よんかいめ ♪ つくつくつんつん、つん、つん、つーん―― ♪
――はい、いつのまにやらいちおくにせんまんぶんの『すうめい』に激減してしまったよいこのみなさん、こんにちはー。
いえいえ、せんせいは、なにもふへいふまんをもらしているわけでは、けっしてございませんよ。せんせいは、いぜんのイロモノ出身教師のように、ウケるためならケツの毛さえ見せてしまうような、せっそーのないおんなではありません。また、きょーいくいいんかいからのだんあつやふけいからの投書に負けて、鉄拳や延髄切りにこめた熱い愛の教育を放棄してしまうような、惰弱な教育者でもございません。たとえお話づくりの人とただふたり、未開の原野で吹きすさぶ風のみを相手に語ることになろうとも、そこに叩き割る岩やへし折る巨木があるかぎり、草の汁をすすっても地虫を喰らっても、敢然と語り進むおんなです。
しかしそれでも、ちかごろやっぱしひびのよっきゅーふまんがたかまるばかりで、ついついのこりすくないよいこのみなさまのだいどーみゃくをかき切ったり、ささいなかんじょーのもつれによって、むいしきのうちにしめころしたりするといけません。
ちょっとお話の前のでもんすとれーしょんとして、またストレスかいしょーを兼ねて、ここに取り出しましたるコンクリートブロック十段重ね、頭突きで粉砕させていただきます。
ずご。
――はい、ロス留学中大道芸で学費を稼いでいた頃ほどのキレはありませんが、これこのように、最下のブロックまできれいに二分されております。物言わぬ冷たいコンクリートゆえ、悲鳴も上がらず血も流れないのがやや物足りなくはありますが、そこはそれ、我が国がどんなにフヤケきりヤバくなりつつあるか内心薄々自覚しつつ、なお真実から姑息に目をそむけようとしている平和ボケ愚民国家に生きる身の哀しさ、この程度の怒りの発露で、我慢することといたしましょう。
はーい! それでは、孤高のせんせいにえらびぬかれたいのちしらずの『いちおくにせんまんぶんのすうめい』のよいこのみなさま、こんかいもまた、つらくはてしない、たかちゃんわーるどにたびだちましょー!
★ ★
「はい、どーぞ」
消火活動を終えて、テーブルに落ち着いたお客様を、たかちゃんはきちんとおもてなしします。
「いやいや、どーぞ、おかまいなくおかまいなく」
おかまいなくおかまいなくと言うわりには、たかちゃんの出してあげたコップをすばやくまえあしでかかえこみ、すでにストローでじゅるるるし始めているバニラダヌキさんです。もっともたかちゃんのほうも、ガス・レンジに山盛りになってしまったシェイクをコップですくってお出ししただけですから、どっちもどっちです。
「ほう、どどんぱ鍋ですか」
たかちゃんの出火釈明を聞いたバニラダヌキさんは、訳知り顔でうなずきました。
「それは、いい。さむいばんには、バニラをたっぷし効かしたどどんぱ鍋、なんといっても、それがいちばんです」
たかちゃんとゆうこちゃんは、はてな、とお顔を見合わせます。
ちなみにくにこちゃんは、巨大三毛猫がお勝手口から入ってきたとたん果敢に勝負を挑み、その巨大肉球でおだいどこ中突き転がされたあげく、今はまるくなって寝てしまった三毛猫さんのおなかのまんなかあたりに捕獲され、首だけ出して脱出の機会をうかがっています。
「たべたこと、ある? どどんぱなべ」
その名を知っているだけの、いえ、もとい勝手にでっちあげただけのたかちゃんは、おずおずとバニラダヌキさんにたずねます。
「はい。それはもう、一晩中はらつづみを打ちまくりたくなるような、どどんぱっぽい美味しさです」
なんだかとっても楽しいお味のようです。
「でも、とんとんとんやじゃーじゃーじゃーはいけません。いきなしぐつぐつぐつも、きんしです。まかりまちがうと、じんるいが、めつぼうします。おなべのはずの『どどんぱ』が、どんぶりものの『はるまげ』に突然変異してしまうのです。バニラの村では、それを『はるまげ丼』と呼んでおります」
なにやら想像を絶するリスクも、秘めているようです。
思わず腰の引けてしまうたかちゃんたちに、バニラダヌキさんはにっこし笑――笑ったのではないかと推測される狸顔で、
「いえいえ、ご心配にはおよびません。おいしいシェイクをごちそうになったお礼に、ただしいつくりかたを、教えてあげましょう」
もとはと言えば自分でぶちまけた商品なのですが、なんといっても小動物さんのこと、そういった遠い過去の過ちは、忘れてしまっているのですね。
たかちゃんとゆうこちゃんは、バニラダヌキさんに続いて、再び調理台に向かいます。
ちなみにくにこちゃんは、それらの会話のあいだ中、なんども三毛猫さんのおなかから這いだしては、そのたんびに尻尾の先で押し戻され、はいぼくかんにうちひしがれております。この秋となり村にもらわれて行ってしまった三毛猫さんの赤ちゃんと、間違われているのかもしれません。それでも気まぐれな猫さんのこと、たかちゃんたちが移動すると、「なんだなんだ」と立ち上がって後を追います。ですからくにこちゃんも、ようやくひとりだちできます。
バニラダヌキさんは、溶けたシェイクと焦げた食材さんたちでチョコパフェのようにまだらに輝く小山を、ふんふんかぎ回っております。
「――『どどんぱ』が、はいっておりません」
たかちゃんたちは、はっとお顔を見合わせました。おりょうりの方向性が、根本的に過っていたのかもしれません。どうやら『どどんぱなべ』は、これまで想定していた『よせなべ』や『やみなべ』のような『状況由来鍋』ではなく、『とりなべ』『ししなべ』のような、『主要食材由来鍋』らしいのです。
たかちゃんは、己の無知を内心恥じつつも、やはり責任転嫁を謀ります。
「……すーぱーに、なかった」
「こまったスーパーですねえ。『どどんぱ』や『ばにらの実』をきらすようなお店は、企業努力が足りません」
全世界を行商しているわりには、ちょっとグローバル・スタンダードに疎い、バニラダヌキさんです。
「ぼくのもっているのを、ひとつ、お礼にさしあげましょう」
「おう」
お庭のお屋台にむかうバニラダヌキさんに、たかちゃんたちもわくわくと続きます。
「『どどんぱしぇいく』、しんはつばい?」
そんなしぇいくがあるのなら、ただしい児童として、ぜひいちどじゅるるるしておかねばなりません。
「それはまだ、企画会議で検討中です。去年の秋口に『どどんぱ』がいっぱいとれたので、夏には商品化可能と思われます」
雪のお庭では、不動様のかたちの白い小山が、ごうごうといびきをかいております。おなかのあたりにちょっと轍《わだち》の跡が残っているのは、バニラダヌキさんが越えてきた道でしょうか。
「これから秩父山地を越えて、八ヶ岳のサナトリウムを行商する予定だったのです。『地域限定シェイク・風立ちぬ』の市場調査を兼ねまして。『どどんぱ』はとっても精がつくので、冬の山越えには欠かせません。ふたつ持ってきておいて、ちょうど良かった」
きょねんまでよりも、なんだかずいぶんハードなお仕事をこなしているようです。きっとのどかなバニラの村にも、『負け組棄民政策』は、確実に影を落としつつあるのですね。
バニラダヌキさんは、お屋台の横の扉を開けて、ごそごそとなんか引っぱり出しました。
「おお、まだ、いきている。これは、とってもこうきゅうな『どどんぱ』です」
バニラダヌキさんの腕のなかで、ピンク色のなんだかよくわからないものがふたつ、うにうにとうごめいております。ふたつのどどんぱさんがなっとう餅のようにからみあい、洋楽だか邦楽だかわからないちょっとホンキーなリズムにのって、あっちこっち出っぱったりひっこんだり元気に弾んでいるありさまは、なるほどこれを食べたらからだが芯からあったまったり精がついたりひつよう以上にハイになったりして、昭和三十六年の元祖『東京ドドンパ娘』渡辺マリさんのように老婆になってもドドンパ娘でいられそう、そんな感じです。
たかちゃんは、さっき秋にとれたと聞いたので、くだものかお野菜なのかなと思っていたのですが、どうやらみちのせいぶつだったのですね。
