たかちゃんのわしづかみ









   
よんかいめ  〜 わしづかみの、おうよう 〜


 ちゃぶ台に敷かれたタオルの上に、ぷくぷくの赤ん坊が、すっぽんぽんで転がっております。
 ともこちゃん――今年のふゆに生まれたばかりの、くにこちゃんのいもーとです。
「あぶう」
 えんがわからさしこむ初夏の午後の日ざしを浴びて、ごきげんでお手々やお足をぱたぱたさせる様子は、いっけん、もんくなしにげんきな女児ですが、
「おれのけーさんだと、もっとでっかく、なってるはずなんだがなあ」
 おねいさんのくにこちゃんは、ぱたぱたと天瓜粉《てんかふん》をはたきながら、ちょっと不満そうです。
「よーちえんまでに、ごりらくらいになってないと、しょーらい、ごじらみたくなれない」
 生後四か月にしてこんだけ大きい人間の乳児は、むしろ生物学的に異常と言っていいのですが、くにこちゃんとしては、産後しばらくの体重増加率で、そのまんま果てしなく巨大化してくれると思っていたのですね。
 たかちゃんは、あたしもあたしも、と、天瓜粉のパフをようきゅうします。ともこちゃんの養育を、このまますべてくにこちゃんにゆだねていたのでは、ごじらほどではないにしろ、なにかおそるべきせーぶつに育ってしまうのではないか――そんなふあんも、ちょっぴりあったりします。
 そのふあんは、客観的に見ても、けして杞憂ではありません。
 未だゼロ歳にして七歳のくにこちゃんもかくやと思われるほどのミルクの飲みっぷり、さっきとっかえてあげたおしめにくっついていた、健康そのものの発酵臭かつ色ツヤの超大量うんち、それからえんがわにたらいを出してお風呂に入れてあげたときの、それがちっぽけなたらいではなく悠久の太平洋であったら、そのまんま東進してカリフォルニア沿岸まで泳いで行ってしまいそうなバタ足のイキオイ――どこをとっても、さほど日を経ずにして、くにこちゃんと互角の勝負をしそうな予感がします。
「んじゃ、おれは、ちょっと店をみてくる」
「ほーい」
 たかちゃんは、はりきって後を引き継ぎます。
 今どきどこで売っているものやら、でっかいお徳用丸缶の天瓜粉――現代語で言えばベビーパウダーを抱え、
「ぱたぱた、ぱたぱた」
 げんきにそだってくれますよーに、でも、くにこちゃんほどにはげんきにそだってくれませんよーに――。
 たかちゃんとしては、そんな願いをこめてやさあしくぱふぱふしてあげたつもりなのですが、なにしろ赤ん坊をいじくるのは事実上初体験、ぱふぱふ加減の制御を誤り、ともこちゃんはなんだかまっしろけっけになってしまいます。
「くしゅん、くしゅん」
 まるで片栗粉をまぶされたつきたてのおもちが、くしゃみをしているようです。
 こりゃちょっとまずったかなあ――しばし今後の挙動に窮したのち、とことんむせきにんなたかちゃんは、姑息な責任転嫁を謀ります。
 となりのゆうこちゃんに、にっこしほほえみかけ、
「ほーい、つぎ、ゆーこちゃん」
 とつぜんパフを突き付けられたゆうこちゃんは、そんなたかちゃんの邪心を知る由もなく、おっかなびっくり事後処理を試みます。
「ちまちま、ちまちま」
 あっちこっちダマになりそうな大量の天瓜粉を、ちょんちょんと丸缶に回収しようとしますが、
「だあ」
 とつぜん、ともこちゃんのお手々ふりふりこうげきを受け、
「あ」
 うっかり丸缶ごと、ひっくりかえしてしまいます。
 ぼわ!
 たちまちのうちに、もうもうと、きょだいな白雲が生じます。
 もはや白雲というより、ともこちゃんを爆心としたちゃぶ台直径の小規模核爆発によるキノコ雲、そんな感じでしょうか。
 こ、こりはたいへん――アセって抱き合うたかちゃんとゆうこちゃんを尻目に、すでにうるとらまんの『まぼろしの雪山』と化したちゃぶ台の上では、ともこちゃんが伝説怪獣ウーのように白煙を巻き上げながら、ごきげんでのたうちまわっているようです。
