1
生まれてこのかた、一度もこんな坂を下った記憶はないと確信しながら、下るにつれて記憶以上の懐旧に囚われはじめている自分を、勇介は不思議なほど率直に受け入れていた。
宏傳の記憶が、知らぬ間に自分にも反映しているのだろうか。
愛する者と愛する者が愛し合っていることを愛しながら、おそらくは生涯の大半を諦念の中で生きたに違いない曾祖叔父、梶尾宏傳。その彼が若い日々、諦念の苦さに甘んじながら、繰り返し通った坂道なのだろうか。しかし長い隘路を経たにしろ、宏傳は絹枝という愛する者の生涯を、ある意味春樹への愛ごと、みごとに護りぬいたのである。一方、愛する者と愛する者が愛し合っていることを愛しきれなかった自分は、この先、いったいどう転がろうとしているのか。
勇介は、気の急くままに坂を下り続けた。
先への不安はあるが、逡巡はない。どう転ぼうと、それは自分の器量である。故人の人生に敬意は覚えても、自分がそれに殉じるいわれはない。そう居直ってしまえば、左右を狭める古びた黒板塀や足元の石段に対する既視感が、けして梶尾宏傳の記憶などではないことにも思いあたる。数日前、勇介と亜由美が館の門前に出現したとき、背後に窺えた胸突き上がりの石段――やはり自分は今、自分の道を進んでいるだけなのだ。
やがて坂下に、記憶どおりの雑木林が現れた。あの館の門も垣間見える。
なかば駆け下りるように脚を速めた勇介は、ふと、周囲の空気に、ただならぬ違和感を覚えた。
最前まで身に染みるようだったジャスミンの香りが、いつのまにか消え失せている。坂下から風に乗って流れてくる樹木の匂いに混じり、なにか昼餉の炊事のような、所帯じみた香ばしさも漂っている。立ち止まり、その元を探して傍らの板塀の隙間を覗けば、木造家屋の台所らしい窓から魚を焼く煙が立ち、和やかな母子の笑い声さえ流れてくるのだった。
夢に続くはずの道から、いきなり現世に放り出されたような気がして、勇介が思わず立ちすくんでいると、周囲の生活臭を梃入れするように、坂上から明瞭な足音が聞こえてきた。ふり仰いで見れば、割烹着姿の中年女性である。突っ掛けを履き、買い物籠を手にした質素な身なりは、主婦というより家政婦らしく思われた。
もしや、ここは過去の白金台そのもの――。
勇介はとまどった。
あのカフェバーで朝倉から聞いた岡崎京子の思い出話を、脳内で懸命に再現する。確か真珠湾攻撃の前年に、幼い岡崎京子が絹枝と出会ったとき、絹枝に付き添っていた家政婦は、すでに初老だったはずだ。もし宏傳が、震災以降ずっと同じ女中を館に通わせていたならば、今の時代は――。
考えこんでいる間に、狭い坂道を慣れた足取りで下ってくる女性と鉢合わせしそうになり、勇介は板塀に張りつくようにして、ようように道を譲った。しかし女性はまったく歩調を変えず、勇介の胸をこすらんばかりに、一瞥もなく通りすぎてゆく。
勇介は唖然として、その後ろ姿を見送った。どんなに人嫌いな女であれ、人間である限り、そんな無反応はありえない。明らかに、今は勇介のほうが、この世のものではないらしいのである。
数分前、麻布十番の霧に消えた白い女に、勇介は胸の内で問い質した。
いったいお前は、俺に何をしろと言うのだ――。
無論、返事はない。気配すらない。
勇介は頭を一振りすると、束の間の逡巡を振り払った。
故あって呼ばれたにしろ、気まぐれに放り出されたにしろ、立ち止まっていても仕方がない。
どのみち、おそらくその女と同じ存在のものが、眼下に存在している。そしてここが、勇介の推測する現世だとすれば、そこに生きた絹枝を住まわせているはずだった。
*
雑木の奥の門扉や煉瓦塀は、一見、数日前の記憶に重なっていた。
門に掛かった銘板にも、あのとき亜由美と共に認めた、流麗な装飾体の文字が浮いていた。
Jasmine Heights――。
ただ、光沢の質が違う。磨き上げられた骨董の質感ではない。材質は同じブロンズでも、さほど古びが感じられないのである。それは館自体の白壁も同じことで、ことさら古さも新しさも感じさせず、ごく自然な経年変化の途上にあるようだった。二階の出窓から覗く空色のテディベアまでが、先日には感じなかった一種のリアリティーを纏っている。
割烹着姿の女に付かず離れず、横庭の石畳を奥に向かってたどっていると、傍らの花壇から、ひとつがいの紋黄蝶が風に誘われるように舞い上がり、睦み合いながら、勇介の顔の前を過ぎった。避ける間もなく目前に迫った薄黄のゆらめきに、勇介は思わず目を閉じたが、ふたつのゆらめきはなんの感触も気の乱れも残さず、勇介の眼球から後頭部へと擦り抜けた。網膜を通過する瞬間には、個々の鱗粉の微細な輝きまでが視認できた。あっけにとられて見返る勇介の背後の青空で、蝶たちは水入らずの恋路に余念がない。
勇介は気負いも不安も忘れ、つい失笑した。この世界での勇介が他者にとって不可視だとしたら、両手に携えた貢ぎ物も、幻にすぎないのではないか。まあ、こうして館を再訪できたからには、自分の着想もあながち的外れではなかったのだろうが。
すでに外階段を登り終えようとしている女中を追って、大理石の土台に足を乗せたとき、勇介は頭上の庇の端に、他の部分よりも塗装の新しい部分があるのに気づいた。改めて注視すれば、他の庇のそこかしこにも、補修の跡が残っていた。館の屋根瓦が落ちたとすれば、やはり今は震災翌年の初夏あたり――勇介は確信していた。ならば先日のように、階上の端の部屋から、慎治や亜由美のいる台湾に抜けられるのかもしれない。
勇んで二階に上がると、家政婦らしい女は、なぜか例の扉の少し手前で立ち止まり、通路の手摺りから前庭を見下ろしていた。
作業着姿の純朴そうな男がふたり、門前で愛想の良い声をあげた。
「こんにちは、お邪魔します。東京瓦斯の者です」
「あら、点検や検針は、先週いつもの方が」
「いえ、本日は、去年修理した埋設管や配管の再点検にお伺いしました。お家の方に、お手間はとらせません。お屋敷周りだけ調べさせていただければ」
「そうですの。じゃあ、よろしくお願いします。その鍵は開いておりますから、掛け金だけ、きちんと戻しておいてくださいね」
会話が終わり、男たちが裏に消えるのを待っていたかのように、やがてあの奥の扉が内側から開きはじめ、白いサマードレスの若い女が半身を現した。
「お帰りなさい、ご苦労様」
室内から漏れる柔らかな陽射しの間接光を輪郭に宿しながら、淑やかに家政婦を迎え入れる断髪の女は、一見亜由美と瓜ふたつだが、無論、亜由美ではない。あのフライパン娘とも印象が違う。蜜の中で鈴を振るような心地よい声音《こわね》が、いかにも絹枝という女そのものらしく思われた。
勇介の胸に、原初的な熱い疼きがこみあげた。それが勇介自身の慕情でないならば、認めたくはないが、やはり因果因縁の疼きに他ならないのだろう。
勇介が歩みをためらっているうち、女たちは、小声を交わしながら室内に消えた。
そして、ゆっくりと扉が閉じた。
――今の俺は、あの扉を開けることができるのか。
そもそも蝶にさえ無視される体で、扉をノックできるのか――。
疑いながらも、惹かれるように歩を進めようとした勇介の後ろ髪を、ふと、微かな芳香の流れが引きとめた。
――そちらではありません――
声ではない。
日本語でも異国語でもない、ジャスミンの香りそのものが、背後からそう告げた。
階下の登り口に、あの霧の女が立っている。
その仄白い陽炎のような姿は、先刻よりも、なお儚げに見えた。
女は勇介の視線を受けると、踵を返し、誘うように庭の奥へと移ろいはじめた。
勇介は一散に階段を駆け下りた。
女を追って、館の西奥に回りこむ。敷地のそちら側だけは、庭や煉瓦塀ではなく谷地の崖に面しており、窓もない壁面に雑木の枝々が迫っている。
その壁面に地中から這い上がった金属管と古風な計器を前に、例のふたりの男が、声を潜めて会話していた。
「館内構造は、調べても無駄だろう」
「ああ。台北の写真とは、入口からして違う。なんの参考にもならない」
「設計図が入手できない以上、現地で出入りの者から聞きこむしかないな」
門前で見せた愛想顔からは想像もできない、無機質な声と怜悧な表情である。
なんだ、こいつら――。
勇介は硬直した。
霧の女は、すれ違う余地もない狭間で、すでにふたりの向こう側に佇んでいる。男たちを擦り抜けたのか、あるいは跳び越えたのか。自分も擦り抜けられるのかもしれないが、あえて勇介は女の気を察し、男たちを挟んで立ち止まった。
「西面と南面は、ほとんど同じ外観のようだ」
「特に南の露台周りは、瓜ふたつだ。ここで体に覚えさせておこう」
体に覚えさせる? なんのために?
