たかちゃんざくら









     
さん  〜 おかわりたかちゃん 〜


 さて、遠足からしばらくたった、お給食の時間のこと――。
 ちっこいきゅうしょく係たちがハンパなしくじりをやらかさないよう、いつものようにお世話を終えた給食委員のおねいさんが、あとからまたお世話をするため、前の給食台でまずいシチューをけなげにもおいしそうに食べておりますと、
「おかわり」
 なかよしのたかちゃんが、いつのまにか前に立っております。
 おねいさんは、はんしゃてきに、いつもの『たかちゃん専用おたま』をかまえます。またぶたにくのあぶらみやにんじんを残していたら、かぽんかぽんと教育してあげるためです。
 しかし、つきだされたお椀は、きれいにからっぽでした。
「おかわり。おーもり」
 ひさびさに、かぽんかぽんできると思ったのに――おねいさんは、ちょっとがっかりします。
「ごめんね、シチューは、おかわり残ってないの」
「ぶー」
 あ、ふくれたふくれた――おねいさんは、ちょっとうれしくなって、ここの担任の先生が今日は用事で職員室に下がっているのをいいことに、携帯のカメラで、すかさずスナップします。たかちゃんのほっぺがふくらんだ写真は、それがぷっくりふくらんでいればいるほど、給食委員仲間の女子に自慢できるのです。
 おねいさんは、まだ食べていなかった自分の食パンと牛乳を、たかちゃんにさしだします。
「こっちでもいい?」
「くれる?」
「うん。おねえさん、ダイエットだから」
「ありがとー!」
 うれしそうに席に戻るたかちゃんを見送りながら、おねいさんは小首をかしげ、隣の委員仲間のあんちゃんに話しかけます。
「ねえ、なんか、おかしくない?」
 あんちゃんは、こっそりおねいさんの胸元を覗いていたのがばれないよう、あせってしせんを泳がせます。
「うん?」
「あの子、どっちかって言うと、あんまし食べないほうだよ」
 おんなし六年生でもまだガキっぽい、でもなまいきにいろけづいた無名のあんちゃんは、おとなのおんなのにおいなどもかもしだしつつあるあこがれの女子に話しかけられたうれしさに、はりきってこたえます。
「だよな。となりの子なら、バケツいっぱい食っても、普通だけどな」
「だよねー。きょうはなんだか、おなかも、ぽんぽこだし」
 心配になったおねいさんが、たかちゃんたちの机くっつけグループをながめますと、たかちゃんの机には、すでにあっちこっちから略奪した牛乳が数本立ちならび、食パンもお皿にてんこもりになっております。
 たのもしげに見守っているくにこちゃん、はらはら心配そうにしているゆうこちゃん、その他興味津々の視線に囲まれつつ、
「ばくっ」
 ほぼ正方形に重なった食パンをいっきにほおばり、
「もくもく、もくもく」
 お顔の三ぶんの二をおかめほっぺたにして咀嚼したのち、
「おっく、おっく、おっく――」
 牛乳も連続一気飲みする、たかちゃんです。
 おねいさんは、驚愕します。たとえ一本は200CCでも、六本あれば1.2リットル――。
「――ぷはあ」
 あわててかけつけたおねいさんは、たかちゃんのおなかに、目をみはります。
「ちょ、ちょっと……」
 ぴんくのユニクロ・トレーナーが、ほぼ半球状に盛り上がっております。実は、それ以前にも、あっちこっちから食料援助を求めたシチュー数杯ぶんを、すでにおなかにおさめていたのですね。
 くにこちゃんは、あわてずさわがず、
「たかこも、きっと、そだちざかりなのだ」
 自分の尺度を世間の尺度と、かんちがいしております。
 ゆうこちゃんは、もはや泣きべそです。
「おなか、こわしちゃうよう」
 内部が傷む以前に、外に破裂してしまうのではないか――おろおろとたかちゃんのまんまるぽんぽんに手をさしのべたおねいさんの目の前で、
 ――ぷしゅううう。
 そのはちきれそうなおなかが、みるみる縮んでいきます。
 たかちゃんは、けろりとしたお顔で、さらにおねだりします。
「おかわり」
 おねいさんは、ぼーぜんとたちすくみます。
「おなか、すいた」
 おねいさんは、おそるおそる、たかちゃんのトレーナーを、めくりあげます。
「のど、かわいた」
 まんなかのおへそは、ちょっと、でべそぎみです。しかしおなかそのものは、みごとにぺっしゃんこになっております。
「……てゆーか、超魔術? なんか、タネ、あり?」
 たかちゃんは、げんきに即答します。
「ないすばでぃー!」


