いっかいめ 〜 わしづかみの、よかん 〜
はーい、いいおく二へんまんのよいこのみなあん、こんいちあー。
お久ひふりの、へんへいでーす。
え? お前あ、誰あ? なにを言っへるのあ、ちっとも解あない?
……失礼しました。
さすがに花粉症用のマスクを着けサングラスを掛け、さらにふるふぇいすのめっとをかぶった状態では、言語による意思の疎通は困難なようですね。それではマスクだけでも、ちょっぴりずらしてお話ししましょうね。
――あ、見てはいけません。
いけません。
いけません!
せんせいのお顔を、そのようにじっくりと、ふしぎなものを見るような目つきで、見さだめてはいけません。
……いいですか? 引き籠もりの一人息子や、行灯《あんどん》の油をなめる猫耳の生えたお腰元や、古女房やガッコのせんせいなどが「見るな」と言ったら、すなおに目をそらさないと、いたいめをみますよ。金属バットで殴打されたり、喉笛を噛みちぎられたり、知らぬ間に保険をかけられて食事に毒物を混入されたり、にどとおうちにかえれなくなったりしますよ。
見るなっつとーろーがこんがきゃー!
……うふふふふふ。
見てしまいましたね?
見てしまったとたんに、なにやら安堵の吐息やら、さらなる疑惑の吸気やらが、去年よりもずいぶん閑散としてしまったこの教室に、さざなみのごとく広がりましたね。
はい、見られてしまったからには、せんせい、もうなんの逃げ隠れもいたしません。
すぽ。
……そうです。ふるふぇいすのめっとから後光のごとく広がりこぼれた、この豊かで柔らかな黒髪。
すちゃ。
そしてサングラスの下から現れた、おごそかな中にも限りない慈愛をたたえた高貴なまなざし――。
思い起こせば昨年の暮れ、「お願いだから行かないで先生お願いだから先生」「先生が行ってしまったらボクもう生きていけないようねえねえねえ」「この濁り乱れた世にあってワタクシの清らかな乙女心を解ってくださるのはあなた様お若くお優しくお美しいおんなせんせいしかおりませんでしたのにおーいおいおいおい」、そんなみなさんの熱い涙に送られて、惜しまれつつも結婚退職させていただいた、わたくし、『初代せんせい』でございます。
どなたですか? 誰もんなこた言ってねーよ、などと過去の歴史を故意に歪めようとなさる、教科書用図書検定調査審議会や文部科学省のモーロク爺婆のようなよい子の方は。はい、そこのあなた、お話が終わったら、ひとりで生徒指導室にいらして――いえ、あすこの床下はすでに物言わぬよい子でいっぱいですから、そうですねえ――はい、真夜中、プール横の更衣室にいらしてくださいね。いいですか? あなたひとりでですよ? それはもう遠い日の母の胎内のような、癒やしの水底に誘《いざな》ってさしあげますからね。いえいえ、肺や胃袋をパンパンに満たすまで流れこむ塩素臭い水に関しましては、なんのしんぱいもございませんよ。せんせいがパ●ア・ニューギ●ア近海の孤島から持ち帰った、ある熱帯植物のハッパを事前にナニすれば、文字どおり天国に昇るようなこころもちのまま、永遠《とわ》の世界に旅立てますからね。うふ、うふふ、うふふふふふふふ。
はい、なんだかまだ納得のいかないご様子のよい子の方も、たくさんいらっしゃるようですね。
それでは、たかちゃんたちのお話の前に、こんかいのせんせい交代劇に関しまして、ちょっとばかし事情をご説明いたしましょう。
さて、前回までの二代目武闘派せんせいは――はい、昨夜午前二時三十分頃警官隊の急襲を受け、ついに逮捕・拘留されてしまいました。
……甘かったのですねえ。
なぜ最初にシメたよい子を集中治療室に見舞った時、その場の延命チューブを二・三本引っこ抜いておかなかったのでしょう。腐ったリンゴは、蛆がわく前にシマツしてあげたほうが本人のため社会のため、そんな教育者としての初歩的な原則を、なぜ忘れてしまったのでしょう。武闘派ゆえの、武闘派に対する非論理的温情でしょうか。逮捕の際は十数名の警官のみならず、機動隊員数十名を血祭りに上げ、一時は自衛隊の緊急出動すら総理府に要請されたとのこと、なぜその非人間的パワーを、事前の証拠隠滅に向けなかったのでしょう。
あのお方は、もうわたくし、野卑で底意地の悪い言葉によるパワハラなどなんら根に持つことなく、立派な先輩女性教師として、心からお慕い申し上げておりましたのに。やっぱり飢えたゴリラのごとく貪欲に喰らいまくるエサの養分がみんな筋肉に回ってしまい、脳味噌まで回らなかったのでしょうか。ああ、お姉様、おかわいそうに。うるうるうるうる。かっこ、棒読み、かっこ。
そんなわけで、急遽わたくしが、理事会に乞われてみなさんのお相手を――え? じゃあなんでさっき変装してたんだ?
