そのにい 〜 ちろちろ 〜
青梅しみんぷーるにむりやり拉致されて、ごぜん中をたかちゃんたちのおもちゃとしてすごしたかばうまさんは、おひるごはんに高級ちゅうか料理店に連れこまれ、それはもう異常に高価なひやしちゅうかやでざーとをちからいっぱいおごらされた後、みんなでゆうこちゃんの入院した病院におみまいにいきます。
「やっほー!」
「いきてるか?」
いかなるときにも緊張感とは無縁のたかちゃんやくにこちゃんのごあいさつに、とくべつ個室でちょっとさびしい一夜をすごしたゆうこちゃんは、にこにことごへんじします。
「やっほ。いきてるよう」
多摩川のかわらがみおろせる最上階のとくべつ個室は、病院というより、こうきゅうホテルのスイートなみです。
そこで白いレースのふりふりぱじゃまでねているゆうこちゃんの、お姫さまのように甘美なほほえみに、かばうまさんは心底胸を撫で下ろします。
「よかった。元気そうだ」
ゆうこちゃんのあいらしいくるくるまきげを汚らわしいぶっとい指で撫でながら、付き添いにきていたお手伝いの恵子さんに、馴れ馴れしく笑いかけます。
「驚いたよ。店に連絡くれれば良かったのに」
「でも、お盆はずっと忙しいんでしょ? たまのお休みくらいは、ゆっくりしたいでしょうし」
恵子さんもなんだかあやしいふんいきまですすんでいるような、びみょうにいろっぽいまなざしをかえします。
まあ、なんといっても三十ちかいばついちさんと、四十すぎのみさかいなく飢えたちょんがーですから、あれから三ヶ月もあれば、この公共の場ではくわしくご説明できないあんなことやそんなことも、ちょっぴり、いえ、しこたまあったりするのかもしれません。
こどもたちはかってにきゃあきゃあやってるようなので、ふたりきりでちょっと廊下に出たりもします。
「毎年入院するって邦子ちゃんが言ってたけど――優子ちゃん、どこか悪いの?」
「ううん。病気じゃないんだけど、暑さには弱いの。でも、今年はずいぶん元気なほうなのよ」
恵子さんは、ちょっと隙間を開けたままのドアからベッドのゆうこちゃんを窺い、憂いを帯びた瞳でつぶやきます。
「生まれた時から、未熟児だったし――ほんとはね、小学校に上がるまで育ってくれるかどうか、そんな話もあったの」
かばうまさんは驚いて、三人組のほうを振り返ります。
「でも、もう大丈夫だろうって。幼稚園に入った頃から、どんどん育ってるし」
恵子さんは憂いを振り切るように、無邪気な笑い声の響く病室を見つめます。
「たぶん、貴ちゃんや邦子ちゃんの元気をもらってるんだわ。だから奥様や旦那様も、優子ちゃんだけは、同じ学区の公立校に上げたのよ、きっと」
かばうまさんは、しまりのないお顔にめずらしくきりりとした笑顔を浮かべ、恵子さんの歳のわりにはろりっぽいふぜいと、子猫のようにベッドでもつれあうほんもののろりたちを、やさしく見比べます。
「……うん。きっと、そうだね」
★ ★
おそとの廊下では、そんないちぶしびあな会話がかわされるいっぽう、ベッドのゆうこちゃんはたかちゃんにお足の裏こちょこちょこうげきをキメられ、
「きゃははははははは」
こきゅうこんなんにおちいり、悶死のいっぽてまえをさまよっています。
くにこちゃんはおみまいにあきてしまい、かばうまさんに買わせたおみやげのフルーツ・バスケットを、ひたすらたべあさっています。
「しゃぷしゃぷ。うん、めろん、うまいうまい。ほっぺたが、おちそうだ」
ふと気づくと、バスケットはもうおびただしいくだものさんの皮だけになっています。
「…………」
これはさすがにちょっとちがうのではないか、そんなたかちゃんとゆうこちゃんの視線に、
「……きにするな」
くにこちゃんは、こわい顔をしてその場をごまかします。
「おまえんちはかねもちだから、だいじょぶだ、きっと」
たかちゃんはとってもかしこいお子さんなので、内心「なにか論点が意図的に曖昧なのではないか」と、ちょっぴりうたがわしげなまなざしですが、ゆうこちゃんはおうちにかえればそんなせこくて小さいうそんこメロンではなくほんもののメロンをいくらでもたべられるので、すなおにこくこくとうなずきます。
たかちゃんのぎわくの視線と、うたがうことをしらないゆうこちゃんのほほえみに、なおいたたまれなくなってしまったくにこちゃんは、さらにその場をごまかすため、ととととととお窓にかけよります。
