1
翌日さっそく東京本社にアポイントを取り、水曜の午後、意気込んで家を早く出すぎた勇介は、約束までの時間をつぶすため、森タワーのオフィス・ロビーをやり過ごし、テラスを周って展望台行きのエレベーターに向かった。
数年前の初夏、六本木ヒルズの開業当初に、亜由美や慎治と訪れた日の喧噪を思い出す。
あの日は、幾重にも折りたたまれた群衆塊の中、エレベーターの順番待ちに二時間以上を費やしたが、少しも長く感じなかった。
なぜあの頃の自分は、あんなに無邪気でいられたのだろう。前年の夏の旅で、慎治たちがすでに結ばれたと薄々悟りながら、なんの屈託もなく笑っていられたのはなぜだろう。亜由美への想いも慎治への愛着も、本質的には今と全く変わっていないと思うのに。やはりあの頃は、子供のくせに現実家を気取りながら、ただモラトリアムという揺籠の中で、儚い夢に遊んでいただけなのか。
数年を経て、ほとんど待たずに乗れたエレベーターは、あの日と同様、海抜二五〇メートルの空間を数十秒で滑るように転移した。
軽い眩暈を覚えながら、数人の相客とともにフロアに踏み出すと、三六〇度の眺望を誇る屋上展望台・東京シティビューは、平日でも一般都民から地方の観光客まで、色とりどりの老若男女で賑わっていた。
高所恐怖症でなくとも脚がすくむような、一面の外周ガラスに沿ってそぞろ歩き、やがて、靄の彼方に新宿副都心の高層ビル群を望む、北西に立つ。
遙か眼下に、常緑樹と落葉樹の斑に覆われた、冬の青山霊園が広がっている。
その東の一角に目を凝らしてみると、木の間隠れになんとか個々の墓石が見てとれたが、確かに在るはずの例のドールハウスは、蔦に覆われた柵すら認められなかった。たとえばデジタルカメラの映像なら、撮像素子の画素数がレンズ解像力にぎりぎり追いつかず、さらに画像自体がジェイペグ圧縮される過程で、周囲の木々の枝々に紛れてしまったような印象である。勇介や朝倉は、すでにグーグル・アースまで調べたが、その衛星写真による3D画像でも、同様の印象だった。
目を凝らしている勇介のすぐ横で、青々とした歓声が重なった。
修学旅行中らしい素朴な中学生たちが、男女の別なく子供のようにはしゃいでいる。
モラトリアムという名の儚い幻想――しかし、ならば今、亜由美を連れて現実の未来を手にしかけていた自分を侵食している得体の知れない過去の夢は――退嬰か、それとも通過儀礼なのか。
勇介は我に返り、腕時計に目をやった。
たとえ夢が単なる記憶内の過連想でも、夢を見る者はあくまで実在である。微妙な情緒的細部を記憶の底に沈めながら猪突を重ねる現代社会にも、デジタル処理できないアナログ情報は厳然と存在する。勇介は、それを見つけなければならない。
そして朝倉も、鎌倉で、同じ物を別方向から探しているはずだった。
*
同じ高層ビルの最上階から数階下へ、縦横数百メートルを行き来する。展望台とオフィス階は直結していない。
無機的な白と有機的なベージュの混淆するフロアで、大企業特有の美しすぎない程度に美しい受付嬢に来意を告げると、即座に恰幅のいい初老の社員が迎えに出た。
「ようこそいらっしゃいました。総務の植草と申します」
簡略な自己紹介のわりに、差し出された名刺には『取締役総務部長』と肩書きがあった。広報担当の中堅にでも話を聞ければ御の字と思っていた勇介は、少々緊張した。
「お父様から伺いました。勇介さんは、財務省でなく至誠堂に入られるそうですね」
早急にアポを取るため、亮太朗に口添えを頼んだのである。
植草は、亮太朗より年輩の律儀そうな顔に、明らかに勇介の背後にある梶尾家に対しての笑顔を浮かべていた。勇介は、去年の最終面接で対話した、至誠堂取締役の表情を連想した。あのときは少なからず屈折した感情を抱いたものだが、今はもう居直っている。『立っている者は親でも使え』。亮太朗の子に生まれたことは、あくまで宿命だ。他人に羨まれながら自身は疎むことも多いが、要は幸不幸以前の問題であり、忌避はできないし、恥じることもない。
「はい。文系出身なので当然最初は販売ですが、ゆくゆくは商品開発関係を希望しています」
これも事実だ。憶することはない。
「ほう、それで入社前から原料関係のお勉強ですか。これは近い将来、うちの若手とやり合うことになるのかな。いや、お手柔らかにお願いしますよ」
まんざらお世辞でもなさそうな口調である。確かに今、広い肩幅に見合ったオーダースーツに身を固めた勇介からは、若さに似合わぬ腰の強さが感じられた。包帯癖の残る頭髪の乱れも、兄たちにはない精悍な気合いを発散している。
植草は、勇介を広報室のAVルームに導いた。
シネコンの最少スクリーンほどもある一室で、社史を含めた広報用ビデオをDVD再生させながら、適宜くだいて解説し、やがて自社にとっても勇介にとっても目玉と言える、幸田工場の紹介ビデオに移る。電通か博報堂あたりが制作したのだろう、控えめながらプロジェクトX的な盛り上がりも備えたドキュメントは、最新テクノロジー自慢と共に、当節流行りのエコロジーも前面に打ち出した構成だった。
しかし、広大な敷地に展開している大規模な最新プラントの映像に、このところの慎治の行動に繋がりそうな具体的要素は見いだせない。勇介の興味は、あくまで慎治の残したキーワードである。
「二酸化炭素抽出法そのものに関する資料はありませんか」
勇介が問うと、
「それは工場のほうなら揃っているのですが――」
植草は、なにか感心したような顔をしている。
「……あの、何か?」
「いえ、失礼。実は、つい先月、お若い方に同じことを聞かれたもので」
勇介は目を見張った。
しかし、考えてみれば当然なのである。同じ東京生まれの東京育ちが、愛知の山間の工場を見学するには、まず東京本社に話を通すだろう。
「もしかしたら、それは、間宮――間宮慎治ですか」
植草も、驚きを露わにした。
「お知り合いでしたか」
「はい。高校から大学まで、同じ学校に通いました。実は私が至誠堂を志望したのも、間宮君の影響なんです。ずっと、同じ香道部にいましたから」
植草の顔に、『有力財務官僚の子息にして大手取引先の新入社員』に対する態度を越えた、親愛の微笑が浮かんだ。
「それはそれは、慎治さんの御学友でしたか」
姓ではなく名前、しかも学友に『御』がついている。
いささか面食らっている勇介を、植草は嬉しげに応接室へと導いた。
明らかにVIP仕様の一室、老舗喫茶なみのコーヒーでもてなされる。
「現在の間宮の方にお会いするのは私も初めてだったのですが、そもそも当社は創業の頃、間宮家と深い関わりがあったのですよ。私も入社当初から、ずいぶん苦労談や思い出話を聞かされたものです。いえ、もうとうに身罷った、先々代の会長からですがね。あの頃は、まだ幸田が本社兼工場、こんな大層なビルなど影も形もなかった」
植草は、過去の武勇を懐かしむ企業戦士の顔になっていた。
「創業とおしゃいますと、確か終戦の翌年ですね」
戦後、地方の一工場から世界企業に発展するまでの、社史ビデオを見せられたばかりである。
「いえ、それはあくまでヤマザワ化学工業、つまり片仮名としての創業です。ビデオにも少しだけ出たでしょう、下町の、ちっぽけな町工場の写真が」
「はい」
「あれは、実は東京の千住なのです。山澤精油工業――先々代会長・山澤学が大正の中頃に興した――まあ興したと言っても、間口四間の町工場、家内制手工業みたいなものですが、これが操業を始めてまもなく、例の震災で――おわかりですね、関東大震災」
「はい」
いくら若い勇介でも歴史は学んでいるし、その惨劇の映像自体、ドラマやドキュメントで再三見せられている。
「そのとき先々代は、輸出向けの商談で、神戸に出張していたそうです。そこにあの震災の報が入った。のちの阪神淡路を思えば、何やら因縁を感じますね。さあ大変と東京に戻ろうとしたが、そもそも東海道線が動かない。当時のことですから、非常時下の家族や工場の安否など、現場に立たない限り把握できない。しかし何日たっても、神奈川あたりは止まったままです。なんとか名古屋から中央線まわりで東京にたどり着き、家に駆け戻ってみると、工場も家族も従業員も、いっさいが形無しになっていた」
「……はい」
「それで落胆してしまった先々代は、東京にも日本にもいたたまれずに、身辺を整理して台湾に渡ったそうです」
「台湾、ですか?」
慎治に繋がるその地名を、勇介が問い質すと、
「はい。あそこも戦前は日本の内でしたからね。で、先々代は、台北の町工場の職工に拾われた。気は弱っていても腕は確かです。当然じきに頭角を現します。そこに助力、というか新事業を持ちかけ、精神的にも資金的にも再起させてくれたのが、その地で出会った間宮家の方だったんですね。先々代が二酸化炭素抽出の工業化に手をつけたのも、その方の発案だったといいます。そうしてあちらで名を上げ、やがて故郷に錦を飾った先々代は――」
勇介は困惑しながら口を挟んだ。
「すみません、私の記憶だと、あの技術は確か二十世紀も末の――」
植草は、ごもっとも、と言うように、
「確かに超臨界流体抽出は、複雑な工程と機械技術を要しますからね。当社でも、ようやく看板部門として国際的な商業ベースに乗ったのは、私が入社した頃ですから、七十年代なかばです。しかし欧米では、昭和の初めに実用化されているのですよ。理論だけなら、当然それ以前からあります」
勇介は、宙を見据えてうなずきながら、現実的思考と情的な懊悩の狭間に落ちていた。
これで、キーワードは残らず同じ時代に収束したが――。
が、慎治は、本当にそこへ逃れてしまったのか?
亜由美も、やはり時の彼方に残されたというのか?
じゃあ俺は、いったい何をすればいい?