あんだけ自慢しまくったセレブの妻の座はどうなった?
……ほんとうに、みなさん、真実をお知りになりたいですか?
かわゆいたかちゃんたちのお話よりも、たかがマクラにすぎないせんせいのお話のほうが、先に聞きたいとおっしゃるのですか?
――はい。それでは、ここは民主的に、多数決で今後の進行を決めることにいたしましょう。
それでは、たかちゃんたちのお話のほうが先に聞きたいよい子の方、げんきにお手々をあげてくださいね。
はーい。
ひの、ふの、みーの、よーの…………はい、なかなか微妙なお手々の数ですね。
それでは、せんせい交代劇の真実が先に知りたいとおっしゃる、「ちったあオレの態度から空気嫁この厨房!」なよいこの方、元気に立ち上がって、机によじ登り、その場でケツをまくって尻尾を上げてくださいね。
……はい!
尻尾を上げたよい子の方は、ひとりもいらっしゃらないようですね。
それでは、おひさしぶりのよいこのお話ルーム、『たかちゃんのわしづかみ』、なしくずしに、はじまりまーす。
★ ★
アパートの、はんぶん開いた二階の窓から、春の朝風がそよそよと、レースのカーテンを揺らしています。
去年たかちゃんたちがいりびたっていたころは、ヤニで汚れたビンボな茶色のカーテンだったのですが、いつの頃からか、なんだかとってもおんな好みの、白いカーテンに変わっています。
六畳一間のまんなかに敷かれたおふとんも、去年までのあちこちすりきれた万年床ではなく、ボーナスで新調したらしい、ふかふかのパステル・カラーに変わっています。
そして、久しぶりに窓から無断侵入したたかちゃんたちが、何よりびっくりしたのは――かばうまさんの肥え太ったみにくい寝姿に抱きつくようにして、あろうことかあるまいことか、なんだか小柄なおんなのひとが、安らかな寝息をたてているではありませんか。
「ぎく」
「ぎく」
たかちゃんとくにこちゃんは、おどろきのあまり、いっしゅんたちすくんでしまいました。
でも、このままみてみぬふりをして引き返したのでは、久々にかばうまさんのフトコロをおもうさま食いつぶそうと立てたけいかくが、灰燼に帰してしまいます。
ぬきあしさしあししのびあし。
おふとんのりょうがわにしゃがんで、そーっと、おふとんの新人をのぞきこみます。
「こりは、びっくり」
ゆうこちゃんちの女中頭、恵子さんみたいです。
かばうまさんのぶよんとしてしまりのないからだに押され、はんぶんおふとんからはみだすようにして、それでもけなげに、ぶよんとしてしまりのないおなかにとりすがっております。
「……なかよしさん?」
たかちゃんは、ねんのため、くにこちゃんにも見解を求めます。
「うーむ」
くにこちゃんは、むずかしげにうなります。
「これはもう、つがってしまっているな」
「つが?」
「んむ。『つがいになる』とも、ゆーな」
くにこちゃんは、おもおもしくうなずきます。
「にんげんとゆーものは、どーしても、なかよしさんだと、おんなしおふとんで、ねてしまうものなのだ」
「こくこく」
そのきもちは、たかちゃんにもわかります。たかちゃんも、くにこちゃんやゆうこちゃんや、パパやママとねるのがだいすきです。
「おおむかし、ほとけさまが、そうきめたのだ。おれのおししょーさんが、そう、ゆってた」
そーだったのか――たかちゃんのおめめが、あたらしいちしきを得たよろこびに、まあるくなります。
「で、おんなしふとんでねるのは、こどもなら、かんたんだ。からだが、ちっこい。んで、ふとんは広いからな」
たしかに、たかちゃんとくにこちゃんとゆーこちゃんの三にん組でも、はむすたーのようにかたまれば、おふとんひとつでらくしょーです。
