ごかいめ 〜 わしづかみの、かくさん 〜
…………ふっ。
などとけだるげに、美しい顔にかかる繊細な絹糸、いえ、翠《みどり》の黒髪をかき上げたりしてみても、しょせんせんせいもみなさん同様、はかない人の身――。
あの窓の外で散りゆく枯れ葉の落ちどころは、先立った数限りない仲間たちの折り重なり朽ちゆく秋の舗道か、はたまた気まぐれな秋風に流れ流され、水面《みなも》にたゆたう黒ずんだ孤舟と化すのか――枯れ葉自身に行く末の選択肢はクリックできません。
そう、自らの意思で駅のホームから電車に身を躍らせぐっちゃぐちゃのマグロと化したつもりでも、「我が人生に悔い無し!」などと強気な遺書をしたためてビルの高層階からダイブしてコンクリの上でちぎれかけた手脚をあっちこっちあさっての角度に折り曲げ眼球や脳漿まきちらした生ゴミと化しても、あるいは『勝った勝った』と飽食の果てに豪奢な寝床で飽食者特有のくっせーウンコや甘ったるいシッコ漏らしながら大往生を遂げても、結句生きとし生けるもののすべては、自らの意思で自らの骸をシマツすることすら叶いません。泳いでいたのかただ流されていたのか自分にも他人にももはや分別のつかない肉塊と化し、焼かれるにせよ朽ちるにせよあるいは食われるにせよ、果てしなく永遠に近い空《くう》の中を生き変わり死に変わり、やがては不可逆的なエントロピーの流れの果てで、すべてが等しくひとつの存在へと収束、いえ、拡散、いえ、相対化不能のなんだかよくわからないもの、空《くう》の最終型へと帰結して行きます。
…………ふっ。
♪ 枯葉散る〜夕〜暮れは〜 ♪ 来る日の寒さを〜ものがたり〜 ♪
♪ 雨に壊れた〜ベンチには〜 ♪ 愛をささやく〜歌〜もない〜〜〜 ♪
♪ こひびとよほぉ〜〜〜〜〜 ♪
ああ、あの愛しいぶよんとしてしまりのないお方は、今頃どうしていらっしゃるのでしょう…………。
――はい! 失礼いたしました! 生きとし生けるものすべての中でもすっげーめずらしい、物好きとゆーかとっても知性派《ひまじん》なよいこのみなさん、こんにちはー!
さて、秋の木漏れ日のごとく美しい言の葉をつむぐせんせいの憂いに満ちたよこがおを、このまま永遠に見惚れていたいとゆー皆さんのお気持ちも山々ですが、せんせい、やっぱし正しい教育者として、けなげなたかちゃんたちのおはなしを、こんかいも語り続けなければなりません。
それはせんせいがみなさんを心から愛すればこそ、などとゆーのは単なるタテマエで、おはなしづくりのぶよんとしてしまりのないひとが先の見えない人生をただかわゆいたかちゃんたちとテキトーに遊んですごしたいだけなんだけども、そんだけだとちょっとなんかいろいろサミシイので、ひとりでも多くの読者《ぎせいしゃ》をたかちゃんワールドに引きずりこみたいだけ――そんな虚しい真実は、もーきれいさっぱり、気づかないふりをし続けてくださいね。
しかしおはなしづくりのひとのおきもちとはうらはらに、せんせい、やはりあの南海の孤島で愛しいお方と過ごしたつかのまの幸福な日々が、この優美な黒髪に隠された繊細な脳裏を、走馬燈のように去来してなりません。
――天空に響き渡る一発の銃声、魔法のように落下する一羽の海鳥――。
わが愛する勇敢な夫は、生命を賭して海底から回収した狩猟用ライフルを駆使し、いったんは土人さんたちをみごとに制しました。
そうして南の島に仮の宿りを得た美しい若夫婦は、人食い土人さんたちに食べられることもなく、平和的にライフルでつっついて文明的にアゴでコキつかいながら、つかのまの平穏を満喫しておりました。
しかし、そうした『クロスオーバー恫喝法』には、どーしても限界があります。
そう、弾が尽きるとそれっきりなのですね。
それまで銃そのものを知らなかった土人さんたちは、たしかにその人智を越えた威力に、神秘性を錯覚してくれます。しかしそれは確かに宗教的感情の一面ではありますが、「なんだかよくわかんないけどとっても凄くて怖い」、つまりあくまで『恫喝』が勝っているのであり、真の『神性』――「なんだかよくわかんないけどとっても凄くてありがたい」、そこまでは至っておりません。積極的帰依ではなく、あくまで消極的服従です。
これがおもいっきし原始的な土人さんたちでなく、ちゅーとはんぱに宗教的哲学を形成しつつある未開部族などでしたら、かえって楽なのですね。『銃』という未知のテクノロジーを、勝手に超越者的な神力と錯覚し、その弾が尽きてからでも、後生大事に『神の象徴』として祭り上げてくれたりします。しかし文化人類学などを囓ったよいこでも案外勘違いしている方が多いのですが、純粋な原始生活を保った土人さんとゆーものは、妙な宗教的概念など、もーきれいさっぱり抱いておりません。普通の野生動物同様、いえ、野生動物よりももっといきあたりばったりに、なんとなくだらだらと生まれたり群れたりくっついたり死んだりしているだけです。アミニズムの原型とも言える『精霊』的な存在は漠然と認識している場合が多いようですが、それはあくまで天然の事象に対する彼らなりの『把握』であって、けしてまだ神ではありません。