警戒を深める勇介の目前で、男のひとりが作業着の胸をはだけた。
「しかし、この上着はたまらんな。少しも風が通らない」
「我慢しろ。しょせん瓦斯屋のお仕着せだ」
女ふたりの住まいに、用心は無用と侮っているのだろう。目と鼻の先で勇介が注視しているとも知らず、男は大きくはだけた上着を、団扇のように煽った。汗ばんだ白シャツの脇の下に、不定形な茶革のケースが見てとれた。鈍色の金属や、木製の銃把も覗いていた。小型拳銃のホルスターである。
気づかれるはずはないと悟りながらも、勇介は思わず後ずさった。亮太朗や兄たちの趣味につきあって、散弾銃による狩猟やクレー射撃は熟知しているが、短銃の実物は初見である。大正の銃砲類取締がどうなっているにせよ、この男たちがガス屋でないのだけは確かだろう。
勇介は男たちの肩越しに、白い女の表情を窺った。
――お前は、これを見せるために俺を呼んだのか――
目顔で問うと、女は、うなずくように揺らいだ。
――この連中が、虫の好かない奴らなのは判る――
勇介は、持ち重りのするバッグの片方を振り上げ、男たちの側頭部を狙い、力任せに叩きつけた。
当然のように、バッグはなんの抵抗もなく空を切った。
――でも、これじゃ手も足も出ない――
勇介の敵意を感じたわけでもないだろうが、男たちは会話を終え、館の南面に向かって進みはじめた。男たちの背中が白い女に重なり、直後には女の背後に抜け、そのまま遠ざかる。
勇介は女に詰め寄った。
――言いたいことがあるなら――
間近に正対しても、女の顔は溶けかけた氷像のように、輪郭も目鼻立ちも判然としなかった。ただ、西洋の彫像を思わせる潔い鼻梁と、一種高貴な全身のバランスだけが、薄い姿の芯として残っていた。
――愛されるために愛するのは、愛ではございません――
唐突な想念の香りに、勇介は困惑した。
――お前は何を言っている?
――ただ待ち続けることが、わたくしの宿世――
話が少しも噛み合っていない。
――だから何を言っている!
霧の女が、力尽きるように頽れた。
勇介は、とっさに腕に抱きとめた。
館そのものらしいその女が腕に触れた瞬間、奥ゆかしい、薫香を絹に包んだような感触があった。しかし、感触はそれきり腕にも胸にも応えることなく、といって女の姿が消えるでもなく、また先ほどの胡蝶たちのようにすり抜けるでもなく、ためらいがちに勇介そのものと重なってゆく。
――おい、何を――
――あなたは、きっと、わたくしと同じ宿世の方――
噛み合わないというより、すでに勇介の言葉を聞く力がない、あるいは会話を成立させるだけの気力が残っていないのだと、勇介は悟った。
――でも、あなたなら――――
最後の力を振り絞るように、勇介の胸奥で女が囁いた。
そして勇介もろとも、虚空に溶けた。
誰ひとり悟る者もない微かな遺香だけが、五月の風に流れた。
2
柵に張りつき痙攣していた男は、数秒で息絶えた。
その死骸の手に引きずられ、柵に絡んでいた洋弓銃も、夜の街に不快な金属音を響かせながら滑り落ちる。
それでも街路のアベックは一顧だにせず、秘めやかに、ガス燈の火影の外へと去ってゆく。
ざわり、と、音ではない気配が、あちこちの繁みに蠢いた。
山澤の抱いた困惑は、襲撃者たち自身の困惑でもあったらしい。
東の街路側と南の裏庭、それぞれの繁み伝いに、押し殺した人の気配が往来する。双方の怪異を伝え合っているのだろう。
山澤は我に返り、発砲を控え、奥に退いた。立て続けの銃声さえ街まで届かない以上、外からの援軍は期待できない。ならば現状、徒に闇に向かって弾薬を費やし、敵を刺激しても仕方がない。
「残り数人と見た。とりあえず出方を見よう」
慎治はテディベアから目を離し、山澤にうなずいた。
広間中央の階段を、散弾銃の山澤が見張り、拳銃の慎治は、庭から上がる南の露台の階段を警戒する。道を閉ざして籠城しようにも、積み上げてバリケードにできそうな家具は、広間に散在する長椅子くらいしかない。移動するだけでも男手がふたり、かかりきりになる。
山澤は、亜由美に抱かれた絹枝を気遣った。
「お姉さんは大丈夫ですか? いや、妹さんなのかな」
自分が飲み過ぎていないのなら、やはり双子の妻妾と思うしかない。だとしても慎治に対して、特に背徳感は覚えなかった。妾の数も男の甲斐性、そんな時代に育っている。山澤自身は妻妾を同時に養ったことはないが、もし震災で失った妻に瓜二つの女でもいたら、たぶん本土を捨てず、似た子を得ようと励んだだろう。
亜由美は絹枝を抱いたまま、難しげに頭を振った。絹枝の息は、細くなる一方である。言葉も続かず、薄く開いた瞼の内に亜由美が映っているのかどうかさえ定かではない。
慎治も露台を警戒しながら、絹枝の身を案じていた。
館の力と絹枝の活力の相関関係は、以前から漠然と察していた。こちらに居を移してからの自分の運気そのものが、館の力、すなわち絹枝の活気に支えられていたのである。依存していた、というわけではない。慎治の中の春樹にとって、その構図は、心理的に震災以前となんら変わりがなかった。雌雄が選び合い、つがい、望ましい巣を営む。それぞれが念《おも》いにおいて不可分であり等価である。そして春樹を内包する慎治は、今や自分の中で慎治と春樹を明確に仕分けできないように、亜由美をも等価な念いの中に含んでしまっている。つまり双方を不可分に必要としているという点で、山澤の抱く一般論も、あながち的外れではなかった。
ともあれ慎治も山澤も、敵への対処が先決である。
絹枝の介抱を亜由美に委ね、それぞれの持ち場に気を張っていると――。
不意に、間近の宙に異様な気配が生じた。
亜由美が真っ先に息を呑んだ。
女ふたりの直前に、忽然と、黒い影がうずくまったのである。
男ふたりも瞬時に振り向き、反射的に銃口を向けた。
そのまま発砲しようとする山澤の手を、慎治が飛びつくように制した。
月影に浮かんだ懐かしい顔に、慎治と亜由美は、揃ってつぶやいた。
「勇介……」
*
白い女の囁きを、自分の肋骨と心臓の狭間で聴いた刹那、勇介は、白昼の白金台とは似ても似つかぬ、淀んだ闇の中にひざまずいている自分を見出した。
いや、真の闇ではない。目が慣れていないだけで、傍らには蒼い夜窓が薄ぼんやりと広がっているようだし、淀んだなりに夏宵の風も感じる。その夜気に、微かな花香とは不釣り合いな硝煙を嗅ぎとり、勇介は硬直した。
直後、闇の奥から、幾つかの息を呑む気配と、
「……勇介」
無性に懐かしいふたつの声が、重なって聞こえた。
「……よう」
勇介は、呆気にとられながら応じた。
「久しぶり」
気の利いた言葉を選ぶ余裕もない。
あまつさえ次の言葉を選ぶ暇もなく、勇介は闇の奥に著しい殺気を感じ、右手の鞄で顔前を防御した。山澤の銃に怯えたのではない。それはすでに慎治の手で、勇介から逸れている。
無論、平成育ちの勇介は、文字どおりの殺気などという物騒な代物をこれまで経験したことはないが、たとえば武道の高段者が発する無言の気合いなら、何度か受けたことがある。それを数倍にも尖らせたような感覚だった。
直後、研ぎ澄まされた硬質の金属が鞄の革を貫き、キロバーの狭間に食いこんだ。例の短剣である。
瞬時にその方向性を見取った山澤と慎治は、中央階段に向けて発砲した。
手摺りが吹き飛ぶ寸前、人影が階下に跳び退った。
驚愕する勇介に向け、継いで南の露台から洋弓銃の金属矢が夜気を劈いた。
今度も勇介は、左手の鞄を振り上げて難を逃れた。鋼の弦に弾かれた金属矢はさすがに鋭く、中身のスモールバーを何枚か貫通したようだ。
慎治がもんどり打つように露台を視界に入れ、角の階段から突入しようとしていた黒い人影に向け、立て続けに伏射した。
被弾の衝撃で、露台の手摺りに背中から張りついた敵は、最後の着弾で激しく頭部をのけぞらせると、それきり微動だにしなくなった。
「俺にも銃!」
勇介が叫んだ。
慎治が険しい顔で頭を振ると、
「じゃあ援護!」
慎治や亜由美が止める間もなく、勇介は両手の鞄を楯にしながら露台に走り出て、洋弓銃を握りしめたままの死骸を、力任せに室内に引きずりこんだ。
勇介が出現して、ほんの数秒の修羅場だった。
広間には、中腰で待機する男たちの荒い息づかいだけが残った。
階下も窓外も、敵は沈黙を保っている。館の外部の不可解な変化のみならず、内部の人間の侮れない反撃力も再確認した以上、当面は様子見に回るだろう。
「……梶尾様」
か細い声で沈黙を破ったのは、絹枝だった。
勇介を見つめたまま固まっている亜由美の胸で、いつ目覚たのか、自ら半身を起こそうとしている。
絹枝が最前まで意識を失っており、自分の登場とともに息を吹き返したことなど知る由もない勇介は、思わず腰が引けた。
「……やあ。今夜は隠してないよな、フライパン」
あの黒い家庭用凶器を振り上げたときの、お侠《きゃん》な気配も戻りつつあるようだが、まだ朦朧としているらしく勇介の皮肉は通じない。
「とにかく、バトルモードなら俺も攻撃アイテムが欲しい」
勇介は兵装じみた黒服の死骸から、洋弓銃と携帯具を引きはがそうとした。すでに目は露台や窓からの月明かりに慣れていたが、革ベルトの交差が複雑でほどけない。
「それじゃ外れないぞ」
室外への警戒を続けながら、山澤が言った。
「そもそも君は、洋弓銃の使い方を知っているのかね? 魔法の国の助っ人君」
興味津々の瞳には、疑念より期待の色が濃かった。勇介の猪突猛進ぶりに好感を抱いたらしい。
「いえ。そちらのオート5なら、なんとか」
山澤が構えるブローニングの散弾銃は、銃器の一形態として当時からほぼ完成しており、勇介の知っている現代の製品も、基本構造がさほど変わっていない。
「ならば取り替えよう、えーと――」
「勇介です。梶尾勇介」
「ほう、いい名だ。察するところ、勇ましいの『勇』かな」
「はい」
「名は体を表す、か。私は山澤学。あまり体を表さない名のようだが、人並みに学はある」
この人がヤマザワの創業者――。
勇介も、初対面の相手に、旧知のような好感を抱いていた。その出自を知っていたからだけではなく、頬から血を流す強面のどこかに、自分と相通じるものを感じたのである。
慎治は外界を警戒しながら、そんな助っ人たちの交歓、特に勇介の物怖じしないマイペースを、懐かしく、万感の思いで窺っていた。
「……よく来たな、勇介」
ようように口を開くと、
「おう。やっぱりなんか、招かれざる客らしいけどな」
勇介は悪戯らしく笑い、ふたつの鞄に突き立った、物騒な飛び道具に目をやった。