「きゃはは、くしゅん、きゃはははは」 
 とにかくこの惨状をなんとか収拾しなければ――もとい、じぶんたちのじゅーだいな過失を少しでも隠蔽しなければ。
 たかちゃんは、勝手知ったる他人の家、押し入れから電気掃除機を引っぱりだし、茶の間中に広がりつつある天瓜粉を吸い取ろうとします。でも、あんましあわてていたので、なんかいろいろさらにしくじってしまい――
 ぶぼぼぼぼ。
「ひでででで」
 さきっちょの外れたホースで、じぶんのほっぺたを吸いつけてしまいます。
「あうあう、ほっぺ、もげる」
 落ち着いてスイッチを切ればいいものを、やっぱりガキなのですね。
 いつもはれいせいなゆうこちゃんまで、頭がとっちらかってしまい、
「きゃあきゃあきゃあきゃあ」
 いっしょになってなんかいろいろしくじりを重ねた結果、ようやくたかちゃんのほっぺをはずしたものの――
 ぶぼぼぼぼぼぼ。
「ひんひんひんひん」
 ゆうこちゃんのほっぺたまで、吸いつけてしまいます。
「……なにやってんだ、おまいら」
 ちょうどお店から戻ってきたくにこちゃんは、
「これは、あぶないから、ぺけだ」
 さすがに修行を積んだ小坊主候補、あきれながらもあわてずさわがず、掃除機のスイッチを切ってあげます。
「あかんぼのおはだは、おまいらのほっぺたよりも、ずっと、でりけーとなのだ」
「……こくこく」
 たかちゃんとゆうこちゃんは、仲良くほっぺたの片方ずつをまあるく真っ赤にして、うなだれております。
「んでも、このくもも、なんとかしなきゃなあ」
 きゃははははと湧き上がり続ける天瓜粉の雲をながめるうち、くにこちゃんはふと目を見張り、やがて、ぼーぜんとつぶやきます。
「……いま、ともこ、立ってなかったか?」
 たかちゃんとゆうこちゃんも、雪煙の中に、そんなちっこい人影を認めた気がします。
「……こくこく」
「……こくこく」
 しかし、まだはいはいもできないはず――さんにんそろって目をすぼめますが、大量のパウダー雲に紛れて、正確な事態は把握できません。
 くにこちゃんは、縁側に置いたままのでっかいたらいを、軽々と茶の間まで運びこみます。
「どすこい」
 それから、その残り湯を雲の中に振りかけはじめます。
「ちゃぷちゃぷ、ぱたぱた」
 たかちゃんとゆうこちゃんも、協力します。
「ちゃぷちゃぷ」
「ちょんちょん」
 さすがは平成の世に残された昭和レトロ地帯・青梅育ちの三にんぐみ、あすふぁるとの道ではなく、土の地面への『打ち水』なども、手慣れたものです。
 やがて雲の消えたちゃぶ台の上では、
「あぶ、あぶ」
 かつてともこちゃんであった白粉の塊が、なかば水気を含んで、うにうにと蠢いております。
「……気のせいか」
 やっぱりまだ立っていないようなので、ちょっとがっかりの、くにこちゃんです。
 もっともゼロ歳児としては、そんな粘着性のコロモにまみれてまだ立ち上がるようでしたら、それこそバケモノでしょうけどね。
「……んでも、これはとっても、んまそーだ」
 くにこちゃんのお目々が、あやしくひかります。
 ほどよく下ごしらえを終えた唐揚げ用の赤ん坊、そんな感じでしょうか。 
「このまんま、あぶらで、あげてみるか」
 こりは、あぶない――たかちゃんは、あわててともこちゃんを抱きかかえ、くにこちゃんの視界から隠します。
 ゆうこちゃんも、けなげにおおいかぶさり、身を挺して幼い命を守ろうとします。
「じょーだんだ」
 くにこちゃんは、あっけらかんと笑います。
「なんぼおれがはらへらしでも、じぶんのいもーとは、くわない」
 他人の妹なら、食べるのでしょうか。
 お店のほうから、ひ弱な双子の弟たちが、おどおどと茶の間を窺っております。
 ぼくたちは、赤んぼうの内に食べられないで、よかったなあ――そんな感慨に耽っているのかもしれません。