黙考する勇介を、創業談に感銘していると勘違いしたのか、植草は懐かしげに先を続けた。
「その間宮春樹という方が、慎治さんの曾祖父の弟、つまり曾祖叔父《そうそしゅくふ》にあたるわけです。ご存知でしたか、そんな言葉は。なに、私も先日、初めて知ったんですがね」
上の空で聞きながら、勇介は思った。
慎治なら、そんなしかつめらしい親族の呼称も、きっと知っていただろう。
しかし、そんな先祖がいたことを、ここに来る前の慎治は知っていたのだろうか。
*
丁重に謝辞を述べ、まだ陽の高い六本木通りに出る。
すぐには帰宅する気になれず、頭上の首都高の影に沿って霊園方向をめざしながら、勇介は見学中に入った携帯メールを検めた。
やっほ。
貴君の東部戦線、戦果有りや無しや。
こちら西部戦線、現在午後2時30分。
湘南鎌倉由比ヶ浜、天気晴朗なれども波高し。
サーファー明朗なれどもややウザし。
午後3時を待って、朝倉は敵の陣地に突撃します。
無事生還のあかつきには、約束どおり夜の酒場で会おう。
んじゃ、すちゃ。
――追伸。3時のおやつは、鎌倉名物鳩サブレーかしらん。
すでに時刻は四時を回っている。
朝倉の屈託のない笑顔を無性に懐かしく思いながら、勇介は簡略な返信を打った。
当方、無事生還するも戦果僅少なり。
貴方の西部戦線における活躍を祈る。
勇介が、けして自分の戦果が『僅少』ではないことを悟るには、その夜を待たなければならなかった。
2
勇介へのメールを送信すると、スーツ姿の朝倉は、散策していた浜辺から江ノ電由比ヶ浜駅方向に戻り、駅をやり過ごして、さらに北西の鎌倉文学館方面に向かった。いわゆる鎌倉文士村にも精通している朝倉にとっては、学生時代から馴染みの道筋である。
観光マップ的なイメージとは程遠い、閑静な住宅街を縫ってゆくと、先日教えられた岡崎京子の家は、鎌倉文学館を取り巻く小暗い森に臨んでいた。旧・吉屋信子邸の数軒先、同じような和風の民家である。一見簡素な造りだが、杉柱や欅板の質感は、いわゆる『本物』だった。
なんだ、あのお屋敷だったのか――。
勝手知ったる他人の門前、と脚を速めたとき、手前の路地から若やいだ薄香色のコート姿が現れ、目ざす屋敷の門に先に入って行くので、
「あの、こんにちは」
訪問者仲間か若い家人か、いずれにせよちょうどいい案内人ができたと、朝倉はその後ろ姿に声をかけた。
「こちら、岡崎さんのお宅ですよね」
「あらまあ」
張りのある声に似合わず、振り返ったフードの中の顔は、縮緬のような皺に覆われていた。
「あなたが朝倉さん?」
しかし皺の奥から覗く瞳は、やはり声同様に瑞々しい。
「は、はい」
岡崎京子の経歴から、老教師、あるいは刀自といった風情を予想していた朝倉は、老嬢と呼びたいような若々しさにとまどった。その眼の光から僅かに感じられる、故・川端康成翁にも似た鋭さが、かろうじて予想に合致する程度だ。
「まあ、良かった。間に合った間に合った。いえね、ちょうどお茶菓子を切らしてしまって、あわてて買いに出てたのね」
岡崎京子老嬢――本来『老嬢』ではなく未亡人なのだが――は、片手に黄色い紙袋を下げていた。豊島屋の『鳩サブレー』である。
「もう膝が笑っちゃって笑っちゃって。これで蹴つまずいて転んだら、それこそ『笑い転げる』だわねえ」
冗談めかして言いながら、膝も腰もしっかりと伸びている。
環境がいいのか生活水準のためか、後ろ姿だけでは年齢不詳のこうした高齢者が、湘南あたりには数多い。
「あ、お荷物、お持ちします」
やっぱり嬉しい鳩サブレー、それも大先生自らのご調達――朝倉が手をさしのべると、岡崎老嬢は笑って遮った。
「あなた、ADLって、ご存知?」
まさか、オート・ドア・ロックではないだろう。
「はい。確か介護用語でしたか。えーと、『日常生活動作』ですね。対してQOLが、『生活の質』とか『生き甲斐』とか」
「そう。お若い方が、年寄りを甘やかしてはいけません。それは、『早く寝たきりになれ』と言うのと同じことよ。荷物なんて、持てるうちは持てるだけ持たせて丁度なの。持てないものを持たせるのは虐待だけど、持てるのに持とうとしないものをなんとか持ちたいようにさせる、それがQOLの考え方ね。でなきゃ人間、退化する一方なんだから」
老嬢は淀みなく言い立てると、逆に朝倉の手から、ビジネスバッグと手土産の袋をつかみとった。
庭木の間を玄関に向かいながら、
「なんて偉そうに言ってるけど、実は私も、知らずに旦那を殺しちゃった口なのよ。亭主関白に傅いて、甘やかしすぎてねえ。本当はもっとうまくたぶらかして、せっせと木に登らせるべきだったんだわ。甘くていいのは、三時のおやつくらいなものよ」
ちなみに朝倉の持参した袋は『東京ひよ子』である。
ふたりとも気づいてはいなかったが、矍鑠と歩む岡崎老嬢と、恐縮しながら後に続く朝倉は、歳の離れた親子のように風合いが似通っていた。
*
「『旨味』は『甘味』――朝倉さん、あなた、おわかり?」
枯れた利休鼠の部屋着に着替え、座卓の対面に端然と正座した岡崎老嬢は、淑女の物言いに改まっていた。
「はい。魯山人先生のお言葉ですね」
朝倉も、若いながら懐古趣味があるので、正座姿は端正だった。
一見、山家のような座敷である。
縁側と座敷を隔てる雪見障子は、冬の陽射しを入れるため開け放たれており、庭木の彼方に文学館の森を借景している。縁側は、さすがに昔のままの雨戸ではなく最新の断熱サッシに護られていたが、その枠は木彫風に設えられ、和の風情に調和していた。
「朝倉さん、昔から変わっていない洋風和菓子って、とっても素敵だと思いません?」
「はい、なんと言いますか、バターや卵の風味があくまで慎ましく、純な砂糖の甘味を邪魔しない、甘すぎる直前まで甘い、そんな微妙な匙加減が、なんとも堪えられないと申しますか」
「この『東京ひよ子』って、もとは大正時代、九州筑豊炭坑で働いていた方々のお菓子だったのでしょう? 甘味に野趣が残っておりますものね」
「はい。こちらの『鳩サブレー』は明治のハイカラ仕立てですが、でもやっぱりサブレと言うよりは、和菓子の甘味が濃いですね。これ以上バターが勝つと、異国のスイーツになってしまいます」
「お気に召していただけて嬉しいわ」
「いえいえ、こちらこそ」
そんなふたりの、一見上品な物腰で交わされる曲解に充ち満ちた超甘党談義に、お茶を運んできた初老の家政婦は思わず吹き出しかけていたが、それぞれ舌先の快感を堪能しているふたりは、まったく気に止めなかった。
家政婦が下がると、ふたりきりに戻る。
「都立中央図書館文庫室――ほんとうに懐かしいこと」
岡崎老嬢は、卓に置かれた朝倉の名刺に目をやって、
「父の遺品を寄贈させていただいた頃は、まだ日比谷図書館の中でしたでしょう? 有栖川宮公園に移されたときには、父が生きていたらどんなに喜ぶだろうと、感無量だったものですよ。父は生涯、白金、高輪、そして麻布――あの地の町並みを愛しておりましたから」
「はい。この御本からも、そんな思いが馥郁と」
岡崎宏傳の画集も、卓に並んでいる。
「あなたは、いつからあちらに勤めていらっしゃるの? お住まいはどちら?」
「勤めは二年目の丁稚小僧ですが、生まれも育ちも六本木です。家は七丁目の真ん中あたりに、いちおう戦前から。ほんのしもた屋ですけど」
「七丁目……昔の麻布の龍土町あたり?」
「はい、天祖神社の近所に」
「あらまあ、それじゃ、今はあのヒルズのお膝元みたいなものですね」
「はい。でも、あれはちょっと無礼千万と言いますか……家のあたりは横町なんで、一年中、見下されてるような気がしていけません」
朝倉は、外の森を羨ましげに眺め、
「できるなら、こちらのご近所に越してきたいくらいです」
今様の都会や高層ビルには、ほとんど未練のない朝倉である。
「あら、それなら簡単ですよ」
岡崎老嬢は、なにやら瞳を輝かせ、膝を乗り出した。
「朝倉さん、あなた、まだご結婚なさっていないのでしょう? 裏の三宅さんの息子さんが大船の老舗古書店に勤めていらっしゃるんですけれど、この方が、とってもすなおないいお子さんなのね。それはそれは、もう、おだてなくとも自分から喜んで木に登ってくださるような優しい青年ですよ。なのになぜか縁遠くていらっしゃって、この冬二十と九歳におなりになるのに、まだおひとり身なの。早稲田の国文学科を出てらっしゃるから、きっと図書館の司書さんとも話が合って――」
滔々とまくしたてられ、老嬢の仲人ペースに巻きこまれそうになった朝倉は、
「あの、結構なお話ですが、あの――」
あわてて画集に手を伸ばし、例のページを開いた。
「先日電話でお伺いした、こちらのほうのお話を、先にお願いできれば、と」
「あらまあ、私ったら」
幸い岡崎老嬢は、館の水彩画を目にすると、すぐに気を変えてくれた。
「ジャスミンハイツ……懐かしゅうございますわねえ」
座敷の古趣に溶けこむような声音《こわね》で、そうつぶやく。
「――でも、あなた、あの霊園の小さな館に、よくお気づきになったこと」
「はい。このところ少々、地元の地誌を調べておりまして、霊園の中も、その、細かく歩きました」
朝倉は適当に言葉を濁した。故・岡崎宏傳翁はともかく、娘の京子がどこまで館そのものに関わっているのか、まだ見当もつかない。
「でも朝倉さん、不思議だと思いません?」
「はあ」
「近頃は、日本中の観光マップやら街角散策ガイドやら、たくさん出ておりますでしょう? それから、タウン誌と言うのかしら。一冊の本でなくとも、毎回毎回特集記事やなにかで、それこそ東京の下町から山の手、たいがいの場所は隈なくと言っていいほど、小道や、お稲荷様の祠跡や、お地蔵様の欠片まで、根掘り葉掘り紹介されて」
「はい」
「何年か前に、確か白金あたりの記事も目にしましたよ。あの質素だった街角が、いつのまにやら芦屋や鎌倉や田園調布と同じように華やかに囃し立てられて、なんだかおかしいような、恥ずかしいような」
確かに麻布や六本木界隈と違い、白金近辺が垢抜けた街として喧伝されるようになったのは、バブル期以降、高級マンションが立ち並ぶようになってからである。それまでも、旧朝香宮邸など古い豪邸は少なくなかったが、地域自体は、けして豪奢なイメージではなかった。
「ですから青山霊園だって、誰かがとっくにあのミニチュアハウスに目をつけて、記事にしていてもおかしくないでしょう? もうずいぶん昔から、私、いつ誰があの館のいわれを訊ねてくるか、楽しみに待っておりましたのよ」
朝倉は動揺していた。
確かに、そのとおりなのである。
航空写真や衛星写真では木々に紛れても、人の好奇心の解像力は無限だ。実際、過去に霊園内のガイド本すら発売されている。鵜の目鷹の目で話の種を漁るライターや編集者の脚が、そこを素通りしたはずがない。蔦に覆われた奇妙な一角を見つければ、密かによじ登ってでも中を覗くのが、彼らの仕事なのである。
「――あの館は、自分の意思で人の目を逸らし、隠れているのかも知れません」
超自然の介在を悟っているかのような老嬢の言葉に、朝倉は動揺を募らせた。
「そうして、それでも見つけてくれる人を待っている――いえ、今も誰かの帰りを待ち続けている――そんな気がするのですよ」
いや、もう見つけてしまったらしい。帰宅ではなく移住っぽいけれど――そんな事実を口にするわけにもいかず、身を固くしている朝倉に、
「あらまあ、ごめんなさいね。なんだか私、稲川淳二さんになってしまったみたい」
岡崎老嬢は勘違いの苦笑を浮かべ、
「そんなに恐がらなくても大丈夫ですよ。あれを建てたのは、確かに私の父です。まつわる話も、けして恐いような話ではありません。とても哀しい話ではありますけどね」
旧家の午後の光は、いつか琥珀色に翳りはじめている。
岡崎老嬢は、その光にも似たセピア色の微笑とともに、館の由来を語りはじめた。
3
「私が生まれたのは昭和十二年の夏ですが、生家は明治の中頃から、あの瑞聖寺の横手にございました。父の死後、人手に渡ってしまいましたが――瑞聖寺は、ご存知?」
「はい。今は、すぐ傍に地下鉄の駅ができてますよね」
「あらあら、それはそれは油断も隙もないこと」
奇妙な言い回しだが、朝倉には解る気がした。生地を離れて久しい老人にとっては、必ずしも好ましい発展ではないのだろう。
