たかちゃんたちのふゆ


たかちゃんシリーズ第5弾





 はーい、いちおくさんぜんまんにもうちょっとでとどきそうだったのに、めさきの欲にとらわれてこづくりこそだてをわすれ、いずれはこの太平洋のかたすみにうかぶ美しい弧状列島をシワだらけの爺婆で埋め尽くし、みんなそろってヨイヨイになりながらそれでもじぶんだけは一分一秒でもながいきしようと画策している衆愚のよいこのみなさん、こんにちはー。おひさしぶりの、せんせいでーす。
 うふ、でも、せんせいはもうおろかな皆さんがどんなにひさんな明るい未来をめざそーと、いっこーにかまいませーん。なんとなれば、わたくし、この歳末に、ついに積年の念願を果たしてしまいました。
 うふふふふ。
 ちら。ちらちら。
 ――この左手の薬指を彩る巨大な輝きは、けしてガラス玉でも、ネット通販で買った二六〇〇円のジョーク・グッズでもありませんよ。正味一〇カラットのブリリアン・カット、正真正銘の天然ダイヤモンドです。なお、春に予定されたハネムーンのアクセサリーとして、すでにかのテーラーバートンにも匹敵する一〇〇万ドル級のペアシェイプを、ニューヨークのカルティエにあつらえております。
 はい、ご心配なく。今回は以前のようなトリップ落ちでも、無能な正月物にありがちな初夢オチでもありません。ほれほれ。
 ととととと。
 きききききー。
 これこのように教室中の窓硝子を軽ーくこすっただけで、
 ――ぱり、ぱりぱり、がしゃ、どしゃしゃしゃしゃしゃしゃ――
 はい、これこのように氷のようなスルドイ木枯らしが、教室中に吹き込んでまいります。


 ……ながいみちのりでした。
 それはそれは果てしなく続く、限界までこーもんかつやくきんを酷使する日々でした。
 ああ、使っても使っても一向に減らないだけのおゼゼに埋もれて育ったお方は、やはり並大抵の刺激でオチてくれるタマではなかったのです。シリアリ、ユニゾン・ドール、JP―dollsは言うに及ばず、鬼畜スレスレのピュア・ドール、果ては舶来リアル・ドールの全フェイス全ボディーまで、無慮数十体の人形たちによって無限に研ぎ澄まされた仮想性感は、せんせいの血肉の通った小柄かつほどよくくびれたお腰からヒップへのろりライン、親父のスネをシャブり倒して万感の思いを抱きつつ受けた○○○○永久脱毛、そして鍛えぬかれた肛門括約筋をもってしても、オトしきるまで実に半年以上の歳月を要したのです。
 はら、はらはらはらはら。
 ……でも、あきらめてはいけない。
 にんげん、どんなこんなんにちょくめんしようと、『夢』さえ忘れず日々の努力を怠らなければ、いつかはきっと神様が味方してくださるのですねえ。その証拠に、あのぶよんとしてしまりのないお方は、もはやわたくしなしでは夜も日も明けないありさまです。すでに、ただれたあいよくのどろぬまの、底の底までひきずりこんでおります。
 あー、腰に来るんだこれが。


 はい! そーゆーわけで、みなさんにお話をしてさしあげるのも、せんせい、こんかいがさいごとなります。
 これがさいごですので、もう、せんせい、うでによりをかけて、万感の思いを一語一句の言霊に託し、ちからいっぱいいーかげんにお話しさせていただきまーす。