「はい、どうぞ」
「ど、ども」
ぬばあ、とピンクの糸を引いているどどんぱさんのひとつをうけとったたかちゃんは、うでやむねやおなかに感じるびみょうなかんしょくと甘いような苦いような香りに当惑しつつ、やっぱしおとなのおんなになるのはかならずしも快感ばかりではない、そんな一種の悔悟にとらわれました。
しかしくにこちゃんは、さっそくそのねばねばをつっついて、ぺろ、などと味見します。
思わず顔をしかめるたかちゃんやゆうこちゃんに、
「とっても、あまみの、おくがふかい」
かんじいったように、こっくりとうなずいてみせます。
ついてきていた大猫さんも、くにこちゃんのお手々をべろりんと嘗めてから、たかちゃんの抱えているどどんぱさんを、ものほしげにふんふん嗅ぎ回っております。
「これは、くせになるかもしんない。てっぽーむしに、ちょっとにている」
たかちゃんとゆうこちゃんは、やっぱしお顔をしかめます。
でも、あえてくにこちゃんのために、せんせい、責任を持って断言しますが、鉄砲虫――カミキリムシの幼虫さんは、なんで養殖してすーぱーで売らないのか不思議なくらい、ほんとにおいしいいもむしさんなんですよ。ちなみにおすすめは、なんといってもおどりぐいです。せんせいも陸自時代の山間サバイバル訓練中、なんど舌鼓を打ったかわかりません。大自然の恵みを素直に享受できない惰弱なよい子は、網焼きかバター焼きにして、ビールのおつまみすれば最高でしょう。
★ ★
おだいどこに戻ったたかちゃんたちは、エプロン姿のバニラダヌキさんをせんせいにして、こんどこそはと三度目の正直をめざします。
「『どどんぱ』は、いきがよければそのまんま酒肴にしてもおいしいのですが、お子さんやせいしんねんれい十四歳以下の外観のみ成人の方などは、やたらにナマでたべるとあまりにおいしすぎて、全世界の『どどんぱ』を求めて旅立ってしまったりします。うまくみつからないと、やけになってみさかいなく銃を乱射したり、刃物を振り回したり毒を撒いたりしがちです。そうなってしまうと、ようやく新しい『どどんぱ』をみつけても、まちがって『はるまげ丼』を作ったりしてしまうわけです。ですから、お子さんやせいしんねんれい十四歳以下の外観のみ成人の方などには、まいるどな『どどんぱ鍋』が、いちばんです」
たかちゃんたちは、とーぜんもうまったくなにがなんだかよくわかりません。でも、ママのエプロンをずりずりとひきずっているバニラダヌキさんがとってもおもしろかわいいので、すなおにこくこくします。
「『どどんぱ鍋』は、『とんとんとん』のかわり『むちむちむち』、つぎには『じゃーじゃーじゃー』のかわりに『ちん』、それからはじめて『ぐつぐつぐつ』なのです。それさえまもれば、とってもかんたんに、おいしくいただけますよ」
バニラダヌキさんは、お皿で蠢いているどどんぱさんを、むち、とひとつかみ、ちぎってみせました。
「はい、それではみなさん、これこのように、どどんぱを、一口大にちぎってください。千切り蒟蒻《こんにゃく》の要領ですね」
バニラダヌキさんのお手々から、ぴんくいろの粘液が糸を引きます。なんだか粘液自体も、ぞわぞわと自律的に蠢いているようです。そのありさまは、すでにどどんぱの味を知っているくにこちゃんですら、思わず一歩引いてしまうようないんぱくとです。
「…………」
「…………」
くにこちゃんとゆうこちゃんのしせんが、たかちゃんに集中します。なんだかよくわからないものごとはたかちゃんの担当、そんな暗黙の了解が成立しているのですね。
たかちゃんも、自己の存在意義を賭けて、んむ、とうなずきます。
「……むにっ」
粘液の内側の感触は、確かにこんにゃくさんに似ています。
「むちっ」
なまあったかいもちもちが、あんがい潔くちぎれます。
あえて詳細に表現すれば、軽く湯がいたスライムに包まれた柔らかめのぼたもち、そんな感触でしょうか。
「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」
その微妙な歓声に、多大な快感を察知したくにこちゃんは、勇んで調理に参加します。
「むちっ!」
一般に幼児といういきものは、ねばねばしたものやむにむにしたものが、もともと大好きです。
「わひゃ、わひゃははははは」
まあ幼児に限らず、千葉の栄町や神戸の福原などを夜毎うろつく愚劣な中年男たちなども、単なる○○○○だけでなく、ローションたっぷりの逆ソープ状態など、なかなかにこたえられなかったりします。
「……びくびく。……むちっ」
おそるおそる参加した、おしとやかなゆうこちゃんまで、
「……ぽ。……むちむちむち、ちまちまちま」
夢中になってハマってしまいます。すでにいつものやわらかわいいバニラダヌキさんが登場した以上、もうこの物語世界全体が果てしなくメルヘン方向にシフトして行くのではないか、そんなはかない希望的観測にとらわれてしまったのかもしれません。
そうして、またたくまに、笊いっぱいのちぎりどどんぱができあがりました。
お庭方向に逃亡したちぎりどどんぱさんや、その途中で三毛猫さんに食べられてしまったちぎりどどんぱさんも数匹いるようですが、バニラダヌキさんは、往年の田村魚采先生か神田川俊郎さんのようにあくまでもひとあたりよく、
「はい、それでは、したごしらえの続きです。瀬戸物かガラスの器に移し、お水七対お醤油三、それに味醂を少々加え、電子レンジで五分ほど、『ちん』してください」
バニラダヌキさんの指示に、たかちゃんは、ちょっとした齟齬をかんじます。
「♪ ちろりろりろるるるん ♪」
「?」
「おうちのれんじ、ちん、じゃないの。 ♪ ちろりろりろるるるん ♪」
「――それでは、電子レンジで ♪ ちろりろりろりりりん ♪ してください」
「♪ るるるん ♪」
「……♪ ちろりろりろらららん ♪ してください」
「♪ るるるん ♪」
「えー、こほん。あーあーあー。 ♪ ららりーるれろらーららら ♪ こほん。―― ♪ちろりろりろるるるん ♪ してください」
「こくこく」
たかちゃんは、ようやくなっとくして、瀬戸物のおなべを探します。バニラダヌキさんのひとあたりのよいほっぺたが、往年の田村魚采先生か神田川俊郎さんのように、びみょうにひきつったりします。
このばあい、たかちゃんに、けしてあくいはありません。あくまでも、バニラダヌキさんが見た目よりずうっと長生きしているがゆえの、世代ギャップです。しかしけしてあくいがないとはいえ、重要な大局をことごとくいーかげんにやり過ごしながら、じぶんごのみの枝葉末節にのみしつこくこだわってしまう性格は、お話のひとのようなおたく野郎や、不幸にもおたくの父を持ってしまったたかちゃんのようなお子さんに、ありがちな欠点です。一般社会への適応や、お料理の進行などに何かと悪影響を与えかねないなので、ぶよんとしてしまりのないみなさんなどは、特にご注意くださいね。
★ ★
さて、『どどんぱ』の『ちろりろるるるん』を待つあいだに、他の食材の準備――もとい、火事場の後始末にかかります。
どろどろの小山を、バニラダヌキさんは再びふんふんしたり、ぺろぺろしたりします。
「バニラのふうみも、足りませんね」
こんだけシェイクにまみれていても、まだバニラ方向の不足があるのでしょうか。
「ちょっと、とってまいります」
ママのエプロンに脚をとられつつ、ぽこぽことお勝手口に向かったバニラダヌキさんは、ふとたかちゃんたちをふりかえり、
「それから、これはとってもだいじなことなので、よっくと、聞いてくださいね」
意味深なお顔でけいこくします。
「ちろりろるるるんがおわるまで、ぜったいに、れんじの中をのぞいてはいけませんよ」
たかちゃんたちは、とうわくしながら、うなずきます。
そうして、いったん閉まったお勝手口が、またちょっと開いたりします。
「……ずぇったい、のぞいてはいけませんよ」
いつになくシリアスな、狸顔です。