「そして、あの館を建てた――失礼、霊園にある雛形ではなく、同じ白金台にあった本当の館ですわね――それを建てた方がお亡くなりになったのは、大正十二年の晩夏、あの関東大震災の当日と伺っております。私が生まれる十四年も前ですし、詳しい話を聞かされたのも戦後のことですから、あくまで聞き伝えの昔話なのですが、まあ色々と内輪の関わりもありまして、我が事と同じくらい確かな話であることは、お約束いたします」
「はい」
「それでは、順を追ってお話ししましょうね。茉莉花館の主・間宮春樹さんと、その妻・絹枝さんと、私の父・宏傳は――」
朝倉は、冒頭から目の色を変えた。
「すみません」
この時点で、朝倉はまだ春樹の存在を知らない。
「間宮さん、とおっしゃいましたか?」
「はい。間宮春樹さん。ジャスミンハイツ、茉莉花館のご主人だった方です。――なにか?」
よくある姓だが、偶然の一致か、それとも大当たりか。
朝倉は固唾を飲んで、
「いえ、お続けください」
「はい。――そもそも絹枝さんは、旧姓・岡崎絹枝、父の又従妹にあたります。家も、同じ町内にありました。父の生まれは明治二十三年、絹枝さんは三十三年の生まれですから、歳は十も違いますけれど、絹枝さんが学習院女学部の中等に上がられた頃から、父は絹枝さんを憎からず思っていた――いえ、有り体にいえば、たいへん好もしく思っていたようです。一人前の大学生が年端も行かぬ少女を見初める――今で言えば、その、ロリコンと申しますの? そんなふうに揶揄されてしまうのでしょうけれど、そこはそれ、時代が違います。女が二十歳に近づけば早々に結婚を望み、十五になったばかりの花嫁も珍しくない、そんな時代ですから、朝倉さん、くれぐれも父の品性を誤解なさらないでくださいね」
「はい。ご安心ください。このところの社会風俗は苦手ですが、昔のことなら大概は心得ております」
二十五で独り身ならば嫁かず後家、そんな時代の話である。また婚姻の大半が家と家の関係だったその時代、入籍自体は法律に合わせて十五歳、あるいは世間の相場に合わせて二十歳前後でも、いわゆる許婚《いいなずけ》が十歳未満である場合さえ少なくなかった。維新時の長州五傑のひとり・伊藤利助――のちの明治初代総理・伊藤博文は、後年、芸者の水揚げを好んだそうだが、今ならば政府要人の児童買春で大スキャンダルになる。
「それでも父は、心の内で想うだけで、公になにかを口にするようなことはなかったのです。それは絹枝さんの家が、武家筋ながら元をたどれば藤原以来の岡崎子爵家に極めて近い家柄、いっぽう父の家はずっと格下の傍流だったからで、これもまた、今ならば何を遠慮の世界でしょうが、朝倉さんならお解りですわね」
「はい」
「ともあれ、昔から巌のような学問の虫だった父がそんな想いを抱くほどですから、絹枝さんという方は、それはそれは美しく、しかも利発な娘さんだったのですわ。ですから在学中に、ある宮家筋の侯爵子息に見初められ――差し障りがありますので、お名前を伏せさせていただきますけれど――なにかそちら様のご都合に合わせ、十八歳の春を待って、嫁ぐ話が決まってしまったのです。それを聞いた父は、悔しがるでも妬くでもなく、すなおに祝福したわけですが、まあ、これは時代以上に、そんな性格の父だったのですね」
「はい。蔵書や覚書を拝見する限り、何より学究優先の方とお見受けしました」
「ありがとうございます」
岡崎老嬢は頭を下げながらも、卓の画集に視線を流し、
「まあ、学究以上に、負ける喧嘩をするよりはひとり文机や画板に向かって心を鎮める、そんな心の逃げ道が、良かれ悪しかれ父という人間の、生涯の道でもあったのですわ。私も実の娘とはいえ女ですから、少々歯痒い気もするのですが、そのおかげで私もこの世に生を受けたのですから、まあ、文句を言える筋合いではございません」
「――はい」
「で、そのまま絹枝さんの十八の春、大正七年を迎えれば何事もなく済んだのでしょうが、ここでひとつ、父は重大な誤りを犯しました。いえ、その後自分でそう悔いていただけで、私にはただの偶然としか思えないのですけれど、前年の秋、父や絹枝さんが招かれた、その某侯爵家の舞踏会に、ひとりの青年を同行させてしまった――それが間宮春樹さん、当時早稲田の商科に在学していた、血気盛んな若者だったのです」
*
それは大正六年の秋――父・宏傳が二十七歳、絹枝さんが十七歳の秋のことでございます。
すでに学習院で教鞭を取っていた父は、かつての教え子・当時二十二歳の間宮春樹さんから、某侯爵への紹介を請われました。
父が教壇で初めて教えた頃の春樹さんは、父と気が合うだけあって、文学好きの多感な少年だったそうですが、間宮家自体が財閥の家系であり、自身も安穏としていては兄たちの存在に負けてしまう、そんな危機感があったのでしょうね、いつか文学の道を諦め、あえて帝大ではなく私学の商科に進む道を選びました。間宮家自体も、一族のひとりがそうした後方支援的な立場に回ることを歓迎したようです。
元来頭の巡りがよく、加えて人心の微妙な部分にも聡かった春樹さんは、実学方面でも順調に力を伸ばされ、翌年に卒業を控えたその秋には、むしろお兄様方よりも将来を嘱望されておりました。某侯爵と顔を繋ごうとしたのも、江戸中期からの豪商であるにも拘わらず、維新以来『爵位を金で買った』などと陰で揶揄され続けてきた新華族の間宮家を、ゆくゆくは経済的実質にふさわしい存在に押し上げようと、密かに画策していたようです。
しかし――人間には、いわゆる『赤い糸』を見出すことによって、社会性から離れた価値観に殉じてしまうという、一種、美しい性質がございます。その秋の夜の春樹さんと絹枝さんが、まさしく、その好例だったのですね。
父の紹介と自身の人柄で、無事に某侯爵の知己を得た春樹さんは、気を弛め、つい飲み過ぎてしまったのかもしれません。また、十七にもなりながら家族以外の殿方とほとんど接したことがなく、それゆえに自分の婚約者である某侯爵の子息にもただ小娘のような憧憬しか抱いていなかった絹枝さんは、祝福する周りの方々に勧められるまま、少々ワインを嗜みすぎていたのかもしれません。えてして酒精、特に美酒のそれは、黒や白の糸さえ赤く染めがちですし、赤ならば真の赤を際立たせる効能がありますものね。
たとえ某侯爵家の夜会の広間が、どれほど日本離れした浪漫の色に満ちていようと、ふたり出会った露台の夜空が、どれほど澄みきった星々に覆い尽くされていようと、また、庭のガス燈の仄かなゆらぎに映える紅葉の枝々が、どれほど憂愁の美を湛えていようと――もしも春樹さんが素面であったら、男としての社会的立場を鑑み、かろうじて自分の心を偽れたのかもしれません。そして絹枝さんが、もし酔っていなかったら――いえ、そんな世事の打算を、あの頃の深窓の処女《おとめ》に求めるのは、酷というものでしょう。
ともあれ、やがて舞踏の輪の中で、あくまで慎ましく手と手を触れ合い、あくまで衣ごしに微かな肌の温もりを感じ合ったとき、ふたりは見交わす瞳の内に、渾然と、互いの小指を結んでいる赤い糸を見出してしまったのでございます。
今ならば、大抵の間の悪さなどなんのこともない、心を結ぶ嬉しい糸――しかし、やはり時代が違ったのですねえ。春樹さんも華族の一員とはいえ、成り上がりの商家の四男坊。絹枝さんは立派な武家筋の長女で、おまけに婚約者は公家筋の嫡子――結ばるるふたりにあらで君と我――そうなってしまえば、あとはもう、ふたつの道のどちらかを選ぶしかございません。みっつめの別れ道が見えるようなら、それは人の道ではなく、心なき傀儡《くぐつ》の道ですよ、あなた。
道行きの先が常春の彼岸か、寒風吹きすさぶ俗世間か、それはどちらの道を選んでも、その幸不幸を余人が計れるものではありませんけれど、そこはそれ自負も血気も盛りの春樹さんですし、絹枝さんにも世間知らずの強みがあります。結局ふたりは石見銀山も大川も選ばずに、手に手を取って自由な空へ、こっそりと、でも力いっぱい出奔いたしました。
まもなく世間では、婚約解消したのはあくまで侯爵子息が先、そんなおふれが新聞雑誌に出回りました。絹枝さんが袖にした相手が、ハンパではない――失礼、生半可な方ではなかったため、かえって表立った騒ぎにはならなかったのですわ。でも、当然ながら内輪では、大騒ぎどころか大爆発です。当時は『勘当』という言葉こそ、今と同じく親子喧嘩による感情的な絶縁を意味しておりましたが、実は法律にも、江戸以前の『勘当』と同様の条文が生きていたのです。『戸主の同意を得ずして婚姻した場合、戸主は一年以内にその子の離籍をなす事ができる』――。
そうして、その年の雪を待たずに、春樹さんたちは家と籍からきれいさっぱり放擲され、たちまち浮浪者同様の境遇に落ちました。それでもありがたいことに、表向きは『デモクラシー』の時代ですから、江戸時代のような帳外、無宿人というわけではありません。あくまで春樹さんは新規の戸主ですし、絹枝さんという宝石だけは、正式な妻、間宮絹枝として掌中に残ります。
命を賭けた恋じゃもの、荊の道は負ぶって通る――。
ただし――今も昔も同じでしょうけれど、まことに残念なことながら、愛だけでお米は買えません。行く先々にどこからか手が回り、どうしても春樹さんの職が決まらない。とどのつまり、ご夫婦が口に糊する道は、それこそ車夫や女給の道しか残されていない――そんな形に落ち着いてしまいました。
*
そこまで話したところで、岡崎老嬢は、いったん口を休めた。
お茶とひよ子で喉や舌を潤し、
「さて、この人情噺世話噺、あなたなら、どう先をお続けになる?」
授業中、ただ受け身で聞いている生徒を刺激するように、朝倉に振ってくる。
朝倉も、そうした授業運びが嫌いではない。
まずは教師に習って、お茶とサブレで頭に砂糖を補給し、
「――宏傳先生の出番ですね。そうした事態を招いた悔いもあるでしょうし、嫉妬や保身のために、若いふたりを見捨てるようなお人柄とも思えません。さらに後日、その間宮夫妻が立派な館を建てるに至ったのならば、車夫や女給以外なんらかの大勝負に出るためには、裏で動いてくれる確かな後見が必要だったはずですから」
老嬢は、ご明察、とうなずいて、
「まあ、父も精一杯の援助はいたしたようですが、実は、絹枝さんのお母様や妹さんも、密かに父を間に頼り、絹枝さんの幸せを願ったのですわ。たぶん絹枝さんのお父様も、見て見ぬ振りをなさったのでしょうね。とはいえ岡崎家としても、表立って某家の御機嫌を損じるわけにはまいりません。間宮家に至っては、春樹さんなど大罪人扱いです。つまり日本にいる限り、生涯日陰の身でございますわね。そこで、春樹さんの希望もあり、心機一転、新天地を目ざすことになりました」
もしや台湾――そんな朝倉の予想は、いったん外れた。
「そうして翌年の初春、若いご夫婦は、当座の旅費だけを手に、父ひとりに見送られ、矢切の渡しならぬ雪の横浜の港から、遠くアメリカへと旅立ったのでございます。春樹さんは、もとより英語に堪能でした。絹枝さんも、ひととおりの心得がありました。しかしイギリスよりはアメリカのほうが、異国人でも徒手空拳で成り上がりやすい、そんな心算だったようです。――ところで朝倉さん、映画の『タイタニック』は、ご覧になって?」
「あ、はい。――そうか、あれが沈んだのは、確か一九一二年」
「そう、明治四十五年の春――ちょうど父が絹枝さんを見初めた頃ですわね。同じ夏には明治大帝崩御、つまり大正元年に変わってしまいましたけれど」
その古風な海難悲劇映画を想ってか、それとも父親や春樹たちの青春を想ってか、岡崎老嬢は夢見るような瞳を、座敷の欄間の、透かし彫りの雲間に泳がせた。
「あの映画で、かわいらしくがんばっていらしたディカプリオの坊ちゃんも、無一文、身ひとつで新天地を目ざしておりましたわね。きっと春樹さんも、そんな希望に燃えていたのでしょう。まあヒロインさんのほうは、あの映画ではずいぶんたくましい頑丈そうな娘さんでしたから、絹枝さんのほうが、守りがいではずっと上だったかもしれません。そして、脇役でなかなかいい味を出していらした、女優のキャシー・ベイツさん」