そのとき、ただ呆然と勇介を見つめていた亜由美が、ようやく我に返り、跳ねるように身を躍らせた。
勇介にすがり、ただ泣きじゃくる。
言葉にならない嗚咽の中で、ときたま「馬鹿」「馬鹿」と繰り返しているようにも聞こえる。
その真意は知らず、今は知ろうとも思わず、感極まった亜由美の涙を見守る勇介の顔にも慎治の顔にも、心底の情愛が浮かんでいた。
やがて亜由美は、淑女にははしたない自分の行為に思いあたり、あわてて勇介から身を引いた。
彼女自身、すでに自分の真意が解らない。見れば、何事ならんと目を丸くしている山澤を除き、慎治も勇介も、ただ優しく笑っているのである。そして絹枝さえも、どこか淋しげながら、けして皮肉ではない容認の微笑を湛えている。亜由美は子供のようにはにかみ、うつむいて涙を拭うしかなかった。
勇介は、傍らの絹枝に目を移し、
「えーと、念のため。俺を迎えに来たの、君じゃないよな」
絹枝は、とまどって小首を傾げた。
「いや、いいんだ」
勇介は鷹揚にうなずいて、今、自分たちを孕んでいる館そのものの空間を、慈しむように見渡した。
あの白い女は、勇介を連れて、本来あるべきところ、あるべき姿に還ったのではないか。
しかし館には、あまりに意思の香りが薄い。
鏝絵に似たレリーフを処々に施された白壁、月影を宿す窓々、いかにも西洋風東洋趣味らしい格天井、アラベスク紋様の絨毯に覆われた床――それら国籍不明の古雅な風情は、まさにあの白い女そのものなのだが――。
「やりたいようにやれってことか」
独りごちながら、勇介は、ふと、足元に転がっているテディベアに気づいた。
無造作に拾い上げ、痛々しい胸の矢を引き抜いてやり、はみ出たパンヤを穴に戻す。
「どのみち、待ってるだけじゃ埒が明かないだろう。家も女も、男も熊も」
ようやく洒落た文句を言えた気がするが、通じる相手が今どうしているのか、勇介には確信できない。
慎治たちが、なぜか驚愕の目で、こちらを凝視している。
「この熊がどうかしたか?」
勇介は怪訝そうに、澄んだ空色のテディベアを掲げて見せた。
*
銃器を扱える人間が三人に増えただけで、状況は一変する。
慎治たちは、慎重に付近の小窓の鎧戸を閉ざすと、手近な長椅子や調度を移動し、露台の外階段と広間中央の階段の双方が狙える位置に、簡略なバリケードを築いた。資材に限りがあるので、高さは稼げない。それでも五人がうずくまって身を隠せるスペースは確保できた。
予想外の展開を警戒してか、やはり室外の敵は態《なり》を潜めている。
宵の口から始まった襲撃の経緯を、あらかた聞いた勇介は、
「ヤクザに借金を返せば済むって話でもなさそうだな。あてが外れちまった」
これまでの平成側の経緯も、大雑把ながら伝えてある。ただ、今の絹枝が真の絹枝でも霊魂でもなく、いわば思慕の化身にすぎないことは、まだ口にしていない。当人を前にそれを言えるほど、勇介も厚顔ではなかった。
「ぶっちゃけ金に物を言わせて、お前や絹枝さんに恩を売って、亜由美を返してもらおうと思ったんだが」
言いながら勇介は、亜由美の顔色を窺った。
亜由美は、嬉しがっていいやら呆れていいやら、そんな顔をしている。
「呆れるなよ。別に金で買い戻しに来たわけじゃない」
最前の亜由美の抱擁に、勇介は極めて微妙なニュアンスを感じ取っていた。それは確かに勇介自身への愛着でもあったのだろうが、単に積み重なった不安の発露もあろうし、何より過去、勇介特有の数々の猪突猛進を、言葉では咎めながらも態度では愛しんでくれたような、母性的な感覚が大きい気がした。さらに、今の亜由美が必ずしもこちらの世界を厭うていないのは、絹枝と肉親同士のように寄り添っている様子からも察せられる。
「とにかくそっちの話は、この騒動が治まってからだ」
いきなりの焦臭い活劇場面に面食らいながら、勇介は、ある意味この事態をありがたくも思っていた。いずれ白黒を付けなければならない不得手な恋愛模様を、とりあえず先送りにできる。
「魔法の国の色恋沙汰に、首を突っこむ気はないが」
黙って話を聞いていた山澤が、口を開いた。ようやく血の固まりはじめた頬の傷が引きつれ、いさささか喋りにくそうである。
「しかし現状が解せない。あの青幇の連中は、劉という男を追って来たのだろう」
山澤が、今回の超自然的状況にも錯乱せず、あくまで冷静を保っているのは、平成の曽根巡査同様、現実家だからこそなのだろう。
「どんなに理解しがたい状況であれ、劉がすでにこの家にいないのは、奴らにも明らかなはずだ。ならば我々を狙い続ける理由がない」
慎治もそれにうなずいたが、勇介には、思いあたる節があった。白金の茉莉花館で聞いた、胡乱な男たちの会話が脳裏に蘇る。『特に南の露台周りは、瓜ふたつだ。ここで体に覚えさせておこう』――。
勇介は先ほどの死骸を引き寄せ、人相を検めた。
鼻の付け根に被弾した血まみれの顔面には、さすがに怖気を感じたが、怯えている場合ではない。
「……やっぱりな」
あの白い女が、勇介に本土の館を見せた理由が解った。
あれが現実の館だったのか、それとも館の記憶であるのかは勇介にも判然としないが、なんらかの理由で精気の衰えつつある館は、襲撃者がらみの傾向と対策を、勇介に託そうとしたに違いない。
「知った顔なのか?」
「おう。詳しく話してる暇はないが、こいつ、日本人だ。ついさっき――いや、よくわからんが、とにかく白金台の屋敷を下見してた。少なくともあとひとり、初めから間宮春樹を狙ってる奴がいる」
まだ伝えていなかった、ここに現れる直前の体験を勇介が披露すると、慎治は暗澹たる面持ちでうなずいた。
「あの人の手配か……」
歴史的貴種としての面子意識か、あるいは単に狭隘な恋の恨みか、いずれにせよ絶対に春樹の成功を許さない強大な瞋恚――慎治も春樹も、今さらながら己の甘さを思い知っていた。
「景気の悪い顔をするな」
勇介は、慎治の背中をどやしつけた。
「少しは凄い奴になってるかと思ったら、それじゃ昔のまんまだぞ。んなもな返り討ちにしちまえ。館ごと焼かれる前にな」
「焼かれる?」
「おう。このまましょぼくれてたら確実にそうなる。お前が調べた資料には、そんな話はなかっただろうが」
山澤が口を挟んだ。
「行きずりの凡人にも解るように話してくれないか」
「いえ、単純なことなんです。必要な金はもうここにある。だから今ここを逃げ切れば、将来世界的な大企業を起こす道も開ける。それだけのことです」
勇介の念頭では、朝倉に聞いた『アカシックレコード』など問題外である。今がいつのどこであろうと、無慮数の未来に繋がる無慮数の局面を、納得ずくでこなしてゆくしかない。
「ほう、それはありがたい。生きのびるだけなら自信がある」
山澤は洋弓銃を構えなおした。
慎治は山澤に頭を垂れた。
「申し訳ありません、山澤さん。私は自分の野望のために、あなたをとんでもない世界に巻きこんでしまった」
山澤は意に介さなかった。
「いや、詫びるには及ばない。生きながら死んでいるよりは、死を賭して生きるほうがましだ。寝ているよりは博奕を打っている方がいいと、お釈迦様も言っている」
しかし慎治の表情は晴れなかった。
「――勇介」
「おう?」
「この金、借りてもいいか?」
「おう。だから好きに使えって」
「貰うわけにはいかない」
「じゃあ利息はトイチで。西から日が昇るまでに全額返済しろ」
勇介の半畳に、慎治は親しみのこもった苦笑を漏らし、再び山澤に真摯な瞳を向けた。
「もし敵に隙が生じたら、この金を持って先に逃がれてください。あなたひとりでも、あの試作は続けられる」
「君たちは?」
「鼓南村の農園が、無事に夏を越したと耳にされたら、改めて連絡をください」
「なぜそんな、まだるこしいことを」
怪訝そうな山澤には応えず、慎治は勇介を見据えた。
「勇介、お前も解っているんだろう。山澤さんだけなら、ここを凌げば自由な人生に戻れる。しかし俺は――」
自分が闇雲に過去を変えようとしたことに、根本的な疑念が生じていた。
「消えた農園への道――劉大人を襲った連中――本土からの暗殺者――偶然の一致にしては間が良すぎる。もし、この世界のあらゆる要素が、俺の破滅を導こうとしているのなら、俺がここにいる限り難局が続く。運命自体が俺の敵だ」
勇介も首肯せざるを得なかった。それこそが、歴史そのものの軌道修正過程なのかもしれない。ならば、覆水を盆に返すには――。
「……あっちに戻る気はないか、慎治」
慎治は無言で、その質問に誰よりも動揺している絹枝に、優しく頬笑んだ。
大丈夫、それだけはない――。
絹枝の隣では、亜由美が射るような視線を彼に向けている。
しかし、彼は絹枝の潤んだ瞳を選んだ。
亜由美には、勇介もいる。絹枝には彼しかいない。彼が慎治であろうと春樹であろうと。
「いっそ初めから、ふたりで逝けば良かったのかもしれないな」
あの舞踏会の夜に出会い、やがて密かに出奔を誓い合ったとき、古い育ちのふたりには、道行きの先に彼岸への岐路も見えていたのである。ただ、それを選ぶには、互いに互いが若く美しすぎた。
「どこに行こうと、お前と俺は、あの夜からひとつなのだから」
絹枝の頬を、ひと筋の涙が伝い流れた。
「……はい」
そんな、なにか終局を思わせるふたりの情緒に、山澤が反駁した。
「だから間宮君! 今さら過去だの未来だの、敵の素性だのを云々しても無意味なのだよ!」
なかば怒声のような叱咤だった。
「生き続ける以外、生きる意味などない。己を立てればこそ敵が生じる。身に余る夢には天さえ敵に回る。仕事も男女の愛も同じだ。しかし己の夢を活かし、愛する者と一城を成すのが、男の本懐じゃないか」
山澤は、一度全てを失った男の顔に戻っていた。
「あの震災の直後、私は本気で、神や仏を殺せるものなら殺してやろうと思った。しかし今は、死んだ妻子と描いた夢を貫くことで、奴らを見返してやろうと思っている。この上、残された私の思いまで消そうというのなら、もう天でも人でも許さない。誰であろうが、死ぬまで歯向かい続けてやる」
「山澤さん……」
慎治の中の春樹が、山澤の悔恨に呼応していた。あの復活の日、慎治の内で幾星霜の虚無から目醒め、茉莉花館に還った夜の昂揚が胸に蘇る。
「その目だよ、春樹君」
山澤が若者のように笑った。
「美しい女をふたりも連れて、何をくよくよ思いまどうことがある」
山澤と熱い眼差しを交わす慎治に、
「気持ちはわかるが、ひとりにしとけよ慎治」
勇介は、野暮を承知で異議を唱えた。