せめて言葉でも通じたら、海千山千の国際経済界でしぶとく姑息に連綿と弱者をシャブり尽くしながら成り上がってきた財閥の家系に繋がる愛しい夫のこと、言葉巧みに『神性』を演出できたのかもしれませんが、なにせ手元に残ったのがカラの鉄砲だけです。必死こいて再度スダールさんの触手をくぐり抜けつつ海底探査を試みても、引き上げに成功したのは舶来本革超高級カード入れのみ。その中には当然とんでもねーケタの口座のカードやら無制限VIPクレジットカードやらがしこたま入っていたのですが、残念ながら南海の孤島には、キャッシュ・ディスペンサーも窓口のおねーちゃんも存在しません。銀行そのものがないからです。まああったにしても、セコい紙切れを何億枚引き出したところで、そんな島ではせいぜい焚き火の燃料にしかなりません。また南海の孤島には、オンライン・レジもインプリンターも無論ございません。お店のカウンターそのものがないからです。
当然、日々黙々と食料を分けて下さっていた純朴な土人さんたちのお顔に、やがてなんらかの疑惑――と言うより、困惑が生じてきます。「えーと、このぶよんとしてしまりのない余所者、おれらいつまで大事にしなきゃならんのかなあ」、そんな視線が見え隠れしてきます。
そこですなおに頭を下げてしまえばいいものを――なにせ北の首領様に匹敵する信念をお持ちの♪ぴー♪ですから、そんな平衡感覚は先天的に持ち合わせておりません。タマの切れたライフルをもっともらしく振りかざし、「もーなにがあってもオレらだけはラクしてぜーたくするのがこの世のキマリなんだかんね」と、純朴な土人さんたちに引き続き君臨するべく、♪ぴー♪特有の澄み荒んだ眼差しで、根拠のない悪あがきを続けます。
それでもなおわたくしは、そんな夫にけなげによりそい、励ましながら日々を送っておりました。
今にして思えば――『愛』ゆえの、過ちでした。
それはあくまで、妻は夫に従って生きそして夫に殉じるもの、そんな大和撫子としての愚かなしかし美しい魂の為せる技であって、けして「ここはできるだけヒッパっといてラクに上前くすねて、いざとなったら手のひら返してトンズラこいちまおう」などという邪念は針の先ほども抱いておりませんでしたので、よいこのみなさんも、もーきれいさっぱり想像しないでくださいね。
そして忘れもしない、あの夜――最愛の夫と最後にすごした夜――夜半ふと目覚めたとき、すでに若夫婦の草葺き住居は、燃え盛る炎につつまれておりました。そう、なんぼ純朴な土人さんたちでも、「どーやらおれら、ずーっとなんか、イジメられてたんじゃないの?」、そんな事実に気がついてしまったのですね。そうと決まれば、文明社会の複雑怪奇な人権思想など無縁の方々ですから、「んじゃ今夜、みんなで焼肉パーティーね」などと、燃え上がる小屋をたいまつ片手に取り巻き、うっほっほ、うっほっほ、と、大いに盛り上がっていらっしゃいます。
悲劇の若夫婦は、かろうじて火の回っていない小窓――裏のジャングルに面した窓に逃れます。しかし、スリムなバディーのわたくしはともかく、めいっぱいぶよんとしてしまりのない夫には、そのセコい小窓を抜けることができません。
迫り来る炎を背に凛々しくわたくしを見つめる夫の目は、明らかに、こう訴えておりました。『俺が奴らを食い止める! たとえ俺がどうなろうと、お前だけは生きてくれ!』
まあ実際の行動としては、真っ先に窓から這い出そうとするわたくしの脚にあさましくとりすがり、「置いてかないでくれよう! いっしょに死んでくれよう!」などと涙ながらに訴えていたのですが、そんな表層的な言葉の裏にある真の愛を読み取れないほど、鈍感なわたくしではございません。
賢い夫もまた、永遠の愛で繋がれた妻の、『いえいえ、わたくしがあの方々を引きつけます! その隙を縫って、あなただけは無事に逃れてください!』といった真心を、「ええいこのウスラデブ邪魔すんじゃねえ!」、そんな表層的な言葉の裏に、きっと読み取ってくださっていたに違いありません。
わたくしは万感の思いに後ろ髪を引かれつつ、もー脇目も振らずにジャングルの闇を駆けました。まだ希望は残されております。土人さんたちの食肉嗜好は、なぜか脂肪層に傾きがちです。常時飢餓状態で生きているからでしょうか、筋肉の整備よりも燃料補給が最優先なのでしょう。ならば、とりあえずでっけーアブラミのカタマリがコンガリ焼け上がっていれば、残りの追求は甘いのではないか――。
しかしわたくしは、己の類い希なナイス・バディーを、過小評価しておりました。
そう、いちぶのオスの土人の方々には、『懐柔法』――別名『うっふん法』が、まだ効力を保っていたのです。
悲しい男の性《さが》なのですねえ。たとえ慢性的栄養失調状態でも、いえ、明日をも知れぬ飢餓状態であればこそ、クイケよりイロケ、繁殖優先――そんな生物学的本能を優先させてしまうオスも、多数存在するのです。
やがてジャングルの闇を抜け、崖の縁に追いつめられる薄幸の美女!
行く手は果て知れぬ虚空、いえ、満天の星夜!
眼下は底知れぬ千尋の谷!
じりじりと迫り来る生蛮どもの群れ!