「はい、『不沈のモリー・ブラウン』役ですね。アメリカの上流社会では、田舎者の成金女と馬鹿にされながら、最後まで人間としての矜持を守って生き残る強い女――適役でした」
「あの人も、モデルになった実在の方は、貧しいアイルランド移民の家から、夫と共に一代で財を成した方でしょう?」
「なるほど。間宮春樹さんも、その路線を目ざしたわけですね」
老嬢は、卓上の画集に視線を落とし、
「その後の春樹さんが、自分自身の血気と、ただひとつ掌中に残された絹枝さんという珠のために、見知らぬ異国でどれほど獅子奮迅の働きをされたのか――それは残念ながら、つまびらかではございません。それでも実のところ、闇の虎口に繋がるような危ない橋を、いくつも渡ったようでございます。妻たる絹枝さんにも、夫が外で何をしているのかはっきり判らず、ただはらはらと帰りを待つ日が、ずいぶん続いたそうですわ。でも、やはり並大抵の方ではなかったのですね。最終的な成功の種は、穀物相場と金鉱がらみの土地売買だったそうですが、渡米後わずか四年目の春には、ご夫婦とも誰恥じることのない姿で帰国され、捨てた故郷、いえ、捨てられた故郷の白金に、あの茉莉花館を建ててしまったのです。わざわざ間宮家に近い土地を選んだそうですから、絹枝さんはともかく春樹さんのほうは、ご実家に対して、よほど含むところがあったのでしょうね」
「なるほど。そうして、この館を反旗の砦として――」
朝倉も水彩画に目を移し、そう言いかけると、
「いえ、私も子供の頃、何度か実物を拝見しましたけれど、そう大それた造りには見えませんでしたよ。確かにお伽話のような美しい館だとは、幼心に思いましたけどね。朝倉さんも、あの霊園のミニチュアをご覧になったのなら、豪邸というよりは、どこか避暑地の瀟洒な別荘、そんなふうに見えませんでした?」
「……確かに」
「この家は、本来あくまで日本滞在用の別荘、そして内外のお客様をお泊めするためのささやかな旅荘、そんな役割だったのです」
「はあ」
「つまり、おふたりが帰国される前に、ご本宅――いわば『茉莉花館の本館』は、もう別の所にできていたのですね。いえ、別館もすでにひとつあったそうですから、つまりこれは、みっつめの茉莉花館ということになります」
「……三軒目?」
朝倉は思わずつぶやいた。
謎の館にさまよいこんだときの、勇介の話を思い出したのである。
最初にたどった二階の入口までの光景、窓の外の畑、そして一階の出口――それぞれが別の土地。
「ごめんなさい、お話が入れ籠になってしまって。じゃあ、また順を追って、お話ししましょうね」
岡崎老嬢は、間宮夫妻の帰国前の話に戻った。
「ご夫婦はあちらで財を成したあと、たとえ日本に帰国しても、永住する気はもうなかったそうです。ただアメリカに居付くには、やはり風土も気性も今ひとつ合わない。なにより当時の東洋人は、いかに新天地アメリカでも、差別されがちなマイノリティーです。成功すればするほど、周囲に嫉妬による奸策も渦巻きます。そこで色々と考えた末、さらなる新天地の目星を付けた――それが、当時の日本の一部、台湾島でした」
「台湾……」
ここで繋がるのか――ふたたび絶句する朝倉に、
「あら、ご存知なかった? あなたなら、そのくらいの歴史はご承知かと」
朝倉はあわてて頭《かぶり》を振った。
「いえ、もちろん心得ております。日清戦勝後、太平洋戦争で敗北するまで、確かにあそこも日本ですね」
「はい。そうしてご夫婦は、いったん帰国の途についたのですが、すんなり元の太平洋を渡るのでは、なにか気持ちが満たされない。そこで大西洋からヨーロッパを巡り、いわばようやくの蜜月旅行を楽しむことにしたのです。当時のことですから、一度住まいを定めてしまえば、そうそう世界を巡る船旅など、次にいつできるかわかりませんものね」
「はい」
「その旅の途中、南欧スペインに立ち寄った際、ご夫婦は、運命的な光景を目にすることになりました。それはアメリカで知己を得た、スペイン貴族の血を引く方の所有地だったそうですが、その郊外の農園で一夜を過ごしたご夫婦は、見渡す限りのジャスミン畑と、湖の畔に建っていたひとつの別邸に、なにかこう、すっかり魅せられてしまったのですね。のちに伺った話では、なにか『ジャスミンの香りに化かされた』――そんな、ものに取り憑かれてしまったような気分だったそうですわ」
「……はい」
「折りしも、懐は法外に豊かです。あちら様は貴族といっても、いわば零落した農場主、代々の農園は手放せないものの、別邸などは、すでにお荷物だったのでしょう。喜んで所有権を投げ売りしてくださったそうです。そうして、そのときは後ろ髪を引かれながらもいったん欧州を去り、予定どおりに船旅を続け、やがてお目当ての台湾に着く。さて、ここでどんな新しい暮らしを興そうか――そうして目に止まったのが、奇しくも、やはり南部のジャスミン農園だったのですね。あの島国も、亜熱帯性の温暖な土地柄ですから」
「はい」
「幸い農園の権利も、欧米に比べればごく安価です。そこでご夫婦は『化かされた』気分のままに、例のスペインの館を、あちらで解体させて台湾に移築することにしました。今となっては大企業の協賛でもなければ不可能なことでしょうけれど、まあ、当時の『アメリカでひと山当てた』ということは、そう、今ならばビル・ゲイツさんや、全盛期のマイケル・ジャクソンさんあたりの鼻息、そんな勢いがあったのでしょうね」
「はい」
「それでも根が実業家肌の春樹さんですから、欧州スケールの広壮な館を、そのまま台湾南部の農村に再現するのでは、いかにも無駄が多い。そこで、農園を一望できる丘の上と、新事業の商業的拠点として台北市の市街、そして故郷の白金台――そのそれぞれにひとつずつ、タイプ違いの、でもあくまで本来の風雅を保った、小ぶりの館を組み上げた――ジャスミンハイツと名前を付けたのも、その南部の館が最初と聞いております。文字通りの『ハイツ』、つまり高台に建っていたのは、本来そこだけですものね。ですから、この父の絵は、いわば茉莉花館の分身なのですわ」
うわ。なんか、夢の過連想が整然と繋がっちまったよ――。
朝倉は驚愕していた。
しかし、それはまだ空間的要素限定のイマージュであり、人的な方面の繋がりは、あいかわらず把握できない。霊園の雛形の由来さえ、まだ先である。
先を求める朝倉の視線に、老嬢がうなずく。
*
そうして、表立っては『めでたしめでたし』の心地で、ふだんは台北市と農園を行き来し、ときおり日本に戻る、そんな暮らしを始めたご夫婦でしたが――昔から『好事魔多し』などと申します。
過去に穀物相場で当てたといっても、それはあくまで投機の世界、実際に広大な農園を経営したわけではありません。また、アメリカでは春樹さんに味方した天の雲行きも、しょせん人智の及ばない神の気まぐれです。今だって、週間予報はなんとか当たっても、長期予報など、ちっとも当たりませんでしょう?
最初の年、持てる資財を費やして採算を保った農園も、翌年、大正十二年の夏期には、天候不順や虫害で、なかなか難しい状態に陥ってしまいました。もちろん春樹さんのことですから、その程度のリスクは前年から計算の内だったのです。さらに翌年の初夏までは、つつがなく農園を存続できるだけの算段がついておりました。しかし、その先の目処が、ある日突然、立たなくなってしまった――。
その背景は、あくまで推測の域を出ないのですけれど――などと思わせぶりに申しますのも、戦後の財閥解体ですっかり縮小し、今は事業を閉じてしまった間宮家はいざ知らず、例の『某侯爵家』のほうが、それこそ日本沈没でも起こらない限り、永遠に『お名前に差し障りがある』からなのですけれど――資金運用のほうに、大きな影が差してしまったのですね。つまり、春樹さんのさらなる発展を快く思わない方々、そしてそちらの御機嫌を窺わざるを得ない方々が、上のほうのあちこちに、まだいらっしゃったのですわ。
もちろん、その筋を侮っていた春樹さんにも責はあります。実業家の老獪さをすでに身につけていたはずの春樹さんも、やはり若かった――そして当時のアメリカで発揮したような一種の楽天性が、やはりこの国の湿った風土には合っていなかった――そんな気もいたしますわね。
その夏の終わり近く、間宮夫妻は白金の茉莉花館に戻りました。
そして春樹さんは、私の父や、早稲田の商科で培った自由の気風の伝手を頼って、連日の活動を始めました。まあ有り体に言えば、翌年のための金策に駆けまわっておりました。
そして、あの、九月一日のお昼どき――春樹さんは、絹枝さんをひとり茉莉花館に残し、知人の会社を訪ねるため、神田駿河台に出向いていたのです。
*
「一九二三年九月一日、午前十一時五十八分三十二秒――」
朝倉の口から、無意識に、そんな過去の暗記事項が漏れた。
「――はい」
岡崎老嬢は、蕭やかに頭《こうべ》を垂れた。
「――私はまだ生まれておりませんでしたし、父もたまたま瑞聖寺で縁者の法要に出ており、難を逃れました。神仏の加護というものがあるかないか、焼けた寺社も多いわけですから一概には言えませんけれど、あの寺だけは何があっても焼けない崩れない、そんな不思議なさだめだったのでしょう。あの近辺でも崩れた家はありましたが、幸い大火は出さずにすみました。でも、間宮春樹さんは、都会の大惨事の渦中にあって、本来即死してもおかしくないような、大傷を負ってしまったようです」
「なら、駿河台では生き残られたのですね」
「はい。でも、それが良かったのかどうか……」
老嬢は哀しげに目を伏せた。
「やはり、よほど思い残すことが多かったのでしょうねえ。春樹さんは午後いっぱいをかけて、自力で白金にたどりつき――でも、ついに茉莉花館までは命が保たず、夕刻、私の生家に近い路傍で、ご近所の方に看取られながら息を引き取ったそうです」
「じゃあ、絹枝さんは未亡人……」
朝倉が沈鬱につぶやくと、
「未亡人と申しましょうか、そうではないと申しましょうか」
「すると、後を追って――」
「いえ、そうでもありません」
「それは、いったい……」
「はい。そこが、『良かったのかどうか』なのですわ」
老嬢は思わせぶりに先を続けた。
「館に続く本来の私道が崖崩れで塞がってしまったり、屋根瓦があちこち落ちたりはいたしましたが、茉莉花館のしっかりした普請のおかげで、絹枝さんは大過を逃れました。しかし、世間が、外の世界がどうなってしまったのかは、有線電話が不通になってしまえば見当もつきません。今ではございませんもの、テレビはおろかラジオも何もなく、外を覗けば、傷んだ家並みの間を、訳が解らず右往左往する人ばかり。夫が向かった先の空は、一面に暗雲のような煙が渦巻くばかり――。こんなことを申しますと、いかにも酷いようですが、春樹さんは、いっそその炎の中で、灰になったほうが良かったのかも知れません。そうすれば絹枝さんにも、覚悟のための時間が与えられたわけですから。でも、夫恋しの念と安否の不安、まだ若い妻が錯乱寸前でいた目の前に、いきなりその夫の、変わり果てた姿が届けられてしまった――」
朝倉は、嫌な予感に囚われた。最前の老嬢の、曖昧な表現に思い至ったのである。
「父が、その場にいれば良かったのですわ。朝倉さんならご存知でしょうけれど、漢籍と言っても、けして窮屈な漢字の羅列ではありません。論語のような堅苦しい教条ばかりではありません。詩心の粋を尽くした五言絶句や七言絶句、流れるような律詩、あるいは聊斎志異のような夢幻の世界――それが人の言葉である限り、人の心の微妙霊妙な機微に通じる言霊です。それを生涯愛した父ならば、けして絹枝さんに、いきなり頭の割れた死骸を突きつけるような真似はしなかった、しろと言われても絶対にしなかったはずです。でも――震災に惑乱したご近所の方々や、気の立った警官は、ただ落とし物を持ち主の家に届けるように――」
「……はい」
朝倉には、期待にそぐわない続きが、ほとんど読めてしまった。
「そのとき絹枝さんは、ただ腑抜けのような顔になり、人々や春樹さんの遺体を扉の前に残したまま、館の内に引き返し、扉を閉じてしまったそうです。そうして、誰がどう呼んでも、話を聞いた父が駆けつけて外から何を叫んでも、返事はおろか、身じろぎの気配さえしない。もしや早まったことを――父は警官の力を借りて扉を破り、無理矢理中に押し入りました」
「……はい」