「いやー、いいながめだ」
たかちゃんは、小栗鼠のようにいっしゅん前のぎもんも忘れて、ととととととお窓にならびます。
多摩川のかわらは、めいっぱい夏の日差しです。
みんみんみんみんと、せみさんたちも、いっしょけんめい鳴いています。
「おう。みんな、ありんこみたい」
よかった、これはごまかせそうだ――くにこちゃんも、すかさずあたらしい話題をふります。
「はなびたいかい、みえるかな」
こんや、近所のかわらで、年にいちどの花火大会があるのです。
「……だめみたい」
ゆうこちゃんが、ちょっぴりさびしそうにつぶやきます。
「おとだけなら、きこえるって」
ほんとうはみんないっしょに、家族そろってでかけるはずだったのですね。
あう、ますますこの場がくらくなってしまった――くにこちゃんは内心こまってしまいますが、
「らいねん、いこう」
たかちゃんはあっけらかんと、ゆうこちゃんに笑いかけます。
「らいねんのらいねんもあるよ、はなび。ずうっと、あるもん」
ゆうこちゃんもむじゃきにこくこくします。
「うん! らいねん、いっしょにね」
――この使えるボケ娘と、トロい金持ち娘だけは、生涯泣かすまい。
そう男らしくこころにちかう、くにこちゃんでした。
おんなの子なんですけどね。
★ ★
山形県吹浦の無人の入り江に日の出前泳ぎ着いたカジムは、沖を引き返してゆく漁船――
一見漁船に見える船影を見送った後、岩陰に隠れて、バック・パックの乾いた衣類に着替えた。
衣類、洗面具、当座の日本円とパスポート、アメックス・カード――ワイオミング大学在学中の中東系アメリカ人青年が、夏の休暇に日本を回ろうとしている。当然、銃器などは携帯できない。
現在最もチェックが甘いと分析されたコースを辿り、そのまま酒田から新庄駅に向かう。日本語は「コニチワ」「アリガトゴザマス」程度しか覚えていないが、肝要なのは、絶対に中東や南米や東南アジア色のない流暢なアメリカン・イングリッシュと、ヤンキー特有の浅薄で明るい表情である。それさえ誇示できればカジムの顔立ちでも、この国で怪しまれることはない。
山形新幹線のホームで、予定通り同胞の留学生と落ち合う。その同胞はカジムよりも十歳は上のはずだったが、一般の東洋人や西洋人には、その差を見出すのが困難だ。事実、その初対面の同胞が一瞬不安な表情を垣間見せたほどまだ若いカジム――現在十五歳の少年がここまでに接触した日本人たちは、誰も彼がアメリカの大学生であることを疑わなかった。その中には、酒田駅までの道を訊ねた警察官も含まれる。
初めて乗る流線型の超特急列車は、軍用機を除けばカジムの知る限り、この一年故郷の山間で操縦訓練を続けていたセスナと同等の速度で、地表を疾走しているように思われた。車や列車という地上輸送機関には付き物のはずの、腰の歪んでしまうような振動も、まるで夢の中のように感じない。
数ヶ月ぶりに精神の弛緩を覚えたカジムは、窓外の景色を眺めながら、そしてここまでの経路を思いながら、心中で嘆息した。この国にはなぜ乾ききった砂漠や礫漠がないのか。なぜどこもかしこもみずみずしい緑に覆われているのか。そして乞食までが肥えているのはなぜか。彼には車窓を流れる美しい自然の山々すらが、漠然と、『不当に自分たちから奪われた物』であるかのように思われた。そう、故国の資源と同様に。
「少々準備が遅れているんだ。なにせペルシャの赤ん坊がもらえると思ったら、スコッティッシュフォールドだって言うんだからな」
同胞はノート・パソコンをネットに繋ぎながら言った。
やがてブラウザに現れたペット愛好者のホーム・ページは、総てが暗号化された彼らの拠点だった。テキストや画像にイレギュラーな信号が織り込まれている訳ではない。構成自体が二重三重の意味を秘めて組まれており、さらに日替わりの暗号パターンなども存在する。事実その掲示板やチャットに参加する訪問者の九割は、単なる犬好き猫好きの唾棄すべき異教徒であって、たった今掲示板に書き込まれた愛猫自慢の中のペルシャ猫が調布飛行場であり、シャムが東京都庁であることなどは知る由もない。
「地図さえ書いてもらえば、どこにだって行くよ」