これはもうぴかぴかのしょーがくいちねんせいにとって、『こっそり覗け』と命じられているのと同じです。
バニラダヌキさんのあしおとが遠ざかるのをかくにんし、くにこちゃんとたかちゃんは、さっそく意味深な視線をかわします。
「…………?」
「……こくこく」
ぬきあしさしあししのびあし。
「……だめだよう」
ゆうこちゃんが、あわあわとふたりの腰を引きます。
ちなみにくにこちゃんのデニム・パンツは、当節ハヤリの購入時からこれ見よがしに脱色されたり擦り切れたり穴が開いたりした『オレらアタシらなーんも苦労してないけどいちおー苦労してるみたいなカンジで馬鹿は馬鹿なりにカッコいいでしょジーンズ』では断じてない、七歳児にしてすでに立派な経年消耗ジーンズです。幼稚園の頃から、ぶかぶかのウエストをベルトでカバーし、裾折り返しまくりで穿き慣らした結果、育ち盛りの女児の中性的ヒップ・ラインに皮膚のごとくジャスト・フィットし、鬼畜の誘蛾灯として、くにこちゃんの必殺活動に日々貢献していたりします。いっぽうたかちゃんはオレンジ寄りのベージュのスカート付きパンツ(特売二枚組千二百九十円)をはいているので、ゆうこちゃんに引っぱられると、びよーんと伸びてショーツのおしりのラスカルがコンニチワします。
「でんしれんじのまどは、りょーりのぐあいを、のぞくためにあるのだ」
「でも、でも……」
「でんしれんじは、まいくろ波で、かねつするのだ」
くにこちゃんは、学習雑誌の科学漫画をうけうりします。
「まいくろ波は、そとにもれないように、できている。だから、のぞいてもだいじょぶなのだ」
ふだん現代科学をきれいさっぱり無視して生きている割には、都合のいい時だけ科学を重んじるくにこちゃんです。
たかちゃんはとにかくのぞいてみたいので、『まいくろは』がなんであろうと、しっかりうなずきます。
「こくこく」
ゆうこちゃんは、とほーにくれます。でも、けっきょくふたりのお腰にくっついて、でんしれんじに向かってしまいます。ふたりのあきらかなあくじやいさかいを止めるときとは違い、こんかいのような『もらる的に問題が残るが、科学的には誤っていない』ケースだと、やはりおのれじしんのよくぼうが、もらるを凌いでしまうのですね。
「わくわく」
そーっと覗きこんだレンジの中では、おそるべきこうけいが展開しておりました。
おなべから這い出たぴんくのちぎりどどんぱさんたちを、体長数センチほどの豆狸さんたちがナンパしています。洒落たスーツのイケメン風豆狸さんたちは「ちょっとお話しながらお茶しようよ」「化粧品のアンケートなんだけど」などと、おもにオトし易そうなお嬢さん系のどどんぱさんを誘っております。カメラマン・ジャケットの豆狸さんは「キミ、これからウチのオーディション受けてみない?」などと、ちゅーとはんぱに崩れつつあるギャルを狙います。赤ら顔の中年の豆狸さんたちは「ねえちゃんひとばんナンボや」「えーやないかへるもんじゃなし」などと、すでにヒップ・ラインの崩れた援交バリバリ層にハシタ金をちらつかせ、それはもう渋谷か池袋、あるいはミナミか梅田状態になっております。どうやら、濁ったおなべの中に、また連れ込もうとしているようです。
こりはびっくり――まあ、さすがに幼児のこと、詳細な事実背景は把握できないものの、たかちゃんたちは思わずたじたじと後ずさります。そんなたかちゃんたちの気配に気づき、レンジの手前にいた、黒シャツ・ノータイの胸をはだけた見るからにガラの悪そうな豆狸さんが、ガンを飛ばしました。
「あーん?」
典型的な、東映Vシネマ発音です。「オレら武闘派、シロト衆にナメられちゃ生きてけんのよ」とでも言いたげな、しかし内心は「俺らだってクズはクズなりにいっしょーけんめー生きてるフリしてるけど実はほとんどこんじょーないんでとことんラクしてカネとオンナがもーなんぼでもとにかくもっともっとラクに欲しいだけなんよ」、そんな発音です。
その声に反応したのか、レンジいっぱいの豆狸さんたちも、いっせいにぎろりとたかちゃんたちを睨みました。
こりはたいへん――はんしゃてきに身を乗り出し、ふたりを護ろうとするくにこちゃん、おろおろとその背中にすがるゆうこちゃん、ちゃっかり最後部に回ってまっさきに逃げ出すたいみんぐを見計るたかちゃん――張りつめたむすうのしせんが交錯します。
一ぷんが一じかんにも感じられる、そんな、ながいながいちんもくののち――
「ああっ! 見ないで! そんないたいけな汚れなきまなざしで、わしらの恥ずかしい姿を見ないで!」
黒シャツさんが、みもだえしながら涙にくれました。
レンジ中の豆狸さんたちが、いっせいにくるんとでんぐりがえります。
ぽんぽんとあっちこっちに上がった煙の中に、胡麻粒ほどの葉っぱたちが、ひらひらと舞い降ります。
煙が晴れたあとには、すでに豆狸さんたちの姿はなく、おなべからのがれたちぎりどどんぱさんたちが、かってきままにきゃぴきゃぴと散策しているだけです。
やはり、みてはいけないものをみてしまったのだ――そんな苦い後悔がむねにこみあげると同時に、あの豆狸さんたちにも辛い過去があったのかもしんない、と、またいっぽ、おとなにちかづくたかちゃんたちでした。
そして――♪ちろりろりろるるるん♪
電子レンジのちゃいむが鳴った、そのとき、
「……みてしまいましたね」
はっとしてふりむくと、お勝手口には、籠にいっぱいのバニラの実をしょったバニラダヌキさんが、たちすくんでおりました。
こわいかおをして――いるのかどうかは、いつもの狸顔なので、よくわかりません。
たかちゃんたちは、しらばっくれて、ぷるぷるとつよく否ていします。
「……みてしまいましとぅぁぬぅえ」
バニラダヌキさんのお声が、いまだかつてない陰湿な粘りけを帯びました。
たかちゃんたちは、ふほんいながら、やむをえずこくこくします。
「――まいくろ波による味醂吸収が足りない『どどんぱ』は、すでに『はるまげ』化しつつあります。このままでは、おそるべき『はるまげ丼』が、できてしまうのです」
バニラダヌキさんはおもおもしく、でもなぜかちょっぴりうれしそうに、講釈をたれました。
「こーなったら、いっこくもはやく、どどんぱに引導を渡さねば!」
バニラダヌキさんに命じられるまま、たかちゃんたちは電子レンジを開けて、逃げ惑うちぎりどどんぱさんたちをおなべに戻し、調理台に運んで火事場の焼け残り物件の上にぶちまけました。バニラダヌキさんは、さらにざらざらとバニラの実をぶちまけます。
「さあ! ちからのかぎり、『こねこねこね』するのです! ここはもう、早急に『つみれ鍋』にしてしまうしか、世界を救う道はありません!」
その剣幕に、ただならぬ危機を感じたたかちゃんたちは、
「こねこねこね」
「こねこねこね」
「こねこねこね」
総出で最終戦争に立ち向かいます。
しかしたかちゃんは、
「こねこねこね。こねこねこ……ねこ、こねこ……このこねこのここねこのこ」
いまいち、きんちょーかんが足りません。
ゆうこちゃんも、こーいった肉体労働は、どーしても不得手です。
「……うんしょ、ふう、うんしょ」
『こねこねこね』が、いつのまにか『ちまちまちま』に減力してしまいます。
いきおい戦闘の主導権は、例のごとくくにこちゃんが掌握します。
「ごね! ごね! ごね!」
まだらで不均等だったなんかいろいろが、日本一のカリスマ手打ちうどん師もかくやと思われる力づよいこねりんぐで、またたくまに淡いピンクの巨大なマシュマロと化していきます。最初はていこうしていたちぎりどどんぱさんたちも、しだいにおとなしくなり、やがてくにこちゃんのたけだけしいゆびさばきに、あっはん、などとみをゆだねはじめます。
そうして、激闘、さんじゅっぷん――。
さしものくにこちゃんもちょっと手を休め、
「まあ、こんなもんか」
充実した荒い息を吐きながら、汗をぬぐいました。
バニラダヌキさんが、ピンクのぷよぷよをふんふんとかぎ回ります。
たかちゃんたちも、いきをひそめてみまもります。
「……もっと」
いろっぽい、としまおんなのつぶやきが、静寂をやぶりました。