「絹枝さんは、居間のテーブルで、静かに編み物をなさっていたそうです。そして父たちに、にっこりと笑いかけ、『あら、皆様、いらっしゃいませ。あいすいません。宅はまだ、仕事から戻っておりませんのよ』――」
岡崎老嬢は、朝倉の心を測るように、そこで言葉を切った。
朝倉は気を落とし、無言のまま、斜めにうなずいた。
――そうなのですか。
老嬢は、多感な孫娘を見守る祖母のように、穏やかにうなずき返した。
――そうなのですよ。
冬の西日は、岡崎邸の庭の木々を、茜色に染めはじめている。
家政婦が、ささやかな茶道具一式を運んできた。
空いた煎茶の茶碗を黙って片づけて、静かに下がる。今日の来客はまだ長い、そんな呼吸なのだろう。
老嬢が流れるような手で点てた抹茶を、静寂の中、ふたり神妙に味わう。
やがて、
「……つまり絹枝さんは、その、妄想の世界に逃避された、と」
おずおずと口にする朝倉に、
「――『妄想』という表現は、精神医学的に、なかなか曖昧な言葉ですわね。様々な精神疾患による妄想があり、それがまた様々な類型に分類されておりますが、実のところ、それは心を病んだ人の数だけあると言っても過言ではありません。絹枝さんの場合、春樹さんの死をいっさい認めないために、その日その瞬間に時を止めてしまった――いえ、それも正確ではありませんね。なぜなら、夫はその日の夕方には、きちんと帰ってくるはずなのですから。そして天地も、けして揺るがない。つまり、永遠に同じ一日――いえ、一九二三年九月一日の朝、笑顔で夫を送り出してから、天地が揺らぎはじめる直前の午前十一時五十八分三十秒までの四時間程度を、繰り返し繰り返し、生き続けることになります。もちろんご当人にしてみれば、そんな時計のような時間感覚ではなく、なにか、ゆったりとした時の渦の中でたゆたうような、そんな曖昧な日々を繰り返すのかもしれません」
「はい」
「無粋な医学用語に閉じこめるならば、症状的には『痴呆』、今で言う『認知症』に近いのでしょうね。あれは必ずしも知能障碍を伴いません。記憶と見当識だけの障碍もあります。現に、父や私の夫が、晩年その状態でしたから。ただ絹枝さんの場合、けしてアルツハイマーのような器質的な障碍ではございません。ならば『偏執病《パラノイア》』? それとも『記憶喪失』? ――人の心を厳密に事業仕分けする尺度など、もとからないのですよ。要は『気が違った』、それでいいのだと思います。私には『気違い』という極めて自然な言葉が、なぜ忌み嫌われるようなニュアンスを帯びてしまったのか、語誌的には把握できても、言語学的には理解できません。そもそも、あからさまに心を病んでいないにしろ、朝倉さん、私の『気』と、あなたの『気』の、いったいどこが同じだと言うのですか? さきほど美味しそうにサブレを召し上がっていらしたあなたの『気』と、今そうして哀しそうに瞳を潤ませてくださっているあなたの『気』は、同じものですか?」
「……はい」
「私には、たとえば戦中の多くの人々、あるいは物騒な新興宗教の方々などは、『気同じ』という心の病気に思えてなりません」
岡崎老嬢の言葉が、多分に知性よりも美意識に傾きつつあると悟りつつ、朝倉は、やはり深々とうなずかざるをえなかった。
「『狂人』という言葉も、厳密には『人』と同じことです。間違った狂人もあれば、正しい狂人もあります。醜い狂人もいれば、それはそれは美しく狂われる方もいるのです」
「はい」
老嬢は、ふたたび夢見るような視線を、ゆっくりと欄間の雲にさまよわせた。
「……ほんとうに、美しい方でしたのよ」
その透かし彫りの雲間に、よく見れば羽衣の天女がひとり舞っているのを、朝倉は、そのとき初めて気づいた。
*
私が初めて絹枝さんに出会ったのは、忘れもいたしません、昭和十五年――あの震災からちょうど十七年を経た、春樹さんのご命日――私がまだ三歳の、夏の終わりです。
昭和十五年と申しますと、翌年には太平洋戦争開戦、朝倉さんのように歴史にお詳しい方なら――はい、よくできました、国家総動員法第六条も、その年に発動しております。
今でも明治維新や大正浪漫は、若者向きの漫画などでも好まれますが、昭和に入ると、戦争映画やドラマなどで、やたらと暗く描かれがちですわね。でも昭和に入っても、あの昭和十六年の対米開戦までは、けして市井はそれほど萎縮しておりませんでしたのよ。むしろ昭和十年あたりからしばらくが、この国の、いちばん自由主義華やかなりし時代のように、近頃思われてなりません。
たとえば、当時帝大で教鞭を取っていた父の教え子の方々は、ほとんど文科でしたから、まだ戦場への学徒出陣こそ想像もできないにしろ、白紙――徴用令書には戦々恐々としていましたけれど、それでも東京にいくつも残っていたダンスホールや、その、もっと良からぬ場所に、せっせと通われていたそうですわ。でもやはり、そろそろ物資が不足して、少々足元がふらついていたようで、そこはちゃっかり私の家に押しかけて、父とお勉強のお話や、なにやらこっそり物騒な話をしながら、実はご飯をお腹いっぱい食べて帰ったり。中には、真珠湾奇襲成功をその手のところで知ったなどという、猛者の方もいらっしゃいました。
縛る縄がしっかり見えてこそ、人はその縄を解く喜びを知れます。もちろん、大人の世界での話ですけどね。私がそんな話を聞けたのも、戦後、大人になって、無事に生き延びられた方々に思い出話を聞けたからで、当時は、自分の家はいつも夜になると違うお兄さんたちがうようよしていて面白いけどなんだか変、そんな雛っ子だったのですけれど。
――失礼、お話が、明後日《あさって》のほうに行ってしまいましたわね。
その昭和十五年、夏の終わり――。
春樹さんのご命日と申しましても、実は、お役所に正式な死亡届けが出されていたわけではありません。
もとより間宮の本家は知らぬ存ぜぬですし、唯一籍を同じくする絹枝さんも、あれ以来ずっと茉莉花館で、帰るはずのない春樹さんを待ち続けております。父もまた、法律的な何かでご夫婦の人生に決着を付けてしまうことを、必ずしも望まなかったのでしょう。
もちろん春樹さんのご遺体は、父の手配によって、瑞聖寺の墓地に手厚く葬られておりました。あの大震災、またのちの大空襲――どこかに消えたまま戸籍上では亡くなった方、あるいは亡骸があるのにどこの誰かは判らないまま葬られた方――お坊様方は、そんな多くの方々にも、きちんと分け隔てなくお経を読んでくださいます。立派な戒名も付けてくださいます。もちろん、きちんとお布施がいりますけどね。
その日の午後、職場から早帰りして、ひとりで寺に向かおうとする父に、私は駄々をこねて同行いたしました。母や祖父母は、ご近所の方々と連れだって銀座に買い物に出ておりましたし、ちょうど家の女中さんが元気のないお婆さんだった頃で、いかにもお留守番がつまらなかったのですわ。それに、私は父が四十七になってようやくできたひとり娘でしたので、父も、なにかと甘かったのですね。父が結婚したのは、その七年前、昭和八年――今にして思えば、あの騒ぎから十年、絹枝さんのお気が、おそらく生涯あの日のままだろうと、お医者様に引導を渡された頃なのかもしれません。
連れて行くからには大人しくしていろ――そんな父の言葉に従って、私もせいぜいお行儀よく、本堂でのお経のときも墓地でのお参りのときも、父の隣で、ちょこなんと畏まっておりました。なぜかそんな昔から、ご近所のちびっこ朋輩といっしょに駆けまわるよりは、お寺の静けさや抹香のにおいのほうが、好ましいたちだったのですわ。
そうしてつつがなく春樹さんを弔い――もちろん私は、父のお友達のお参りどころか、お寺でなにかとっても大人なことをしてきた、そんな気で、ご満悦だっただけなのですけれど――帰り道、父にねだってお店屋でアイスクリンを買ってもらい、ちろちろ嘗めながら、いつか鳴きはじめた蜩の声の下、まだ残暑の残る土埃の道を、父に手を引かれて歩いておりますと――。
――ほんとうに、美しいおばさまでしたのよ。
白いレースの日傘をさして、それより白い、なにかドレスのような西洋風のお姿は、それは銀座あたりなら珍しくもなかったのでしょうけれど、まだまだ日本の大人、特に女性の外出は、着物姿が多かった時代です。それに、これも今にして思えばなのですが、やはりお化粧もあの日のままだったのでしょうね。でも、それがちっとも不釣り合いではないほど、綺麗な肌をしていらっしゃいましたわ。
絹枝さんの後ろにそっと付き添っていた、地味な和服の初老の女性が、先に私どもに気づいて、丁寧にお辞儀されました。私の手を引く父の指に、急に力が入ったのを覚えております。実はその年輩の方は、父がずっと茉莉花館に通わせていた、もと看護婦の、女中の方でした。
すると、その美しい方も父の姿に気づいて、それはそれは雅やかに、「あら、梶尾様」――。
*
「す、すみません」
朝倉は三たび驚愕しながら、岡崎老嬢の話を遮った。
「あの、なんども恐縮ですが、あの、今、梶尾さんとおっしゃいましたか?」
老嬢は、あら、と逆に恐縮して、
「これは申し訳ございません。まだ、そこに触れておりませんでしたわね。絹枝さんの元のお家は、岡崎子爵家そのものではございませんが、きちんと岡崎本家。でも縁戚の父の実家は、姓が違って梶尾でございます。父が岡崎姓になったのは、この岡崎の分家に養子に入った、昭和八年からなのですよ。なんだか解りにくい話でしょうか」
「いえ――」
「この分家は、なぜか代々、いわゆる女腹でしてねえ。昔は縁者から婿養子を取るのが決まりになっていたようです。もっとも私の夫は、お仕着せのお見合いではなく、同僚から良さげな人を見つくろいましたけどね。そのおかげか、生まれた子供も男ふたり女ひとり」
「――了解しました。お続けください」
*
婿養子と申しましても、すでに漢学で名を上げ収入も多かった父ですし、私の母も女だてらに教師を続けて嫁き遅れ、いえ、婿取り遅れ、おまけに父より十五も歳下でしたから、いわゆる『マスオさん状態』ではなく、母も祖父母も、大事に家長扱いを守っておりました。ですから父が婿入り後も、密かに――当時の私が知らないだけで、ほんとうは密かでもなんでもなかったのですけれど――茉莉花館と絹枝さんを経済的に支援するのは、なんの問題もありませんでした。これもまた絹枝さんのお母様や妹さん、つまり岡崎本家の、陰の希望が働いていたのでしょうね。
絹枝さんは、ほとんど外出なさらず、お買い物なども、御用聞きや、その通いの女中さんに任せておられたのですけれど、けして奥に閉じこもりきりではありませんでした。庭のお手入れなどは、ほとんどご自分でなさったそうですから、足腰が弱ることも、日陰の花になることもありません。ただ、やはり門外に出るのは、なにか心の奥に妨げるものがあったのでしょう、よほど気が向かない限り、町にはお出ましになりませんでした。ですから私も、ご本人を見るのは、その時が初めてだったのです。
それでも『茉莉花館の絹枝さん』といえば、その頃の町の『隠れた有名人』、大人だけでなく子供の口の端まで、折々に上っておりました。いえ、けして悪い噂や、学校の怪談のような興味本位ではございませんよ。大人たちは、その、歴史的悲劇のヒロインのように見ておりましたし、私より年長の、以前に出会ったことのある子供たちも、なにか不思議なお伽話の女の人、そんなふうに思っておりました。もとより私のような雛っ子たちにとっては、ほとんど『いつか見られたら大儲け』の世界です。
その夏の日も、私、おお、これは西洋のお姫様のお母様かしら、そんなふうに、ぽかんと見上げておりましたわ。そして雛っ子とはいえ、大人であればあるほど父を『カジオさん』と呼ぶことが多いのを知っておりましたから、なんだか父が大昔から偉い人だったように思われ、あらためて尊敬してしまったりして――。
「やあ、絹枝さん、お散歩ですか」
「はい、ようやく涼しくなってまいりましたので。梶尾様、昨夜はお粗末いたしました。今夜も宅がお待ちしておりますので、ぜひ、お立ち寄りくださいませね」
一語一句覚えているわけではありませんが、父と絹枝さんは、そんな簡単な挨拶を交わし、すぐに別れてしまったので、私はたいそう心残りでした。それから家に着くまでのあいだ、父の手が妙に堅くなっていたのを、今でもはっきり覚えております。