亜由美は、ただ堅く唇を結んでいる。
と、突然、熱した豆の爆ぜるような音が、立て続けに外から響いた。
亜由美と絹枝は、かばいあうように、テディベアを挟んで身を縮めた。
男たちが、それを護る。
しかし、内部に向けた攻撃ではなかった。
敷地内周のあちこちで、銃撃戦が起こっているようだ。
「警官か?」
街路に面した東の庭でも、銃声が重なった。
山澤は、中央階段の警戒を勇介に任せ、バリケードを離れて出窓にすり寄った。
「仲間割れ――いや、違う」
長椅子の陰に戻った山澤は、
「ならず者たちが諍いを始めている。もとい、外に逃れようとする青幇と、誰も逃すまいとする黒服たちが争っているようだ」
勇介の瞳が光った。
「うまい。敵の頭数が減る」
慎治もうなずいた。もともと別口の敵なら、敵同士噛み合っても不思議ではない。
「解ったろう、慎治。俺は福の神なんだよ。運命だって変えられる」
現に勇介が出現すると同時に、絹枝が目覚めている。朽ちかけたテディベアさえ旧に復した。
「まあ俺の力か金の力か、お前があいつを始末したせいかは解らんが」
勇介が例の死骸を示しながら言う意味も、慎治は理解できた。破滅への要素がひとつ減るたびに、運気は好転する。当然のことだ。ならば館そのものの力も、蘇る可能性はあるだろう。
「勇介――」
「おう。お楽しみはこれからだ」
勇介たちの若い楽観を、山澤が冷静に引き締めた。
「しかし奴ら双方、もう静かにやる気がないのは確かだ。次はこちらにも鉄砲玉が飛んでくるぞ」
山澤は死骸を引き寄せ、その武装を再度検めた。案の定、足首に銃を隠し持っていた。ただし実用的な自動拳銃《オートマチック》や回転式ではなく、護身用程度の超小型拳銃、二連発のデリンジャーである。事実上、至近距離でしか役に立たない。
「ないよりはましか」
山澤は期待外れの顔で、デリンジャーと弾丸を懐に収めた。
「日本の連中は、あくまで隠密裡に済ませる予定だったらしいな。しかし、こんな銃や洋弓銃で、自動拳銃の青幇と互角に張り合うとなると、いよいよ得体の知れない奴ら――」
言いかけて、山澤の表情が豹変した。
「――来た!」
言うが早いか、山澤は広間中央の階段に、洋弓銃の矢を放った。
慎治は、反射的に露台側からの侵入に備えた。
もとより山澤は兵役経験者であり、春樹は米国の闇社会を知っている。会話しながらも、常に室外への警戒は怠っていない。
「くそ!」
しょせん現代青年の勇介は、一挙動遅れた。
鈍い風切り音に続き、腹に響くような衝撃が、階段の手摺りを震わせた。
青幇らしい影が、もんどりうって階下に消えた。
齣落としの映画のように、素早い挙動で次の矢を番えた山澤と、気を取り直した勇介の散弾銃が階段を狙う。
勇介の初弾は、かなり外れた。
しかし、弾道のずれと、散弾の散開密度は見当がついた。
ほぼ同時に、山澤の予想どおり、中央階段から弾幕が生じた。
こちらの命を狙っているというより、退路を断たれて錯乱しているようだ。
ソファーの背に次々と着弾し、あちこちで端がささくれ立つ。
山澤は、巧みに体を上下しては第三第四の矢を放ち、さらにひとりを倒した。
次の狙いを定めかね、頭を上げきれない勇介に、
「大丈夫! 残りせいぜい四人、それも大した腕じゃない!」
そう励ましたものの、次の瞬間、山澤は右肩に被弾し、片身を弾かれるように後転した。
勇介は夢中で次弾を発砲した。
今度は狙った位置を直撃したが、すでに青幇たちは階段の陰に身を引いていた。
広間を挟んで互いに牽制し合うように、再び静寂が訪れる。
慎治は、微動だにせず露台側を警戒しながら、耳だけで山澤の容態を探っていた。
「……半端者でも数撃ちゃ当たるか」
亜由美と絹枝に支えられ、悔しげに半身を起こす山澤の、命に別状はなさそうだが、右手は半分も上がらなかった。
勇介は散弾をフル装填しながら、懸命に善後策を探った。
先ほどの山澤の見極めは、誤っていないようだ。事実ここまで、ふたりの至近にはほとんど着弾していない。山澤の被弾は、命中ではなく不運にすぎない。
勇介は、床に転がっている、例の死骸の上着に目をやった。
防弾衣ではないが、野戦服風に収納部が多い。
勇介は手早くその上着を剥ぎ、持参の鞄から取り出したゴールドバーを、あらゆるポケットに詰めこんだ。
「何を……」
亜由美と絹枝が目を見張った。
露台を見据えていた慎治が、一瞬、勇介に視線を流す。
「止めるな。負ける気はしない」
勇介は、即製のボディーアーマーを着こみながら口の端を上げた。
「五連発イッキ、ハッタリで勝負だ。知ってるだろう、俺はクレーで親父より当てる。熊も猪も撃った」
慎治は無言で露台側を護り続けた。
そちらは任せる――そんな暗黙の信頼が、視線を合わせないままの慎治と勇介を結んだ。
静と動の対極にあっても、共に戦うという意思は一致している。
勇介がつぶやいた。
「楽しいな」
慎治がうなずいた。
「ああ」
ふたりとも、なぜか入学間もない高校の、教室の陽射しを思い出していた。
初めて名乗り合い、奇妙に馬が合った春の朝、まだそこに亜由美の姿はなかった。
人は誰も子供のままでは生きられない。しかし、男の中の子供が消えることもない。
「終わったら飲もうぜ」
勇介は身を翻し、発砲しながら、雄叫びとともにソファーの背を越えて疾駆した。
3
勇介の旅立ちを見届けた後、亮太朗の運転するカルマンギアはそのまま環状三号線を進み、青山葬儀所の手前で朝倉と曽根を降ろした。
亮太朗も、今回の件のランドマークとも言うべき『茉莉花館』の実物を見たかったが、結局そのまま財務省に向かうことにした。すでに今朝の私事は終えたし、庁舎では慢性的に仕事が山積している。
この国には、報酬と仕事量の比例しない官僚も数多いが、少なくとも亮太朗は、もともと生活が収入に左右されない家系に育ったからか、私事よりも国事を自分の存在意義と心得ている。これ以上自分では手の出しようのない事態のために、惰性で息子を待ち続ける気はない。それに現代は、必要とあらば電話一本どころか私物携帯のバイブレーションひとつで、仕事から家庭問題に移れる。
「やっぱ大したもんだよ、あの親父さん」
前夜と同じコースで霊園の斜面を下りながら、朝倉は言った。
「こんな状況で、よく仕事なんてやる気になるわ」
「はい、まったく」
曽根は、前日が勤務明けで今日は公休だし、朝倉は、あいかわらず自称インフル患者を続けている。ふたりとも、今後なんの予定があるわけでもないのだが、たとえ出勤したとしても仕事など手に付かないだろうし、といって自宅に戻り悶々と時を過ごす気にもなれない。とりあえず霊園のミニチュアに向かっているのは、もともとそこが今朝の目的地だったからである。つまり勇介流の『開けゴマ』も、本番は霊園内だろうと想定されていた。
「まさか御本尊が、わざわざ迎えに来るとは思わんかったもんなあ」
「しかし、そんなことが可能なら、なんで今まで出歩かなかったんでしょうね」
「そうでもしなきゃ収拾がつかなくなった――対抗しきれなくなった、とか」
「……誰に?」
朝倉は、悩ましげに首を傾げた。
「さあ、誰っつーか何っつーか――つまり『運命』とか『お約束』とか」
「例のアカシなんとかですか?」
「知らんわ。とにかく、慎治君があっちに引っ越す前の『歴史』そのもの」
曽根は深々とうなずき、
「――自分にも、なんとなく解ってきました。つまり今回の騒動は、『可能性』と『既成事実』の、時空を跨いだオセロゲーム――違いますか?」
「おう。曽根さんも、なかなか洒落た表現するねえ」
「ど、どうも」
「ただ、そうなると、あたしら一介の白黒駒に、果たして勝負全体を最後まで把握できるやら――せめて盤面全体を俯瞰できりゃなあ」
ぼやいているうちに、例の蔦に覆われた柵囲いが見えてきた。
「どれどれ、ごきげんいかがかな、こっちのお館様は――」
曽根と共に、慣れた手つきで蔦を剥がし、朝倉は絶句した。
曽根も愕然として、蔦を取り落とした。
館が見るからにくすんでいる。
シルエット自体に変化はなく、どこかが傷んでいるわけでもないが、前夜まで懐中電灯の光にも白く輝いて見えた表面は、長く風雨に晒されたように、塵埃と雫跡に覆われていた。
「お、おい。しっかりしなよ!」
朝倉はうろたえ、励ますように館の屋根を叩いて回った。
曽根も周囲を巡りながら、慎重に現状を観察した。大理石の土台にも、落葉や土埃が明らかに季節をまたいで堆積している。以前、慎治たちの携帯を見つけた二階の露台奥にまで、朽ちた紅葉の細片が認められた。
「少なくとも半年は放置されてますね」
朝倉は、鎌倉で聞いた岡崎老嬢の言葉を思い出していた。『ずいぶん汚れていたでしょう? こちらに越してきてからは、なかなか手入れもできず、お寺参りのついでに寄るばかり』――。
「……こりゃまいったね」
額に手を当て、つぶやきながらうなだれる。
「……勇介さんが、うまく行かなかったんでしょうか?」
曽根がおずおずと訊ねると、
「そうかもしんない――いんや、あいつ、鉄砲玉のわりに馬鹿じゃないんだわ。物事たいがい丸く治めちゃう奴だから」
「じゃあ……」
「可能性その一。でもやっぱりあいつがドジった。可能性その二。実はあいつもあたしらも、根本的に何か間違えてる」
曽根は途方にくれた。
「……死んでしまったんでしょうか」
「縁起でもないことを言うでない」
「いえ、勇介さんや亜由美さんじゃなく、この館そのものです」
たとえあちら側の三人が無事だったとしても、この雛形の門が閉じてしまえば、誰も戻って来られない恐れがある。
朝倉は、館に顔を擦りつけるようにして、昨夜までの輝きの残滓を求めた。
「――まだ生きてる」
目を見張る曽根の顔を、あの二階の露台へと誘う。
「感じない?」
朝倉は、嗅ぎなさい、と言うように鼻を蠢かせていた。
曽根も従い、ぎりぎりまで臭覚を働かせた。
確かに冬の霊園には不釣り合いな、南国を思わせる甘い花香が、館の奥から、かろうじて気のせいではない程度に感じられる。
「ひと口にジャスミンつっても実は色々あるんだけど、これは――茉莉花? 大花素馨? とにかくそのどっちかだわ」
「よく判りますね」
「えっへん。これでも奴らの部長様だわな」
冗談めかして胸を張るが、なかば虚勢なのは明らかだった。
曽根にしても、警官だからというわけではないが、人並みよりは鼻が利く。この微弱な香りが館の生の証しなら、瀕死、もしくは生の名残である。
――やはりデッドエンド?