「でも、おとなだと、ちょっとむずかしい。これを、みろ。からだがでかすぎて、こんなふーに、はみだしてしまう。それに、はずかしーだろう。でっけーおとなが、いーとしこいて、ひとりでねれないなんて」
「こくこく」
「だから、ほとけさまが、おまけをくれる」
「おまけ?」
「んむ。こんなちっこいふとんで、はずかしーのによくやった、えらいえらい。そーゆー、おまけだ。んで、おまけに、あかんぼを送ってくれる」
そ、そーなのか――たかちゃんのお目々が、さらなるおどろきで、まんまるになります。
「あかんぼは、ごくらくに、いっぱいあまってる。あかんぼは、ちっこいから、おまけに、いいのだ。あんましでっかいおまけだと、たっきゅーびんが、高いからな」
きわめてごーりてきで、せっとくりょくに満ちた新説です。
たかちゃんは、いつだったか、くにこちゃんやゆうこちゃんといっしょに見た、あにめの場めんを思い出しました。大きな鳥さんが、赤ん坊のはいった袋をくわえて、よぞらを飛んでいる場めんです。
「たっきゅーびん、ぺりかん便?」
「いんや。あれは、ぺりかんじゃあない。ぺりかんに見えて、じつは、こーのとりなのだ。ごくらくでは、ぺりかんびんや、くろねこびんじゃなく、こーのとり便を使うのだ」
なあるほど――それで、このおどろくべき新説も、過去の歴史的資料に整合します。
「それを、『つがう』と言うのだ」
「こくこく」
「そのうち、あかんぼがとどくぞ。さんたくろーすみたく、こーのとりが、よなかに、こっそりもってくる。んで、けーこさんが、まるのみする。はらんなかで、しばらくあっためるんだ」
くにこちゃんは、おふとんの上から、恵子さんのおなかを、ぽんぽん、とたたきます。
「まあ、たまごと、おんなしだな」
恵子さんが、つぶやきます。
「……うっふん……だ・め」
それはあくまで半睡の内に、同衾している愛人に対して、「一晩中あんなに●●たじゃないの、あたしもうくたくたよ、また後で、ね」といったニュアンスでつぶやいたのですが、幸いたかちゃんたちには、よくききとれなかったようです。
「いいあかんぼが、あまってるといいなあ。うちのいもーとみたく。いいのがあまってないと、はずれが二ひき、とどいたりするからなあ、うちのおとーとみたく」
たかちゃんも、じょーぶなあかんぼがとどきますよーに、そんな願いをこめて、恵子さんのおなかをなでなでしてあげます。
「くりくりくりくり」
恵子さんは、甘いお声でつぶやきます。
「あなた、ほんとに、好……」
うっすらと開いた恵子さんの色っぽい瞳に、信じがたいものが映ります。
こ、この見慣れたちょんちょん頭と、しょーとかっと頭は…………。
「どぱよー!」
「うっす」
「ぎえええええええ!」
その叫び声で飛び起きたかばうまさんもいっしょになって、さんじゅーすぎのばついちおんなとよんじゅーすぎのちょんがーおやじは、じょうじのあとでぬぎすてたままねむってしまったしょーつやとらんくすをじたばたとさがしもとめて、しばしのあいだふるち●ふる●んのまま、かけぶとんをうばいあいつつ、おおさわぎをくりひろげます。
そんなおとなげないふたりを、おりこうなたかちゃんやくにこちゃんは、ほほえみながら、おおらかにみまもります。
「きにするな。ほとけさまのおぼしめしだ」
「こくこく」
ようやくパジャマを整えたかばうまさんは、開けっ放しの窓に気づいて、あちゃあ、とおでこをたたきます。なかよし三にん組の乱入を警戒し、部屋のドアはしっかり施錠しておいたのですが、閨事で汗ばんだ体に夜風を求めて、つい窓を開けたまま眠ってしまったのですね。