 はーい、それではおひさしぶりの、よいこのお話ルーム、『たかちゃんたちのふゆ』、はじまりでーす。


     ★     ★


 ゆうぐれのたまがわの岸で、たかちゃんとくにこちゃんがちょこんと並んでしゃがみこみ、水の流れをみつめています。
 このまえ降った初雪が、まだうっすらと、あちこちに残っています。
 かわらの小石を洗うさざなみが、なんだかこのシリーズとは思えない叙情的な響きを奏で、さらさら、さらさらと、ふたりを包んでいたりします。
 たまがわという川は、とうきょう湾に近いあたりまで下るとけっこうハバがあり、ちょっとトロめのアザラシさんが海から泳ぎにきたり、目先のハシタ金に眼を血走らせたさもしい競艇オヤジのよくぼうのるつぼと化したりしていますが、そのはるか上流、せかいのはて青梅のあたりでは、山あいを縫って蛇行するちょっと広めの谷川、そんな感じです。
 奥多摩の山稜に、今しも夕日が沈もうとしています。
 いつもはごきげん娘のたかちゃんのほっぺたに、つつ、と涙が流れます。
 お隣のくにこちゃんも、晩夏から秋口にかけて二十六匹の狂犬や人型鬼畜に引導を渡した猛者とは思えないしおらしさで、ちからなくうつむいています。
 ふたりは、それぞれ手にしていた笹舟を、どちらからともなく、そっと流れに浮かべます。
 笹舟は、ふたりのちっちゃいもみじのようなお手々を離れ、あっというまに流れに乗って、くるくるともつれあうように離れていきます。
「……ゆうこちゃん」
 たかちゃんが、ぽつりとつぶやきます。
「おばあちゃんもいるから、さびしくないよね、てんごくでも」
 くにこちゃんが、粛然と合掌します。
「……まよわず、じょうぶつ、さっしゃい」
 まだ一年生のちっこいたかちゃんたちと同じようにちっこいその笹舟たちは、夕日にきらめくさざなみの中をけなげに浮き沈みしながら、遙かな海へと旅立ちます。
「おんあぼきゃーべーろしゃのー、まかぼだらー、まにはんどまじんばら」
 くにこちゃんの唱えるこうみょうしんごんが、せせらぎの響きに溶けていきます。
 なんだかこのシリーズとは思えない叙情的で哀愁溢れるBGMが、めいっぱい盛り上がったりします。
 さて、たかちゃんとくにこちゃんの後ろに、やっぱしちょこんとしゃがんでいたゆうこちゃんは、
「……いきてるよう」
 ちょっと困ったようなお声で、おずおずとこうぎします。
 ちんもくがあたりを支配します。
「……」
「………」
「…………」
「きゃはははは!」
「わはははははは!」
「?」


 ――はい、これは、たかちゃんとくにこちゃんが、うら寂しい冬の夕日をながめている内にほっさてきに着想した、『ゆうこちゃんしんじゃったごっこ』の実況中継です。
 ふつうならあくしつなイジメにもなりかねないこんな遊びを、当人を前にへーぜんと実行してしまうたかちゃんとくにこちゃん、そして怒りもせずにただきょとんと首をかしげるだけのゆうこちゃん――あいかわらず、とってもなかよし三にん組です。


