たかちゃんざくら









     
よん  〜 ぽちといっしょ 〜


 そして、また、春。
 ちらちらと花びらの舞う桜並木の下で、たかちゃんたちは、おもいっきし遊びまわります。
 もう『お手』をしてくれないぽちでも、げんきになってくれたのなら、ちょっぴりつまんないなりに、やっぱしとってもきれいな桜さんです。
 河原に下りてまだ冷たいお水を「うひゃひゃひゃひゃ」などとひっかけあったり、あたらしいおにごっこルールをかいはつ・もさくしたり――お昼にはもうすっかりおなかぺこぺこになって、ぽちの根っこにもどり、お弁当をひろげます。
 くにこちゃんが、いそいそとリュックからとりだしたのは、ほぼどっじぼーる大の、しおむすびです。あんまし大きいので、当然表面積も計り知れず、あっというまにぽちの花びらさんがたくさんくっついて、さくらしおむすびになってしまいます。
「がぶ」
 あんぐりとほおばるくにこちゃんに、ゆうこちゃんは、ちまちまとサンドイッチをつまみつつ、お手製のはちみつ入りたまごやきを、よこから援助してあげます。
「もむ、むまみ」
 んむ、んまい、と言ってくれたみたいです。
「……ぽ」
 たかちゃんは、とっくにふつうの食欲にもどっておりますので、ママがラスカルのおべんとばこに詰めてくれた俵おむすびや秘伝のからあげさんを、あわてずさわがずでもむしゃむしゃと、花びらさんや春風さんといっしょに、ちっこいおなかぽんぽんに収めていきます。
 ふときづくと、くにこちゃんが、二こめのさくらしおむすびをかかえて、じいっとたかちゃんのおべんとばこをみつめております。
「……とりの、からあげ」
「こくこく」
「……おふくろさん、ひでんのすぱいす」
「こくこく」
「……くれ」
「おあずけ」
「……………………」
「よし」
「ばくっ」
 ゆうこちゃんは、くすくす笑っています。
 くにこちゃんの餌付けのあいまに、たかちゃんは、おつむの上でゆらゆら揺れているぽちの枝にも、餌付けをこころみます。
「はーい」
 さわさわ、さわさわ。
 やっぱし、のーさんくす、そんなニュアンスみたいです。
「ぶー」
 それは、そうですね。ふつうのげんきな山桜さんとして、いとこやはとこといっしょに念願の並木道に根付いたぽちは、もう異常なエナジーをひつようとしません。
 陽の光、お水、それからちっそ・りん・かりなど、なんかいろいろの微量元素――そんだけあれば、とくにふへいふまんはありません。また、桜守のお爺さんによるお手入れなど、なんかきもちのいい心が日々そこはかとなく感じられれば、とくに『お手』を覚えている必要もありません。
 あのさんびきのおさるさんも、いまのぽちには、なんじゅーねんもぼーっとしていたなかの、記憶とも言えぬ、記憶の残滓と化しつつあったのですが――。


    ★          ★


 そのお昼休み、庭の東屋で昼食を終え、すぐに並木の見回りを始めた桜守のお爺さんは、お屋敷の側から登ってくる、見慣れた僧衣姿に気がつきました。
「やあ、和尚さん」
「いやあ、また若旦那にお願いして、入れてもらいましたわい」
 三浦家の菩提寺の、住職さんだったのですね。
 老境でもまだ矍鑠《かくしゃく》としたふたりは、並んで桜並木を歩き始めます。
「ここまで来ると、ほんとうに、くつろげますなあ」
 和尚さんは、ほぼ自然のままの川辺風景と、その向こうに広がる奥多摩の山々を、和やかに見晴るかします。
「どうも、途中の西洋風のあたりは、居心地がよくない。……失敬、庭師さんを相手に、これはちと失言でしたかな」
 桜守のお爺さんも、和やかに笑います。
「あっちのルネッサンス風対称庭園は、若い連中の仕事です。夢中になって手入れしておりますが、なんで若い者ほど様式にこだわるのか、近頃、不思議ですわ」
「去年、講師に招かれてパリ大学に行ったのですが、あすこのブローニュの森などは、むしろこっちの雰囲気でしたな」
「ええ、あれはフランス革命後の仕事でしょう。うちの西洋庭園も、あすこでも参考にしたほうが、よほど若々しくなるでしょうに」
 そんな会話を交わしながら、ふたりは並木の端にむかって、のんびりとそぞろ歩きます。
「あの山桜は、元気にしておりますかな」
「ええ、今、ちょうどあの子たちが、遊びにきておりますよ。――ほら、見えてきた。おやおや、遊び疲れて、寝てしまったようだ」
「陽はいいが、まだ四月だ。風邪をひかないといいが」
 心配した和尚さんが目を細め、見透かした彼方の山桜の下では、おなかいっぱいになったたかちゃんたちが、山桜の根っこを枕に、すっかり眠りこけております。
「くーくー」
「ぐーぐー」
「すやすや」
 でも、お風邪をひいてしまう心配は、ちっともありません。
 さんにんとも、ふんわりと積もった桜の花びらのおふとんから、安らかな寝顔だけをのぞかせて、
「むにゃむにゃ……ちんちん」
「うにゅ……ぬお……おまい、なかなか、やるな……」
「……ほら、こっち……くす、くすくす」
 なんだか、とっても楽しい夢を見ているようです。
 そして山桜さんの枝々は、花びらのおふとんにふりそそぐ春の陽差しをじゃましないように、また、三人のまぶたにだけは優しい影を落とせるように、いつのまにか、あっちによけたりこっちにおりたり、なんかいろいろ、形を変えているのでした。


 和尚さんは頬を緩ませて、なにがなし、西行法師の和歌を口ずさみます。

     
願わくば 花の下にて 春死なむ
            その如月《きさらぎ》の 望月のころ


 そう詠んだあとで、ちょっと首をかしげながら、
「……少々、抹香臭いですかな」
 桜守のお爺さんは、ことことと笑いながら、
「それでは、茂吉の若い頃の作は、いかがでしょう」 

  
   水のべの 花の小花の散りどころ
            盲目《めしひ》になりて 抱《いだ》かれて呉れよ

 
「……少々、青臭いですかな」 


 青梅の春は、いま、たけなわです。





                     
★ おしまい ★







                     ★ さんに、もどる
                     ★ もくじに、もどる