――と言っても文明社会の鬼畜とは違い、嗜好も思考も一本道の方々ですから、いやがるなんかを集団でむりやりなんかするのもキショクいい、そんな概念は毛頭ありません。「ねえねえ、なんで逃げるのよう」「誘ったのは貴女じゃないですか」「お姉様お願いします!」「はいはい順番に並んで並んで」、そんな純朴な視線ばかりです。
――これは、もう一段階、『上』に抜けられる。
わたくしは確信いたしました。
おりしも満天の星空には、禍々しいほどに美しい月が、真円に輝いております。
そしてその光の中に佇む美女は、卑しい土民になどなんら臆することなく、おもむろに着衣をはだけます。
するする、するする。
南洋の暖気のさなかにありながら、森羅万象凍てついたような蒼《あお》の静寂《しじま》に、ささやかな衣擦れの音が響きます。
やがて一糸まとわぬしなやかな裸身が、月光に、神秘の白に照り映えて、それはもはや精霊の概念をも超越した、『女神』。
――しかし、それはまだ予兆にすぎません。
そう、その直後わたくしがとった行動こそが、『宗教的洗脳法』――人食い土人に食べられない方法の、奥義なのです。
はい、それではわたくし、その場を今この教室で再現いたしますので、土人さんたちは、教壇の前に仲良く並んでくださいね。そしてよいこのみなさんは、とっくとその破壊力を体感してくださいね。
しかしさすがにこの全年齢対象の場で、すっぽんぽんになってしまっては、このおはなし自体がさくじょをくらうおそれがありますので、そこはそれ、このわたくしのナマツバもののボディコン姿をもとに、みなさんの豊かな想像力で、なんかいろいろ画像補完してくださいね。
はいそれでは、これこのように、腰に片手の甲を軽く当て――
もう片手の甲を、軽く口元に上げ――
上体を思うさま天空にそらし――――
おーっほっほっほ!
オーッほっホっホ!――
オーッホッホッホッホ!――――
…………あらあら、じゅんぼくな土人さんたちのみならず、なにもよいこのみなさんまで、教室の床に平伏《ひれふ》さなくとも。
そのようにあさましく額を床にこすりつけ、あなた、恥ずかしくはございませんか?
これこれ、くすぐったい。
いざりよってせんせいのあしをなめてはいけません。
いけません。
つんつん。
――はい! それではすべてのよいこのみなさんが、すなおに女王様《せんせい》の下僕と化したところで、よいこのお話ルーム『たかちゃんのわしづかみ』、つづきのはじまりでーす!
★ ★
さて、よくじつの、おきゅーしょくのお時間のこと――。
たかちゃんのクラスのおんなせんせいは、うまくもない工場生産のくりーむしちゅーを、あんがいおいしくめしあがっておりました。
そう、せいしんてきな安定が、みかくにも影響を与えていたのですね。
このところ芸のキレが悪かった、そしてお給食の時間はとくにたそがれがちだったたかちゃんが、本日のじゅぎょうでは昔日のボケの冴えをとりもどし、かつうまくもない大量生産のシチューで食パンをこねて作るたれぱんだが昔日のたれ具合できちんとたれており、それを反復横跳びさせて最終的にくにこちゃんの口に放りこむ指さばきも全盛時の絶妙さ――そんな、去年以来慣れ親しんだいつもの教室風景が、戻ってきたのです。しかし、その程度で人生のシヤワセを感じてしまうとゆーのは、教師としてどうであれ、にんげんとしてはあきらかに、たかちゃんにはいぼくしております。
なんどもゆーよーに、このおんなせんせいはあくまでおはなしの中のせんせいで、わたくしのように確固たる自我を確立しておりません。教室が仕事場である以上、せーともまたせんせーにとって飯の種。あくまで飯の種であって、飯そのものではありません。人生に従属させるべき職業というものをはきちがえ、職業に人生を従属させてしまっているのですね。
まあそこいらの価値観はひとさまざまですから、三十過ぎて独り身なのも、学生時代以来十年近くどっかが未使用状態でそのうちカビが生えてしまいそうなのも、もちろん個人の自由なのですが、お給食の味さえ生徒のコンディションと重ねてしまうとゆーのは、同じ女教師として、いささかの憐憫を禁じ得ません。
ちなみに、たかちゃんのふっかつが、かなりはなばなしかったのもたしかです。
たとえば、いちじかんめ、こくごの時間には――
「それでは、かたぎりたかこさん」
「はーい」
「かさじぞうさんたちが、おじいさんとおばあさんのおうちに、おもちやおやさいをおとどけしたのは、いったい、なぜでしょう?」
それはもちろん「かさをもらった、おれい」とか、「やさしくしてもらって、うれしかったから」とか、そーした人と人とのやさしい交情がらみのアリフレた答えを導きたいわけで、このところのたかちゃんなら、そんな凡打をむきりょくに返してくるはずでした。
しかしたかちゃんは、なにやらひっしこいて一ぷんも二ふんも考えこんだのち、
「――ふじやが、なかったから」
いきなし、ふっかつです。
ほんらいならいちごみるふぃーゆをおかえししてしかるべき状況において、それがかなわなかったとゆーことは、お山にふじやが出店していなかった、それしか考えられません。
おう――ほかのみんなも、ひさかたぶりに、いきをのみます。そう、それは自由へと続く真理。
「みすどが、ひっこしたから?」
「といざらすが、とおかったから?」
「ぺっとしょっぷで、はむすたーが、うってなかったから?」
次々と自由の世界に旅立ってゆきます。
いまどきモチだのニンジンだのダイコンだのをなんぼ届けられても、家計を握る主婦ならいざしらず、どんだけのガキがありがたがるでしょう。同じクラスだと、くにこちゃんくらいではないでしょうか。
しかしそのくにこちゃんにしてからが、
「こめやとやおやのおやじが、じぞーにほれていたのだ」
などと、胸を張って答えるありさまです。
あわてたせんせいが、
「そーしておじぞーさんたちは、たのしいおうたをうたいながら、ゆきのなかをやってきたのですね。じゃあ、そのときのおじぞーさんたちのようすをかんがえながら、つづきを、よんでね」
などと、ひっしこいてマトモな学習指導案を辿ろうとしても、いったん民話の世界からアンバランス・ゾーンに迷いこんでしまったかさじぞうさんたちは、すんなり歩いてくれません。
石の身でどーやってぞろぞろあるいたのか。
そもそも脚だってないのではないか。
ぴょんぴょんとびはねて移動したのではないか。
いや、石はおもいから、そんなにぴょんぴょんできるのか。
がったいへんしんして、とんだのではないか。
いえいえ、きっとまほうつかいのおばあさんが、かぼちゃの馬車をくりだして――。
もはや授業全体が、せんせいにも収拾不能の、泥沼にハマります。
しかし、その混迷する授業を収束に導いたのもまた、ふっかつたかちゃんでした。
「おじぞーさん、けーたい、もってた」
――は?