どーやってこの場を言い繕おう――ふたりはしばし見つめ合い、おろおろと無言の会話を交わすうち、ふと、ちっこいお邪魔虫の中でも一番まともなのが一匹足りない、そんな事実に気がつきました。
恵子さんは、整えたパジャマをさらにどぎまぎと整えつつ、おそるおそる、廊下側のドアを開きます。
そこでは案の定、ゆうこちゃんが、きょとんと小首をかしげています。
ゆうこちゃんは、とんでもねーいいとこのお嬢様なので、アパート裏の樹木や塀をよじ登るなどというはしたない行為は、とてもできません。それまでずうっと、お行儀よく、お外で待っていたのですね。
先行して窓から侵入した仲間、あるいはかばうまさんが入れてくれるはずだったのに、なんで、今日はお休みの恵子さんが、この部屋にいるのだろう――。
あたまの中ははてなマークでいっぱいですが、ほねのずいからお嬢様なゆうこちゃんのこと、みぐるしくとりみだしたりなどいたしません。あくまでもおしとやかに、きちんと朝のごあいさつをします。
「おはよーございます、けいこさん」
ぺこり。
「お、おは……よ……」
ぺこぺこぺこぺこ。
★ ★
さて、そんなこんなで、はるやすみも終わってもうひと月、ぴかぴかの一年生から、なしくずしに二年生のおねいさんへとくり上がったたかちゃんは、さわやかな五月の風そよぐ朝の教室で、きょうもげんきに――いえ、なんだかものうげまなざしを、茫洋と窓の外にさまよわせております。
ふう、などと深いためいきをつくありさまは、アンニュイなおとなのおんなのにおいを、ちょっぴりただよわせたりもしています。
「……ふう」
窓のお外の校庭では、のどかな多摩丘陵の青空の下、きょねんのたかちゃんたちのようなぴかぴかの一年生たちが、きゃいきゃいさえずりながら、とたぱたとかけまわっております。
そんな雛《ひよ》っこたちをながめつつ、
「ふっ」
ちょんちょん頭の前髪を、けだるげにかきあげたりするたかちゃんです。
…………わかいわねえ。
まあさすがにそこまでは思っておりませんが、もうあたし『ぴかぴか』じゃなくて、『ぴか』くらいになってしまったのかもしんない――そんな感傷にふけっているのでしょうか。
「はい、それでは、かたぎりたかこさん」
たかちゃんの学校では、二年に一度しか担任替えがありません。ですからきょねんとおんなしおんなせんせいが、はりきって、大きなものさしをかかげます。たかちゃんたちの机にあるものさしよりも、なんばいも大きい、学習指導用の拡大ものさしです。それに、幅広の赤いリボンをあてがって、
「たかちゃん、このおリボンの長さは、どのくらい、ありますか?」
教室中のみんなが、期待に目を輝かせます。なかでも判断力に優れたよい子は、せんせいが「なんセンチありますか?」とか「なんミリありますか?」と細かくツッコまなかったのを、天に感謝します。
ここでねんのため、このたかちゃんのたんにんのおんなせんせいは、あくまでたかちゃんのがっこうのせんせいであって、わたくしではございません。わたくしほど若く美しく利発で臨機応変な教師ではございませんから、ついこのふゆまでは、たかちゃんの天性のボケ力に、連戦連敗のありさまでした。
ですが今回、わくわくとたかちゃんのボケを待つみんなの視線を確認し、せんせいは、なぜかにんまりとびしょうします。
実は、せんせいも、熟考した上での作戦だったのですね。