曽根は不安げに、朝倉の顔色を窺った。
しかし朝倉は、確かに難しい顔をしているが、刑事コロンボを演じるピーター・フォークのように額に手を当てて、あくまで思案の最中らしかった。惑乱しても諦めてもいない。
数瞬の黙考ののち、朝倉は、ぽん、と手を打った。
「はい?」
曽根が期待の声を上げると、
「わかんない」
「はい?」
「行かなきゃわかんない」
「どこへ?」
「わかんないから、やるっきゃない」
「だから何を?」
「お館様を叩き起こして、あたしも開けゴマしてもらう」
結局、思案に行き詰まって錯乱したのか――愕然としている曽根に、
「どのみち馬鹿でもアホでも、オセロの駒じゃあるまいし、ここでこうしてぼーっと転がってるわけにゃいかんでしょ」
「は、はい」
「じゃあ、お買い物!」
朝倉はごそごそとスポーツバッグを探り、デニムの財布を取り出してちまちまと中身を検め、
「――さあ、推定おおむね四キロ強! 銀座めざしてダーッシュ!」
呆気にとられる曽根を尻目に、いきなり乃木坂方向に駆けだす朝倉を、曽根はあわてて追いかけた。
「電車にしましょうよ」
朝倉の着想など見当もつかないが、体力は温存しておきたかった。まだ先が長そうな予感がしたのである。
*
朝倉も、本気で銀座まで走ろうと思ったわけではない。
最寄りの乃木坂駅から銀座まで、地下鉄なら、乗り換え時間を入れても十何分で着く。
仕事柄、足には自信のある曽根も舌を巻くような駿足で、朝倉は銀座地下駅のA4階段から晴海通りに駆け上がった。
銀座界隈は、地味系の平巡査である曽根のテリトリーではない。道行く人々を軽やかに避けながら疾走する朝倉の、後ろ姿を追うのが精一杯である。見慣れた痩身のジャージ姿の、こぢんまりとしたなりに女性らしいヒップの弾みや、信号待ちでようやく隣から窺う横顔の健やかな汗に、この女性といっしょに韋駄天走りをするのはなかなか楽しいな、などと、不謹慎かつ場違いな感慨を抱いたりもする。
朝倉は、最初の交差点をあづま通りに右折、さらに銀座コアの裏口に面するあたりで左折し、やや裏道じみた通りに駆けこんだ。味気ないビルの裏手ばかりが続く、次の大通りもまだ遠い狭間に、場違いに風雅な煉瓦造りの店が潜んでいた。飾り窓の軒先に張り出した慎ましい木看板の彫り文字は、『香路』と読める。
「『こうじ』?」
追いついた曽根が問うと、
「ぶっぶー。『かろ』」
朝倉は、窓と同じ北欧風の白いレースに飾られた木枠のガラス扉に、『ようこそいらっしゃいませ』と札が下がっているのを確かめ、
「こんちわー」
御用聞きのように頭を下げながら入店した。
六坪ほどの、窓の採光以外ほとんど灯りのない店内は、戦前の喫茶店を思わせる板壁板敷きで、ただテーブルは中央に接客用らしい数人がけの物がひとつしかなく、あとは奥の間に続くらしい扉の横の立ち机に、今どき純機械式かと疑ってしまうようなレジスターが鎮座しているだけだった。
それ以外の壁面はすべて天井に届きそうなガラス戸棚であり、極彩色の東南アジア風小箱から上品な淡色の小箱、あるいはラベルだけ張られた小壜などで、びっしりと埋め尽くされている。何百、いや、何千種と並んでいるらしい。
それらがいかなる製品であるのか、曽根にもおおむね見当がついた。
「香水屋さんですか?」
「ぴんぽん少々」
朝倉は、無人の店内を懐かしげに見渡した。
「香水もあるけど、精油、いわゆるエッセンシャルオイルやアブソリュートがメインね。で、二階にはお香や香木関係」
曽根は内心首を傾げたが、あえて細かい質問は避けた。聞いてもすぐには理解できそうになかったからである。ちなみに精油=エッセンシャルオイルという呼称は、厳密には圧搾法や蒸留法による製品のみを言う。アブソリュートという呼称は、日本ではエッセンシャルオイルと同義に使われることが多いが、厳密には溶剤抽出法や油脂吸着法、また超臨界流体抽出法による製品を言う。
「とにかく鼻の利くママさんが、全地球規模で掻き集めてんだわ。高校時代、みんなでけっこう通ってたのよ。香道部の連中――慎治君や亜由美ちゃん、たまには勇介君もね」
「それにしては、あまりその手の匂いがしませんね」
「そりゃ、こう見えても棚まで空調完備だもの。雑多な匂いだらけんとこじゃ、品定めもできんでしょ。一階も二階も、ちゃんと奥に調香スペースがあるし」
「ほう」
すると、その女主人は奥に控えているのだろうか。
「しかしこれ、あんまり無防備じゃないですか? 防犯カメラも見当たらないし」
「そーゆー客層じゃないもん。だいたい万引きしたって換金性がないわな」
「いや、今はネットオークションがあります。世界中に換金性のない物はない」
「そう言やそうか。まあ、ごっそり持ってかれても、困るようなフトコロ具合じゃないんでしょうよ。マジな希少品は奥にしまってあるとかね」
朝倉は、あくまでここは商業施設ではなく有産階級の道楽施設なのだと言いたかったのだが、ワンコイン単位の経済感覚で生きる曽根は、なるほど、つまり古本屋の店先の雑本ワゴンのようなものかと推測した。
「あらあら、朝倉さんじゃございませんの」
扉の鈴を聞きつけたらしい中年の女主人が、往年の黒柳徹子女史を思わせる玉葱頭に黒ドレス姿で、ようやく奥から姿を現した。
「いやはや、ご無沙汰してます」
朝倉は、顔と名前を覚えていてくれたことに恐縮し、照れ臭そうに頭を下げた。
曽根も几帳面に頭を下げる。
女主人は、好奇心溢れる眼差しで会釈を返したが、いきなりふたりの関係を質すほど無粋ではなかった。
「少々お待ちくださいね。お茶をお持ちしますから」
いえ、急ぎますから、と遠慮する暇もなく、女主人はまた奥に下がり、優に十分ほどたってから、本式のティーセットを運んできた。盆にはスコーンやジャムも乗っている。限られたお客を強制的ティータイムでもてなすのが、この店の流儀なのである。
「ほんとにお久しぶりですわねえ。一年ぶりくらいかしら」
「いえ、もうかれこれ五六年」
「あらあら、私ったら。間宮さんと愛川さんがいつも寄ってくださるから、勘違いしちゃった」
お得意様とのセット記憶だったらしい。このぶんなら勇介も、同じように付録として記憶されているのだろう。
そのセットが、今はすっかりワヤワヤなのだ――朝倉は苦い思いを隠して、本題に入った。
「今日はちょっと、ママさんのお知恵を拝借したいと思いまして」
「はいはい。嬉しいですわ。鼻で判ることなら、なんでも訊いてくださいね。この時期ですと、やっぱり冬の組香のことかしら」
「いえ、香道のほうではなくて、ジャスミンの精油のことなんですが」
「はいはい。お若い方向きのお手頃なアブソリュートから、あらゆるTPOにお応えできる各種のエッセンシャルオイル、そしてそれはもう他に類を見ない貴重なアブソリュートまで、なんでも揃っておりますよ」
「できるだけ純な香りがほしいんですが、その『他に類を見ない』ほうは、ちなみに、いかほど……」
「五ミリリットル瓶で、四十八万円ほどになりますけど」
女主人は、けして侮蔑ではない、気遣いの微笑を浮かべて言った。
かつて香道部部長だった朝倉の素養には、女主人も一目置いているが、慎治たちとは違い、いわゆる庶民派であることも知っている。この店の顧客の大半は、製品に品質のみを求めて値を問わない。そもそもジャージ姿で表通りを歩かない。
「ふつうのルートでは、まず手に入らない品物ですからねえ。南フランスのロイヤルジャスミン農園に特注した、古式ゆかしい油脂吸着製品《アンフルラージュ》。ルネサンス期の香りそのものですわね」
朝倉は、いざとなったらそれもやむをえないだろうとうなずいたが、曽根は金額を聞いた時点で紅茶を吹きそうになり、文字どおり青ざめていた。
「それと、あの、たとえば二酸化炭素抽出のアブソリュートなら、ママさん一番のお勧めは?」
「あらまあ、さすがは部長さん」
女主人は、我が意を得たりと言うように、
「日本ではあまり知られていないブランドですけれど、とても素晴らしいスパニッシュジャスミンがございますよ。実はわたくしも、そちらのほうが好みですの」
「スパニッシュジャスミン……」
朝倉の思考に、その名称が引っかかった。分割移築前の茉莉花館は、南スペインに在ったはずである。
「まあスパニッシュジャスミンもロイヤルジャスミンも、同じ大花素馨の別名ですけれど、土壌がいいのか手入れがいいのか、それとも抽出技術がいいのかしら、そちらを入れたお風呂に浸かっておりますと、ほんとうに『ああ、これがジャスミンという花の命そのものなのだなあ』、そんな心地になれます。それでいてお値段は半額以下ですもの、お若い方にもお勧めですよ」
「じゃあ念のため、両方試させていただきます」
「はいはい。よろしかったら、同じ会社からジャスミン生粋の香水も出ておりますよ。九万八千円になりますけど、お試しになります?」