かってにぴーちくぱーちく囀っていたよいこたちは、おもいもよらぬどんでんがえしに、いっしゅん、ちんもくします。
――そ、そーだったのか!
驚嘆しつつも、ふかぶかとうなずきあいます。そう、じぶんではうごけないおじぞうさんたちも、けーたいさえ持っていれば、オールOKだったのです。
そうしてゆきのおやまでは、さがわきゅーびんのトラックで集荷されたおじぞうさんたちが、でりばりーでとりよせたおもちやおやさいといっしょに、たのしくおうたをうたいながら、おじーさんとおばーさんのおうちにはこばれていきます。
おもちやおやさいしかはこべなかったのは、お山におもち屋さんとやお屋さんしかなかったのではなくて、けーたいのつかいすぎで、おこづかいがあんまし残っていなかったからなのかもしれません。
とまあそんなふうに、たかちゃんがひつよういじょうの元気をとりもどしてくれたようなので、おんなせんせいは、久々のはいぼくすら、ここちよく受け入れていたのですね。
こうして青梅市立××小学校二年四組は、今日もメメクラゲのように放課後をむかえます。
「せんせー、さよーならー」
「せんせー、またあしたー」
「はいはい、よりみちしちゃ、だめですよー」
おんなせんせいは、教壇でことことと微笑しながら、ちびっこたちを見送ります。
――味方になれば、勝ち負けもなし。
そんなほのぼのとした気持ちにひたっておりますと、誰だか、つんつんとスカートの裾を引く者があります。
「はいはい?」
そこにはたかちゃんが、なにやらおもいつめたひとみで、じいっとせんせいをみつめています。
完全復活を遂げ、授業時間内だけでは物足りず、もう一勝負挑もうとしているのか――せんせいはいっしゅん腰を引きますが、
「……いい、ちち」
わきわき。
「おしりも、いー」
わきわきわき。
こ、これは活力がリミットを振り切ってしまったのか――つまり、イッてしまったのか――いや、高学年のエロガキならいざしらず、小二の女子児童にそれはないだろう――。
そうしてせんせいは、ようやく、悟ります。
教育者として、とっくに気づいているべき児童心理だったのですね。
なまじたかちゃんがほんきーな児童だったため、この時期の児童としてはごく自然なメランコリー症候群、つまり単なる幼児返りの甘えんぼ、そんな側面を見落としていたのです。
日々のベテラン教師としてのローテーション・ワークや、ちかごろこっそりイレこんでいる童話同人誌活動にかまかけて、もっともたいせつな『こころのきょーいく』をおろそかにしてしまった――せんせいは、ふかくおのれをはじます。
そう気づいてしまうと、贖罪の念の反動か、なおさら不憫さや愛しさがこみあげてしまい、せんせいは、やさしくこくりとうなずいて、たかちゃんのまえにしゃがみこみます。
いつのまにかほかのちびっこたちも、くにこちゃんやゆうこちゃんも教壇の前に集まり、固唾を飲んでふたりの延長戦を見守っております。
まあ本来公平を旨とする教師の立場としては、ひとりの生徒にだけそんな過大な愛情を示してしまうとなんかいろいろ不都合なのですが、そこはそれ、幸いたかちゃんのやることですから、他の児童に悪影響はないはずです。なんぼ身の程知らずのガキでも、凡人の身でたかちゃんやくにこちゃんの行動を下手にトレースしようものなら、己の人生それっきりかもしんない、それくらいの知恵は、あるはずですものね。
たかちゃんは、ひまわりのような笑顔をうかべ、まずは、おちちにいどみます。
「わしっ」
もみもみもみ。
さんじゅーすぎでも出産経験がないので、なかなかのもみごたえです。
「……すばらしー」
せんせー自身、ふっふっふ、いかにたかちゃんちのママがナイス・バディーでも、未使用のちちにはかなうまい、などと、内心かちほこります。
そんなびみょーなかんしょくをじゅーにぶんにたんのうしたのち、いよいよ、ほんめいのおしりにかかります。
せんせいもきをきかせて、うしろむきに立ち上がってくれます。
「わしっ」
もみもみ、もみもみ。
半眼となっていっしんふらんにわしづかむたかちゃんでしたが、
「…………!」
そのおかおが、ふと、きんちょーします。
やはりさんじゅーすぎの独身女性教師のおしりには、なにか腑に落ちぬものがあるのでしょうか。
たかちゃんのきんちょーを掌のうごきから察知したせんせいは、はいごをみおろします。
たかちゃんもちょうどみあげていたところだったので、ふたつのしせんが、びみょーに交差します。
「?」
「…………あう」
たかちゃんは、なぜなみだぐんでいるのでしょう。
よくみればそれは哀しみの涙ではなく、むしろプラス方向の精神的衝撃による感情の飽和、そんな熱い涙のようです。
せんせいは、とまどいつつもほほえみをたやさず、どーしたの、というように、こくびをかしげます。
たかちゃんは、すざざざざざざ、とあとずさります。
きょーしつのかべに背中をはりつけ、なみだぐんだまませんせいをみつめ、
「ふるふるふるふる」
このふたりに、いったいなにがあったのだ――むすうのちびっこのまあるいお目々が、せんせいとたかちゃんのあいだを、いったりきたりします。
「え、えと、あの……」