     ★          ★


 はーい! いちおくにせんまんの中ではもはや無に等しい頭数のよいこのみなさん、こんにちはー! 
 そしてクソに育てられてクソに育ってしまった北の首領様だの、お坊ちゃま育ちで当たり障りがないだけが取り柄の八方美人新首相だの、陰湿なイジメや惰弱なイジメラレだの、あいかわらず目先の表層的な事象しか認知できないいちおくにせんまん総アルツ初期症状のよいこのみなさんも、こんにちはー!
 さらに本年度ノーベル平和賞受賞者ムハマド・ユヌスさんが資本主義に投げかけた根本的な問いかけなど、めさきの小金だけに囚われてちっとも認識できない『勝ち組』『負け組』いっしょくたに『ド目ぴー』な、無慮数十億のよいこのみなさんも、こんにちはー! おひさしぶりの、せんせいでーす。


 さて、なんだかこんかいは、小津安二郎監督ばりの畳面固定アングルでアンチ・クライマックスな世界が果てしなく続いてしまうのではないか、そんなふあんを覚えていらっしゃるよいこの方々も少なくないのではないかと思われますが、こーしてせんせいがしゅつげんしてしまった限り、そんなしんぱいはごむようですよ。
 ほれこのとーり、前回に引き続き、純朴な人食い土人の皆様も、うっほっほ、うっほっほと、ことのほか元気に踊りまくっていらっしゃいます。ふだんは過酷な環境で乾ききったお肌が、このようにツヤツヤしていらっしゃるのは、きっとぜんかい、ある種の動物性蛋白質をたっぷりと摂取したおかげですね。


 ちかごろお肌の衰えなど憂いていらっしゃる、もうわかくないおんなのよいこのみなさん、ばかたけーだけの化粧品をあさましく買いこんで、そのシワなんぞあってもなくてもなんら審美的に影響のない路傍のペンペン草のような上っ面にせっせこせっせこ塗り込んで、目の色変えながら貯めこんだオゼゼを化粧品会社などという下水道に虚しく投棄しなくても、ほんのちょっとした日々のお食事の工夫で、なんぼでも若返りは可能なのですよ。
 でも、その工夫を明確に教唆してしまうと、なんかいろいろヤバいので、ここではっきりとお教えすることはできませんが――そうですね、こんなヒントだけさしあげておきましょう。
 巷では、未だに菜食主義が老化防止にいいなどという説が根強く流布しておりますが、それは、人間というものの系統発生的見地を無視した、きわめて非科学的・非合理的な迷信と言えます。もちろんお野菜も、人間の栄養バランス上ある程度摂取しなければいけないのは確かですが、やはり人間の皮膚や筋肉を効率的に再生するには、日々の動物性蛋白質摂取が欠かせません。
 そして系統発生的な見地から科学的に結論しますと、その動物性蛋白質は、できる限りその個体の種に近いものを摂取するのが、より効率的なのです。つまり、牛さんや豚さんや鳥さんよりも、たとえばお猿さんなどが望ましいということですね。しかしお猿さんのお肉は、あんまし肉屋さんに並んでおりません。ワンちゃんや猫ちゃんや鳩さんならば、道端で餌付けしてそのまんま拉致してシメてサバいてしまう、そんな自給自足も可能でしょうが、お猿さんはなかなかすばしこいものですし、あんまし道や公園を歩いておりません。でも、しんぱいはございませんよ。お猿さんに良く似た、そしてお猿さんよりさらに効率的なイキモノならば、なんぼでもそこいらを徘徊しております。
 はい、いちぶ勘の良いよいこのみなさんは、そろそろお気づきですね。
 そう、あなたの疲れたお肌や衰えた筋肉の再生を、もっとも手っ取り早く促してくれるのは――あなたとまったく同じ種の――うふ、うふふ、うふふふふふふふ。


 ちなみに、その最も効率的な動物性蛋白質摂取を実行に移す場合、くれぐれも「コイツは弱くて狩りやすそう」とか「コイツは生きていてもしょうがない」などと、あなたの濁りきった視線やスカポンタンな脳味噌で判断し、かるはずみに捕食してはいけませんよ。
 人間社会に複雑化という名の白痴化が進めば進むほど、ハンニバル・レクター博士やらマルキ・ド・サド侯爵やらを持ち上げるスカポンタン野郎が増殖しがちですが、そーしたスカポンタン野郎に限って、一般社会においては自分が最も存在価値の低い♪ぴー♪である、そんな事実に気づけないものです。
 ですからあなたがソレらを捕食しようと決意した場合、その時点であなた自身が社会的に最も存在価値の低い♪ぴー♪であるのは明白ですので、くれぐれも、同程度の♪ぴー♪を捕食対象に選んでくださいね。♪ぴー♪同士でぶざまに共食いしあって死に絶える、そんなのも、世のため人のため、たいへんすばらしいことです。