――人の心って、不思議なものですわねえ、朝倉さん。
いえ、私や父のことではありません。
絹枝さんが、いったいどのように心の中をやりくりしながら、二十年以上もの歳月を、同じ四時間に生きていらしたのか――夫の帰らぬ幾千の夜や、ひとりきりの朝の目覚めを、どんな儚い夢で塗り替えていたのか――まあ、私も長く生きておりますし、晩年の父や夫も世話しておりますから、知力を保ったまま記憶や見当識が抜けるということを、ある程度は理解できます。また昔の同僚に、いっとき分裂症――統合失調症を患った方がおりまして、いわゆる『トンデモ』の世界に脚を踏み入れてしまった方が、己の矛盾した言質に、ありとあらゆる手段で整合を図る様なども、しっかり見聞しております。その方の病気は、半年ほどの投薬で治ってしまいましたから、絹枝さんも、今ならすぐに治られたのかもしれません。
それでも――やはり、人の心ほど不思議なものはありませんねえ、朝倉さん。
*
「――はい」
朝倉は、身に染みてうなずいた。大学時代、妙な新興宗教に入信して、行方知れずになってしまった知人を思い出していたのである。
人というものは、信じたい何かを信じるために、なんの合理性もない夢の過連想さえ、現実へと糊塗してしまうものなのだ。ならば死んだ者たちにも、それは可能なのかもしれない。すでに肉体の物理に属さないぶんだけ、なおのこと。
「二十年以上、とおっしゃいましたね。そうすると、その茉莉花館は――」
「はい。のちの、山の手大空襲で」
「そうですか……昭和二十年五月二十五日、でしたか」
「はい。――あの空襲も、三月四月の下町大空襲よりは、焼き払われた土地は斑だったのですが、そのぶん運不運の差が大きいと申しますか――不謹慎かもしれませんが、ある意味、命を賭けた博打の駒にされたようなものでしたねえ。たとえば同じ白金台でも、私の生家のあたりは、きれいに無傷で残りました。ところが、さほど離れていないところでも、焼夷弾が落ちてしまえば一角ごと紅蓮の地獄です」
「はい。以前、祖父から聞きました。祖父は薬科大に入っていたので学徒出陣は免れたのですが、実家は焼けて、青山通りは焼死体の山――祖父たちは運良く青山墓地まで逃れ、九死に一生を得たそうです」
「私も、見てきたように言っておりますが、私自身はまだ八歳、祖父母や母といっしょに、縁を頼って山形に疎開しておりましたから、東京に残っていたのは父だけなのですわ。父も歳のおかげで赤紙の心配はございませんでしたし、まあ、仕事や血筋のおかげで白紙も免れましたから、いっしょに田舎に行けないこともなかったのですが、絹枝さんは、どうしても動けませんでしょう?」
「そうですね……。そうですか、焼けてしまったのですか」
朝倉は、もの思わしく、あらためて卓上の水彩画を見入った。
その様子に、心底の情を感じたのか、
「――館はあまり写っておりませんが、前で撮った写真でよろしければ、一枚だけございますよ。なにぶん事情が事情ですから、どなたにも、お目にかけたことはないのですけれど」
「お願いします、ぜひ。天地神明にかけて、けして公にはしません」
朝倉の大仰な意気込みに、岡崎老嬢は微苦笑し、流れるような物腰で隣室に立った。
「いえ、あれからもう何十年、そろそろ大悲恋映画にでも、していただきたいところですわ。できれば私が生きているうちに。でも、今どきのお若い監督さんや役者さんだと、なんだか心配ですわねえ。いっそ、娘が好きだった『はいからさん』のような、かわいらしい少女漫画で――」
冗談めかして言う声に、使いこまれた桐箪笥特有の、微風のような開閉音が重なった。
表紙付きの写真台紙を手に、老嬢は卓に戻り、
「父は、お世辞にも美男ではありませんねえ。でも、ご夫婦は――つくづく名匠の雛人形のようだと、今でも感心しますわよ」
折り癖のついた中紙を指で押さえながら、朝倉に、キャビネ判ほどの写真を示す。
「ほら、建ったばかりの茉莉花館の前で、三人揃って、もう『I,m the king of the world』みたいな顔をして」
モノクロが退色したのか、もとからのセピア調色なのかは判らない。いずれにせよ、確かに数十年以上前のものと覚しい写真の中に、見慣れた若者たちが笑っていても、朝倉はもう驚かなかった。
向かって右側には、今よりもひとまわり人間的に成熟して、そこに慎治の繊細さを半分宿したような、しかし紛れもない勇介が立っている。それが岡崎宏傳、もとい梶尾宏傳なのだろう。
左には、ひとまわりほどではないが、やはりずいぶん大人びた、どこか勇介の気骨を分けてもらったような表情の、慎治そのものが立っている。――間宮春樹。
そして中央、それら白シャツを腕まくりして幅広のズボンを穿いた青年たちの間には、古風なワンピース姿の亜由美が、慎治に肩を抱かれ、はにかむように笑っている。彼女だけは、娘らしさが今とさほど変わらず、ただ、涼しげな断髪になっている。やはり亜由美ではなく、間宮絹枝に違いない。
そんな三人の背後には、あの霊園の館の一階正面をそのまま拡大して、さらに細部まで造りこんだような茉莉花館が、誇らしげに輝いていた。超広角レンズのないその時代、引きのない場所で館の全容を写真に収めることはできない。宏傳の水彩画は、そのための記録でもあるのだろう。
これで総てが繋がった、と朝倉は思った。
「……岡崎さん」
「はい?」
「愛川、という姓に、お心当たりはありませんか?」
老嬢は、微妙な顔で首を傾げた。
「あいかわさん?」
「愛情の愛に、三本川です」
「愛川、愛川さん、確かどこかで……ちょっとお待ちくださいね」
老嬢はふたたび隣室に立った。
かがんで文机を探る気配ののち、老嬢は大ぶりの蒔絵の文箱を運んできて、中の葉書の束を、卓上でほぐしはじめた。茶色に変色したものから、比較的新しいものまで様々である。
「愛川さん、愛川さん、と。――ありましたわ。本家筋からの、昔の案内状ですけれど」
老嬢は、さほど古びていない一枚を選り出すと、傍らの老眼鏡を取り、差出人を検めた。
「えーと、『九条家・愛川家・結婚の儀』――絹枝さんの妹さんが嫁がれたのが御子柴家で、その娘さんのひとりが、確か九条家に嫁がれましたから――ええい、ややこしい――はい、つまり絹枝さんの妹さんの孫娘、その方が、愛川さんというお家に嫁がれておりますね。昭和五十五年の、結婚式の招待状です。披露宴は白金台の八芳園――もしかして、朝倉さんもお心当たりが?」
やっぱり――。
「あ、は、はい。高校時代、この絹枝さんに、とても良く似たお嬢さんがいらっしゃって」
「あらまあ、これは、ご縁がありますこと」
朝倉は適当に相槌を打ちながら、ほとんど確信していた。十中八九、亜由美は間宮絹枝の、妹の曾孫にあたるのだろう。朝倉自身は昭和五十九年生まれである。ならば亜由美は六十一年、年代も合う。
つまり今回の変事は、夢というより三遊亭円朝ばりの、世代を跨いだ因縁噺。
慎治は、おそらく間宮春樹のアレにナニされて――。
あのとき勇介を殴打したのは、やはり亜由美ではなく間宮絹枝のアレで――。
そんな黙考をしている朝倉に、岡崎老嬢は軽い口調で、
「絹枝さんも、結婚式に呼ばれて出ておりますよ。お亡くなりになる二年前ですわね」
「――は?」
朝倉の口が、丸く開いたままになった。主観的には、顎が胸まで落ちた。
「あの……絹枝さんという方は、空襲で……」
「あらいやだ。またお話が、入れ籠になってしまいましたわね。実は、その大空襲の夜が、父の生涯唯一の花道、大活劇なのですよ」
岡崎老嬢の口跡が、誇らしげに熱を帯びた。
「焼夷弾を受けて燃え盛る茉莉花館に跳びこんで、炎の壁をいくつもくぐり抜け、地下室に逃れて窒息しかかっていた絹枝さんを、危機一髪、みごとに救い出したのです」
「……そうですか」
それは困る、と言い返すわけにもいかない。
「はい。まるで、ハリウッド映画のようでございましょう? それだけではございません。絹枝さんは、その夜の恐怖が震災の記憶とでも重なったのでしょうか、翌朝目覚められたときから、止まっていた時間が少しずつ動きはじめ、終戦を迎える頃までには、なんとか記憶を取り戻されたのです」
「……はい」
*
――もっとも、絹枝さんが、ほんとうに落ち着いて、総ての経緯《いきさつ》を納得されるようになったのは、あの戦後の復興期、私が高校に上がった頃ですかしら。
その頃、相継いで亡くなった祖父母も、それからの父母や私も、縁あっての大事なお客様として、ずいぶんお世話いたしましたのよ。病院に入れるような方では、まるでなかったんですもの。
思えば母も、よく嫉妬しなかったものだと、我が親ながら感心してしまうのですけれど、絹枝さんは離れ住まいでしたし、お互い五十を挟んで五つ違い、あの頃は人の枯れが早うございましたから、もう色恋よりは一族仲間内の世界だったのでしょうね。それとも姉妹ですかしら。確かに、世間知らずの姉の世話を焼くしっかり者の妹、そんなふうに見えることもありました。それなら私にとっても、きちんと『おばさま』ですものね。
そうして、けっこう色々と辛かったのに近頃奇妙に懐かしがられている、あの三十年代――昭和三十二年、私の実の母が亡くなりました。まだ五十二の若さでした。アジア風邪――朝倉さんなら、ご存知ですわね。
はい、そのとおりでございます。今で言う、新型インフルエンザのパンデミックでございます。この国では、五千七百人が亡くなりました。母も、運が悪かったのですねえ。ワクチンは効かず、タミフルもリレンザもない時代です。絹枝さんも、ほんとうの身内のように悲しんでくださいましたのよ。そして歳の離れた父は、もう六十代なかばを過ぎ――そろそろ体のほうも気力のほうも、衰えはじめていた頃です。
その頃、私は学業の傍ら、すでに父の研究面での秘書役を勤めておりました。でも、その後の教職やら婿取りやら子育てやらで、そうそう一日中、父の世話をしているわけにもまいりません。ですから、いつとはなしに絹枝さんが、父の生活のほうを看てくださるようになって――数年後、父が絹枝さんを岡崎の籍に入れたいと言いだしたとき、私も夫も、双手を挙げて賛成しましたわ。
もし父が先立っても、絹枝さんを追い出す気など毛頭なかったのですし、ふたりもすでに七十二と六十二、そんな形で絹枝さんの余生を約束しなければ、父も安心して余生を生きられないでしょうし。つまり絹枝さんは、晩年、家は違いますけれど、また岡崎絹枝、法的には私の義母でもあったのです。
ほどなく父はアルツハイマーを発症し、それでも八年生きました。半分は寝たきりでございます。絹枝さんがいてくれたおかげで、どんなに我が家が助かったか――。
そして絹枝さんは、もともと頭のおよろしい方でしたから、父の残した膨大な仕事の整理など、長く私を手伝ってくださって、八十二歳の秋――あの美しかった方らしく、枝を離れる紅葉のように、それはもう穏やかに、しめやかに――。
*
「――あいすいません。なんだか茉莉花館のお話というよりは、父と絹枝さんの年代記になってしまいましたわねえ」
「いえ、とんでもありません。すばらしく参考になりました」
後半、粛々と語る岡崎老嬢に相槌を打ちながら、朝倉は、情に流れそうになる思考を、本来の来意に重ね続けていた。
「しかし、そうしますと、あの霊園の小さな館は、どんな意味合いで……」
「はい。あれは戦後間もなく父が造らせた、いわば間宮夫妻の記念碑、いえ、父を含めた三人の、青春時代そのものの供養塔なのですわ。ですから、どなたの遺骨も納められておりません」
中が空なのも、建った時代も知ってはいたが――。
「そのせいか、なんだか言い訳になってしまいますけれど、こちらに越してきてからはなかなか手入れもできず、お寺参りのついでに寄るばかり。お墓と違って白塗りですから、あなたがご覧になったときにも、ずいぶん汚れていたでしょう? お恥ずかしい」
「いえ……きちんと、きれいに」
「あら、霊園の方が、お手入れしてくださっているのかしら。なら、今度、お礼をしなければ」
いや、たぶん霊園事務所にも、蔦を刈らずに中だけ掃除するような奇特な人は――しかし、そこに絹枝が今なぜ――いや、今じゃないんだってば――ありゃ、やっぱり今なのか?