精油の原液は高濃度すぎて、直接肌に付けることができない。キャリアオイルで希釈する手もあるが、朝倉としては、火急に万全を期したかった。
「お願いします」
いざとなったらクレカの泥沼、リボ払いもある。
「じゃあ、こちらにどうぞ」
立ち上がった女主人は、施錠もされていない棚の一角から無造作に三種の箱を選り出し、奥の別室に朝倉を促した。
ひとりテーブルに取り残された曽根は、空腹に任せてスコーンを頬ばりながら、真剣に悩んでいた。結局この店では、何十万の香水だかなんだかが、露天雑本扱いになっていたのである。
あの人と全力疾走するのは、なかなか快感だが――同じ地方公務員同士、さほど身分は変わらないと思っていたのだが――いっしょに買い物するのは、ちょっと骨かもしれない。
4
ことさら大仰な怒号で威嚇しながら、勇介は中央階段に向かって広間を疾走した。
あわてて発砲してくる敵たちに向け、オート5を間断なく三連射する。相手がいくら射撃下手でも、近づけば近づくほど被弾する可能性は高まる。それまでに極力、敵を減らしておかなければならない。初めの三連射では二人ばかり、のけぞって階段を転落する気配がした。
広間を半分抜けたあたりで反撃を受け、脇腹に激しい衝撃を覚えたが、幸い例のゴールドバーのおかげで弾丸は横に逸れた。対して放った四発目の散弾は、命中こそしなかったものの、散開際で敵の片腕をなぎ払ったようだ。
しかし山澤の観察眼が正しければ、まだ無傷の敵がいる勘定だ。さすがにそのまま猪突猛進を続ける気はなく、勇介は最上段の手前に身を伏せ、散弾を補充しながら下の様子を探った。
階段の途中には、五人ほどの男が倒れていた。山澤と勇介が仕留めた敵だろう。頭を下に、あるいは斜めに、奇妙に身を捩らせて段差に引っかかっている姿は、どう見ても死骸だった。
「……別射撃《ビェシャァジィ》」
踊り場まで逃れていた男が、ステンドグラスの薄明るい彩光の下、立て膝をつき、片腕を押さえながら言った。
「我們《ウォァメン》、拉這個事空手《ラァツァグァシィコンシャオ》」
撃つな、我々は手を引く――中国語で言われても、勇介には理解できない。男もそれを悟ったのか、もう武器は捨てたし拾う気もない、そんな手振りをして見せた。確かに戦意は喪失しているようだが、そう大した傷でもなさそうだ。
「まだ仲間が残っているだろう」
どうせ通じないだろうと思いながら、一応訊ねてみる。やはり男は首を傾げた。勇介は、あえて男を射程から外し、踊り場の、階下に折り返す手摺り付近を狙って、派手に二連射してみせた。男は丸虫のように身を縮めた。
粉砕された手摺りの木屑が床に落ち着く頃、
「別射撃《ビェシャァジィ》!」
負傷した男より若い声とともに、階下から、何か小さな布きれのような物が突き出された。
「……白旗?」
勇介は、気が抜けたようにつぶやいた。
しかし、陽動を鵜呑みにできる相手でもない。
挙動に窮し、そのハンカチらしい白旗のゆらぎを見つめ続けていると、
「Do you really surrender?」
いきなり背後から、毅然とした女声が響いた。
あなたは本当に降伏するのか――英語ならば勇介にも理解できる。
「亜由美……」
仰天している勇介に、亜由美は厳しい顔でうなずき、
「If that is true,discard arms!」
山澤に借りたデリンジャーを手に、階下に向かってそう続けた。
もし本気なら武器を捨てなさい――平成育ちの娘には珍しく発声自体に芯があるので、何語でも小声でも、亜由美の声は良く通る。のみならず、改まった物言いをするとき、声質に一種の威圧感も備えている。
階下から、中国訛りの英語が反った。
「Yes――We throw away all arms」
実際、拳銃やナイフが踊り場に投げ出された。
亜由美は、さらに重々しく、
「Put both hands on the head,and go up slowly here!」
両手を頭に置いてゆっくり昇ってきなさい――その語調には、若き女帝の詔のような風格があった。構えた超小型拳銃の迫力不足や、震える手元のおぼつかなさを、気迫でカバーしている。心身共にどんな修羅場であっても、亜由美はあくまで愛川亜由美だった。
踊り場の陰から二人の若者が姿を現し、先の男と並んで、言われるがままに階段を登りはじめた。
男たちを警戒し続けながら、英語でいいなら俺にも言えたのに、などと勇介が気を緩ませた刹那、
「Freeze!」
亜由美が叫び、デリンジャーの筒先を、階段途上の隅に向けた。
勇介も瞬時に五感を尖らせ、視界から逸れていた異変に気づき、そちらに銃口を移した。
死骸のひとつが、先ほどの俯せに捻曲がった体位からは想像もつかない形で、いつのまにか半身を起こそうとしている。その手には、例の短剣ともナイフともつかぬ刃物が光っていた。
その男が宵の口に劉の執事を即死させ、また先ほど勇介の鞄を射抜き、以降、ずっと死骸を装って仲間の目も欺きながら勝機を待ち続けていたことなど、勇介には知る由もない。しかし、一瞬視線が合った男の凶眼に、勇介は、こいつは人間として駄目だ、と直感した。以前に何度か出会った性格破綻者たち――他者の苦痛を自分の快感に直結する不良やヤクザにも似た、脳そのものの奇形を感じたのである。男の目は笑っていた。自分が死ぬ恐れよりも、相手を殺そうとする喜悦を湛えていた。
「亜由美、目をつぶれ」
男が刃物を放った瞬間、勇介も真正面から発砲した。
*
山澤の予想に違わず、残りの青幇たちは脆弱だった。
負傷した年長の男も、無傷の若者たちも、勇介たちに促されるまま、バリケードに向かっておどおどと広間を進む。
「中国勢は抑えた」
勇介が報告すると、慎治は先刻の態勢のまま、
「外の日本勢は相変わらずだ。妙な気配ばかりで、なかなか動かない」
極度の精神的緊張が長引き、声が掠れている。
「厭な奴らだな。喧嘩でも、その手の奴らがいちばん疲れるんだ」
人生初の銃撃戦に一区切りつけた勇介は、昂揚が続いていた。いきなり参戦したため事前に悩む暇がなかったし、戦争どころか戦後さえ知らない勇介でも、それなりに世間と渡り合ってきた自負のある彼にとって、敵と正対して命を取り合うことは必ずしも不快な経験ではなかった。あの凶眼の青幇とはちがい、殺すために殺すわけではない。生きるために勝とうとするのである。
「こいつらが見た限り、まだ十人くらいはいるらしい」
勇介が言うと、山澤が顔をしかめた。
「チンピラならともかく、隠密みたような奴らが十人――厄介だな」
「でも山澤さん、いい土産がありますよ」
勇介は、青幇たちの上着を風呂敷代わりにして運んできた、大量の飛び道具類を披露した。
「ほう。これはまた、年代物の刃物から欧州の最新型まで――おう、モーゼルがある」
山澤は、異形の自動拳銃を手に取った。独逸製のモーゼル・ミリタリーである。当時の拳銃の多くが数発の装弾数なのに比べ、弾倉が引き金の前にある独特の設計により、十発を装弾できる。また銃把が小型であるため、手の小さな東洋人にも扱いやすい。利き腕に被弾してしまった山澤としては、なにかと重宝そうだった。
「青幇という稼業は、なかなか儲かるらしいな。これをもらおう」
当時、他の拳銃に比べ倍近い価格だったモーゼルは、日本軍でも高級将校のステータス・シンボル的な存在だから、銃器に詳しい一兵卒には垂涎の名器でもある。山澤は喜々としてモーゼルを点検し、慎治に並んで外への警戒に就いた。
「しかしそうなると、外の連中にも、すでにこの手の利器が渡っているな」
山澤の緊張に呼応して、慎治もさらに気を引き締めた。
「さて、こっちの連中はどうする。縛り上げておくか」
勇介に銃身で示されると、青幇たちは硬直した。
〈俺たちは、ただ上に言われて劉を追って来ただけだ。ここが神棍《シェンクェン》の屋敷とは知らなかった〉
年長の男が、頭に手を乗せたまま、英語で弁解した。
英語なら、時代や英米で多少の差異はあるが、その場の全員が会話できる。しかし英語にはない発音も混じっているようだ。
「シェンクェン?」
首をひねる一同の中、慎治は外に注意を向けたまま、なるほどと言うようにうなずいた。
「たぶん神棍《しんこん》のことを言ってるな」
「新婚? 新婚家庭じゃないだろ?」
真顔で問い返す勇介の脇腹を、亜由美が窘めるように突いた。もっとも亜由美自身も、その中国語の意味は知らない。
「神様の『神』に、棍棒の『棍』だ」
「神棍――思い出した。確かファイナルファンタジーだ。あれの何番目だったかな」
「俺はゲームの話は知らないが、何か神秘的な武器の話か?」
「おう。なんのアイテムか忘れたが、そんなもんの欠片が出てきたぞ」
「確かに呪術的アイテムとしての神棍もあるが、中国では呪術師そのものも神棍と呼ぶんだ。昔は地域社会で幅をきかせていたらしい。場合によっては政治的な統治者よりも、民衆に影響力があったと言うな」