     ★     ★


 たかちゃんたちは、もうお昼すぎから釜の淵公園や近所のかわらで、ひたすらあそびほうけています。吹き渡る木枯らしをものともせずに、小石のとばしっこや、おにごっこやかくれんぼ、またほっさてきに着想したなんだかよくわからないごっこなどをたんのうしたのち、鮎美橋をおうちにむかってわたりはじめます。
 鮎美橋は、谷川と河原をはるかにまたぐ、きっちり近代的な橋なのですが、お車は通れません。いわゆる人道橋、とっても人や狸や猿や熊に優しいお橋です。薄く残った雪氷をすけーとりんくに見立てて、たかちゃんたちは、つるつるつるつると、あいかわらずかたつむりのように急速に、おうちにむかってすすんでいます。
「きゃはははは」
「ひゃっほう」
「……あうあう」
 まだ冬やすみにはいったばかりなので、あすもあさっても永遠に続くお遊びのよていをはなしあったり、目先の快楽に溺れっぱなしです。にしゅーかん後などという遠い未来のしゅくだい関係の破局などは、がきのことゆえ、おしょーがつ明けでないと頭にうかびません。
 はしをわたりきると、くねくねした上り坂の路地が、青梅街道にむかって続きます。
 路地のよこの空き地では、近頃めったに見られなくなった冬の風物詩、正調『焚き火』なども、せかいのはてなのでまだ許されております。たきびがきえる頃には白煙とともにもう逝ってしまうのではないか、そんなよぼよぼのおじいさんが、たかちゃんたちの笑い声を耳にして、なんだかすごく眩しそうに、その皺だかなんだかよくわからない細い目を、さらに細めたりします。
「おう。たきびのたきびのまがりかど」
 たかちゃんは、とととととと駆け寄って、お爺さんににっこし攻撃を仕掛けます。
「どどんぱっ」
 思いがけないその懐かしいフレーズを聞いて、お爺さんの脳裏には、銀座で踊り狂っていた青年の日々の追憶などが、走馬燈のように去来します。
 ああ、あの頃は、今はもう斜め前方に曲がりっぱなしのこの腰も、右やら後ろやら前やら左やら、ビンビンにそっくりかえっていたもんじゃがのう――そんな、マツケンサンバもまっつぁおの思い出です。
「……食うか?」
 正調『焚き火』には、正調『木の枝に刺さったお芋』が、つきものなのですね。
「わーい。ほくほくほく」
「んむ、このこんがりこげたかわのふうみが、なんとも」
「……? ……ちま、ちま。 ……ぽ」
 おいもはおいしーし、たきびのちろちろ炎がとってもあったかいので、
「♪ ふーゆを愛するひーとーはー ふーゆのすきなひとー ♪」
 たかちゃんはきげんよく歌い出します。
「♪ ふーゆになーるとにっこにこーよー ふーゆーのーこいびとー ♪」
 ゆうこちゃんは、なんかちょっとちがうかな、と思ったりします。でも、相変わらず恥ずかしがりやさんなので、あえてたかちゃんにその正誤を指摘する勇気がありません。
 ほんとうは、「もうぴかぴかのいちねんせいなのだからそんな弱い自分をそろそろ変えなければ」と、常々思い悩んだりもしているのですが、やっぱり物心ついてから半生をかけて培ってきた己の性格というものは、なかなか変えられないものなのですね。
 それに人間といういきものは、とっても弱いいきものですから、それが自分の欠点であると思えば思うほど、なかなか自分を変えるふんぎりがつきません。そこで、「冬をあいする人はたしかに冬のすきな人だから、たかちゃんはげんじつてきに、けしてまちがってないの」などと、心の中で、自分の弱さを自分に偽ります。
「♪ はーるを愛するひーとーはー はーるのすきなひとー ♪」
 たかちゃんは、いつものように、とくになんにも考えていません。
「♪ なーつを愛するひーとーはー おーれのくそおやじー ♪」
 くにこちゃんは、ちょっと新説っぽく歌います。
 ゆうこちゃんが、おずおずと訊ねます。
「……くにこちゃんのおとうさん、あついほうが、すき?」
「いんや、にがてだ。かんぷまさつとか、かんちゅーすいえーのほうが、とくいだ」
 ゆうこちゃんは、はてな顔でくにこちゃんを見つめます。
 くにこちゃんは、えっへんと胸を張ります。
「おふくろのなまえが、長岡『なつ』なのだ」
 くにこちゃんのおうち『長岡履物店』は、たとえビンボでも、子供がきちんとまっすぐに育てる家庭なのですね。七歳のくにこちゃんを頭にすでに三人の子を造り、実は四人目までおかあさんのおなかを内側から元気に蹴ったりしています。少子化問題がエラいことになりつつある昨今、貴重な昭和戦前型家庭と言っていいでしょう。
 いっぽうゆうこちゃんの家は、とんでもねーおかねもちゆえに、おとうさんはあんまし家にかえらず、おかあさんもお花やらお茶やら日本舞踊やらなにかと留守がちで、うんと年上のおにいさんも東大法学部で司法試験を控えているため、都内のマンションからほとんど帰ってきません。ゆうがたおうちに帰っても、とんでもねー広い家に、恵子さんはじめとんでもねー頭数のお手伝いさんたちが、待っているだけです。
 ゆうこちゃんのお人形さんのようなかわゆいお顔が、ふと、翳りを帯びます。
 ちなみにたかちゃんは、セコいけれどまあそこそこのツー・バイ・フォーに育った、きれいさっぱりひとりっこなのですが、
「♪ あーきを愛するひーとーはー あーきのすきなひとー ♪」
 いまのところ、とくになんにもかんがえていません。