 ――はいはい?
 前回のマクラはどうなった?
 前回からの引っぱりだと、今回の余談は、原始的部族を懐柔するための『宗教的洗脳法』のはずではなかったか――ですって?
 ……ちっ。
 はい、そこの米国産牛肉、しかも危険部位入りまくりの安挽肉加工食品しか食べられず脳味噌が海綿状になってしまったのではないかと思われるウツロなお目々のよいこの方、あなたの今のご指摘は、現在のお話作りの方に対して、きわめて適確な指摘です。
 ぶっちゃけ、このおはなしのおはなしづくりのひと、別名バニラダヌキ、あるいはかばうまさんによく似たぶよんとしてしまりのない人は、ちかごろなんかいろいろあったため、とってもビンボです。いえ、昔から誰恥じることのないビンボだったのですが、ここんとこ、すでに常軌を逸したビンボを極めつつあります。とりあえずひと月のお米だけは確保したものの、来月の今頃はまったくわからない、そして来年のお正月にはすでに屋根を失い、橋の下で雨露をしのぎつつ焚き火にあたっていたり、富士の樹海の奥で、もうなんの心配事もなくのんびり枝に首を吊っているかも知れない、そんなクラスの貧乏人です。ですから、ここしばらく口にできた牛肉も、あなた同様危険部位入りまくりの安挽肉加工食品ばかりなので、あなた同様、脳味噌が海綿状になってしまったのかもしれません。
 いえいえ、すでに前回の引っぱりの記憶を失ってしまった、そんなのではございませんよ。
 また、『宗教的洗脳法』ネタの構想自体を忘れてしまった、そんなのでもございません。
 ただ、ぜんかいまでのたかちゃんの、なんかいろいろわしづかむ様を観察しているうちに、これはどーやってもあと二〜三回は語り続けないとわしづかみ終わらない、そんなけつろんにたっしてしまったのですね。
 初期の構想では、実は今回ですべてをわしづかみきれる予定だったのです。ですから、せんせいの語る予定のマクラもまた、前回までにほとんどみーんな消化してしまったのです。だいじにとっといた『宗教的洗脳法』をネタを、こんかい披露してしまうと、初期の構想が根本から破綻してしまうのです。うる、うるる、うるうるうるうる……。


 ――はい!
 ここまで卑賎でみっともねー楽屋オチに走ってしまった以上、もーみなさん、こんごのせんせいの出番に、いっさいの脈絡をきたいしてはいけません。
 せんせいもまた、胸臆を濡らす惨めな涙を健気にも押し隠しつつ、ちからいっぱい全身全霊をもっていーかげんにお話しさせていただきますので、よいこのみなさんも、セコいツッコミは人知れず胸に秘め、やさしくそしてなまあたたかく、なれあいの流れに身を任せてくださいね。


 どなたですか? そんないーかげんな話もう聞いてやるもんか、などと鬼のようなことをおっしゃる、いっけん知性派タイプながら情緒的にはすっげー鼻持ちならねー自己中なエリート意識見え見えの、血も涙もないよいこの方は?
 ほうほう、読者としての当然の権利?
 血も涙も、きちんと持っていらっしゃる?
 …………。
 ……ちょうどいい機会です。
 そのむじひなお言葉をいとも当然のように口にするあなたの体に――血と涙が流れているか、いないか。
 それではこんかい、出番を失って暇を持て余している人食い土人さんたちに、ちょこっと協力していただきましょうね。
 はい、それでは、ほかのよいこのみなさん、これから盛大な血液と体液が教室中に飛び散りますので、これこのように、傘や雨合羽を――