この件《くだり》は春樹の知識ではなく、国文学や中国文学を通して得た、慎治の知識である。
「でも、そりゃ大昔の話だろう」
勇介が呆れると、
「俺たちのいた時代から見れば、だ」
慎治は時世に添って言いなおした。
「この時代の中国人、特に地方出身者なら、頭から信じていてもおかしくないんだよ。確かに上海は大都会だが、それは単なる国際経済上のなりゆきだ。全土的に見れば、まだあの国は良かれ悪しかれ、自発的な文明開化を一度も経験してない。つまり土俗信仰的な感覚は、日本の江戸時代あたりに近いと思っていい。特に田舎だと、下手をすれば平安時代、陰陽師の時代の感覚だ」
勇介は納得顔で、
「まあ考えてみりゃ、今の日本だって欲太りの教祖様や妄想患者のトンデモを、本気で拝んでる奴らがいるからな。要するに迷信家ってことだ」
山澤が失笑した。
「そう言うが、この家は立派に神懸かっているし、君たちも充分人間離れしているぞ。外の景色が突然変わるかと思えば、宙からいきなり君が涌いてくる。そもそも今、君たちが話していることだって、私にはまるでちんぷんかんぷんの怪しげな呪文だ」
そんな会話を、日本語を知らない青幇の末端たちは、審判でも待つように神妙に見守っている。
〈あなたが主《あるじ》の神棍なのか〉
年長の男が、慎治の横顔に懇願した。
〈俺たちはもう逆らわない。信じてほしい〉
慎治が会話の中心にいたためでもあろうが、他より整った身なりや浮世離れした容貌は、やはり最も神秘的に見えるらしい。背後に侍る同じ顔の美女ふたりはさしずめ巫女、あとのいかつい男たちは衛士といったところか。
「これは使える」
勇介は日本語で独りごち、俺に調子を合わせろ、と慎治に目配せした。
〈確かにこの方が当館の主、日本でも有数のシェンクェンであらせられる〉
極力重々しい英語で青幇たちに告げると、慎治もそれらしく威儀を正した。
勇介は続けた。
〈貴様らも心当たりがあるのではないか? 通力に秀でたシェンクェンは、ときとして不遜な為政者どもに疎まれる。現に今、日本からの刺客に狙われているのだが、貴様らは、本当に奴らの仲間ではないのだな?〉
青幇たちは力いっぱいうなずいた。
〈この者ども、いかがいたしましょう、ご主人様〉
勇介の即興芝居に本格参入できる状況でもない。慎治は外への警戒を続けながら、青幇たちを一瞥した。
〈そのほうの心算に任せよう〉
目千両、とでも言おうか、その目で改まって直視されると、見慣れたはずの絹枝や亜由美のみならず、男たちまでが抗しがたい胸の疼きを覚える。
〈承知いたしました〉
勇介は内心苦笑しながら、ポケットの携帯電話を取り出した。無論圏外だが、電源は生きている。
〈ご主人様に賜った神鏡にて、託宣を授かりましょう〉
勇介は、以前冗談半分で入れた、正月向けの動画を呼び出した。箏曲『春の海』に合わせて、液晶画面に初日の海がうねる。
奇妙な薄板が発する緻密な映像と音声に、青幇たちは戦慄していた。
そもそも携帯電話という物体そのものが、無骨な黒電話に似ても似つかないのはもとより、この時代のあらゆる物体に類さない。当時、動画メディアとしては無声モノクロの活動写真が最新だし、音楽メディアとしてはまだラジオさえ普及せず、機械式蓄音機が主力である。
山澤も一瞬外への警戒を忘れ、勇介の手元を見入ったが、
「……まあ二十一世紀の技術だからな」
何があっても不思議はないと割り切り、すぐに向きなおった。
「しかし一度、螺子ひとつまで分解してみたいものだ」
勇介は頃合いを見て、いかにも画面から何かを読み取ったように、大仰にうなずいて見せた。
〈――誅するには及ばず〉
安堵する青幇たちに、
〈ただし、貴様らの今後の働き次第。ご主人様は、先ほど神技を用いて館ごと聖地に逃れようとされたが、貴様らも見ていただろう、貴様らや刺客どもの邪魔だてで気が乱れ、聖地への門が閉じてしまった。次の門が開くまで、しばし気を整えねばならない。それまでは刺客共の邪魔だてを、少しでも避けたい〉
勇介は、より厳しい視線で、回収した銃器類を示し、
〈好きな飛び道具を選び、先ほどの階段から下を守れ。気が満ちて門が開いたなら、貴様らも我らと共に逃れるがいい。貴様らが生きて出られるかこの場で死ぬか、それはすでに我らではなく、あの刺客たちしだいなのだ〉
選択の余地はないが、外の相手の手強さも知っている青幇たちは、今ひとつ気勢が上がらないようだ。
〈働かせるからには只とは言わない。尊い御符を与えよう〉
勇介は、ポケットから金地金のキロバーを三枚つかみだした。金額的にはスモールバーで充分だろうが、四角いクッキーのようで心理的に見栄えがしない。
〈貴様ら不浄の輩に霊験はなかろうが、生きて俗世に持ち帰れば大いに福となるぞ。純金の御符である〉
年長の男が、おずおずと一枚を受け取った。
キロバーは勇介の携帯より多少大きい程度だが、見かけよりもずっしりと重い。しかし当時から、不純物の多い金塊や、比重の似た材質に金を被せただけの紛い物が数多く流通しているので、いかに神棍の言葉でも、男は半信半疑のようだった。若い二人は、そもそも純金に縁がないらしく、ただ先輩の挙動を見守っている。
〈疑わしくば気の済むまで検めよ。紛れもない金無垢である〉
男は表面の色艶や、見慣れない形状や刻印をためつすがめつした後、歯を立てて硬度を確認し、若い二人に向かってうなずいた。
「二年和三年玩能生活《アァニェンフゥサンニェンワンナンシュンフォ》」
しょせん上からのおこぼれに命を張る末端構成員にすぎない彼らにとって、覇気を取り戻すには充分以上だった。若者たちも先を争って『御符』を受け取り、それぞれ武器を持って元の中央階段に向かう。
「これで外に集中できる」
勇介も散弾銃を手に、慎治たちの戦列に加わった。
*
場が治まるのを待っていたように、亜由美が山澤の袖を引き、先ほど借りたデリンジャーを差し出した。
「……こちら、お返しします。私には使えません」
亜由美らしくない、気落ちした声だった。階段での血生臭い有様に辟易しただけでなく、勇介の危機を先に察知しながら結局引き金を引けなかったことにも、一種の後ろめたさを感じていた。
山澤は、ねぎらいの微笑を浮かべ、
「それはまだ持っていたほうがいい。手弱女の白魚のような指でも、いざとなったら扱えるでしょう」
勇介も、いたわるように亜由美の肩を叩いた。誰であれ他人を殺せない亜由美が愛しかった。
「しかし奥さん、あれらに英語が通じると、よく判りましたね」
まだ沈んでいる亜由美を、山澤が讃えた。
「はい。上海から来たヤクザ屋さんなら、きっと話せると思って」
亜由美の顔に、やや彼女らしい自負が戻った。
「この時代の上海は、そんな風潮の国際都市なのでしょう? 絹枝様」
以前、絹枝との茶飲み話の中で、上海に寄港した際の思い出話を聞いた記憶があったのである。
慎治の背後で様子を窺っていた絹枝は、亜由美の目配せに応じ、
「はい、亜由美様。小物でも、せめて英語ができなければ、恐喝《カツアゲ》も美人局《つつもたせ》もままならないと思いますわ」
まだ声に少々の乱れを残しているが、夕刻までの精気は戻っていた。
「そして亜由美様、そんな悪漢輩に対するのですから、女だからといって弱音を吐いてはいけません。家を守るのも大切な女の勤めです。巴御前の例だってありますでしょう?」
絹枝も本来、けして男に依存するだけの女ではない。残っていた拳銃の中から、春樹に合わせて回転式を選び、見様見真似で弾倉を検める。
「絹枝……」
慎治、もとい春樹は安堵する一方で、これまでの夫としての来し方に、改めて一抹の後悔も覚えていた。
自分は過去、外で奔走するあまり、家で待つ妻への配慮を欠いていたのではないか。留守がちな夫の知らないところで、妻も自ら成長していたのだ。良い意味でも、あまり好ましくない方向でも――。
「ほう、こちらの奥さんは、見かけによらず気丈夫でいらっしゃる」
山澤が感心して言った。
「しかし、その大物はちょっと無理だ。造りも怪しい。こちらになさい」
文字どおり深窓育ちである絹枝の指は、亜由美より細い。山澤が、より小口径の自動拳銃を勧めると、絹枝は手にした回転式を慎治の銃と見比べた後、渋々山澤に渡そうとした。
そのおぼつかない手つきと持ち方に、
「気をつけて! それには安全装置が――」
山澤がフォローしようとしたとき、
「あ」
あわてた絹枝は拳銃を取り落とした。
大型拳銃の重量は一キロ近くある。床は厚い絨毯敷きだが、落下の衝撃も馬鹿にならない。
落下音と暴発音が同時に響き渡った。
のけぞる絹枝の前髪を銃弾が煽り、斜め後ろの天井板に小穴を穿った。
「絹枝!」
慎治が身を翻し、
「絹枝様!」
亜由美は肩を支える。
絹枝は目を瞬きながら、不安げに鼻の先をまさぐった。
「……何も感じません。あの、元どおり付いておりますか? わたくしの鼻は」
弾丸が鼻先をかすめたらしい。