     ★     ★


 さて、お爺さんのびちくしていたおいもをあらかたたいらげたのち、ぽかぽかにあったまったたかちゃんたちは、坂道からおうち方向に続く商店街に進軍します。
 のどかなせかいのはてでも、歳末の商店街はそれなりに師走です。
 ――ふたりはぷりきゅあまっくすはーとのしゃいにーるみなすは、もうサンタさんにもらったから、おとしだま、なにをかおうかなー。やっぱし、おしゃべりうるうるルルン?
 ――やっぱし、らいねんきちくをシメるときは、ひびきのますくじゃ、ふるいよなー。かぶとのますく、どーやってオヤジからせしめよーかなー。
 ――サンタさんのくれた、ふらんすのびすくどーるさん、かわいいけど、いっしょにねると、ほんとはちょっとこわい。おにいさんにおでんわしたら、おしょうがつ、リカちゃんのおみやげ、もってきてくれるかなー。
 などと三者三様のかわゆい思いに耽りながら、並んで覗くおもちゃ屋さんのウインドーの隣では、電器屋さんのハイビジョン・モニターが、いってーなんのためにたけー銭払って地上派デジタルになんぞ買い換えなきゃならんの、そんな一億二千万総白痴番組を、あいかわらず年中無休で垂れ流しています。
 でも、みすたーまりっくさんの超まじゅつなどは、太古からの正しい奇術師=いかがわしい魔法使いをきっちり演じているという意味で、芸能史上でも、あながち馬鹿になりません。
 歳末特番の予告でしょうか、モニターでは、まりっくさんがさかんに観客の歓声を巻き起こしています。
「おう」
 たかちゃんも、まりっくさんのまほうは、だいすきです。
「みてみて。すごいすごい。まほうの、よげん。まりっくさん、みらい、わかるんだよ」
 ゆうこちゃんもいっしょになって、おじょーさまとしてはちょっぴりはしたなく、ぽかんとお口をひらきっぱなしにしたりします。
 でも、くにこちゃんだけは、にがにがしげにくびをふります。
「あれには、ちゃんと、たねがあるのだ」
 くにこちゃんは、ふだんから不動明王様を呼び出して鬼畜を挽肉にしたり、孔雀明王様を飛ばして迷惑カラスの羽をむしって懲らしめたりしているので、かえって超自然現象の定義などには、やかましいのですね。
「ふーん」
 たかちゃんは、まりっくさんの超まじゅつを、もういちどじっくりながめます。
「おう」
 こんどは、五〇〇円玉を、火のついた煙草が貫通したりしています。
「……やっぱし、まほう。タネ、ない」
 ゆうこちゃんも、こくこくとうなずきます。
「いんや、ある」
「ないもん」
「あるんだ」
「ないもん」
「ある」
「ない」
「ある」
「ない」
「ある!」
「ない!」
 ちょっとうざったくなってきたくにこちゃんは、
「あるじぇりあ!」
 意表を突いて黙らせようとします。
 しかしたかちゃんは、
「ないじぇりあ!」
 すかさずその挑戦を察知し、がいこくの地名がらみで、きっちり対抗します。
「…………あるぜんちん」 
「……ないあがら」
「あるはんぶら」 
「ないろび」
「……ありぞな」
「…………ねーでるらんど」