     ★          ★


 さて、ふたたび縁側でともこちゃんを洗ってあげるくにこちゃんのはいごでは、たかちゃんとゆうこちゃんが、いっしょーけんめー畳に掃除機をかけております。
 これからの放課後ずうっと、くにこちゃんが赤ちゃんのお世話で遊べなくなるのなら、いっしょに赤ちゃんのお世話をしてあげれば、いっしょに遊んでいるのと同じ――そんなけつろんにたっし、さっそく長岡履物店に押しかけたたかちゃんとゆうこちゃんでしたが、やっぱし、いもーともおとーともお世話したことのないひとりっこや、乳母日傘《おんばひがさ》で育ったいーとこのお嬢様のこと、なんのやくにもたちません。苦労人のくにこちゃんにしてみれば、ちょっぴり足手まといな気もします。しかしこの際たいせつなのは、実効性よりも友情、とゆーか、なんかよくわかんないがこいつらといるときもちいい、そんな『和み』です。
 ちなみに昨今おおはやりの『癒やし』などという言葉は、あくまで事象に『実効的水準』を規定した上で、それよりも劣化した事象を水準以上に戻すための矯正行為に過ぎません。しかし、よのなかをそんな実効的水準だけでとらえてしまったら、たとえばガイア理論における現代の文明人などは、ひとりのこらず無駄飯喰らいの居候、やらずぶったくりですものね。
 閑話休題《あだしごとはさておき》――。
 天瓜粉のお掃除を終えたたかちゃんは、ふと、柱にかかった小鏡に目をとめます。
 みぎむいて、よこめ。
 ひだりむいて、よこめ。
「……むー」
 そしておもむろに、掃除機の先っぽをはずして――ぶぼぼぼぼぼぼぼ。
 なぜだか、またじぶんのほっぺたを、吸引しはじめます。
 しかるのち、みぎむいて、よこめ。
 またひだりむいて、よこめ。
「――かんぺき」
 そう、かたいっぽうだけ真っ赤っ赤ではオマヌケ系のウケしか狙えませんが、ほっぺた両方真っ赤っ赤ならば、立派な芸になります。
「はいじ!」
 ほこらしげに、両のほっぺたをゆうこちゃんにみせびらかします。
「♪ くちぶっえっは、なぜ〜 ♪ 遠くっまっで、きこえっるっの〜 ♪」
 ほんとうはハイジというより、津軽のリンゴ園で美空ひばりさんの『あの丘を越えて』を歌い出しそうな顔面造作なのですが、まあそこはそれ、気の持ちようです。
 ゆうこちゃんも、おずおずと片ほっぺをさしだします。
 どうせちゅーとはんぱに恥ずかしいありさまになってしまったのなら、ここはもう、いっしょに墜ちるところまで墜ちてしまうしかありません。
 ぶぼぼぼぼぼぼぼ。
「…………♪ あのくっもっは、なぜ〜 ♪ わった〜しを、まってるの〜 ♪」
 うちきなおじょーさまらしく、まだまだふっきれていない小声ですが、もともとハイジが大好きなので、ちょっぴり嬉しかったりもします。
 ふたりそろってえんがわに駆けていき、
「♪ おっし〜えて〜、おじいさ〜ん〜 ♪」
「♪ おっし〜えて〜、おじいさ〜ん〜 ♪」
 くにこちゃんは、思わず、ぶ、と吹きます。
 たかちゃんは、ぶじウケたのをかくにんし、ご満悦です。
「ぶいぶい!」
 しかしゆうこちゃんは、ふだん笑われ慣れていないからか、ちょっと腰が引けてしまったようです。
 そんなゆうこちゃんのきもちをさっし、おとこらしいくにこちゃんは、しっかりとうなずいてあげます。
「んむ。ゆうこも、そのほうが、げんきそうだ。とても、いい」
「……ぽ」
 そのとき、たらいのなかから、きみょうな赤ちゃん語が響いてきました。
「♪ あうう〜お〜、お〜い〜お〜い〜お〜 ♪」
 ちんもくが、あたりをしはいします。
「…………いま、こいつ、歌ってなかったか?」
「こくこく。 ♪ あるむ〜の〜、も〜み〜の〜……きよ?」
「……こくこく」 
 しかしともこちゃんは、日向のえんがわのきらきらおぶぶの中で、なにやらばっくれるように、きょときょとちゃぷちゃぷしているばかりです。
「……気のせいか」
 あんましこどもにきたいしすぎて、しょーらいぐれてしまってもいけない――くにこちゃんは、保護者としての自制心を保とうと努めます。
 まあ、ともこちゃんのばあい、くにこちゃんのような超強化ろりの血を引いているのですから、いきなし直立してネリー・シュワルツさんばりのヨーデルまで歌い始めても、なんらふしぎではないんですけどね。