たかちゃんたちは、いっしゅん、お顔を見合わせます。
でも、たかちゃんやゆうこちゃんは、そんなお声を出すにはまだ推定十数年の修行が必要ですし、くにこちゃんにいたっては、生涯ふかのうと思われます。もちろん、バニラダヌキさんの狸声でもありません。
バニラダヌキさんが、たじたじとあとずさりします。
「……はるまげ? いや……どどんぱが、熟成進化している……」
次世代どどんぱさん――いえ、かつてどどんぱであったもの――あまたのいのちをそのなかにとりこみつつ、まったく未知の意識体として覚醒してしまった何者か――しいていえば『ごもくどどんぱ』あるいは『どどんばーぐ』とでも呼ぶべきなのでしょうが、ちょっと長いので、以降も『どどんぱ』と呼称させていただきます――は、乳桃色のなまめかしい軟体をくねらせながら、くにこちゃんに、うにゅう、としなだれかかりました。
「……もっと」
「?」
「やめちゃ、いや。もっと」
くにこちゃんは、どーすんだこれ、そんな視線でバニラダヌキさんに救いを求めました。
しかしバニラダヌキさんは、いつのまにかシンクの下にもぐりこみ、ママのエプロンにくるまれて、しかばねのようによこたわっております。呼吸はいっけん停止し体温も低下、心拍も生存限界ぎりぎりまで微弱に抑える――はい、これが、パニックに陥った非力な小動物などに多くみられる、たぬきねいり、とゆーものです。たんに、しんだまね、とも言いますね。
くにこちゃんは、かくごをきめました。
どどんぱさんのなまあったかい感触と、過剰なあまいかおりに辟易しつつ、しんちょうにお手々をのばします。
「……こうか?」
ごにょごにょごにょ。
「もっと、やさしく」
「じゃあ、こうか?」
ぷにぷにぷに。
「……へたくそ」
それはけしてどどんぱさんの本心ではなく、とししたの夫を軽くからかう、そんなニュアンスだったのかもしれません。
しかしまだわかすぎるくにこちゃんは、男としての自尊心を根源的な部分で傷付けられたようなきぶんになり、思わずつきはなしてしまいます。
「かってに、しろ」
おんなのこなんですけどね。
どどんぱさんが、ぴくりとこわばりました。
「……ひどいわ」
ささいな閨事《ねやごと》のいきちがいが引き金となって、としまおんなの被害妄想に火がつきます。
「あなた、もう私を愛していないのね」
きょとん――くにこちゃんは、ことばにつまります。
いかに侠気《おとこぎ》溢れるおんななかせのくにこちゃんでも、さすがにどどんぱさんとねんごろになった過去はありません。
ふしぎなものをみるようなくにこちゃんの視線を、さらに曲解してしまったのでしょうか、どどんぱさんの表面が、みるみる蒼白――もとい、青紫色に変わっていきます。
「…………」
ぶきみなちんもくをたもちつつ、しばしぶるぶると震えたのち、
「……死んでやるう!」
ぶわ、と、膨張変形巨大化します。
なんだかよくわからないけれど、とってもやけくそなかたちに膨れ上がったそのてっぺんは、おだいどこの天井を突き崩し、お二階の屋根にまで達しました。
がらがらがらがら。
がれきや畳の雨の中を、たかちゃんたちは、あっちこっち逃げまどいます。
「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」
逃げまどいながらも、ぷれぜんとのもくぎょさんやどらい・ふらわーさんだけはしっかり確保しているたかちゃんですが、おうちのほうは、もはや廃墟と化しつつあります。
やっぱしたかちゃんのおうちは、どーしても、こうなるお約束だったのですね。
★ ★
ごきんじょの物陰で待機していたさんにんのSPさんは、いっしゅんにして雪煙をあげ倒壊する家屋に愕然としながらも、すばやくコートやせびろをかなぐり捨てました。そのしたには、しっかり迷彩戦闘服を着こんでおります。そして、たたたたたと雄々しくお庭に突入しましたが、雪の小山をうっかり踏み越えようとしてしまい、
「なんや、そーぞーしー。寝てらんねーぞ」
などとぶつぶつ言いながら起き上がった不動様に振り落とされ、見事に出鼻をくじかれます。
ごごごごご。
雪煙の中に瓦礫を弾き飛ばしながら、巨大どどんぱさんが屹立します。
不動様は、その異形の影を見定め、
「お、やんのかオラぁ!」
これは調伏しがいのある奴が出現したと、張り切って立ち上がります。
しかしそのとき、あしもとに、なにやらだだだだだと駆けてくる姿――
「ひゃっほう!」
くにこちゃんを先頭に三毛猫さんにまたがり、窮地をのがれたたかちゃんたちです。
「うひゃあ」
不動様はまのぬけた叫びをあげて、阿波踊りのような手つきをしながら数メートル跳んで逃げました。
「またかよ」
不動様は、生理的に、猫を受けつけない体質だったのですね。おさないころ非行猫に足蹴にされた、そんなトラウマがあるのかもしれません。そのまんま屏を跳び越え、どどどどどと四つ角まで逃亡し、物陰からこそこそと様子見をきめこみます。
たかちゃんたちは、もとより不動様に期待はしておりません。
「はいよー! しるばー!」
今どき何人のよい子に解ってもらえるか心もとない掛け声とともに、そのまんま門を駆け抜けようとしましたが、どどんぱさんは、うにゅにゅにゅにゅう、と尺取り虫のようにからだを引きのばし、頭越しに行く手をさえぎります。
「ありゃ」
進路を断たれたたかちゃんたちに、丸っこく戻ったどどんぱさんがのしかかります。
「ま、まて。はなせば、わかる!」
くにこちゃんは、ひっしにせっとくをこころみます。そのせなかにはりついたゆうこちゃんと、風呂敷づつみをしょったたかちゃんも、こくこくと同調します。
しかし、嫉妬妄想の虜と化したとしまおんなに、もはや理屈は通じません。
「ひとりでは、死なないわ」
うにい、とさんにんにのしかかり、とししたの夫(妄想)の背後に身を隠すふしだらな情婦たち(妄想)を見定めます。
まずはたかちゃんのお顔の前に、どどんぱさんのお顔(推定)が迫ります。
「……ごっくし」
こりはやばい――そう緊張するたかちゃんをよそに、どどんぱさんのお顔は、ぷい、とそっぽを向きました。ちがう、こんなちょんちょん頭に夫を奪われるほど、私は安くない――そんな自尊心の表れでしょうか。
「むー」
たかちゃんは、こころのそこからむかつきました。たとえ幼女でも、そうしたおんなごころは、なんとなく読めてしまうのですね。
どどんぱさんのお顔が、今度はゆうこちゃんに迫ります。
「……あわ、あわ、あわ」
せいじゅんかれんなおとめのおびえきった瞳に、殺気に満ちたどどんぱさんのお顔が映ります。
このおんな。この美しいおんなが夫のこころを私からうばってしまったのだわ。でも、でも……。
どどんぱさんは、けして鬼でも蛇でもありません。ただ、なんかいろいろ混沌とこねまわされてしまい、ちょっと思考回路があっちこっちアレになってしまっただけなのです。
この美しい情婦を亡き者としても、夫の心は、二度と戻らないのでは――いや、亡き者にしてしまった時点で、きっともう、永遠に戻らなくなってしまう――。
どどんぱさんの頬(推定)を、熱い涙(推定)が伝い流れます。
その両脇から、にょわにょわと二本の腕(推定)が伸び、なお情婦たちをかばおうとしているとししたの夫(妄想)を、三毛猫さんの背中からうばいとります。
「あなたもいっしょに死んで!」
うしろめたいこともないのに、無理心中の道連れになってはたまりません。くにこちゃんは果敢にその手をふりほどき、
「とうっ!」
くるくると宙を舞い、大地を蹴って反撃に転じます。
「とりゃ! とりゃ! とりゃ!」
しかし、手負いの熊程度ならばやすやすと蹴り負かすくにこちゃんの脚力も、巨大軟体生物の皮膚には通じません。
どどんぱさんのほうでも、可愛さ余って憎さ百倍、
「あだじのどごがいげないのおぉ!」
としまおんなのみれんが、もはや明白な殺意となって燃え上がります。
腕の先からぞわぞわと無数の指(推定)を伸ばして、くにこちゃんを狙います。
びゅん! ぶん! びゅん!