懸命に思考を整理しようとする朝倉に、
「でも、ひとつだけ、あの下の石室に、納められているものがありますのよ」
「それは……」
「大きな熊さんですの。春樹さんと絹枝さんが、昔アメリカから持ち帰られた、空色の大きなテディベア。あの大空襲の夜、父が絹枝さんを地下室から救い出したときも、絹枝さんは、その縫いぐるみを大事に抱きかかえられていたそうです。春樹さんとの思い出が、よほど籠められていたのでしょうねえ」
――熊かよ。
こないだ勇介君にフライパンぶちかましたのは、実はプーさんの色違い――んなわきゃねーだろ、おい。
じゃあ、あっちにいたの、いったい誰?
平静を装いながら混乱しきっている朝倉に、岡崎老嬢は穏やかな声で、最後の追い打ちをかけた。
「ですが、あの小さな館は、やはり墓標、いえ、亡骸でもあるのでしょうね」
「はあ……」
「あれは、茉莉花館の、焼け残った柱や大理石から出来ているのです。つまり四番目の茉莉花館、いえ、ある意味、茉莉花館そのものなのですわ」
4
「――と、ゆーわけで、はい、これがその、衝撃のスクープ写真」
朝倉は、A4サイズのデジタルプリントを、勇介と曽根に回した。
同じ夜、例のカフェバーである。
勇介の家からは遠いが、朝倉や曽根巡査のテリトリーを考えると、この場所が最も合理的な集合場所だった。
「お願いしたらデジカメで撮らしてくれたから、駅の写真屋さんで伸ばしてもらった。いやあ、便利な世の中になったわ。座って待ってる間に、ピカピカの拡大写真になっちゃうんだもんね。小傷や変色までなおって」
勇介の報告はすでに終わり、朝倉の話の途中である。
自分の見聞にも、わずかに登場した間宮春樹という男が、実は過去の因縁話の主要人物であることに驚き、さらに他のふたりと並んだ写真を見せられ、勇介は、ほとんど固まっていた。
朝倉はカクテル片手に、
「いやー、開けてびっくり玉手箱。スポーツクラブに何年か通って、いい具合に仕上がった慎治君、そんな感じでしょ、こっちの色男」
「……はい」
「で、反対側の、これ」
勇介は無言のまま、心霊写真をチェックする稲川淳二のような苦渋顔になった。
曽根巡査が、先に反応した。
「――驚いたな。自分は、間宮さんのお顔は断言できるほど拝見しておりませんが、こちらの方と勇介さんは……」
勇介は、まだ疑わしげに、写真の岡崎宏傳もとい梶尾宏傳を凝視している。
「あんたの性分だと、自分の顔なんてあんまり気にしてないでしょうけど、あたしゃ女だからね、男の顔にはうるさいよ。これ、仮に十年後、あんたが胃潰瘍で半月入院した後の写真とか言われたら、まんま信用するわ。家に帰ったら、念のため家系図でも調べてごらんなさい。間宮春樹と違って宏傳先生は、ちゃんとどっかの隅っこに残ってると思う」
勇介は、不承不承うなずいた。
「で、本命、真ん中の美女」
今度も曽根巡査が先に答えた。
「どう見ても亜由美さんですね。お顔も印象も、先日お会いしたときのままです。髪型は違いますが」
黙っている勇介に、朝倉が促す。
「あんたはどう思う? あたしにも、亜由美ちゃん本人にしか見えないんだけど」
「……いえ、違います」
勇介は、ゆっくりと頭《かぶり》を振った。
「あのとき、俺を殴った女です」
断髪はそのままだし、古風な服装も似ている。何より、朝倉や曽根は感じないらしい微妙な雰囲気の差に、亜由美とは別人という確信があった。自分以外にそれが判るのは、亜由美の家族と――慎治くらいか。
「やっぱり、と喜ぶべきか。わけわかんねーと嘆くべきか」
揃って怪訝そうな顔をする男たちに、朝倉は、岡崎京子から聞いた、震災から戦後にかけての意外な展開を披露した。
「――と、ゆーわけで、はい、めでたしめでたし、と」
朝倉は『めでたし』には程遠い力の無さで、話を閉じた。
悩ましげな朝倉や勇介をよそに、
「おふたりの話を考え合わせますと――いいですか?」
曽根巡査だけは、一見気弱そうな顔に似合わず、冷静さを保っている。朝に勤務を終えてから充分睡眠をとったし、明日は公休なので表情に余裕があった。
「はいはい。もうなんでも、思いついたそばからしゃべってみて。考えてみりゃ、曽根さんがいちばん客観的に見られるかもしんない」
「じゃあ遠慮なく――まず『霊魂』あるいは『幽霊』、そういったものが実在するという前提で」
「おう、警察官からそんな言葉を聞くと、嬉しくなっちゃうね」
「まずいでしょうか」
「いやいや、現に生きてる人間が消えたり涌いたりしてんだから、そりゃ死人だって、その気になったら涌いて出るでしょうよ。なんか悪さしたら、きっちりお巡りさんに逮捕してもらわんと」
「いやあ、それはちょっと管轄が……」
「ごめんごめん。推理だけでいい」
「推理と言うほど大袈裟な話ではありませんが――その間宮春樹ですか、その霊が慎治さんに取り憑いて、過去の無念を晴らそうとしている。つまり過去の事業を成し遂げるために、慎治さんを財産ごとあちらに引っぱった。そして、妻の代理として亜由美さんを拉致した――そんな構図では」
「じゃあ、あっちにいた、絹枝さんっぽいのは?」
「現実の間宮絹枝が長寿をまっとうした以上、やはり亜由美さんなのでは。つまり、なんらかの形で、春樹の意思に感応しているとか」
「うん。実に明解な構図だわね。確かに絹枝さんも、最期の時点では、そうそう過去に未練があったとは思えない。春樹さんへの思いは生涯深かったにしても、人間、若き日の美しい思い出と、その後の何十年もの人生、秤にかければやっぱり実人生の長さが勝つと思うしね。結局お骨だって、しっかり岡崎翁といっしょのお墓に入ったわけだし、今さら昔の館に戻ってるとは思えない。対して春樹さんは、若くして無念の死を遂げたっきり、永久に、はぶんちょ状態――これは化けてもおかしくないわな」
朝倉は、曽根巡査の意見にとりあえず同調し、
「じゃあ、勇介君は、どう思う?」
「……いえ、やっぱり違います」
勇介は、再度プリントを凝視しながら、
「慎治の件はともかく、少なくとも俺があのとき見たのは、絶対に亜由美じゃない。ただ、この写真の女性かどうかと言われると……すみません、判らなくなりました。俺はあくまで岡崎宏傳じゃないし、だから、その絹枝だって一度も本人を見たことがない」
朝倉は、よしよし、とうなずいた。
「あんたも、正気を保ってるね」
「そうでしょうか」
「うん。曽根さんもあんたも、きっちり自分の目と頭で物事を判断してる。だから――この中では、もしかしたら実はあたしが、いちばん頭のネジが外れてんのかもしんない。鎌倉からの帰り道、ずーっと、つらつらつらっと考えてたんだけど――眉唾で聞いてくれる?」
男ふたりは、興味津々でうなずいた。
「そもそも、おふたりさん、『残留思念』って概念は知ってるかな」
「あ、はい」
勇介が即答した。
「ホラーやファンタジーのレベルなら、一応は」
曽根巡査は首を傾げて、
「私も言葉だけなら聞いたことがありますが――いわゆる『幽霊』のことですか?」
「まあ日本では、確かにその意味で使われることが多いわね。そんな日本語というか訳語を、歴史的にどの時点から誰が使いはじめたか、本来の字義はどうだったのか、あたしも寡聞にして知らないんだけど、大元になる考え方は、たとえば古くからトンデモ界御用達の『アカシックレコード』とか『エーテル体』あたりから――ごめん、ここらへん説明してるときりがないんで、とりあえず忘れてちょうだい」
神智学用語など一片の興味もない男たちは、すなおに聞き流した。
「で、『残留思念』という言葉、これはまあ、たぶんイギリスの心霊科学研究華やかなりし頃、つまり明治から大正あたりに、日本でも使われはじめた訳語じゃないかと思う。そうだとすると、本来『幽霊』とは、ちょっと違うのね。故人の霊がこの世に残留すると言うより、あくまで『場所の記憶』なんだわ。空間そのものに焼き付いた、精神を含めた事象そのものの記憶。つまり眼目は故人本人たちよりも、むしろ『場所』にあるわけだ」
「それって『地縛霊』とかとは違うんですか?」
現実家の勇介も、新耳袋や稲川怪談なら、仲間とのつきあいで聴いている。
「うん。日本のあっち系の業界では、よく『これは地縛霊』とか『これは浮遊霊』とか、もっともらしく分類してるけど、あれはおかしい。日本語としても、昭和の後半になってできたマスコミ向け心霊用語にすぎないし。個人の人格としての霊魂ってもんが、成仏できずにこっちに居付くとしたら、基本的に行動は自由だと思う。宗教的にも、キリスト教ユダヤ教イスラム教ヒンドゥー教、仏教儒教道教神道、どれを取っても、個人の霊が地べたに根を張っちゃうなんてのは、本来おかしいのよ。そりゃ生きてる人間とおんなしで、ワケありで離れたくない幽霊や、引き籠もりの根の暗い幽霊はいるでしょうけどね。まあ、なんかありがたいお札だの結界だので、他人に閉じこめられちゃうってのもアリらしいけど、あれだって霊魂にしてみりゃ、共同幻想によるお約束、被害妄想みたいなもんよ。たとえば、お岩さんやお露さんに神父さんが十字架突きつけたって、『なんじゃそりゃ』とか言われるだけだわ」
「よく解りませんが、そうなんですか?」
曽根巡査が訊ねると、
「眉唾で聞いてちょうだいって言ったでしょ。宗教解釈も含めて、あたしの個人的見解だから。もっとも、今のところ心霊科学と自称するすべての理論体系は、みんな宗教や哲学や民俗学に基づく私論だけどね」
「は、はい」
「だから、あたしとしちゃ、いわゆる『幽霊屋敷』って奴も、多くの場合、主体は幽霊さんのほうじゃなく、屋敷そのものにあると思うんだわ。ちょっと考えてみて。よっぽど気に入ってた家ならともかく、自分が死ぬほど辛い目にあった家で、なんで死んでからも、わざわざうろうろしみったれてなきゃならんの?」
勇介が口を挟む。
「それは――たとえば、自分はここでこんな辛い目に会いました、そんなことを他の人にも訴えたくて、とか」
先輩の意見は、多分に自身の陽性な個性に偏りすぎているのではないか、そんな顔である。
「なら、家の外でも訴えればいいじゃん。貞子や伽椰子みたく、世間に出て無節操に広報活動すりゃいいんだわ」
「……はい」
「だから、もし今回のあの絹枝さんが、仮に旦那を待ち続けたまま空襲で死んじゃったんなら、そりゃ霊魂が館に居付いても不思議はない。あくまで自由意思、帰ってくるまで待たなきゃなんないんだからね。でも当人は、確かに館を離れて余生をまっとうしてる」
「そう、それがいちばん不可解なんです」
曽根巡査が身を乗り出す。
「結論はひとつ、それは絹枝さんそのものではない」
曽根は唖然としていた。話の流れが、まだぴんとこないようだ。
「……残留思念」
勇介がつぶやいた。
「そう。その後の本人がどうであれ、震災から空襲までの二十二年間、ただひたすら同じ館で同じ日を繰り返し、夫を待ち続けたという事象そのもの――これなら、いわゆる『残留思念』になってもおかしくないのよ。絹枝さん自身の思念、館に染みついた日常生活感、そして春樹さんへの深い想い――いってみりゃ、茉莉花館というRAMに焼きついた絹枝さんの人格データ、そんな感じね」
「そうすると、間宮春樹と慎治さんの場合は……」