カジムははるか年長の同胞にそんな物言いをするのを心苦しく思いながら、崩れた若者米語で答えた。
チョウフがナガノのどこかに変更になろうが、トチョウがロッポンギヒルズに変更になろうが、この呆れるほど細い国の東西方向ならば、セスナの航続距離に問題はない。軍用機の迎撃でも受けない限り、神の国への道は確実に開けるはずだった。自分の操縦技術は、飛行担当最年少であるにも関わらず、誰よりも巧みなのだから。
もうすぐ胸を張って妹に会える――カジムはそう信じていた。
★ ★
「おい、かばうま。あれを、かえ」
帰りみちの商店街で、くにこちゃんはかばうまさんのシャツのすそを引っぱります。
おもちゃ屋さんのウインドーに、きれいな花火の詰め合わせが、たくさん並んでいます。
「ゆうこがたいいんしたら、いっしょにやるんだ」
かばうまさんも、異議なしでお店にはいります。
さきをあらそってかけこんだくにこちゃんとたかちゃんは、たちまちのうちに両手にいっぱいの花火を抱え、かばうまさんのお買い物かごに放りこもうとします。
たかちゃんがかかえてきたのは、おもに色とりどりの、なんだかよくわからないけれどとってもおもしろそう、そんな花火ばかりです。いっぽうくにこちゃんがかかえてきたのは、とにかくでかくて景気がよくて、できればおうちの一軒くらいはこなごなにふきとばせそうなやつ、そんな希望による、大ものばかりです。かばうまさんはその選択のわかりやすさにちょっぴりあきれながら、ふたりのぶーいんぐを制しつつ、適宜現実的な量の花火を選り分け、レジにはこびます。古色豊かな線香花火なども、おやじなので加えます。
それからまた、商店街を歩いていると、
「ねえねえ、あれかって」
こんどはたかちゃんがすそを引きます。
そろそろ喉でも乾いたかな、そう思いながらかばうまさんが振り向くと、電器屋さんの店先に、『まだ夏はこれからだ!』とはではでのPOPで飾られた、単なる売れのこりのエアコンが並んでいます。
「ゆうこちゃんがたいいんしたら、かばうまさんのおへやも、ひゃっこくするの」
ほんとうは九わりがた、たかちゃん自身のよくぼうによるおねだりなんですけどね。
ちなみにかばうまさんは、禁エアコン主義者です。ろりおたなどにありがちな、ぶよんとしてしまりのない、おおでぶで汗っかきのくさい体をもてあましているのに、自分の部屋に限って冷房を入れないのは、むかしファンだった同い年のかがみ♪あきらさんという、やっぱりおおでぶでおたくで、しかしとてもすぐれたSFせんすと美少女きゃらの融合世界を展開していたまんが家さんが、じゃっかん二十六歳の夏、風呂あがりに半分はだかのまんまエアコンつけっぱなしで寝込んでしまったため体熱を奪われ凍死してしまった、そんなできごとがあったからです。その前から過労で風邪気味で衰弱していたという説もありますが、かばうまさんなど慢性的に過労で衰弱しておりますし、風呂あがりにビールをしこたまかっくらってそのままぶたのように翌朝まで寝てしまう、そんなのもしょっちゅうです。かがみ♪あきらさんのような偉大な才能もなく、ほとんどいきている価値のないただのうすぎたないろりおやじのかばうまさんでも、なまいきに死ぬのだけは恐いのですね。
「うーん、エアコンはなあ――」
躊躇するかばうまさんを、たかちゃんはきらきらと期待にあふれたおめめで見上げます。
たかちゃんは、きほんてきに、むてきのファニー・フェイスです。ゆうこちゃんのような西洋人形っぽい甘さや、くにこちゃんの青鹿のような伸びやかさとはまたちがった、怒ったときはほんとにぷんぷん、泣いたときはほんとにえーんえーん、そして笑ったときにはもうどこからみても心の底からにっこしそのもの、そんなろりおやじごろしの豊かでいたいけな表情を、むいしきのうちに駆使できます。
とうぜん、かばうまさんの安げっきゅうのうちのなんまん円かを、よくぼうのおもむくがまま即座に吸い上げるくらい、わけはありません。
きらきらきらきら。
わくわくわくわく。
「――そうだな、買っとくか」
こうなると、もはや援助こうさいよりも高くつきかねない、あくしつなやらずぶったくりですね。
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