「ぬおおおおっ!」
こことおもえばまたあちら――すでに夜をむかえた雪のお庭に、ぴんくの触手群とくにこちゃんが乱れ飛び、もはや戦闘はあいよくのどろぬまと化しております。
みかねたたかちゃんは、三毛猫さんの背中にすっくとたちあがり、
「♪ あ、そーれ、ちゃっちゃっちゃ、ちゃっちゃっちゃ ♪」
木魚撥をばとんがわりにくるくる振り回し、むせきにんにおうえんします。
その横ではらはらと戦闘をみまもるゆうこちゃんの背後に、SPさんたちの影が駆け寄ります。
「お嬢様、こちらへ!」
先頭の主任が、有無を言わさずゆうこちゃんを保護します。
「きゃあきゃあきゃあきゃあ」
保護と言うより、行動的には奪取です。
「ご心配なく! さあ、安全な所へ!」
きゃあきゃあともがき続けるゆうこちゃんをかかえて、部下ふたりに背後を警戒サポートさせながら、またたくまに撤退して行きます。
「……ありゃ」
いっしゅんなにごとかと反応に窮するたかちゃんでしたが、そのおじさんたちはテレビで見たじえい隊のおじさんっぽかったので、とりあえず、おまかせすることにしました。
「ゆーこちゃん、たいひ」
じぶんとくにこちゃんは見捨てられてしまったなどという事実は、三毛猫さんの背中でちあがーるをやっているほうがずっとおもしろいので、些末事です。
「♪ あ、そーれ、ちゃっちゃっちゃ、ほれ、ちゃっちゃっちゃ ♪」
★ ★
さて、青梅駅から徒歩十五分ののどかな我が家でそんな非現実的事変が勃発しているとは露知らず、新シリーズでようやくキャラクター・デザイン設定対象となったたかちゃんのパパは、出版不況の折から人員削減で土日出勤あたりまえになってしまった四流出版社の過酷な営業活動を命からがら全うし、今日も一日クモ膜下出血で昏睡状態に陥ったりストレス性鬱病でビルから飛び下りたり電車に飛び込んだりもせず、まんがの森や虎の穴やまんだらけにやくたいもないおたく向け成年コミックを無事納品できて良かった良かったと、駅のホームに降り立ちます。
ぶよんとしてしまりのない姿はややかばうまさんにも似ておりますが、なんといっても編集インテリ・ヤクザではなく妻子持ちの営業社員のこと、甲斐性はともかく外見上は社会人として多少見栄えがします。娘の誕生日プレゼントを大事そうに抱えて、この『ふたりはぷりきゅあすぷらっしゅすたーみっくすこみゅーん』があれば、うちのむすめもよりかんぺきな『きゅあいーぐれっと』にコスプレできる、などと軟弱な頬笑みを湛えているその姿は、一見かばうまさん同様のおたくでありながらすでにおたくの牙を抜かれ、妻子のどれいとして立派に馴致されております。たかちゃんには内緒でネット予約しておいた『きゃらでこけーき・ふたりはぷりきゅあ』なども、型くずれしないよう、大事そうに抱えております。
しかしそんな小市民的幸福を望むパパの人生観とはうらはらに、住宅街の坂を多摩川方向に下るにつれ、なにやらただならぬ喧噪が、細雪に紛れながら響いてまいります。
パパの脳裏を、いやあな既視感がよぎりました。
その不吉な予感は、坂道を一歩一歩下るにつれ、より確実なものへと変わっていきます。
なにやら幼女を抱えた一団が、どどどどどと坂道を駆け上ってきます。
「きゃあきゃあきゃあきゃあ」
――あれは、たしか三浦さんとこの優子ちゃん。
「あのう、ちょっと」
かばうまさんに似ているだけあって、やくざに因縁をつけられているおっさんなどはおどおどと見て見ぬふりをしても、若い女性や女児だけは、死守したい性質《たち》なのですね。
SPさんたちは任務上、優子ちゃん関係の友人・家族などはすべて把握しております。
「これは片桐さんのご主人」
すちゃ、と敬礼しながら、
「倒壊しつつあるご自宅から、お嬢様を救出させていただきました」
任務関係以外の状況などは、きっちり省略するSPさんです。
「たべられちゃうよう! どどんぱさんに、たべられちゃうよう!」
ゆうこちゃんが、じたばたと泣きながらうったえます。
「くにこちゃあん! たかちゃあん!」
――これはやっぱり、うち特有のなんだかよくわからない大変な事が起きているのだ!
パパは泡を食って駆け出しました。
その姿に一瞬気を取られたSPさんたちの隙をついて、ゆうこちゃんが逃れます。
ととととととたかちゃんちに駆け戻ろうとしますが、
「いけません!」
たちまち追いつかれ、狭い坂道の路地で、進退を断たれます。
「さあ、お屋敷に戻りましょう」
SPさんたちは、けして意地悪をしているのでもなければ、薄情なのでもありません。彼らの任務は、あくまでも『三浦優子の安全を確保する』ことであって、それは人道上の倫理とは無関係です。たとえば仮に、片桐貴子や長岡邦子を救う事によってしか三浦優子の生命も維持できない、そんな状況下であったとしたら、彼らは自分が迫撃砲の盾となってでも、たかちゃんやくにこちゃんを救おうとするでしょう。それがプロの警護員の倫理だからです。
しかし、こころのそこからゆめみるちっこいおんなのこゆうこちゃんに、そんなおとなのりくつはつうようしません。
「……いくもん」
ゆうこちゃんのお人形さんのようなくりくりお目々に、そしてか細い四肢に、なにか強靱な意志が宿ります。
人一倍蒲柳の質であるがゆえに、幼い頃から『死』と無意識にでも対峙していたからでしょうか、あるいは連綿と続く財閥の家系が歴史の水面下で絶えず繰り広げて来た過酷な生存競争の遺伝子記憶が、ついに蘇ったのか――。
「……とおして」
それは、陸自別班出身の猛者たちが、思わず対等の構えを取ってしまうほどの気迫です。
しかし、やはり体格差の壁は厚く、ゆうこちゃんはじりじりと路地の壁に追いつめられていきます。
あやうし、ゆうこちゃん――。
「――はっ!」
れっぱくの気合いとともに、ゆうこちゃんの姿が掻き消えました。
せつな、SPさんたちが事態を把握した時には、ゆうこちゃんはくにこちゃんもかくやと思われる身のこなしで坂道の下に着地し、一散にたたたたたと駆け去って行きます。
瞬時に追跡を開始したSPさんたちは、突如頭上から襲った風圧に煽られ、ばらばらと地に転がりました。
ごごごごごごごご。
とんでもねー轟音と光が、ゆうこちゃんを追うように上空を通過します。
そう、今しもママを乗せて南太平洋から帰着した、ジェット・ビートルの勇姿です。さらに後方上空には、金色に輝く孔雀明王様も続いております。
★ ★
そーしたきんぱくの展開などはもうきれいさっぱり知らぬげに、たかちゃんはあいかわらず、
「♪ あ、そーれ、ちゃっちゃっちゃ ♪」
熾烈な肉弾戦を繰り広げるくにこちゃんを、いしょーけんめー応援だけしております。
どどんぱさんは、完璧な錯乱状態です。じんでやるごろじでやるでもひどりでば逝がぜないわでもみんなあなだのぜいよわだじなんてわだじなんて、などと、叫ぶ言葉ももはや脈絡を失い、正気な人間にはいみふめいです。
一方くにこちゃんは、戦っても戦っても勢いの衰えないどどんぱさんに、もはや愛憎を超えた『闘友』とでも言うべき感情を抱いております。
――ころすには、おしいおとこだ。
熱い男の血が滾《たぎ》っていたりします。性別的には、どっちも雌なんですけどね。
いずれにせよ、永遠に解り合えない長く哀しい戦い――飽きっぽい三毛猫さんなどはすでに興味を失い、うなあああ、と大あくびをしたあと、うにゅにゅにゅにゅう、と伸びてそっくりかえります。
その背中で、ちょうどお腰に両手をあてて片脚を上げていたたかちゃんは、
「ありゃりゃ」
すってんころりんと、うしろに転がり落ちます。
いかに動作のキレが命の熟練喜劇役者とはいえ、この角度で後頭部から無防備に落下しては、演舞場の露と散って伝説の喜劇子役と化すか、あるいは脊椎を傷め生涯車椅子か――しかしそこはそれ、お約束、
「キャッチ!」
「おう」
パパのぶよんとしてしまりのない胸が、たかちゃんをうけとめました。
「やっほー。おかえりーい」
たかちゃんは、うにうにとパパのおなかのかんしょくをせなかで慈しみます。
筋肉のカケラもない脂肪にまみれた脆弱な胸や腹部でも、たかちゃんにとっては、だいじなおふとんがわりです。なんといってもまだ幼児のこと、見た目の逞しさなどよりは、触感優先なのですね。
「ただいま。今日もいい子に――」
していたはずがありません。
なにがあった、などという野暮な質問も、パパは発しません。我が子の豊かな想像力と行動力、そして合理的説明能力の著しい欠如は、日々痛いほど実感しております。
ばらばらと降り注ぐ建材の破片から愛娘を護りつつ、奇態な巨大生物とくにこちゃんの激闘をまのあたりにして、パパは家長としての使命感をあらたにしました。
まあその足元で粉微塵に砕かれつつある我が家は、また愛妻が保険の水増し請求で、なんとかしてくれるだろう。しかし長岡さんちの邦子ちゃんや向こう三軒両隣にまで被害を及ぼしては、家庭崩壊・一家離散必至――。
パパは雄々しく立ち上がり、とりあえず、丸くなって寝ている巨大三毛猫さんのおなかあたりに、たかちゃんをおしこみました。自分のおなか同様、クッションが効いて安全そうに見えたのですね。
「待ってろ!」
だだだだだと頼もしく駆け出すパパに、かたちゃんはひらひらとお手々を振ります。
「はーい。いってらっしゃーい」
わずか数秒後、ズタボロになったパパが、めのまえにらっかしてきました。
「おかえりなさーい」
まあそんなもんだろうと思っていたので、たかちゃんは、さほど驚きません。やすらかなねむりにつけるよう、おはなをそなえ、もくぎょをたたいてあげます。
「ぽく、ぽく、ぽく」
しかし一方どどんぱさんは、今しもその触手にくにこちゃんを捕らえ、抱きしめ――というよりさばおりで、無理心中を図ろうとしております。
あやうし、くにこちゃん! さすがの超強化ろりも、お夕食前で、空腹が限界に達してしまったのでしょうか!