困惑しきったせんせいが、そうつぶやきますと、たかちゃんはぶるんと頭をひとふり、なみだをふりきって、かたくくちびるをむすんだまま、つかつかと教壇に向かって歩き始めます。
そのまんま教壇の机にがしがしよじのぼり、あっけにとられているせんせいを、びしっ、と後ろ手でさししめし、みんなにむかってしゅちょうします。
「えらい!」
たかちゃんいがいのぜんいんが、なにがなんだかわかりません。
たかちゃんはおかまいなしに、きりりと眉をひきしめ、せんせいの片手をとり、高々と差し上げます。
「いっとーしょー!」
いったいなにがいっとーしょーなんだろう――ちびっこたちは、めいっぱいはてなマークを浮かべながらも、
「はい、はくしゅー!」
たかちゃんがそーゆーなら、これはそーとーえらいのかもしんないと、一斉に手を叩きはじめます。
賞賛対象のせんせいもまた、あいかわらず、なにがなんだかよくわかりません。
でも、せっかく満場の拍手をいただいているのですから、往年の美智子妃様もかくやと思われる微笑を浮かべ、ひかえめながら「や、や、や」と、臣民たちに、いえ、ちっこい教え子たちに手を振りかえすのでした。
さて、たかちゃんは、おんなせんせいのちちやしりから、いったいなにをかんじとったのでしょう。
それはたとえば、おんなせんせいの脳髄深く蓄えられていたかつて彼女が担任だったすべての児童のお顔やお名前性格家庭環境その後の進路そしてせんせい自身の彼ら彼女らに対する思い入れ、そんなものがいっきに流れ込んできて感情が飽和してしまったとか、あるいはおんなせんせいがわずかな私的時間を用いて趣味で書き綴っている長編ファンタジー童話のあまりにも繊細な心理描写かつ豊饒なストーリー展開に魂がわなないてしまったとか、それともこれから数年後おんなせんせいは自分の天命を悟り某NGO団体に参加してアフリカ某国の難民キャンプの小学校に赴き、現地の貧しい男性医師を伴侶に得てその後の一生を難民救済と児童教育に捧げ尽くした、そんな未確定の未来を予知してしまい幼心に身も世も有らずのたうちまわってしまったとか、まあ勝手な想像は、なんぼでも可能なわけです。
しかし残念ながら、たかちゃん自身ののーみそは、現時点でやっぱしかなり|カオス状《いーかげん》なので、やみくもにはくしゅしているおなかまに「んむ」などとちからづよくうなずきながら、『このおんなせんせいのためにも、今後の授業中は、誠心誠意ボケまくらなければ』などと、かたくこころにちかっているだけなのでした。
それが、はたしておんなせんせいのホンネにかなった誓いであったかどうか、多少疑問の余地も残るわけですが――どっちみち、人間のホンネなどというものは、その当人にさえ、いつもなんだかよくわからないシロモノですものね。
★ ★
そして、その日の帰り道――。
このところのなんかいろいろで、すっかりわしづかみのかいらくにめざめてしまったたかちゃんたちは、昭和れとろの通学路を、なんだかいつもよりひときわきまぐれに、あっちに行ったりこっちに駆けたりしています。
せかいのはて青梅は今しも爽やかな初夏、並木の木漏れ日が、育ちざかりの青葉さんたちといっしょに、ごきげんでちらちら揺れています。
「わしっ」
たかちゃんは、道ばたのでんしんばしらさんをわしづかみ、にっこしほほえみます。
「でんちゅーさん、げんき!」
ととととととつぎのでんしんばしらさんにかけていき、
「わしっ」
それから、なぜかお顔をくもらせ、
「……だいじょーぶ」
いたわるように、ぽんぽんしてあげます。
いっけんおんなしような電柱さんたちでも、ひとには言えない、いろんな人生があるのでしょうか。
「じんせい、あめのひもあれば、はれるひもある」
それはそうですね。
またそうした天運は、なにも外的環境だけとは限りません。おんなしように電線を支えておんなしように一年中佇んでいても、その仕事に「名もない我々こそが人類の文明を支えているのだ」と矜持をもって日々踏ん張っている電柱さんもいれば、「でも俺はここで一生ボケーっと電信柱やってていーんだろーか」、そんな疑問を抱いてしまう若い電柱さんなどもいるでしょうし、あるいは藤村操青年のように「人生これ不可解なり」と、華厳の滝からダイブしてしまうタイプの電柱さんもいるでしょう。
たかちゃんは、でんしんばしらさんをくりくりしてあげながら、お空をゆびさします。
「みてみて、あおいそら。んでもって、しろいくも」
たかちゃんの脳裏に、たかちゃん以上にむせきにんだったパパ方のおじいちゃんのいでんしきおくが、ありありとよみがえります。
「そのうち、なんとか、なるだろー」
こんきょのカケラもないフレーズでも、人を動かすのは、理屈ではなく言霊です。
やがてたかちゃんがにっこし笑ったところをみると、きっとその電柱さんも、ぶじにふっきれてくれたのでしょう。
はんたいがわの道ばたでは、くにこちゃんが、お地蔵さんをわしづかんでおります。
「んむ。まいにち、ごくろーさんだ」
合掌。
「なまんだぶなまんだぶなまんだぶ。――おたがい、がんばろー」
そしてゆうこちゃんは、ちょっと離れた道ばたにしゃがみこみ、路肩の日だまりで丸くなっているのらねこさんを、おずおずとみつめております。
