う。生きるために殴っているのだと感じていたから、けして次兄を怨んでいた訳ではないのだが。
妹の針金細工のような体を穴の底に抱えおろし、「まだこんなに重くても人の息は絶えるのだ」とも思う。もうひとつ穴を掘り、自分もその中で寝ていたほうがいいだろうか。こんなに細い自分の腕も、もう持ち上げるのがやっとなほど重いのだし。いや、ここで妹と並んで寝てしまったほうが、手間がかからない。でも、それだと土をかけるのは――カジムは、初めて、自分に土をかけてくれる家族は、もう誰もいないのだと思い当たった。でも、それはそれで仕方がない。そんなに先のことを考えるほど、カジムの体には血が流れていなかった。自分の息の止まるのが今日の午後であれ、明日の朝であれ。
今度は家の表で銃声が響いた。
だらだらと掘り続けている間に近づいていたのか、整った軍服の男たちが、わらわらと裏手に逃れてくる。ひと月前、街で次兄を撃った男たちと、同じ軍服だった。
自分も撃たれるのか――朦朧とそう思いながら、カジムはただ力なく妹の横にしゃがみこんで、穴から半身をのりだしていた。それなら、ちょうどいいかもしれない。うっかり撃ってしまった相手に土くらいかけてくれる程度には、あの外国人たちも親切なのだ。
しかし、その軍服たちは、いつか遠い昔に家族たちと街で見たマリオネットのように、揃って奇妙な踊りを踊った。顔に飛んできた生暖かいものを、カジムの舌は無意識に嘗めた。脳髄はなにも思っていない。舌だけが、それに含まれる塩や鉄や豊かなカロリーを欲していた。
やがて地面に横たわるマリオネットたちを蹴散らしながら、汚い山着の男が、ごつい機関銃を抱えて現れた。それに続く数人の男たちが、マリオネットたちにまとわりついて、身ぐるみを剥ぎはじめるのが見えた。
男は穴に座っているカジムに気づくと、獅子のような足取りで近付き、カジムの顔と穴の底を、交互に見比べた。太陽が男の顔の真後ろにあるので、どんな顔をしているのか、カジムには判らない。
「……すまん。もうちょっと早けりゃな」
その声は、大昔に地雷で粉々になった祖父のように優しかった。
「でも、悲しむこたあない。その子も、神の国に、ちゃんと行ってるさ」
男はなにか小さなビニール袋のようなものをポケットから取り出し、噛みちぎり、それからカジムに差し出した。
それはカジムも一度見たことがある、あの外国人たちの食物らしかった。
豆か肉か乳か――いずれにせよ、カジムはなにも思わないまま、ただそれを貪った。
その男がまた何か言ったような気もしたが、今はただ食物を口中に満たし思うさま嚥下する、そのほうが先だった。
夢のような味であり、夢のような喉越しだった。
ぺしゃんこだった腹が、数日ぶりの仕事にわななく。
尽きかけていたエナジーが血を巡り、カジムの脳のシナプスが、朝からずっと堰き止められていた熱く膨大な情報を、一気に心まで伝えた。
サラはすばらしくかわいい妹だったのだ。
ほんとうにすなおで、優しい娘だったのだ。
誰よりもカジムを愛してくれた。
そして、カジム自身も――。
乾ききっていた目から滝のように涙を流し、がつがつと異国の携帯食料を貪り続けるカジムの耳に、頭上からまた声が聞こえた。
今度は、しっかりと耳から脳に直結した。
「――お前も、神の国に行きたいか?」
その声は飢えた獅子のように優しかった。
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……こほん。
けしてせんせいが台本をまちがえたのでもなければ、お盆だというのにろくに仏壇をおがみもしないみなさんのばちあたりなありさまに怒った見えないご先祖さまが、こっそり他のHPに変えたのでもありませんよ、ねんのため。
また、せんせいがこの暑さにさくらんして職場を放棄し、スタジオ近くのホテルのプールにとびこんでしまい、おとこのシブい声優さんがきゅうきょ穴埋めにかりだされた、そんなのでもありません。せんせいは七色の虹の声を駆使できる、みらいの実力派声優ですので、お話のひとののうみそが暑さでトロけてさくらんしているとしても、きちんとその異常な台本に書かれたシークェンスにさえ、そくざに対応できるのです。
そのしょうこに、ほうら、いっしゅん後には――モウ、コンナニカワユイ、タカチャン声ニナッチャイマース。