    ★          ★


 おねいさんの報告を受けた担任のせんせいは、「ちゅーしゃ、やだやだ」とにげまどうたかちゃんをなんとか捕獲し、保健室に拉致して、校医さんに診察してもらいます。給食のおねいさんも心配して、いっしょについて行きます。
「ちゅーしゃ、やだ」
 小児科ベテランの老嘱託医さんは、
「はい、ぽんぽん、診るだけだよ」
 まだぎわくのまなざしのたかちゃんをたくみになだめすかし、聴診器をあてたり、むにむにと触診したりして、
「このところ、欠食してるようですね。腸までほとんど空っぽです」
 たんにんのせんせいは、『すわ、家庭内児童虐待!』などと身構えますが、きゅうしょくのおねいさんは、おずおずと進言します。
「でもさっき、給食、十人前くらい食べてたんですけど」
 当節の児童としては実直すぎるくらいの六年女子が真顔で言うのですから、それも嘘とは思えません。
 張本人のたかちゃんは、横の机に、じゅるるるとよだれをたらしそうな視線を投げかけております。
 校医さんがこれから食べようとしていた、出前のおやこどんぶりです。
「……おなか、すいた」
 校医さんは、ちょっと考えこんだのち、どんぶりと割り箸をさしだします。
「くれる?」
「はい、おあがり」
「ありがとー!」
 わしゃわしゃわしゃわしゃ。
「はいはい、よーく、かまなきゃだめだよ」
 かみかみ、かみかみ。
 そして、校医さんが淹れてくれたお茶を、ぐびぐびぐび。
「ごちそーさまー!」
 たかちゃんはおぎょーぎよく、『おててのしわとしわをあわせて、しあわせ、な〜む〜』します。
「はい、じゃあまた、ぽんぽん、みせてね」
「こくこく」
 こんどはすなおに、じぶんでトレーナーをまくる、たかちゃんです。
 ちょっとでべそっぽいおなかのうえに聴診器をあてて、ふむふむとうなずいていた校医さんが、うに、と眉毛をひそめます。
 当惑、困惑、疑惑――そして底知れぬふあんのまなざしが、たかちゃんのおなかぽんぽんに注がれます。
 ――私が無慮五十年に渡り従事してきた近代医学は、この最後の職場において、砂上の楼閣と化してしまうのだろうか。
「おなか、すいた」
 校医さんは、ぼーぜんとつぶやきます。
「……いや、消えるはずがない。何か、合理的理由が、きっとある」
 たかちゃんは、すかさず返します。
「ないぞうしっかん」


    ★          ★


 さて、そのご総合病院に送られて、小児科をパニックに陥れたたかちゃんは、レントゲン科に回されていちご味のバリウムやばなな味のバリウムをなんべんもおいしくおかわりしたりしたのち、しまいにゃ神経内科に送られますが、結局原因不明――というか、外から見る限りどこをつっついても健康そのもので、瞬間消化瞬間代謝、とでもしか、表現できない症状です。
 あまりのおもしろさに半狂乱になった院長先生によって、東大病院に搬送されそうになったりもしましたが、知らせを聞いて駆けつけたママが『科学特捜隊極東支部』の共済保険証を提示したとたん、すべてはやみにほうむられることになります。片桐芳恵およびその実子の健康管理に関しては、科特隊パリ本部がその全権を担う――へたにレントゲン撮影が成功したりしていたら、院長先生は発狂していたかもしれません。
 やがて夕方、ママといっしょに待合室に戻ってきたたかちゃんに、担任のせんせいや、給食のおねいさんや、くにこちゃんやゆうこちゃんが駆け寄ります。そしてなんかいろいろママとお話したりぺこぺこしたりしたのち、帰る方向がちがうので、二台のタクシーに分乗して――。
「……もしか、『餓鬼』が、憑いたかな」
 車中、くにこちゃんが、わけしり顔で蘊蓄をたれます。
「『ひだる神』ってのも、あやしーぞ」
 ゆうこちゃんは、ないしん『くにこちゃんとなかよくしてると、いつかこーなるのかもしんない』などと思いますが、それを口にだすほどむしんけーではありませんし、『じぶんもこんなにたくさん、おいしくごはんをたべられるように、なってみたいかなあ』、そんな気持ちもあったりします。
 そしてたかちゃんは、ママに買ってもらったポテチやサンドイッチを、くにこちゃんといっしょに、ひたすらおいしくたべあさっています。
「おいしーね、ぱりぱり」
「んむ、むしゃむしゃ」
 もしじぶんの仮説が正しかったら、じぶんもまたいちねん中、『餓鬼』や『ひだる神』に取り憑かれっぱなし――そんな自己矛盾など、ちっとも気にしていないくにこちゃんでした。