でっかいぼたもちのように盛り上がっているそのみけねこさんが、ともこちゃんみたいにやーらかそうなので、さっきから、わしづかみたくてたまりません。
ちなみにねこちゃん関係においては、ゆうこちゃんも、けっしてうぶなねんねではありません。もうずいぶんながくこのしりーずのれぎゅらーを張っておりますので、体長三メートルの巨大白猫さんにまたがり地底獣国を疾駆したこともありますし、しぇいくのお屋台を引く巨大猫さんなどにも慣れ親しんでおります。でも、みずしらずののらねこさんだと、まだどーしても、気後れしてしまうのですね。
「どきどき」
勇を奮って、おずおずと、ちっちゃなお手々をさしだしてみます。
「んぎゃ」
みけねこさんは不機嫌にひと鳴きして、きやすくさわんじゃねーよ、と言うように、そっぽをむいてしまいます。ゆうこちゃんは、気後れを悟られて、ナメられてしまったのですね。
みかねたくにこちゃんが、協力してあげます。
「わしっ」
「ふぎゃー!」
いっしゅん牙を剥き飛び退いて、その手を振り払うのらねこさんでしたが、わしづかんだのがゆうこちゃんではなくくにこちゃんだと気づくと、アセって大の字に寝っ転がり、おなかをさらして恭順の意を示します。
「な〜」
そう、青梅界隈の野良猫や野良犬や野生動物のヒエラルキーにおいては、常にくにこちゃんが最上位なのです。
「ほれ、いまのうちだ」
「……こくこく」
大ボスに促されて自分のおなかをくりくりする情婦らしい人間の指使いが、思いのほか慈愛に満ちていたので、のらねこさんは心から安堵します。――よかった、この姐さんは優しい雌《ひと》なのだ。
「ごろごろごろ」
「……ぽ」
くにこちゃんは、そんなふたりの交情を確認し、まんぞくげにうなずきます。
そして、じぶんはよりてごたえのあるわしづかみをもとめ、みちばたの草むらに目をやります。
そこでは時あたかも、多摩丘陵に巣くう野犬の群れが、下界探食活動のため、街にくりだそうとしております。
南から流れて来たばかりの群れなのでしょうか、先頭をゆく巨大かつ獰猛な土佐系の雄と、殺気を帯びたくにこちゃんのお目々が、ぎらり、と交差します。
「……なかなか、やるな」
「……ぐるぐるる」
おまえもな、とか、言ったのでしょうか。
さて、はいごでそんなきんぱくの展開がくりひろげられているとは露知らず、たかちゃんはあいかわらずのーてんきに、あっちこっちととととととかけまわっております。
いけがきのさざんかさん――みんな、なかよし。
ついじべい(築地塀)のかわら(瓦)さん――柿の木さんと、らぶらぶ。
ひのみやぐらさん――おとこらしく、もえている。
んでもって、つぎは…………。
あっちこっち目移りしたのち、たかちゃんは、ポストさんにかけよりました。せかいのはて青梅にふさわしく、なんどもペンキで塗り直されてごじら肌になってしまった、まあるいゆーびんポストさんです。
「わしっ」
いっけんまっかっかで元気そうなポストさんだったのですが、くりくりとくりくりするうち、ふたたびなんらかの危惧を感じたのでしょうか、たかちゃんは、お顔をくもらせます。
「……ぽすとさん、おびょーき?」
そんなたかちゃんに、くにこちゃんとゆうこちゃんが、追いついてきます。
くにこちゃんは、土佐犬さんのふくぶを、はんどばっぐのようにわしづかんだままです。
土佐犬さんは、さかさにえびぞってもちはこばれる屈辱に耐えながら、それでも死ぬよりはましと、けなげにしっぽをふりまくっております。なお、ほかの野犬さんたちも、あたらしいボスを追ってきて、その場におなかをさらして媚びまくっております。
「どーした、たかこ」
「ぽすとさん、おなか、いたいって」
「ほう。それは、いけない」
くにこちゃんもゆうこちゃんも、しんぱいそうにのぞきこみます。
ゆうこちゃんに抱かれたのらねこさんも、しんぱいそう――しんぱいなのではないかと思われる猫顔で、なー、と鳴きます。ちなみにのらねこさんにとってのたかちゃんは、おおむね同列、同い年のイトコ的感覚だったりします。
「くいすぎか?」
くにこちゃんは、ぽすとさんのおなかの扉を、開いてみます。
「どれどれ」
当然堅く施錠されているのでしょうが、くにこちゃんの指力くらいになると、どんな鍵でもその存在自体がむいみなのですね。
ぱか。
ばさばさばさ――いえ、都会とはちがい、そんな音は続きません。ひとつかみほどの葉書や封筒が、底にたまっているだけです。
「くいすぎじゃあ、ないな」
「こくこく」
「んじゃ、きっと、わるいものをくってしまったのだ」
しょうみきげんの切れたはがきがないか、くさったふうとうはないか――たかちゃんたちは、ゆーびんぶつの鮮度チェックをはじめます。
くんくん。
しげしげ。
なでなで。
「あ」
たかちゃんが、ふうとうのひとつを手に、うに、とまゆをひそめました。
「……くさってる」
くにこちゃんやゆうこちゃん、そしてのらいぬさんたちやのらねこさんも、いっしょになってふんふんと、その封筒をあらためます。
表書きや裏書きは、なにか錯乱したように曲がっておりますが、いちおうきちんと書いてあるようです。もっとも『東京都青梅市』いがいは、まだよめない漢字ばっかしなので、このさいむしするしかありません。