本来の指導計画に従えば、とうぜん話はちがいます。15センチぶんのめもりをでっかく刻んだものさしに、7センチ5ミリのリボンをあてがって、「長さのたんいは、せんちめーとるや、みりめーとるがあります。1せんちめーとるは、10みりめーとるなんですね」などとせつめいしたのち、「じゃあ、このものさしと、おリボンを見てくださいね。このおリボンの長さは、なんせんちめーると、なんみりめーとるかな?」と持っていき、さらに「じゃあ、みりめーとるだけだと、ぜんぶでなんみりめーとるですか?」などと進めていくのが、正しいさんすうのじゅぎょうです。しかし、さすがに二年めとなると、たんにんのせんせいもなんかいろいろ経験を積んでおります。
この天然娘には、早めに好きなだけボケさせて、他の生徒の注意力をまとめてしまったほうが、後の授業進行は楽――。
ごきんじょ席のくにこちゃんやゆうこちゃんも、わくわくと期待に目を輝かせておりますと、
「……ななせんちごみり」
正解です。
「んで、ななじゅーごみり」
正解ですが、おもしろくもなんともありません。
がっくし――教室の温度が、いっきに二・三度下がります。
しかしせんせいは、さすがに婚期を逸してまで幼児教育に人生を捧げる万年女教師、失望よりも、ある種の危惧を感じます。
――おかしい。この娘なら多少コンディションが悪くても、「はんぶん」くらいのボケは効かせてくれるはず。
せんせいは、でっかいものさしを教卓に置いて、たかちゃんに歩みより、そのおでこにお手々を当てます。
「……お熱でも、あるのかしら」
「ないえんのつま」
意味が解って言っているかどうかは別として、条件反射も正常ですし、おでこも平熱のようです。
せんせいは気をとりなおし、がっかりしているみんなをなんとか引っぱって、つつがなくさんすうの授業をつづけます。でもやっぱり、いつものようにわくわく視線でボケ所を狙ってこないたかちゃんが、なんだか心配でたまりません。
「それでは、さいごの、もんだいです。かたぎりたかこさん」
――念のため、再ツッコミ。
「たかちゃんは、いま、なんぼんのえんぴつをおもちですか?」
「ひー、ふー、みー……はっぽん」
「じゃあ、せんせいが、もう五本、えんぴつをあげましょうね。そーすると、ぜんぶで、なんぼんになるかな?」
ひとけたとひとけたのたしざんは、きょねん、もうすませてあります。二年生の一学期だと、ふたけたとひとけた、そんな段取りなのですが、このばあい、学習進度はかんけいありません。
――お願い、せめて「いっぱい」くらいのボケは効かせて。「もっと、ほしい」でもいいのよ。
ほかのみんなも、おのずからせんせいの願望と同調し、たかちゃんの再試合を、固唾を飲んでみまもります。
「じゅーさんぼん」
――がっくし。
★ ★
「たかこ、そんなに、おちこむな」
その帰り道、いつものように昭和レトロな旧青梅街道を歩きながら、くにこちゃんが、たかちゃんのお肩をぽんぽんしてなぐさめます。
「おちこんでも、にげたおとこは、かえってこない」
ゆうこちゃんも、しんぱいそうに、たかちゃんのお背中をなでなでしてくれます。
たかちゃんとしては、ほかにおんなをつくってしまったおとこなど、さほどみれんがあるわけではないのですが、ほんとは心のどこかで、なんだかちょっぴりアレな気もします。まあそれだけでなく、たかちゃんののーてんきな性格をもってしても、この季節、なんかいろいろあるのですね。
たとえば、上級生の中でもいちばん仲良しさんだった六ねんの給食係のおねいさんは、もう中学に上がってしまいました。卒業式の日に、おねいさんとそのお仲間に、みんなで泣いたり笑ったりしながらおもいっきしおもちゃにされたのが、さいごのおもいでです。二ばん目や三ばん目に仲良しさんだったおねいさんたちは、五ねん生だったので、今もまだ学校にいるのですが、たかちゃんのほうが二ねん生になってしまったので、もう給食のお世話には来てくれません。あたらしいぴかぴかのいちねんせいのお世話に手いっぱいみたいで、廊下で会っても、あんましおもちゃにしてくれません。