    ★          ★


「まあ、とりあえず元気なんだから、とりあえずかまわんのだが……」
 心配して営業先から直帰してきたパパは、ひさしぶりの平日家族団欒を楽しみつつも、ちょっと不安げに、たかちゃんをなでなでします。
「いま、何杯めだ?」
 ひたすらごはんをたべまくるのに忙しいたかちゃんに代わり、ママがお答えします。
「もう二十杯めくらいかしら」
「おかわり!」
「ちょっと待ってね、もうすぐ炊けるから」
 炊飯ジャーさんも、休む暇がありません。
「……Q太郎か、おまえは」
 あきれてつぶやくパパに、たかちゃんは、にこにことこうぎします。
「ばけらった」
 おばけのQ太郎よりも、弟のOちゃんのほうが、このみです。
「まさか、過食症ってこたあ、ないよなあ」
 このお気楽娘に過大なストレスなど生じるはずがないと思いつつ、パパは、ねんのため訊いてみます。
「たかちゃん、学校は、たのしいか?」
 たかちゃんは、ホッケの骨をつるつるになるまで猫ちゃんのようにしゃぶりながら、ちからいっぱいこくこくします。
「すごく」
「……ほんとは、誰か、いじめっ子とか」
「ぜんぜん」
 ママも、ねんのため、お訊ねします。
「もしか、なんか、いやな先生とか……」
「まったく」
 それは、そうですね。もしたかちゃんののーてんきな性格をもってしてもストレスが溜まるような学校なら、今頃生徒の大半が胃潰瘍で血を吐きながら悶死したり、先生たちまでいっしょになって校舎の屋上からダイブしたり、全校崩壊してしまっているはずです。
「となると、問題は、食費だな」
「まあ、お米は近頃安いからいいんだけど、お野菜やお魚が、ちょっとねえ」
 こんな事態でもしっかり栄養のバランスを心配してくれる、やさしいママです。
「明日は学校、休みだろう。こいつ、いちんち家で食ってるなら、今のうちに買い出しに行っとくか」
 土曜日も隔週出勤のパパは、のっそりと立ち上がります。
「お願いね。ご苦労様」
 ちなみにふたりとも、ひたすら備蓄食糧を喰らいつくしつつあるたかちゃんの肉体そのものに関しては、さほど心配しておりません。まあ、昔から、なにをやっても不思議ではない娘なのですね。
「ぐびぐびぐびぐび」
 茶腹もいっとき、とゆーわけで、たかちゃんが1.5リットルの烏龍茶ペットボトルをらっぱのみしておりますと、
 ぴんぽーん。
 どなたか、お客様のようです。
「ごめんなさい。しつれいつかまつります」
 まるで時代劇のご挨拶ですが、声の主は、くにこちゃんです。
「やっほー、どんぱんぱー」
 たかちゃんがととととととお玄関に駆けていきますと、なぜだか小坊主ルックのくにこちゃんのうしろで、ほんもののお坊さんが、にこにこ笑っております。
「おれの、おししょーさんだ。たいがいの憑き物はちょうぶくできる、ありがたい、おかただぞ」
 実際きわめて有難そうな、枯淡の禿頭と清浄な僧衣のたたずまいに、後から出てきたパパやママも、思わず深々と頭を下げます。
 よくみれば紫の衣も色褪せ、けして裕福なお寺さんとは思えないのですが、
「失礼いたします。上がらせて頂いても、差し支えございませんかな?」
 その柔らかいお声の一言で、パパもママも、もう一週間でもひと月でも泊まって行ってください、そんな気になってしまったのは、さすがにくにこちゃんが厳選した、大僧正の人徳なのでしょうね。