「まだ、くえそうだぞ」
くにこちゃんの評価基準は別にして、のらいぬさんたちの鋭敏な臭覚をもってしても、とくにいじょうはかんじられません。
しかしたかちゃんは、
「でも、もう、どろどろ。いと、ひいてる」
臭いではなく触感、いえ、わしづかみ感で判断したのですね。
かたこがそーゆーなら――くにこちゃんは、おもむろにらんどせるを置いて、中からいちまいのおふだをとりだします。
「これは、はまふだとゆー、ありがたい、おふだだ」
一般に破魔札は小学二年生のらんどせるに入っておりませんが、まあくにこちゃんの場合、なぜだか常時入っているのですね。
くにこちゃんはそのおふだを、ぺたん、と、ふうとうにのっけてみます。
ぶすぶすぶす。
おふだはみるみる茶色に変色し、煙を上げ、やがて燃え尽きてしまいました。しかし封筒は、まえのまんま、きれいに残っております。
「……おう」
「んむ。このふうとうのけがれは、ただものではない。のろいだな。はまふだが、まけてしまった」
ゆうこちゃんは、くにこちゃんのおせなかで、ひっつき虫と化します。
「ぷるぷる、ぷるぷる」
「んでも、だいじょぶだ」
くにこちゃんは、またらんどせるをあけ、こんどは弓矢をとりだします。
一般に弓矢は一般のらんどせるよりも長いものなのですが、まあくにこちゃんのらんどせるの場合、なぜだか出てきてしまうのですね。
「これは、はまゆみとはまやとゆー、ひっさつのこーげきあいてむだ。んでも、このばあい、のろいがえしにつかう」
くにこちゃんは、矢の先でぶすりと封筒を貫き、そのまんま弓につがえます。
なんだかすっげーかっこいいしーくぇんすっぽいので、たかちゃんは、主役あたし主役あたし、と、ぼでぃーらんげーじで、つよくしゅちょうします。
「いんや、こればっかしは、おれのしごとだ」
凛と見かえすくにこちゃんの気迫に、たかちゃんは、やむをえず見せ場を譲ります。
「……こくこく」
まあヒーロー役よりも個性的脇役のほうが、げいのうかいでは、あんがい息が長かったりしがちですものね。
くにこちゃんのぜんしんに、きあいがみなぎります。
「おん まからぎゃ ばぞろうしゅにしゃ ばざらさとば じゃく うん ばく!」
きりきりきりきり――――びゅん!
その矢は蒼穹に限りなく孤を描き、奥多摩丘陵の果てへと消えていきます。
くにこちゃんのぜんしんから、ふっ、と、力がぬけます。
「……どこのどなたかはぞんぜぬが、そのこころ、いまだせーどーにつながるあいろぞ」
むやみやたらとかっこよさげなので、たかちゃんはわくわくとおたずねします。
「ねえねえ、どーゆー、いみ?」
「しらん」
くにこちゃんは、あっさりいいきります。
「おししょーさんが、このまい、そーゆってたのだ」
門前の小僧習わぬ経を読む――一般には理解を伴わない丸暗記を揶揄する諺と思われがちですが、たとえば儒教における『論語』の素読などでは、それでいい、とされております。人間は一生経文や教科書を持ち歩いて暮らすわけにはまいりません。文字や言葉そのものが意識に定着されていれば、その解釈は、時に応じていつでも可能です。また自分の成長に応じて徐々に解釈したほうが、有益な言葉も多くあります。それに、いわゆる言霊というものは、言葉そのものが意味と一体化した存在ですから、それを唱えるだけで意味のエッセンスをある程度伝達可能なのですね。
くにこちゃんのばあい、なんでのろいがえしのときに、不動明王様に有無を言わさずガチンコで調伏してもらったり、孔雀明王様にぱっくり食ってもらったりしてはいけないのか、まだわかっておりません。あくまでお師匠様がその際は愛染明王様の加護を頼んでいるので、その真言を唱えただけです。またおししょーさん独自のキメぜりふ、「何処の何方かは存ぜぬが、その心、未だ正道に繋がる隘路ぞ」、そのいみも、まったくわかりません。呪詛の本質はあくまでコミュニケーションであり、閉ざされた悪意でない限り、呪われた者だけでなく呪った者も、まだまだ救われる道はある――そんなお師匠様なりの解釈なのでしょう。
まあくにこちゃんはまだななつなので、そこまでの悟りは開いておりません。でも、不動明王様や孔雀明王様とはすでにおなじみですから、たとえばこんかいの封筒が右翼団体の名を借りた♪ぴー♪たちによる朝●学校へのカミソリ入り脅迫状などだったら、たかちゃんの手を借りずともじぶんでその閉ざされた悪意を察知し、不動明王様を呼び出して差出人に封筒を返送してもらい、ついでにその♪ぴー♪たちを、ひとりのこらず来世のしゅぎょーに送ってやったところでしょう。また、その封筒が、進退窮まった薬害被害者による厚生労働省への怨嗟に満ちた私信だったりしたら、手紙といっしょに孔雀明王様をきちんと宛先まで送りつけて、ついでに霞ヶ関の税金泥棒や製薬会社の天下り重役を、五〜六人ほどつんつん飲み下してもらったかもしれません。
ですからこんかいの場合、愛染明王様と繋がっていたのは実はくにこちゃんではなく、かげのしゅやくはあくまでたかちゃんであった、そんな可能性もアリなのですね。