そのとき、実にまあタイミングを見計らったように、例の轟音と光が片桐家上空に到達しました。
ごごごごごごごご。
ドルビー・サラウンドでリミックスされた立派な効果音で、ひょろひょろの噴射炎やセコい煙をカバーしつつ、ジェット・ビートルがホバリングします。そしてその扉から、白い影がダイブします。
突き出した右手の先に光り輝く、銀色のフラッシュ・ビーム――。
「でゅわっ!」
華麗なる空中変身を遂げて、ウルトラママが大地に下り立ちました。
ずずうううん!
いっけん初代うるとらまんに酷似しておりますが、なんといってもナイス・バディーなたかちゃんのママのこと、お腰のくびれなどはナマツバものですし、銀色のラバー・スーツはビザーレ・ファッションあるいはボディコンさながらの艶やかさです。
思ってもみなかった同スケールのおんなが出現した驚きに、どどんぱさんは、いっしゅんたちすくみます。
「じゅあっ!」
ウルトラママは、すかさずその腕をひねりあげます。
夜空に弧を描く触手の先をめざし、上空から孔雀明王様が舞い降ります。
「くー!」
すでにマリアナ海溝でごいっしょしたからでしょうか、ママと孔雀明王様は息もぴったしです。
孔雀明王様はその嘴《くちばし》で、どどんぱさんの緩んだ触手の先から、くにこちゃんをくわえあげました。
「おう、もどったか!」
「くーくー」
★ ★
いきをのんで見守るたかちゃんとしかばねのようなパパの前に、こんどはくにこちゃんが、ぽて、と落ちてきます。
「……はらへった」
やっぱし、燃料切れだったのですね。
くにこちゃんは、たかちゃんが生還のお祝いにさしだした『きゃらでこけーき』を、ふたりはぷりきゅあの型びにーるごと、またたくまにむさぼり食います。ようやく精気をとりもどし、上に乗っかっていたプラスチックのペンダントのみ、ぺ、と吐き出すのを、
「きゃっち」
たかちゃんはすかさず回収します。
そんな三人の背後から、不動明王様が恐る恐る顔を出しました。
「……寝てるな? 起こすなよ?」
びくびくと三毛猫さんを遠回りして、戦線に加わって行きます。孔雀明王様も加わった今、さすがに自分だけ物陰に隠れていては、今後のツブシが利かないと覚悟したのでしょう。
不動様は、ウルトラママと対峙するどどんぱさんの背後に回り、その退路を断ちました。
「でゅあ! でゅあ!」
「くーくー」
「来なさい!」
前後と頭上の三方を固められ、どどんぱさんは焦りの色(推定)を浮かべます。そして、まだ同性のほうが勝算ありと見たのか、のわ、とウルトラママにのしかかります。
「芳恵、がんばれ!」
息を吹き返したパパが、がば、と飛び起きました。
ちなみにママのお名前は、片桐芳恵です。パパのお名前はまあどーでもいいのですが、いちおー片桐誠三郎です。したがって今戦っているママの変身モードの名称は、正確には『ウルトラよしえ』さんなのでしょうが、ちょっとやっぱりアレなので、以降もウルトラママと呼称させていただきます。
パパはなぜだか通勤鞄を抱え、再び戦線に向かって駆けだしました。
「おう」
その深い夫婦愛に我が父ながら思わず感動してしまうたかちゃんでしたが、パパは鞄から自慢の高性能デジカメを引っぱり出し、
「芳恵、綺麗だ!」
コスプレ嬢を慕うおたくの群れのように、あさましくローアングルを狙っております。
――あのちちおやとのけつべつは、あんがい早いかもしんない。
たかちゃんは漠然とそんな予感を抱きつつ、
「♪ あ、そーれ、ちゃっちゃっちゃ ♪」
父親のことを言えた義理ではありません。
まあ、ママにしても重大な局面で無力なパパに邪魔されるよりは、遠巻きに賛美されるほうがまだましでしょう。
しかしいざどどんぱさんと組み合ってみると、なにしろ相手は変形自在の軟体生物、さしものママも次の技に窮します。投げ技も足技もぶよぶよとかわされてしまい、『技あり』に持ち込めません。孔雀明王様が上空からつんつんとついばんでも、お餅をつっつく雀さんと同じで、お餅自体の丸呑みは不可能です。不動明王様はもともと筋肉勝負以外取り柄がないので、やっぱり徒にどどんぱさんの背中(推定)をこねたり波打たせたりするだけです。ちなみにかとくたいのジェット・ビートルは、きほんてきに市街地での自主発砲を許されておりません。発砲許可を求めてやくたいもない交信を繰り返しつつ、うろうろと燃費最悪のホバリング、ぜいきんのたれながしを続けております。
どどんぱさんが、しだいに気合いを盛り返します。
――勝てる。上のケバイ鳥や後ろの筋肉バカは、単なる見かけ倒しに過ぎない。このこしゃくなボディコンおんなさえ亡き者にすれば、またあのひとを、この手に抱ける。
ぬっぷし!
ぴんくの超重量級軟性体が、ウルトラママを押し倒します。
「どすこーい!」
大地を揺るがし倒れこみつつも、ウルトラママは身をよじり、かろうじてお隣の家を直撃するのを避けます。自宅だけならまだしも、ご近所の倒壊まで保険の水増し請求が効くとは思えません。このあたりはさすがに夫婦、パパ同様の平衡感覚なのですね。
しかしそんな体勢には、やっぱり無理があったのでしょうか。どどんぱさんはすかさず脇の隙を突き、ウルトラママを寝技で完璧に絡め取りました。柔道ならば襟を取って片羽絞め、そんな展開になりそうなところですが、ウルトラママは一見コスチューム姿のようでも、実は生身です。当然襟がないので、どどんぱさんの腕と触手が、直にママの首を締め付けます。
ぎりぎり、ぎりぎり。
ウルトラママのお顔が、苦悶に歪みます。
背後の不動明王様は、
「こなくそっ!」
どどんぱさんを引き離そうと、その背中に取り付きましたが、すでにどどんぱさんはこっちの世界から離脱してしまい、『ピー』の世界に行ってしまっております。凶暴性の『ピー』は、か弱いはずの女性でも大の男を数人振り払ってしまうほど、正常時には想像もつかぬ力を発揮したりします。
ぼむ!
どどんぱさんの背中が、エア・バッグのように瞬間膨張します。
不動明王様はみごとに弾き飛ばされ、
「あーれー」
上空の孔雀明王様やビートルもろとも、多摩川方向の星と消えてしまいました。
こうなると、デジカメを抱えてうろちょろ駆け回っていたパパも、もはや液晶モニターを覗きながら「お、その顔も色っぽいぞ、芳恵」などと喜んでいる場合ではありません。必死こいてどどんぱさんの触手に食らいつきますが、しょせん一介の営業社員、別の触手で軽くデコピンされただけで、
「あーれー」
首に掛けたデジカメをなびかせながら、やっぱし多摩川方向の星と消えてしまいました。
あやうし、たかちゃんのママ! もはや孤立無援!
「……こりは、たいへん」
たかちゃんは木魚撥をぽとりと落とし、われをわすれてかけだしました。
なんといってもいたいけな幼児のこと、パパのいないじんせいはあるていど覚悟できても、ママのいないじんせいなど、想像すらできません。
「まて! たかこ!」
くにこちゃんも、あとを追ってダッシュします。
さらにそのうしろから、
「たかちゃあん! くにこちゃあん!」
SPの手をのがれたゆうこちゃんが、お嬢様にははしたないだだだだばしりで合流します。
たたたたたたたた。
さんにん組は並んで疾走しつつ、おたがいのひとみのかがやきを、きらきらと交差させます。んむ、おう、こく、などとすがすがしくうなずきあったりもします。
まあ、ひるまくにこちゃんの言った「しぬときはいっしょとちかったなか」とゆーのは、下駄屋のお父さんにつきあって観た任侠映画の単なるエピゴーネンだったのですが、やっぱしなかよしさんにん組、あとさきかんがえない状況では、やるこた一緒なのですね。
たたたたたたたた。
しかし――なんぼ格好つけても、相手は推定十数メートルの巨大軟体生物、平均身長120センチの小学一年生たちに、勝ち目はあるのでしょうか?