    ★          ★


 応接間に通されたお坊様は、たかちゃんのぽんぽんを診るでもなければ、パパやママに症状を訊ねるでもなく、
「まあ、この子は『憑き物』などと申しておりますが、無論、そんなものはどこにもおりません。『餓鬼』も『ひだる神』も、所詮は宿らせた人の心ひとつのものでございますからな。『仏』も同じです。たとえばこの子が顕現させる明王様にしても、それはこの子の心の内におのずから宿ったものを、この子が『明王』であると悟った、それだけのものなのです」
 もっともらしく合掌しているくにこちゃん、こくこくとうなずくパパとママ、悠然とお茶を啜るお坊様、炊飯ジャーからおしゃもじでちょくせつごはんをいただいているたかちゃん――。
「しかし、世間では、よく『祟り』などと言いますよね」
 お坊様の姿から連想したのか、パパはそっち系の不安に捕らわれてしまったようです。
「たとえば原因不明の奇病が、墓石や仏壇を粗末にしたためだった、とか」
 パパはなにしろもとおたくなので、そーいった超自然現象や伝奇ゲー的趣向は、大好きなたちです。
「私は三男ですから、菩提寺の墓などは郷里の兄に任せっきりなのですが、念のためこれから電話を入れてみようかと。なにしろ山奥の墓なもんで、手入れもままなりませんし、お供物とか、水とか――」
 お坊様は、霞のように微笑します。
「それはあなたが、ただ心で、先の方々をお慰めすればよろしい。戒名屋や墓石屋、仏壇屋や拝み屋――いずれもただ、人の生きるたつきでございましょう。まあ、墓石そのものの心、仏壇そのものの心と親しむのも無駄ではございませんでしょうが、少なくともご先祖様とは、無縁。それもまた拝む者の、心ひとつ」
 煙に巻かれたようなパパとママをよそに、お坊様は悠然と手を伸ばし、無制限食事中のたかちゃんのおつむを、なでなでします。
「さて、おじょうちゃん、あんたは何を宿らせてしまったものやら」
 たかちゃんは、とーぜんこれまでのこむずかしい話は聞いておりませんし、聞いていたとしても、理解できません。お坊様の真摯な視線をかんちがいして、かかえていた炊飯ジャーとおしゃもじを、お坊様にお勧めします。
「たべる?」
 お坊様はにこにこと、たかちゃんのおつむに触れたまま、皺の奥の細っこい瞳でたかちゃんのくりくりお目々をじっくり見つめたのち、やがて、くつくつと笑いだします。
 ――死ぬほど飢えて乾いているのに、なお無心に与えようとするものの宿世は、すでに如来か――。
「……わしはおなかいっぱいだから、その『ぽち』と、いっしょにお食べ」
 お坊様以外のみんなが、それぞれ別の意味できょとんとしておりますと――また、ぴんぽーん。
「あの、あの、どんぱ。やぶん、おそれいりられ……」
 たかちゃんがあんましおなかを空かせて餓死しているのではないかと心配になって、ゆうこちゃんがおみまいに来てくれたのですね。おねだり可能な限りいちばんおっきなケーキを買ってもらったので、ゆうこちゃんがケーキをかかえていると言うより、ケーキの箱にゆうこちゃんがしがみついている、そんなありさまです。
 ちなみにそのはいごには、それぞれ30キロの松阪牛ブロックを抱えた三にんのSPさんなども、続いたりしているのでした。