一例を挙げますと――破魔矢の飛び去った先は、実は青梅に住むOLのA子(仮名)二十二歳独身が、息子と称する生後間もない乳児と共に宿を取った八ヶ岳のホテル近くの湖であり、そのホテルは実は彼女が高卒新入社員の頃に社内旅行で妻子持ちのアブラ中年上司に手籠めにされてしまったホテルであり、それでもその上司は子供のできない妻と離婚して必ずA子と結婚してくれるというのでずるずると関係を続けてしまい、いつしか心から愛するまでに至っていたのに、昨年その妻が妊娠すると上司は掌を返したようにA子を疎み始め、やがて妻が高齢出産に成功し息子が生まれると交際の証拠がないのを良いことにA子との関係を金で清算しようと迫り、愛憎に錯乱したA子は産院から乳児を誘拐、いっしょに死んで貴男の家庭を永遠に呪ってやると遺書をしたためて昨夜ポストに投函、いましもホテル近くの湖に乳児を抱いて沈もうとしている――そんなみえみえの土ワイ設定である可能性もあるわけです。
しかしあくまでこのおはなしは、土ワイではなく『よいこのおはなしルーム』ですので、市原悦子さんも船越英一郎さんも駆けつけません。かわりになんだかよくわからない光り物が東南東方向から飛んできて、ブスリとA子と乳児を貫いた、と思いきや、突き立った矢羽根から後光を発しつつ湖上に現れたのは烈火のごとき憤怒相の愛染明王様、しかしその御心には限りなき慈悲溢れ、生きとし生けるものすべてに愛と正道を――。
★ ★
ふう。
……せんせい、ちょっとこんかい漢字と長文がおおくてくたびれてしまったので、あとはよいこのみなさん、かってになんかいろいろ、のうないほかんしてくださいね。
あらあら、どなたですか、そんななげやりなおはなしは、続きなんか聞いてやるもんか、そんなこころねのまがったことをおっしゃる、わるいよいこのかたは――などとパターン・ギャグをカマすひつようは、もう、ございませんね。
あらあら、そのようにみなさん、わたくしの美脚にわらわらととりすがり、おねがいですからえいえんにそのありがたいおこえをおきかせください、などと、なみだやはなじるをたれながしにしてはいけません。
いけません。
つんつん。
……しかたがありませんねえ。
そんなあさましいお姿におこたえするのも、『宗教的洗脳法』によって衆愚の頂点に君臨してしまった者の、宿命なのでしょう。
それでは、オマケていどに、もうちょこっと。
★ ★
そうして、ぽすとさんのおなかをきれいにしてあげたたかちゃんは、ねんのため、もういっぺんぽすとさんをわしづかんでみます。
「わしっ」
「どうだ?」
「……いたくないけど、おなかんなか、さむい」
くにこちゃんは、ぽすとさんのおなかの扉が開いたままなのにきづき、ぱたん、としめてあげます。
きー。
しめたとびらが、また、ひらきます。
「…………」
ぱたん。
きー。
「…………」
さっき、くにこちゃんが、自覚なしで錠前部分をはかいしてしまったのですね。
「……きにするな」
くにこちゃんは、こわいおかおで、ぽすとさんを諭します。
「きっとまだ、わるいざんりゅーしねんが、のこっているのだ。ひとばんかぜをとおすくらいで、ちょうど、いい」
もちろん、くちからでまかせです。
「あの、あの……」
ゆうこちゃんが、おずおずと、工作でつかったせろはんてーぷをさしだします。
「おう」
「んむ」
くにこちゃんはにっこし笑ってむねをはり、またぽすとさんを諭します。
「んでもやっぱし、かぜをひくといけない。しめといてやろう」
くにこちゃんとゆうこちゃんがぽすとさんのおなかをはりはりしているあいだに、たかちゃんはお絵かき帳とくれよんをとりだし、なにやらかきかきしはじめます。
かきかき。
「……うーんと」
また、かきかき。
そんでもって、べりべり。
ぽすとさんのおくちに、ぺたり。
☆ ちょっと、まだ、びょーき。 えさ、きんし! ☆
これで、かんぺきです。ひっぱりだしてしまったほかのおはがきやおてがみは、つぎのぽすとさんにたべさせてあげれば、ノー・プロブレムです。
「あ、いかん!」
くにこちゃんが叫びます。
「あんましおそくなると、にじゅーえんが、じゅーえんになってしまう」
はやくかえって、ともこちゃんのおせわをしなければいけません。
名もなく貧しく美しい、いえ、ちかごろちょっと名だけはあるけどやっぱし貧しいくにこちゃんのおうちでは、ともこちゃんの養育費も、十円単位で設定されているのですね。
あわててかけだすくにこちゃんを追って、たかちゃんとゆうこちゃんも、とととととと駆けだします。
のらいぬさんのむれも、わんわんわわんとボスを追います。
もっともたかちゃんは、駆けながら、道筋のなんかいろいろをかたっぱしからわしづかまなければならないので、のらねこさんを抱いたままのゆーこちゃんより、さらにおくれぎみです。
しんごーきさん――まじめで、むくち。
ほどーきょーさん――ちょっと、むせきにん。
ふらわーぽっどさん――はでずき。
きっさてんのよこのろじの、ぽりばけつさん――まんぷくで、ごきげん。
ふるどうぐやさんのまえの、でっかいたぬきさん…………とくになんにもかんがえてない。
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