たたたたたたたた。
時あたかも、午後七時ちょうど!
……よいこのみなさんもとうに忘れ去っていると思われるはるか冒頭部の伏線、そしてお話の人自身も「なんぼなんでもこりゃスベるだろーなー」と予測しつつそれでも他の収拾策が思い浮かばないのでなしくずしにやっぱし使ってしまう伏線――『時あたかも午後七時ちょうど』!。
そのしゅんかん、たかちゃんは、晴れてななつにパワー・アップします。
くにこちゃんはもう夏のおわりに、ゆうこちゃんも冬のはじめにななつになっております。
……勘のいいよい子の方、あるいはパチスロ狂いの悪いよい子の方などは、なんとなく、コケる準備を始めていらっしゃいますね。
まあどうせコケるんならそのまんま後ろにコケて後頭部を強打し頭蓋骨折で即死するほど思いっきしコカしてしまえ、とゆーわけで――
ごごごごごごごご!
もーまったくなんのいみもなく、青梅上空に巨大な光の窓がしゅつげんしました。
三つ並んだその四角い窓は、奥多摩一帯を満艦飾のハレーションで満たしつつ、なんじゃやら高速で縦方向にブレていたそれぞれの内側に、つぎつぎと飾り数字を並べていきます。
それはもう、トンデモ惑星直列説や、大昔からテキトーこいてるだけの恐怖の大王など足元にも及ばない、まして駅前や街道筋のパチスロなどひゃくおくまん軒たばになっても敵わない、ホームレス寸前の貧乏人が一瞬にして億万長者に変身できるとゆー本場ラスベガスのラッキー・セブンを宇宙規模に拡大したような、無敵の『7の直列』です。
天空から黄金のコイン状の光が滝のように降り注ぎ、疾走するたかちゃんたちを包みこむように、渦を成して集束します。
「へんーしん!」
たかちゃんは本能のめいじるまま、たからかに叫びます。
「とうっ!」
さんにんそろって宙に舞い、くるくるくるといかにもトランポリンで跳び上がったところを挿入したなあ、そんな感じのカットの中で、黄金のコスチュームが、つぎつぎとたかちゃんたちのちっこい体を覆っていきます。
わずか0.05秒で輝く光の戦士と化したたかちゃんたちは、そのまんまママやどどんぱさんをとびこえ、瓦礫のお山の屋根に降り立ちました。
すたん!
すたん!
すたん!
そして三者三様、いかにもの見得ポーズをびしっとキメつつ、
「美幼女戦士、すりーせぶん!」
★ ★
天空の輝きからふってわいたような、なにやらちっこい光り物たちに、どどんぱさんは怪訝な視線を向けます。
「…………」
警戒していいやら無視していいやら、とっても戸惑っているようです。
「…………」
たかちゃんたちじしんも、ふと、なんらかのぎもんを抱いたりします。
ポーズをキメたまではよかったのですが、ねんのためおたがいのへんしん具合をかくにんしてみると、たかちゃんは黄金のおじゃまじょどれみですし、くにこちゃんは黄金のうちゅうけいじですし、ゆうこちゃんにいたっては、黄金のあるぷすの少女はいじに近いありさまです。おのおの、原初記憶に刷り込まれた『もっともなりたいもの』のイメージで、大宇宙のスリーセブン・パワーを蒸着してしまったのですね。
せめてじぜんのミーティングができていれば、いちばん強げなくにこちゃんのこのみに合わせて戦隊物から三色えらぶとか、たかちゃんのこのみに合わせてくにこちゃんにあいこちゃんをやってもらいゆうこちゃんにはづきちゃんをやってもらい『完全どれみパクリ』に走るとか、なんら戦力になりそうもなくともたかちゃんがはいじでくにこちゃんがぺーたーでゆうこちゃんがくららで、いっしょにお屋根の上で『クララが歩いた』の回を再演してどどんぱさんを泣き落とすとか、なんらかの統一性が取れたのかもしれません。
もっともこの場にふさわしく蒸着できたくにこちゃんは、
「……きにするな」
むせきにんに断言します。
「もんだいは、きあいだ。そとみじゃ、ないのだ」
たかちゃんとゆうこちゃんも、こくこくとうなずきます。
ささいなかこのあやまちはみらいへのきぼうに変えて、たかちゃんが叫びます。
「こうげき、ぞっこう!」
どれみだって、りっぱな――あんましりっぱではないかもしれませんが、いちおう、まほうつかいです。
「とうっ!」
さんにんそろって、雄々しくどどんぱさんに飛びかかります。
たかちゃんはどれみのばとんで、どどんぱさんの背中をつんつんつっつきます。
「ぴりかぴりららぽぽりなぺぺると」
正確な呪文を唱えているはずなのに、どどんぱさんは痛がりも消滅もしてくれません。
くにこちゃんはさすがに歴戦の勇士、
「どば! ざば! ずば!」
れーざーぶれーどを振るってかけまわりながら、次々とどどんぱさんの背中を切り裂いていきます。でも、切れたそばからたちまちくっついてしまうので、ちっともこたえません。
ゆうこちゃんは、ざんねんながら、じゅんしんなこころという精神的なアイテムのみの強化にとどまってしまったので、
「えい、えい、えい」
先刻遺伝子記憶に蘇った闘争心に従い、いっしょーけんめーぺんぺんしてみたりするものの、やっぱしアルプスで山羊のお乳をしぼったりするほうが、なんぼか建設的のようです。
しかし、よいこのみなさん。
やっぱりくにこちゃんは、正しかったのです。
問題は、気合いなのです。
千丈の堤も蟻の一穴から――象の背中にとりついた三匹の蚤さんのような力でも、状況によっては中途半端な銃弾などより、よほど効き目があるのです。みなさん、ちょっと想像してみてくださいね。たとえばおねんねしようとおふとんに入ったとき、背中の軽い切り傷が痛むのと、ちくちくむずむずあっちこっちちょっぴり痒いのと、どっちがうざったくて眠れないでしょう。
どどんぱさんが、ごにょごにょと身じろぎします。両肩(推定)を、交互にくりんくりんしたりもします。
その一瞬の隙を突いて、ウルトラママは、ついにどどんぱさんの寝技をふりほどきました。
「でゅわっ!」
後方にトンボを切り、再び対戦のポーズで身がまえます。
焦って後ずさりするどどんぱさんの背中から、たかちゃんたちがぽとぽととこぼれおちます。
「ありゃりゃ」
しかし、いちぶ見てくれはアレでもさすがにコンバットスーツ蒸着済み、三匹の小猫のようにくるくると、
「きゃっとくーちゅーさんかいてん!」
すとととん、と大地に降り立ち、とととととと前に回って、ウルトラママに合流します。そして、ここはやっぱしもういっぺん、さんにんそろって見得ポーズをキメつつ、
「美幼女戦士、すりーせぶん!」
ちっこいとはいえ、せなかくすぐりこーげきは侮れない――どどんぱさんは動きを止めます。
なんとか一件落着か、そう思われたとき――
ぴこん、ぴこん、ぴこん。
ママのゆたかなばすとの間で、からー・たいまーが点滅を始めました。
「!」
ウルトラママは、動揺します。
「おう……」
たかちゃんたちも、ぜっくします。
どどんぱさんは、そうしたお約束にはとんと疎いので、まだ自分の勝機到来に気づいておりません。
しかし今ここで、ウルトラママが、ただの片桐芳恵ママに戻ってしまったら――
「…………」
たかちゃんのこめかみに、たらありとひやあせがながれおちます。
なんぼポーズだけキメても、事実上、まともに戦えそうなのは、やっぱしくにこちゃんだけではないのか。となれば『きゃらでこけーき』も消化されつつある今、いずれ燃料切れは必至――。
ママの一見アルカイックなマスクにも、実は生身のお顔なので、やっぱしちょっと大きめのたらありが流れ落ちます。
そんな微妙な空気を読んだのか、どどんぱさんのお顔(推定)に、精気(推定)が戻ります。
ぴこん、ぴこん、ぴこん。
その精気は、やがて確信に変わりました。
どどんぱさんが、じりじりと前進を始めます。
あやうし、すりーせぶん!