 俗語的音便化も許されてきたようです。
 くにこちゃんは、論戦が泥沼に陥るのを警戒し、すばやくはっそうのてんかんをこころみます。
 ――む、ここはちょっと、ふぇいんとを、かまそう。
「あるみほいる!」
 とつぜん、だいどこ用品こーげき!
「ないろんたわし!」
 負けないもん!
「ありむらみか!」
 ろくちゃんねるのおねいさん。
「ないとうゆうこ!」
 えぬえっちけーのおねいさん。
 もはや、あなどるおたくのおにーさんやおやじでないと、ネタがつうじません。
「あ……あ……」
 ちょっとネタにつまってしまったくにこちゃんは、
「♪ あーりさんと あーりさんと こっつんこー ♪」
 やけくそで『おつかいありさん』を歌い出します。
「な……な……、ね……ね……」
 たかちゃんもやけくそになって、
「♪ ねえや〜は 十五おで〜 よめに〜い〜き〜 ♪」
 負けじと『赤とんぼ』を歌い返します。
「ちょんぼちょんぼちょんぼ! たかこ、ちょんぼ!」
 くにこちゃんが、勝ちほこったようにさけびます。
 にまあ、とじゃあくなわらいをうかべ、
「♪ じゅうご〜で ねえや〜は よめに〜 ♪ 行くのだ!」
「ぺっぺっぺー! くにこちゃんも、ちょんぼだもん!」
 たかちゃんも、むきになってはんろんします。
「ありさんだって、はじめは ♪ あーんまりいそいで こっつんこ ♪ だもん!」
 思わぬ展開に激昂してしまったふたりは、こめかみに血かんを浮かしながら、しばし息をととのえたりします。
「はあ、はあ、はあ……」
「はあ、はあ、はあ……」
 憎悪の視線が交差します。
 ふだんはとってもなかよしさんのふたりなのに、やっぱりガキなのですね、なんのこんきょもない些細なかんじょうのもつれによって、一触即発の危機にちょくめんしたりします。
 そんなおとなげないふたりを、ゆうこちゃんは、はらはらと心配そうにみつめています。
 経済的には安定した富裕階級にありながら、自らはいつ果てるとも知れぬ虚弱な肉体的宿命に翻弄される、そんな二律背反的人生を歩んで来ているためか、せいしん的にはちょっとおとなのゆうこちゃんなのですが、やっぱししょせんいいとこのお嬢様、あえて理性を失った衆愚の闘争に介入する決断は、なかなか下せません。
 くにこちゃんのお目々に、なにか凶暴な光が点ります。
「ふっふっふ」
 たかちゃんよりも弱肉強食の人生を歩んできているからでしょうか、先に反げきのきかいを捉えたようです。
「――あるまじろ!」
 おう、こんどは、どーぶつのお名前つながり。
「な……ない……ね……ねー」
 ねずみさんだと、ちょんぼかな? などと惑いつつ、たじたじと後ずさるたかちゃんに、くにこちゃんはなさけようしゃなく畳みかけみます。
「あるかぽね!」
 がいじんさんのお名前つながりで、とどめを刺すさくせんです。
「ね……な……」
 たかちゃんは、ぷるぷる震えながら、さらにじりじりと後ずさります。
「ううううう」
「ふっふっふ」
 あやうし、たかちゃん!
 そんな世界終末の予感に、ゆうこちゃんは、ついに紛争介入の覚悟を決めます。