     ★          ★


 にどめのおぶぶもぶじにすみ、ほどほどの天瓜粉をまぶしてもらったともこちゃんは、ちゃぶだいのよこに敷かれた赤ちゃん蒲団のなかで、くーくーとおねんねしています。
 たかちゃんとくにこちゃんとゆうこちゃんは、なかよくちゃぶだいをかこみ、遅めのおやつをめしあがっています。
 そろそろむかたむきかけたみかん色の西日が、さんにんのちびっこと、もっとちびっこいあかんぼを、うらうらと、あたたかげに染めております。
 なお、店番をしていたふたりのおとうとも、現在おなじお部屋でおやつをたべているのですが、お話づくりのひとはあいかわらずろりのおたくやろうなので、おとうとたちは日の当たらない部屋の隅っこが定位置です。
「……なあ、たかさんや」
 おばんちゃ、ずるずる。
「はい、なんですか、くにこさん」
 おせんべ、ぱりぱり。
「おばんちゃ、もういっぱい、いかがかな?」
「いえいえ、あたしは、もう、けっこうですわ」
「それでは、ゆうこさんや」
「はい、くにこさん」
「おせんべ、もういちまい、いかがかな?」
「……いえ、わたくしも、いちまいで、けっこうですわ」
 ちまちま、ぽりぽり。
 なんだか三人とも、今回の畳面固定アングルに過適応してしまったのか、すっかり小津安二郎監督調演技にハマっているようです。おじいちゃんやおばあちゃんの遺伝子記憶が、蘇っているのかもしれません。それとも、すっかり昭和レトロのお茶の間風景に馴染んでしまうと、自然、人心が穏やかに傾くのでしょうか。
 もっとも『巨人の星』の星一徹さんなどは、同じ舞台設定でもしょっちゅう理不尽な卓袱台返しに走っておりましたから、やっぱり、癇癪持ちで外向性成金の梶原一騎《さくしゃ》さんと、引きこもりがちな内向性ビンボのバニラダヌキ《さくしゃ》の、違いなのでしょうね。
 ちなみに、くにこちゃんちの今日のおやつは、お歳暮でもらった一缶をだいじにだいじに食いつないでいる塩せんべいです。しかも、それはあくまで本日お客様がいらっしゃるからであって、くにこちゃんやおとうとたちだけのときは、学校の給食の残り物を回収《ごうだつ》してきた食パンや、顔見知りのパン屋さんからいただいたパンの耳、そんなかんじです。
 しかしねんのため、くにこちゃんのお父さんは、たしかに経済社会においては完璧な敗北者ですが、文化的には立派な工芸家です。現に本日も、NHKハイビジョンの名職人ドキュメントがらみで、夫婦ともども都心の料亭まで招待されており、長生きさえすれば人間国宝必至、そんな貴重な職人さんなのです。お店では生活のため一般的な下駄や草履も商っておりますが、たとえば柳橋の売れっ子芸者さんが粋《いき》にからんころんと履きこなしている高級駒下駄、あるいは京都の舞妓さんがおしとやかにこっぽりこっぽりと履きこなしている蒔絵の超高級ぽっくり、そんなのが、くにこちゃんのお父さんのお仕事です。
 また、くにこちゃんのお母さんは、今でこそ世界の果て青梅でみすぼらしい履物屋のおかみさんをやっておりますが、実は十代後半には、神楽坂一の売れっ子芸者さんだったりします。ですから、現在のお化粧っけのない顔や西友ワンピ姿でも、じっくり見ればたぶん青梅一の美形であり、それはいっけんきたねー着たきり雀のガキのようなくにこちゃんが、実はきちんと着飾れば、ゆうこちゃんとはタイプちがいにせよ紛れもなく可憐なショタ的幼女である、そんな事実にもつながっております。
 つまりくにこちゃんちにおける社会的問題は、『美術品』というレッテルさえ貼られれば耄碌爺いの走り書きさえ何百万円の『投機対象』になってしまう、そして『実用品』というレッテルを貼られてしまうとどんな美しい物でもそれなりの『実用価格』にしか換算されない、そんな現代経済社会自体の問題でもあるのですね。たとえくにこちゃんのお父さんが作り出すぽっくりが、平均二十万円というぽっくりとしては確かにとんでもねーお値段で流通するにせよ、そのうちくにこちゃんちに還元されるのは半分程度ですし、なによりそれを作るのに、お父さんとお母さんは、ほぼ半月を費やさねばならないのです。
 まあ、そんな社会的齟齬など悟るべくもない無邪気な三にん組ですが、やさしいゆうこちゃんなどは、じぶんのおうちとのあまりの環境ギャップに、やはりなにか「ごめんねごめんね」的感情を抱いてしまうのでしょう、さっき自分がこぼしてしまった天瓜粉の空き缶が部屋の隅に置いてあるのを、さっきからちろちろと気にかけております。
「どした? ゆうこ」
 くにこちゃんが、それに気づいて、