……はい、そこで「いってーなんべん『あやうし』ばっかしやってんだよ」、そんなツッコミを入れてくださる難癖型評論家さながらに目つきの荒んだよい子のかた、御丁寧な御批評の前に、よーくその脆弱な記憶を遡ってみてくださいね。たしかにせんせい、今回『よんかいめ』の語りにおいて、すでに四回の『あやうし』を使用しております。しかし毎回、その対象はきちんと変えてあるのですよ。そのように、同じ技で敵を反復攻撃する場合は、攻める部分や間合いを微妙に変化させる、それが肝要です。たとえば、あなたが極真空手の対戦相手であると仮定して、それにわたくしが正拳突きを四度叩きこむ場合、これこのように――びし! ずど! ぐぼ! ばき! ……あらあら、ぼろにんぎょうのようにしんだまねなどなすって、ほんとうはとってもオチャメな、よい子の方なのですねえ。
さて、ぴこんぴこんとめいっぱい緊張の高まったお話でも、このお話が『たかちゃんシリーズ』である限り、悲愴な破局など訪れるはずもありません。
めいっぱい高まった緊張感の中、対峙するたかちゃんたちとどどんぱさんのあいだの地面に、なにやらちっこいぴんくのむにゅむにゅが、のこのこと這いだしてきました。どうやらお勝手口方向から、瓦礫の山と化したおうちを乗り越えて、はるばる旅をしてきたようです。
なんだかみおぼえのあるむにゅむにゅさんの、この世からすべての活力を奪い去ってしまうようなかったるい進行具合に、たかちゃんたちは思わず脱力して、その挙動をみまもります。
「…………」
どどんぱさんも、あきらかに気合いを削がれております。
「…………」
ちっこいぴんくのむにゅむにゅさんは、たかちゃんとどどんぱさんのちょうどまんなかあたりで立ち止まり――もとい這い止まり、うにゅう、とどどんぱさんを見上げ――もとい、そんなかんじでのびあがりました。
「……なんでー、どこほっつきあるいてんだよ」
いかにもヒモっぽい、じだらくな若者の声です。
どどんぱさんは、怪訝そうに首をかしげます。
まじまじとむにゅむにゅさんを見つめ、それからうちゅうけいじと化したくにこちゃんを見つめ、またむにゅむにゅさんに視線を移します。
これまでなんかいろいろとこね混ざってしまい、朦朧としていたどどんぱさんの脳裏に、かつての同棲生活の記憶が、ありありとよみがえりました。
そう、じぶんはちょっととしまのどどんぱであり、わかくてわがままでじだらくなぶんだけこころのそこからぼせいほんのうをちょくげきしてくれる内縁の夫もまた、人間ではなく、おすのどどんぱさんだったのです。
「あ、あんた――」
「……んなとこでゴロまいてんじゃねーよ。はよ、メシにしてくれよ」
巨大どどんぱさんのからだが、ぶよ、とゆらぎました。
そのからだのあっちこっちから、淡いぴんくの光が、焼けてふくらんだお餅から吹き出す湯気のように、しゅわしゅわとたちのぼります。
その湯気のような光の、一条一条のなかに、おぼろげな残留思念さんたちの姿が凝《こご》っております。
「おやおや、なんだか、妙なあんばいになりましたなあ」
呑気そうにつぶやいているのは、中年の白菜さんでしょうか。人参さんたちも羊さんたちも、異議なしで、なりゆきにまかせております。
「だからこういった宗教的構図で、社会的矛盾を糊塗してしまうのは、あきらかに日帝米帝の策略なのであってですねえ――」
若い松坂牛さんは、あくまでも反体制的立場をつらぬくようです。
「ぎちぎちぎちぎち」
血縁関係の曖昧な伊勢海老さんたちも、ぎちぎちともつれあいながら、ふわふわと宙に浮かんで行きます。
金目鯛さんや鰯《いわし》さんは、あいかわらずまんまるお目々をウツロに開き、とくになんにも考えていないようです。ハンバーグさんも、ぶつぶつとひとりの世界に閉じこもったままです。でもまあそれなりに、なんとなくお空をめざします。
「あなた、天使さんみたい」
「あなたも、天使さんみたい」
「くすっ」
「くすくすくすくす」
楽しそうに笑い合う菜の花さんと菊の花さんにくるくると彩られながら、
「天国でも、ずうっといっしょだと、いいね」
「うん。そのつぎもいっしょだったら、もっといいね」
ピーマン君とホワイト・チョコレートちゃんは、あいかわらずラブラブです。
トマトさんやタマネギさんも、まあるく戻ってごきげんです。
そして中国産の養殖鰻さんたちは、
「つぁぃつぇん、つぁぃつぇん、つぁぃつぇん――」
五にょろ仲良くにょろにょろと、夜空に溶けていきます。
そんな光の湯気を出しつくしながら、どどんぱさんは、しゅわしゅわと縮んでいきます。
そしてさいごに、あっちこっちからぺぺぺぺぺと食材さんたちのコマぎれを吐き出して、ついに、もとのちっこいむにゅむにゅ姿に戻りました。
「あんた――」
「いーから、はよ、メシ」
ふてくされているわかいおっとを、いとしげにつつみこむ、としまのどどんぱさん――。
そして、いつのまにかたかちゃんたちの横に現れたバニラダヌキさんが、
「……愛です。愛こそが、はるまげ丼をふせぐちからなのです」
今までどこで狸寝入りを決めこんでいたものやら、もっともらしくつぶやきます。
たかちゃんとゆうこちゃんも、きらきらお目々で、ゆめみがちにこくこくとうなずきます。
くにこちゃんだけは、うちゅうけいじのマスクの奥で、ほんとはこのたぬきがいっとーわるいんじゃないのか、と、いちまつの懐疑をいだいております。でも、とりあえずたかこもゆーこもぶじだからまあいいか、と、やっぱしこくこくうなずきます。
そんなこどもたちの姿を、優しく見下ろしたのち、
「……じゅわっ!」
いつのまにか雪もやんだ青梅の夜空に、あんしんして飛び去るウルトラママでした。
★ ★
――はーい、さいごのさいごまでおつきあいいただいた、素晴らしく忍耐強いよいこのみなさん、はてしなくだらだらと続くかに思われた今回の『よいこのお話ルーム』も、めでたく、これでおしまいでーす。
なお、途中で飽きてこっそりフケてしまったよいこの方々は、最後までがんばったみなさんのためにも、せんせい、今夜中にこっそり家庭ほうもんをおこない、なんかいろいろシツケてさしあげまーす。ですからみなさんは、あすのあさまでに、全治六ヶ月のおともだちや生涯半身不随のおともだちに送るおもいやりに満ちたお見舞いの手紙を、しっかり書いてきてくださいね。
え? なんだかお話が、しりきれとんぼっぽい?
……うる、うるうるうる。
せんせい、いま、こころのそこから感動しております。
お話ししているせんせい自身、なんぼなんでもここまでクドいと、すでにお話づくりの人は若年性アルツハイマーに冒されてしまっているのではないか、そんなふあんにおびえておりましたのに、みなさんから、そんなけなげな言葉をかけてくださるとは――。
はい、それではりくえすとにおこたえして、だめおしの、かーてんこーるんなど。
★ ★
ちなみにその翌日の深夜、さすがに『愛こそが』などと言ってしまった手前おいしそーなどどんぱさんたちを食べてしまうわけにもいかず、その愛の巣であるお屋台を引く三毛猫さんの背中にまたがり、うえとさむさではんしはんしょーになりながら、八ヶ岳をめざして秩父山地を縦走するバニラダヌキさんの悲愴な姿があったそうです。
またその前夜、いったん成層圏まで弾き飛ばされたジェット・ビートルが、ようやく大怪獣に対する発砲許可を得て青梅上空に舞い戻ったり、陸上自衛隊東部方面隊第一師団の戦車隊がごごごごごごと青梅街道を西進し青梅駅方向の住宅街に一斉に砲塔を向けたりしたとき、たかちゃんちのお庭では、つぶれたお家の木材や瓦礫の山から掘り出したお鍋やふらいぱんや食器、また、おつまみに残しておいたすきやきふりかけやどどんぱさんが排他した残留思念抜きの食材さんたちなどを用いて、多摩川から無事に這い上がってきたパパや何食わぬお顔で「ただいまー」などと戻ってきたママも加わり、たかちゃんの盛大なお誕生会が、やややけくそぎみに、くりひろげられていたということです。
はい、それではみなさん、ごいっしょに――
「♪ はっぴばーすでー、とぅー、ゆー」
「♪ はっぴばーすでー、とぅー、ゆー」
「♪ はっぴばーすでー、でぃあ、たーかちゃーーん」
はい、じゅーぶんひきのばして――
もっともっとひきのばして――
「♪ はっぴば〜すで〜〜、た〜かちゃ〜〜〜ん! ♪」
「きゃははははは! どどんぱっ!」
★ おしまい ★
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● たかちゃんのお誕生会がくりひろげられている同じ頃、陸上自衛隊東部方面隊第一師団の戦車隊の一部は、なかなおりした海坊主さんとミロガンダさんが東京湾から上陸し錦糸町のガード下の屋台で飲み始めたため、そっちでなんかいろいろしていたのですが、それはまた別のおはなしです。
● 2006(C)VANILLADANUKI
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