「まあ、でも、きもちは、わかる」
くにこちゃんは、しみじみとうなずきます。
「かばうまがいないと、んまいおやつが、くえないからなあ」
あの春の朝の騒動の後で、さすがにもううやむやな関係を続ける訳には行くまい、そう決心したのか、かばうまさんと恵子さんは、ついに名実共に『つがって』しまいました。
入籍したからには、新居がいります。恵子さんは三浦家の専用家政婦寮に住んでいたのですが、かばうまさんのボロ1Kでは、たまに泊まるのがせいいっぱいです。おたがいいいとしこいて、六畳一間の夫婦生活は、さすがにみじめです。といって、いきなりマンションやお家を買うお金はありません。恵子さんはしっかりものですので、それなりに貯めこんでおりますが、あくまでも女中さんのお給料の範囲内ですし、かばうまさんはさいきんまでろりのおたくやろうだったので、そっち関係のやくたいもないガラクタや、恥ずかしくて人には言えないナニモノかなどは多数所有しておりますが、おゼゼはほとんどありません。去年の春まで形ばかり積んでいた定期預金も、すべてたかちゃんたちがタカりつくしてしまいました。そーなると、とりあえず夫婦生活最低限の賃貸物件に住み、このまま共働きを続けて新居購入の頭金を貯める、そんな算段になります。
だったら、かばうまさんの職場のあるターミナル駅と、三浦家のあるここ青梅の真ん中あたりがいいのではないか――まあ、まだ結婚式も挙げていないし、もう転居してしまったわけでもないのですが、このところふたりは休みを合わせ、新居探しに余念がありません。と、ゆーことは――そう、まずしいくにこちゃんが日々こころまちにしていた、かばうまさんの公休日食いつぶしイベント、それが中断しているのです。そして、おそるべきことに、これっきり廃止されてしまう可能性が大なのです。
「なやんでいても、しかたが、ない」
くにこちゃんは、なにかをけついしたように、凛々しくお空をあおぎます。
「かわりのうまを、さがしに、いこう!」
「……おう」
それはとっても、いーかもしんない――たかちゃんのたんじゅんな思考回路の中で、あっちこっちゆらゆら揺れていたシナプスが、ぴし、と音をたてて繋がります。
「どんぱっ!」
「おう、どぱんど!」
ふたりはがっしりと腕をからませて、白い雲に向かって叫びます。
「どんぱぱぱ!」
しかしいっぽう、ゆうこちゃんだけは、ちくりと胸を痛めます。
ああ、このふたりは、また無辜の市民を、やらずぶったくりの底なし沼に引きずり込もうとしているのだわ――そんな感じで、やさしい心がうずきます。
それでも、ちょぴりもじもじしたあと、
「……ぱどん」
やっぱりうなずいてしまいます。
しょーがくせーになってから、なんだかよくわからないけれどとっても熾烈な一年を経て、ひとかわもふたかわもむけたはずのゆうこちゃんですのに、やっぱし、くにこちゃんのきょーれつな自我、そしてたかちゃんのとことんいーかげんな性格には、まだ対抗できないのでしょうか。
まあ、タカりなど不要な金満家のお嬢様であっても、そこはそれやがては小悪魔必至の美幼女のこと、ほんとうのところ、『やらずぶったくり』そのものの甘美な背徳感――経済力とは必ずしも関連のない淫靡なよろこびに、ほんのちょっとくらいは、ハマってしまっているのかもしれませんね。
★ にかいめに、すすむ
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