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「……あついよう」
かばうまさんのおなかをまくらにして、たかちゃんはぱたぱたとトトロの団扇を使っています。
かばうまさんは、たおるけっともふとんからほうりだし、汗だくでみにくい寝姿をさらしています。
「いや、これは、あづううい、だな」
くにこちゃんもはんたいがわのおなかをまくらにして、ぱたぱたとちょっとアブない団扇を使っています。
かばうまさんは、じぶんいがい無人のはずの部屋に聞き慣れたろり声を聞き、ぎく、などと飛び起きます。そしてころんところがったくにこちゃんの手にしている団扇に気づき、あわててひったくります。
「なんだよ」
くにこちゃんがぼやきます。
「かえせよ、まじょっこうちわ」
またかばうまさんの手からひったくりかえし、
「なんでまじょっこ、こんなにでかいおっぱい、まるだしなんだ? てれびじゃ、おれとおんなし、ぺたんこだぞ。へんしんしたのか?」
このまえの公休日に、かばうまさんがいい歳こいてアキバで買ってきた、エロ同人誌のおまけの団扇だったのですね。
いまさらそのばをとりつくろってもておくれなのですが、かばうまさんはぶなんなようかいだいせんそう団扇をどこかからひっぱりだして、くにこちゃんにあたえます。
「ほい、子泣き爺だぞ」
「よし」
くにこちゃんもこっちのほうがこのみです。
かばうまさんは、ねぼすけ顔に、ふと不審の色を浮かべます。
「……どこから入った?」
夏休みに入ったとたん、かばうまさんのアパートをあそびの拠点のひとつに設定してしまい、たまの公休日にもゆっくり惰眠を貪らせてくれない三人組に、さすがのろりやろうも音を上げて、今日はしっかり玄関に鍵を掛けておいたはずなのです。
「まどだ」
くにこちゃんは、とーぜんのように答えます。
「げんかんがあかなきゃ、まどしかない」
かばうまさんがとびおきたとき、ななめはすかいにころがってしまったたかちゃんも、ななめはすかいにころがったまんまでぱたぱた団扇を振りながら、こくこくとうなずきます。
どうやら裏の駐車場のフェンス→アパートの塀→二階の窓、そんな侵入経路のようです。
まるでのらねこのように、せいめいりょくにみちあふれたたかちゃんたちです。おさんぽコースやなわばりに固執する性質なども、のらねこに似ていますね。
かばうまさんはたまの無制限すいみんもあきらめ、ちからなく流し場で顔をあらいはじめます。
瞬間湯沸かし器さえ備わっていない安アパートでも、夏場はきちんと蛇口からお湯が出ます。
せめて朝一の水分補給は冷たくて美味い水を――しかし錆だらけの冷蔵庫を開けてみると、ミネラル・ウォーターのみならず、だいえっとこーらの残りまで、すでにたかちゃんたちによって飲み尽くされています。トマトもグレープ・フルーツも、ひとつのこらず姿を消しています。
かばうまさんはやけになって、朝から缶ビールをあおります。
やけになりながらも、とことんろりやろうのかばうまさんは、今朝はなぜたかちゃんトリオでなくたかちゃんコンビなのか、ちょっと気になりました。たりないろりは、ほねのずいからお嬢様なので、はしたなくフェンスや塀を乗り越えられなかったのではないか、そう心配になったのですね。なかまはずれになって玄関のおそとに立っていたりしたら、とってもふびんです。
「ゆうこちゃん、どうした?」
「あいつは、びょういんだ。きのう、ぷーるでたおれた」
いっしゅん硬直するかばうまさんの手から、くにこちゃんは当然のように缶ビールをうばいとり、くんくん、などと匂いをかいでから、ぐび、などとのんでみたりします。それから「んべ」顔になって、たかちゃんにパスします。たかちゃんもくんくん、ぐび、そして「んべ」です。
我に返ったかばうまさんは、あわててビールをとりもどし、
「そりゃ大変じゃないか。病気か?」
三さいいじょう十四さいいかのろりの生命活動にかんしては、とことん気になる性質《たち》なのですね。
「だいじょぶだ。ひっく。あいつは、いつも、なつになるとばてる。ひっく」
たかちゃんも、なんだかいいきもちになって、しんぱいそうなかばうまさんを、いいこいいこしてあげます。
「すずしくなると、ひっく、ちゃんとおきるよ、ゆうこちゃん。ひっく」
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