    ★          ★


 その、翌朝――。
 お山の林の奥の、くさむらに倒れたぽちは、もうほとんどなんにも考えておりませんでした。まあ、山桜さんとしては、このところちょっと、なにかとかんがえすぎだったのですね。
 このまえ、さんびきのかわいいおさるさんが遊びにきてくれたのは、いつだったかなあ――漠然と思いを巡らせても、もう、思い出せません。
 楽しく遊んでもらったあとで、おさるさんたちが帰ってしまって、またちょっとなんだか『アレなかんじ』になってしまい、『アセった』のが、いけなかったのでしょう。その晩、ちょっとバランスをくずしてコケてしまい、それっきり、横になったまんまのような気もします。
 もう秋で、のどだかなんだかがかわいたのかなあみたいなかんじで、そのつぎは確かいちばんさむくておなかだかなんだかがすいたのかなあみたいなかんじの冬になるので、もともと、歩くべきではなかったのかもしれません。
 でも、いーや。
 失われつつある意識の中で、ぽちは、ほほえみます。
 じぶんがほほえんでいること、なんだかよくわからないなりにけしていまは『アレなかんじ』ではないこと、そんないろんなことを、くさむらのまわりの椚さんや楢さんにも見てもらいたくて、ぽちは今、花を咲かせています。
 まだ紅葉を残した椚さんや楢さんのまんなかで、横になったまま咲いている満開の山桜というのは、かなり、へんです。たおれたときに、ほとんど土から離れてしまった根っこのほうが、もう先っぽから枯れ始めているので、もっとへんです。
 ぽち自身も、なんだかへんだなあ、なんぼ咲きたいと思っても、なんじゅーねんかん、ぽかぽかの春風さんが吹いているときでないと、咲けなかったみたいなかんじなんだがなあ、そんな『フシギ』という概念を今になって朦朧と習得したりしておりますが、その『フシギ感』もまた、失われつつある意識の中で、とろとろと茫漠の中にとけていきます。
 でも、ぽちは、感じます。
 椚さんや楢さんが、なんじゅーねんかんぼーっとしながらも、さすがにこの時期満開になるようなこんじょーのある桜は見たことがなかったので、『うれしいな』まではまだむりでも、もう『う』と『れ』のあいだくらいまでは楽しんでくれている、そんな気配が、秋の風に舞う紅葉にのって、ぽちの花々にも伝わってきます。
 あのおさるさんたちと、もーいっぺん遊んでみたかったなあ――ずうっとそう思っていたはずなのに、なんだかずうっといっしょに遊んでいたような気もして、やっぱしぽちは、ほほえんでいます。
 さむいけど、さむくない。
 根っこ、枯れても、のど、かわかない。
 おなか、すかない。
 はな、さいてる。
 だから、もう、いーや。