「かんから、ほしいのか?」
 ゆうこちゃんはふるふるとかぶりをふって、それから、しゅん、とうなだれます。
「…………ごめんね」
 実はたかちゃんも、ちょっぴりせきにんを感じたりしていたので、上目遣いにおずおずと、
「……からっぽ」
 くにこちゃんは、さっきからふたりが遠慮ばかりしているわけを、ようやく悟ります。
「わはははは、きにするな」
 ごーかいにわらいとばしながら、
「角のくすり屋のおやじが、おふくろに、ほのじなのだ。てんかふんとか、こなみるくとか、もくよくざいとか、なんぼでもこっそりはこんでくる」
 それは笑っていいことなのでしょうか。
「こめ屋と、かんぶつ屋のおやじも、あやしい。だから、こめとみそ、さとうとしょうゆ、なっとう、にほんちゃ、のり、いんすたんとらーめん、そこいらはなんぼでも、だいじょぶなのだ」
 なあるほど、くにこちゃんちの生活も、たかちゃんちとは別のいみで、お母さんがたくましくなんかいろいろ支えていたのですね。それらをはこんでくるおやじたちの心根が、卑しい煩悩であるか男の純情であるかは、まあ、いただくほうのきもちひとつです。
 たかちゃんは、ちょっとあんしんして、
「おばんちゃ、もーいっぱい」
「おうよ」
「ほんで、そいから……ともこちゃん」
 赤ちゃん蒲団を、ものほしそうにみつめます。
 くにこちゃんは、むずかしげに首をひねります。
「……いんや。なんぼたかこのたのみでも、こいつは、くっちゃあだめだ。せんべ、くえ」
「ちがうよう」
 お手々をわきわきさせながら、
「……ともこちゃん、もみもみして、いい?」
 たかちゃんとしては、放課後くにこちゃんちに来てから、もうずうっと、思うさまわしづかみたくてわしづかみたくてたまらなかったのですが、なんかいろいろの騒ぎに紛れて、じっくりわしづかめないでいたのですね。
「なんだ、いじくるだけか」
 くにこちゃんは、気軽にOKしてくれます。
「んでも、ひねりつぶすなよ。あかんぼは、だいふくもちみたく、かよわいいきものなのだ。うっかりすると、あんこがはみでる」
「こくこく」
 さすがのたかちゃんも、くにこちゃんほどの握力はありません。
 しかしかけぶとんをめくり、身構えるたかちゃんのお目々は、あたかも野獣や鬼畜を狙うくにこちゃんのように、あやしくもえております。
「……ごっくし」
 お手々のわきわきも、なにか獲物を狙う猛禽類さながら、指先第一関節のみを直角に折り曲げ、もはや尋常とは思えません。
 ゆうこちゃんは、危機感を覚えます。
「……あかちゃん、泣いちゃうよう」
「だいじょぶだ」
 くにこちゃんは、楽観的です。
「こいつは、いちどねたら、はらがへるまで、ぜったいおきない。さすがはおれの、いもーとだ」
 実の姉がそう言っているのですから、もう、えんりょはいりません。
「わしっ!」
 ともこちゃんのおなかぽんぽんを、たかちゃんのわきわきが襲います。
「もみもみ、もみもみ」
 いっしんふらんにわしづかみつづけながら、たかちゃんは、恍惚の吐息をもらします。
「あっはん」
 すでに没我の境地に達しつつあるようです。
「……いきそう」
「どこに、いくんだ?」
「……がんだーら。……どこかにある、ゆーとぴあ」
 わしづかまれているともこちゃんのほうも、シヤワセそうに「けぷ」などと、おくびをもらしております。
 まあ、うまれてまもないあかちゃんなのですから、その実存には、まだうまれるまえにいたところの要素が、多く含まれているのかもしれません。
「ちょっと、かわれ」
 くにこちゃんが、ようきゅうします。
 うまれてからずうっとお世話をしていても、あらためてそのおなかぽんぽんを、おもいっきしわしづかんだ経験はありません。
「あーい」
 なかば恍惚としたまま身を引いたたかちゃんに代わって、こんどは、くにこちゃんがわしづかみます。
「わしっ」
 くにこちゃんのばあい、あんまし根性いれると、実の妹を文字通り破裂させてしまう恐れがあるので、
「もみもみ」
 あくまで小手調べ程度の、ちから加減です。
「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」
 しまりのないよろこびの声が、茶の間に響きます。
「これは、ごくらくだ。とても、やわらかい。あぶらも、ほどよくのっている。やみつきになりそうだ」
 くにこちゃんのごくらくは、きっと、上等なお肉と不可分なのでしょう。
「ゆーこも、やってみろ」
 ひっこみじあんのゆうこちゃんも、ふたりのこーこつをまのあたりにして、おずおずとお手々をのばします。