「…………ないちんげーる」

 それはいつものゆうこちゃんのお声と同じように、とってもささやかで、はかなげなお声だったのですが――
「!」
「おう……」
 あたかも戦場に咲いた一輪の白い花のように、憎悪の地平を浄化していきます。
 そう、ないちんげーる、それは夜明けの光と共に現れ、清らかにそしてけなげにさえずる小さないきものたちの名前であり、また同時に、高潔ながいじんさんのお名前でもあるのです。
「――まけた」
 くにこちゃんが、いさぎよく肩を落とします。
「ある」の陣営ひとりに対し、「ない」の陣営がふたり――たとえ敵がひゃくまんにんでも、その気になれば戦闘続行可能なくにこちゃんなのでしょうが、ここはあえて引き時と判断を下し、すなおに多数決の論理に従います。また、そうした形式的敗北感以上に、どこか精神的な昇華すら、なにがなし感じていたりします。


     ★     ★


 ――はい、みなさん。これこのように、なかよしさんが三にんぐみであるというのは、お子さんにとって、社会という概念を悟るために重要なことなのですね。なかよしさんでも、ずうっとふたりっきりだと、たとえばかつては燃えるような恋愛関係の末に結ばれた夫婦などであっても、入籍後五年十年、砂を噛むような味気ない現実生活を共にするうちにいつしか嫌悪と憎悪の応酬関係と化し、しまいにゃ保険を掛け合って、しばしば殺し合ったりしがちです。


 そろそろお時間も近づいているようですから、せんせい、さいごのさいごでは、きっちり正しい大人として、皆さんに聞いていただきたいと思います。
 すでに、全世界にわずか数名しか現存していないと伝えられる幻のよいこのみなさん、そしてどこにでもうざったく転がっているあなたがたのようなどーでもいいよいこのみなさん、人間というものは、うまれたときは生存本能のみに囚われた、一匹のけだものにすぎません。ふたりになって初めて、『種の概念』という認識を生じます。あなたがたが見かけ同様ウツロな無機物ならいざしらず、正常な生物の認識というものは、けして己ひとりの感覚ではなく、あくまでも相対的なものなのですね。
 しかし、それだけではいけません。
 さらに三にんになって、ここに初めて『社会』という概念が生じます。
 なにも多数決が全てではありませんが、ひとりきりやふたりきりでは、『客観』が生じ得ないのも確かなのですね。


     ★     ★


 はい、最後の最後までなんだかしちめんどくせーせっきょーたれやがって、とっとと消えやがれ、そんなお顔をしていらっしゃる、そこの若くして青春を捨ててしまったようなズボンずるずるシャツはみだし無精髭のくっせーあなた、お話が終わったら、ひとりで生徒指導室にいらしてくださいね。いいですか、あなたひとりでですよ。
 いえいえ、わたくしは以前のわたくしではありません。いっしょーかかってもつかいきれないおゼゼを目前にしながら、今さらむえきなせっしょうなどいたしません。
 でもその代わり、わたくし、夜毎あいよくのうたげをくりひろげつつも、ある種の温もりに大変不自由しております。おしゃまんべのビンボな八百屋に生を受け、これまでにそれはそれは谷間の白百合のようにあるいは高原の野菊のように、汚らわしい殿方になど目もくれぬ大変高潔な人生を歩み続けて来たためか、ぶよんとしてしまりのないお方の立ちの悪いなんかに日々奉仕するだけでは、心は満たされても、子宮が満たされないのです。一〇〇万ドルのダイヤモンドを胸に光らせつつ豪華客船で半年におよぶ世界一周ハネムーンに旅立ったとしても、そして心の底からあのぶよんとしたしまりのないお方、かっこ、その男の所有している資産、かっこ、を真心こめて愛し抜いているとしても、『本音』イコール『女の子宮』だけは、やはり満たされないのです。
 もはやあなたのようなシマリのない阿呆面のとっちゃんぼーやでも立ちさえ良ければ、あるいは指使い舌使いディルド使いが巧みであればいっそ百合族の玉の肌でも、ある種の温もりさえ後ろから前から激しく奥まで実感できればもうじんせいなんてどーでもいーからこのいのちつきるまでいんびなかいらくにおぼれさせて頂戴、そこまで追いつめられております。
 うふ、うふふ、うふふふふふふふふ。
 ――明日の朝日が黄変するまで、それはそれはもうあっちこっちくまなく、もうさいごのひとしずくまで、余すところなくかわいがってさしあげますからね。


 ……じゅるり。





                    〈おしまい〉




                     ● よいこのお話ルームにもどる




● 作品中に、巽聖歌氏・作詞『たき火』、荒木とよひさ氏・作詞『四季の歌』を、替え歌の元歌として使用させていただきました。また、関根栄一氏・作詞『おつかいありさん』、三木露風氏・作詞『赤とんぼ』の一部を、引用させていただきました。

● 2006(C)VANILLADANUKI
この作品の著作権は、当狸穴の主・バニラダヌキにあります。無断使用はお控えください。