    ★          ★


「こりは、びっくり」
 ととととととくさむらにはしりこんできたたかちゃんは、目をみはります。
「ぽち、おねんね?」
 たかちゃんがかっくらう大量の食糧を大半しょってきたくにこちゃんも、すでにはんぶん食いつくされたとはいえまだ数十キロはあるかと思われる背負子をものともせず、どどどどどとぽちに駆け寄ります。
「おい、おまい、びょーきか?」
 ゆうこちゃんは倒れたぽちの幹によよと取りすがり、
「ごめんね、ごめんね、ひっく」
 じぶんはなんにもわるくないのですが、ちかごろ口癖になってしまっているのですね。
 そのあとから、いっしょについてきてくれたたかちゃんのママと、ゆうこちゃん担当兼女中頭の恵子さんも、紅葉の樹々に囲まれたその不思議な一本桜に、歩み寄ります。
 末期の狂い咲きと言うにはあまりにもはかなく美しいその光景にしばし立ちすくんだのち、ママはれいせいに、ぽちの容態をさぐります。いぜんからたかちゃんたちのお話をごぞんじのよい子の皆様ならば、なんかいろいろ裏技に充ち満ちたママの真の正体なども、うすうす、いえ、おもいっきし感づいていらっしゃいますね? そう、スーパーのパートだけでなく、光の国関係のパートなども勤めている、なにかとうるとらなママなのです。
 しかし今、そのおたく殺しのちゃーみんぐなお顔には、予断を許さない危機感が浮かびます。
 ゆうこちゃんが、泣きながら訴えます。
「……ひっく、おうちに、つれてくの。……ひっく、おにわに、おにわのおいしゃさん、いるの、ひっく」
 なにしろ三浦家は、畏れ多くも皇居を凌ぐほどの庭園を維持しておりますので、当然、専業の樹木医なども雇われております。 
 ゆうこちゃんをよしよしと胸であやす恵子さんに、ママが訊ねます。
「……三浦さんのお宅に、大型ヘリとか、ないかしら」
 恵子さんも、たかちゃんたちとのおつきあいを通して、この程度のなんだかよくわからないものやなんだかよくわからないことでは、すでに動じないおんなになってしまっております。
「すみません。小型ヘリしか、ないと思います」
 ママのお顔が、さらに曇ります。 
 自分でなんかこっそりアレしたり、あっちにソレしたりできればいいのですが、ざんねんながら、その能力や組織は、巨大ナニ関係でないと使えないきまりになっております。
 恵子さんは、ふとひらめいて、はいごの木陰にこっそり待機しているはずの、三にんのSPさんたちにお声をかけます。
「あのう、えーと、皆さん」
 彼らもまた、今さら『我々はあくまでもお嬢様の生命を』などと、バックレられるキャラでもなくなってしまっております。
 不承不承迷彩服姿を現し、ぽちの三方に取り付いて――
 ぎっくり。
 年配の隊長さんのお腰に、破滅の音が響きます。
「隊長!」
「隊長!」
「……俺を置いて、貴様達は、生きろ」
 ごにょごにょ寄り合って、もっともらしく、無能を糊塗しようとしております。
 たかちゃんとゆうこちゃんは、とーぜんくにこちゃんに、期待のまなざしを向けます。
 きらきらきら。
 うるうるうる。 
「んむ」
 くにこちゃんが、雄々しくうなずきます。
 食糧の巨大背負子を軽々と外し、
「おらよ」
 残ったSPさんたちに、放り投げます。
「ぐえ」
「ぐえ」
 部下のふたりも、再起不能に陥りかけます。
 くにこちゃんは、ぐったりと横たわる、いいえ、材木のようにしゃっちょこばって横たわるぽちをかかえこみ、
「ぬおおおおおおっ!」
 すさまじい気合いで森の枝々を揺らしつつ、ぶお、とぽちを立て直し、桜吹雪の舞う中で、くるりと体勢反転――
「どおすこいっ!」
 みごとにぽちを背負い上げます。
 額に汗を浮かべながら、清々しい笑顔を浮かべ、
「あとは、下りみちだから、らくしょーだ」


    ★          ★


 まあ、その後たかちゃんたちがお山を下り、ぽちをゆうこちゃんちまで運びこむ途上の情景は、さすがに青梅市街を驚愕のるつぼと化しました。
 身長120センチ弱の女児が推定数メートルの山桜、それも秋だというのに満開の桜をしょってのっしのっしと街道を進む姿とゆーのは、かなりキます。そしてそれにぴったり並んだちょんちょん頭の女児は、先に立った迷彩服のウロンな男の背負子から、ひっきりなしにお握りややきにくなどを桜担当女児に補給し、じぶんもまたひたすら食いまくっております。
 あとに続いてときどきひっくひっくとしゃくりあげている児童や、それをなだめる女性ふたりはまあ普通っぽいとして、最後尾で迷彩服のおっさんを背負って気息奄々になりながら「隊長! しっかりして下さい!」「……置いていけ」などと繰り返しているやはり迷彩服の青年などは、のどかなせかいのはての風物に、とことん不調和です。
 でも、じきに顔見知りの人々が、あれは長岡下駄屋の娘と、片桐さんちの母子と、三浦家関係の一団ではないか、そんな正体を広めますと、ああ、その娘ならたとえガスタンクを背負って市街を駆け巡っても不思議ではない、あの母子ならどんななんだかよくわからない光景を展開しても当然か、時々周囲の家屋に桜の幹がぶつかって損壊しても、三浦家がらみなら補償は万全だ――そんなこんなで、いっけん超自然的な事態も、ある秋の日のちょっとした椿事として、おのずと沈静してゆくのでした。







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