「基本、同じことなんじゃないかと思う。屋敷がRAMになるなら、地べたそのものだってRAMになる。文京区・千代田区・港区――そんな広範囲のメモリに少しずつ記録されていたデータ、つまり神田駿河台から白金台までの間に、細々と散っていた間宮春樹の思念データを、おそらく慎治君は知らず知らずのうちに、何年もかけて識域下にコピーしてしまった。あるいは、あの日たまたま、春樹さんの末期の場所にジャストで重なっちゃったとか。その両方って線もありそうね。遠い血の繋がり、たとえばゲノムの一部――DNA発現パターンがコピーのパスワード、なんてSFっぽい趣向も考えられる。絹枝さんのアレと違って、全生涯のデータなんだから、これは実質『霊魂』そのものと言ってもいいかもしんない。なんにせよ、あの日、春樹の思念データが慎治君個人のデータを凌駕して顕在化しちゃったわけね。亜由美ちゃんとの別れ話も、精神的な引き金になったんじゃないかしら。あの慎治君のことだから、たぶん『俺なんかもうどうなってもいいや』、そんな気分だったと思うし」
なるほど、そうだったのか――感心している男ふたりに、朝倉は思わず頭を掻いて、
「あのさ、そんなマジに納得されても困るんだけど。あたし自身、こんな陳腐な話、小松大先生にでも聞かれたら大笑いされるんじゃないか、とか思いながらしゃべってたりするわけで」
「妙な話もなにもないですよ」
曽根巡査が請け合った。
「現に起きてることの一解釈なんですから。立派な仮説です」
「てへ」
しかし勇介は、ふと首をひねり、
「でも……データがメモリそのものの形を変えてしまうってのは、ありなんですか? つまり、茉莉花館があちこちにあったのは解りましたけど、その場所とか時代とか、形とかまで一緒くたにしてしまえるってのは……残留思念のほうが幽霊屋敷を操ってるってことになるでしょう? それじゃあ、それこそ近頃のJホラーと同じ、理屈も何もない遊園地のお化け屋敷だ」
「おう、やっぱりあんた、みごとに正気だね」
「そうでしょうか」
「うん。確かに、そこんとこはおかしいのよ。幻覚とかのレベルじゃなく、マジ物理的にわやわやになってるわけだから」
「はい」
「で、そっちの件は、むしろあたしのテリトリーっつーか純和風方向から、ウルトラC級に極論できないこともないのね」
朝倉は、じゃあ今までの話はとりあえずちょっとこっちに置いといて、と、実際に手振りで横にどけてから、
「おふたりさん、『九十九神《つくもがみ》』って聞いたことある?」
今度も勇介は、即座にうなずいた。いっぽう曽根は、まったく覚えがないようだ。民間信仰に疎いというより、子供の頃、妖怪漫画に嵌ったことがないのだろう。一般に『付喪神』と表記されることが多いが、字義的には誤っており、本来『九十九神』である。
「要は、森羅万象ことごとくに精霊あり、そんな原始的アニミズムの、延長線上にある考え方ね。この世の万物すべては、長くこの世に在るだけで『神さびる』――つまり神そのものになる――そんな古神道的な概念。御神木とか磐座とか、いかにも宗教的にありがたげな古物が神であるのはもとより、たとえば家でずっと使ってるお茶碗とか家具調度とか、果てはボロ雑巾やなんかまで、年季が入ればそれ自体が魂を宿す――そんな感じの存在」
曽根は、なるほどと言うように、
「ああ、それなら知ってます。昔、祖母に寝物語で聞かされましたよ。古茶碗や擂り鉢が、夜中に台所で遊んでる話でした。確か、唐傘お化けもその仲間とか教えられて」
「はい、そのとおり」
「懐かしいなあ。そんな立派な名前の神様だとは、ちっとも知りませんでしたけど」
「神様ってより、妖怪に近いのかもね。おばあちゃんなんかの昔話だと、昔の人はこんなに物や自然を大事にしたんだよ、なんてエコっぽい解釈もあるけど、あれは、別に使ってた人の魂が物に乗り移るとか、そんなんじゃないでしょ? 物それ自体が、それ固有の人格――人格っちゃ変か――とにかく意識に目覚めちゃうわけよ。針供養だの人形供養だの神仏ごちゃまぜで、日本では今も根強く残ってる感覚ね」
「はい」
曽根も納得してうなずいた。
「で、それは日用雑貨に限らず、家屋単位でも同じことなのね。たとえば『幽霊屋敷』ってっても、死者の霊が住んでる屋敷ばかりじゃない。古い屋敷自体が意思を宿し、逆に住んでる人間に働きかけてくる、そんな話が世界中にあるわ。『九十九神』の概念がないはずのキリスト教圏にも、けっこうある。たいがい悪魔とか幽霊とかに関連を後付けされちゃうけど、あっちだって、もとはアニミズムっぽい土俗神話の世界に生きてたわけだから、教条的なフィルターのかからない皮膚感覚でなら、やっぱり『家自体の意思』は太古から信じられていたし、今でもそう。あっちのホラーなんかでも、けっこう見かけるパターンでしょ」
「はい」
「――ならば、もしもあの茉莉花館が、間宮夫妻によって分割移築される前の何百年、つまり一軒のでっかいオリジナルのうちに、すでにあっちで魂というか、自前の意識を宿していたとしたら? その意識は、人間なみに理路整然と物事を考えるかしら。あたしゃ、とてもそうとは思えない。きっと、ほんとに漠然とした感覚の中で生きてると思う。自分が何時代に建ってるだの、何丁目何番地に建ってるだの、きっちり把握できてたらかえっておかしいでしょ。もともと脳味噌持ってるわけじゃないんだから。だから、もし三軒にバラされても、バラされたなりに自分というひとつの存在として、のほほんと好きなように生きてたって、ちっとも不思議じゃないと思うのね」
勇介と曽根は、それぞれに思いを巡らせたあと、小さくうなずき合った。
「と、言うことは、つまり――」
「うん。たぶん今回の騒動は、茉莉花館そのものと、間宮夫妻の残留思念の共犯なんだわ。ただ、この場合、奥さんの絹枝さんのほうが、きわめて微妙というか曖昧なのね。茉莉花館という意識体に、後から焼き付いてしまった仮想人格――こうなると、ちょっとあたしでも、具体的にどんな存在になってるのか想像もできない。もはや、お互いなんだかよくわかんないまま、分別不能状態になってるんじゃないかしら」
勇介と曽根は、言葉の返しようもなく、ただ顔を見合わせている。
「……困ったもんだよ」
朝倉は、テーブルの拡大プリントをしげしげと見下ろし、
「勇介君にゃ申し訳ないけど、なんだかあっち側も、けっこう愛しいぶんだけ、困っちゃうんだよねえ」
しかし勇介は、あちら側に属する館や間宮夫妻よりも、その隣で屈託なく笑っている曾祖叔父・梶尾宏傳のほうを、険しい面持ちで見つめていた。
曽根だけが、うらなり顔の柔和な目に、客観者としての中庸を保っており、
「でも、その館だか絹枝だかは、どうやって慎治さんを、青山霊園まで連れ去ったんでしょうね」
「は?」
「館自体は、戦後、白金台から霊園に、いわば引っ越してしまったわけでしょう? 春樹がそれを知っているはずはない」
「おう、そこは盲点だった」
朝倉が考えこむと、
「――ジャスミン」
勇介が重い口を開いた。
「ジャスミンの匂いです」
勇介は、自分が館に導かれたときの状況を、克明に思い出していた。
「俺たちが迷いこんだあの日も、あいつはきっと、亜由美だけを誘っていたんだ、俺は亜由美に手を引かれるまで、匂いなんてちっとも気づいちゃいなかった。初めから、俺は招かれざる客だったんです」
思いつめたように言う勇介の肩を、手の届かない朝倉の代わりに、曽根がそっと力づけた。
「なるほど、Jasmine Heights――茉莉花館か」
朝倉が、しみじみとつぶやいた。
*
「――さて以上、とりあえず今までの全情報に、無理矢理辻褄を合わせてみました」
朝倉が話を締めたところで、パスタやサラダが運ばれてきた。
「いやはや、トンデモもいいとこよね。まあ、とりあえず食っちゃおう食っちゃおう」
腹が減っては戦もできぬ、そんな勢いでフォークとスプーンを操る朝倉に、男ふたりも、それぞれの思惑に耽りながらつきあう。
朝倉が最後のひと巻きをくわえこんだあたりで、
「――あの、ちょっと話は違うんですが、いいですか?」
まだ半分以上残ったパスタをつつきながら、曽根が言った。
「うん?」
「えーと、根本的に、とても腑に落ちない点がひとつ」
朝倉は、くぐもった声で答えた。
「あい、ろうぞ」
「勇介さんの話では、その間宮春樹という人は、震災の後も台湾で活動を続けたわけですよね」
朝倉は口中のパスタをごくりと嚥下し、
「だから、それが実は慎治君なのであろう、そんな流れで」
「いえ、それは解るんですが――岡崎京子さんの話だと、間宮春樹は震災の直後、厳然と寺に埋葬されている」
「うん。だから、それに代わって慎治君が――」
旨そうに食後のお冷やを飲み干そうとした朝倉の挙動が、ぴたりと静止した。
「……うん、じゃねーよ」
勇介も、ほとんどパスタの減っていない皿にフォークを戻し、曽根を注視する。
曽根は、そうなんです、と後を続けた。
「ヤマザワ化学の創業者は、死人に資金援助を受けたことになります」
「いやいや、待て待て――その時点で、まだ春樹は戸籍上死んでない。あっちで法的に活動するのは可能だわ」
「しかし現在に至るまで、そんな矛盾が仮にも世界企業の創業話に残りますか? 創業者も、その後帰国したわけでしょう? 台湾での苦労を懐かしんでいたならばなおのこと、いずれこっちで気づいたはずだ」
「うーん……」
考えこんでいる朝倉に、今度は勇介が言った。
「慎治はなんとかごまかせるにしても、亜由美は――。間宮絹枝は、空襲まで白金の茉莉花館に住んでいたんでしょう? その後もずっと生きていたんでしょう? 残留思念にしろ亜由美にしろ、絹枝本人には絶対に成り代われない」
「えーと、たとえば、なんかかわいそうだけど現地妻、お妾さんとか……」
懸命に辻褄を合わせようとしながら、朝倉自身、根本的に糊塗できない齟齬に気づいていた。
「――あたしゃ馬鹿か」
結局頭をかかえ、
「なんでこんな単純なことに気づかなかったんだろ。前言撤回。もうまったくなにがなんだかよう解らん。これじゃどう考えたって、日本の歴史、いや世界の歴史が、震災以降ふたつあることになっちゃう」
音を上げている朝倉や、困惑する曽根とは対照的に、勇介の行動は早かった。
「植草部長に訊いてみます。後日の話を、もっと詳しく」
携帯を開き、ヤマザワ化学工業の代表ナンバーを探す。
「もう帰ってんじゃない?」
「自宅も訊いときました」
「おう、さすが」
携帯のキーをもどかしげにタッチする勇介の指先が、じきに止まった。
「……おかしいな」
「ん?」
「入ってるはずなんですが……昼にかけたばかりだし……自宅も……」
勇介は首を傾げながら、カードケースを取り出した。植草に名刺をもらったはずである。
しかし――
「――ない」
朝倉の頬が、小刻みに引きつった。
「……あたしゃ、なんだか、とてつもなく厭あな予感がする」
自分の携帯を取り出し、WEB検索する。
「ヤマザワ――片仮名でいいんだよね」
「はい」
「――山形県のドラッグストアチェーン」
「違います」
「その関連会社、スーパーのチェーン。ローカルだけど一応上場」
「違います」
念のため、アルファベットや漢字でも検索し、
「……ねーよ、そんな化学工業どこにも」
勇介や曽根の背筋に、怖気が走った。
朝倉は、横の席に置いてあったプリントを、おもむろにバッグにしまいこみ、大きく深呼吸すると、
「――さあ、推定おおむね二キロ弱! ヒルズめざしてダーッシュ!」
いきなり立ち上がり、外に向かって駆けだした。
勇介も迷わず後を追う。
「あ、あの……」
泡を食った曽根は、おたおたと勘定書を取り、三人分の金額に顔をしかめながらレジに向かった。
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