 どきどき。
 ――ちま。
 ちまちま。
 もみもみもみ。
「…………!」
 ゆうこちゃんのお目々が、とつじょ、まんまるのどんぐりお目々に変じます。
「……どうだ?」
 ふるふるふる。
 ふたたびやわらかくとじられたまぶたから、ふたすじの温かい涙が流れます。
 ほろほろほろほろ。
 ゆうこちゃんは、みもだえます。
 ふだん、おのれをころしておしとやか道を余儀なくされているおじょーさまだけに、いざなんかに目ざめてしまうと、そのしょーげきも激しいのでしょうか。
 我を忘れてともこちゃんをひしと抱きあげ、涙に濡れたほっぺでしばしすりすりとすりすりしたのち、まるで美しい夢をみつめるようにともこちゃんをみつめ、それからうるうるお目々のまんま、ともこちゃんを両手でぷらりとささえ、くにこちゃんの前にさしだします。
「……! ……!」
 くちびるはもどかしげに震えるばかりですが、そのうるうるお目々は、あきらかに、こう語っております。
 ――ああ、この子は、きっと生き別れになっていた私の子!
 いきなしマジ・レベルのぼせいほんのうが、覚醒してしまったのですね。
 そんなゆうこちゃんを、くにこちゃんは、おだやかに、そしてさびしげにたしなめます。
「……いんや、そいつは、うちのこだ」
「…………」
 ゆうこちゃんは、ふと我に返り、憑き物の落ちたようなお顔で、ともこちゃんを見つめます。
 それでもなお諦めきれないのか、未練げにまた抱きしめている風情のいじらしさに、たかちゃんは、そっとゆうこちゃんのお背中を、ぽんぽんしてあげます。
 くにこちゃんも、さすがにほだされ、
「……あすこのおとーとなら、持ってっていいぞ」
 部屋の隅でいじましく塩せんべをかじっている双子の弟を、気前よくゆびさします。
「ほしかったら、りょーほー、持ってけ」
 ああ、あのうつくしいおねいさんがくにこねーちゃんの代わりに実の姉になってくれたら、ボクたちの前途はなんぼ明るく輝くだろう――おとうとたちは、そんな期待の視線でゆうこちゃんをみつめます。
 しかしゆうこちゃんは、あらためてげんじつというものの重さを、おもいしります。
 そう、夢はあくまで追うものであり、現実は対峙するべきもの――。
「……ふるふる」
 ああ、やっぱし――双子の弟もまた、げんじつのいたみをしります。
 こうしてまたいっぽおとなに近づいてゆく、いたいけなこどもたちでした。
 ちなみにともこちゃんほんにんは、そろそろおなかがすいてきたので、すやすや安眠モードから悪逆非道の泣きまくりモードへと、スイッチングしつつあったりします。
「……んぎゃ」
「おう」
「びえええええええ!」
「おうおう」
「ちちだ、ちち」
「ほい!」
「おまえのちちじゃない。ええい、このはらへらしめ」
「びえ、びえええ!」
「ゆーこ、ちょっと、だいてろ」
「ほんぎゃ! ほぎゃあああ!」
「おろおろおろおろ」
「おまいら、こなみるく!」
「わ」
「わ」
「わぢぢぢぢぢぢぢ!」
「あうあうあうあう」
 ついさっきまで平和だった夕暮れのお茶の間は、ぴんくのユニクロ・トレーナーをまくりあげぺたんこのちちをほりだすたかちゃんやら、いっしょーけんめーともこちゃんをあやしながらさっきとはべつのいみで半泣きのゆうこちゃんやら、こなみるくの缶をあわててぶちまけてしまいとほーにくれるおとうとたちやら、まほうびんのお湯をこぼして悶絶するくにこちゃんやら、なすすべもなくぺたんこのちちをほりだしたままかけずりまわるたかちゃんやら、またたくまに阿鼻叫喚の戦場と化します。


 満たされて天使、飢えれば悪魔――なんぼくにこちゃん似の超乳児でも、あかちゃんであるかぎり、それがともこちゃんの本性なのでしょうね。
 しかしまあ、それが『癒やし』ではなく、『和み』の本質でもあるわけです。
 はいはい?
 そこのおほねだけになって文字通り血も涙もなくなってしまったもとジト目のあなた、「それじゃあ結局ただのやらずぶったくりじゃないか」ですって?
 しゃれこうべになってしまっても、まだそんな小理屈をこねるとは、つくづく業《ごう》の深いよいこなのですねえ。
 ならば、土人さんたちのおひるごはんになる前のあなたは、そのどちらだったのでしょう。
 満たされた天使ですか?
 飢えた悪魔ですか?


 満たされてなお悪魔――そんなシロモノでは、ありませんでしたか?







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