「困った奴だ」
慎治は安堵し、絹枝の頭を軽く叩いて、露台に向きなおった。
「大丈夫。少し赤くなっているだけですわ」
亜由美は微妙な頬笑みを浮かべて言った。顔の造作に限れば、まったく鏡を見ている心地なのである。しかし性格的には、常に自分より健気で愛らしいように思える。慎治もまた、絹枝のそんな部分を選んだのだろうか。それとも、それはあくまで春樹の心であって――。
惑いを深める自分の心を測るように、亜由美が慎治の横顔を窺っていると、
「……おい」
慎治と入れ替わりに振り返っていた勇介が、亜由美たちの視線を背後の床へと促した。
絨毯の紋様に、どす黒い染みが広がっている。その数センチほどの染みに向かって、直上から、何かの雫が月影を受けて光跡を描いた。格天井に開いた小穴から、血が滴っているのである。
「この野郎」
勇介は、屋根裏を這いずる気配を追って連射した。
三発目ほどで、五寸四方を越える薄板の部分が強度を失い、木屑を撒き散らしながら落下してきた人影が、バリケード後方の絨毯に叩きつけられた。
「隠密どころか油虫だな」
天井の気配を探りながら、山澤が苦々しげにつぶやいた。
敵も潮時と見たのだろう、各所で天井板を破る音が続き、銃弾が降り注ぎ始めた。
同時に中央階段方向からも銃声が重なった。青幇たちが、下からの敵に応戦している。
慎治たちは長椅子と床の角に張りつくようにして、頭上からの弾を避けながら、応戦の機を窺った。
屋根裏の敵は数名、幸いバリケードの直近ではなく、露台とは逆の北側に偏在している。おそらく北側の屋根周りに脆弱な部分を見つけ、そこから侵入し、バリケード内を俯瞰できる位置をめざしていたのだろう。絹枝の起こした暴発が、幸運にもそれを中断させたのである。
狙い撃ちは避けられたものの、分は悪かった。山澤は利き腕の負傷を押しての発砲だし、女たちは気迫だけで銃撃戦に初参加できるはずもなく、互いにかばい合うしかない。
そうした乱戦では、なんといっても勇介の散弾銃が威力を発揮する。放射状に散開する無数の小弾は、次々に天井の穴を襲い、二人ほどを黙らせた。しかし、それだけに敵からも重点警戒される。慎治や山澤も懸命に勇介を援護したが、三人目を狙ったあたりで、勇介は左胸に被弾し仰向けに倒れこんだ。
「勇介!」
飛びつこうとする亜由美を、
「いけません!」
絹枝が引き留めた。そのあたりは天井から丸見えになる。
「任せろ!」
山澤が叫び、代わりに勇介を引き寄せた。
勇介を撃った敵が、さらに山澤を狙って気配を露わにした。
瞬時に慎治が狙い撃ち、勇介の仇を討つ。
しかしその慎治も、残った敵にとって格好の標的となった。
発砲直後に慎治は右下腕を射抜かれ、拳銃が弾け飛んだ。
「春樹さん!」
頽れる慎治に、絹枝がすがる。
「……大丈夫」
慎治は気丈にうなずいてみせた。激痛はあるが、手指は動く。
勇介は胸から血を流し、亜由美に支えられていた。
その容態を、山澤が検める。
「梶尾君! 聞こえるか!」
勇介は、意外にしっかりした声で応えた。
「……驚いただけです」
例の即席ボディーアーマーが、今度も利いたのである。銃弾はキロバーの角で逸れ、胸筋を抉り脇に抜けていた。心臓や肺に異常はない。
「いい胸板だ。運もいい」
「負ける気はしないと言ったでしょう」
勇介は強がって散弾銃を構えようとしたが、胸に激痛が走り、獣のように呻いた。
これで、こちらの男手は残らず手負いになった。一挙一動が、痛みと不自由に耐えながらの行為になる。
天井裏には、無傷の敵が複数残っている。
中央階段からも、まだ散発的に銃声が響いてくる。
「不思議なものだ」
山澤が、ままならぬ手つきで弾丸を装填しながら言った。
「この期に及んでも、確かに負ける気がしない」
戦闘中、ずっと快く思っていたジャスミンの残り香が、ひときわ濃くなっているようだ。
「この香りのおかげだな」
その甘美な陶酔感は、弛緩的なリラックスではなく、むしろ能動性や自負を醸し出す。
他の四人は、とまどいながらも、大きくうなずき合った。
残り香ではない。
かつてないほど濃密なジャスミンの香りが、新たに流れこんでいるのである。
もしや、農園への道が復活したのか――。
期待してバリケード越しに露台の外を窺うと、依然として、台北の雑木が繁茂しているのが見えた。
亜由美は、その香りが農園の茉莉花ではなく、また香りの元も南の露台方向ではないのに気づき、勇介の袖を引いた。
反対側を見ろと、身振りで促す。
バリケードにした長椅子の隙間から、北側の壁に目をやった勇介は、思わず息を呑んだ。
外階段への戸口が、いつの間にか復活している。初めてここを訪れたとき、目の前で消失した扉である。あまつさえ、僅かに開いたその扉からは、見慣れたふたつの顔が室内を隙見していた。
「部長……」
「曽根さん……」
亜由美と勇介が、同時につぶやいた。
慎治も気づき、呆然と目を見張った。
広間の造作そのものは変わっていないが、北東角の壁周りだけ、明らかに本土の館が融合している。
扉とふたりがいつから出現していたのか、慎治たちには判らない。しかし、あたふたと取り乱しているらしい朝倉とは別状、曽根の表情は沈着冷静に見えた。死角にいるのを幸い、天井裏でまだ活動している敵たちの位置を、しっかりと目で探っている。少なくともここ二三分は、銃撃戦の経緯を把握していたようだ。
自分の散弾銃を、曽根に向かって投げ渡そうとする勇介に、慎治が囁いた。
「部長といっしょにいるのは?」
慎治は曽根と面識がない。
「ああ。さっき話に出ただろう。麻布の警官だ」
「なら、拳銃のほうがいいんじゃないか?」
平成の交番勤務巡査は、散弾銃を所持していない。射撃訓練はしているにせよ、主力はドラマなどで見かける回転式拳銃だろう。それに、勇介の手には慣れた武器を残しておきたい。
「これを」
慎治は自分の愛用していたスミス&ウエッソンM10を差し出した。ほとんど癖のない個体である。
「俺が牽制する。あわてずにやれ」
「おう」
「山澤さんは勇介の援護を」
慎治は他の拳銃を携え、狭いバリケードの中で精一杯西寄りに移動した。絹枝は、拳銃だけでなくなぜかテディベアを抱え、お前もしっかりね、などとつぶやきながら慎治の背後に従った。
亜由美も意を決し、一度は手放したデリンジャーを手に、山澤と並んで勇介の援護に回る。
慎治が天井に向けて発砲した。
左手なので当たるはずもない。あくまで陽動である。
同時に絹枝は、テディベアをバリケードの西側に放り出した。子供の背丈ほどもある縫いぐるみは、うずくまった人影のようなボリューム感がある。敵たちは反射的に集中発砲した。
「曽根さん!」
間髪を入れず勇介が叫び、扉に向かって拳銃を投げた。
山澤と亜由美も天井に発砲し、勇介への射撃を牽制する。
曽根が猿《ましら》のごとく広間に突入してきた。
扉の直前に落ちた拳銃を拾いざまフル装填を確認、安定した立て膝になり、天井を狙う。ふだんの飄々とした風貌とは似ても似つかない、怜悧さに裏打ちされた身のこなしだった。
残る敵の位置は三箇所、すでに把握している。
敵に異変を悟る暇を与えず、立て続けに六発全弾、近場から一弾ずつ、折り返してさらに一弾ずつ、正確に撃ちこむ。
銃の照準調整は完璧だった。天井裏の呻き声や身じろぎに充分な手応えを感じながら、曽根は油断なく、転がるように扉の外に逃れた。
バリケード内からも、とどめの弾幕が張られる。
上からの反撃はない。
ひと区切りついた――そう思えたとき――背後から、禍々しい風切り音が広間の宙を過ぎった。
肉の中で骨を打つ響きとともに、慎治の背を金属矢が襲った。
「春樹さん!」
「慎治!」
「間宮君!」
絶叫が重なるのとほぼ同時に、一発の、やや軽やかな銃声が響き渡った。
堅く唇を結んだ亜由美が、ただひとり、露台に向かってデリンジャーを構えていた。その銃口からは、硝煙が薄く漂っている。
大窓の上端の陰から、洋弓銃と、黒い人影が落下してきた。
這うように半身を起こし、血濡れた頬を嘲笑で歪ませ、もう遅い、と唇を蠢かせる男を狙って、亜由美はトリガーに二度目の力をこめようとした。
しかし、勇介の散弾が先を越した。
男は血しぶきに包まれ、全身の関節が壊れたように、あっけなく床に伏した。
「……あいつだ」
勇介が言った。白金台で目撃した内のひとり、あのリーダー格らしい男だった。
亜由美には何も聞こえていなかった。
露台の彼方、宵の空の朧月に映えて、果てしなく幾重にも広がり始める茉莉花園の起伏を見つめながら、真っ白に飛んだ意識の奥で、自分が最も必要としているのは何か、ただそれだけを痛切に自覚していた。
いつしか、中央階段からの銃声も途絶えている。
5
「信じられん」
慎治の背中の矢を慎重に引き抜きながら、山澤は、勇介の弾傷以上に感服していた。
「君らは本当に魔法使いなのではないか?」
射抜かれる瞬間の角度と間《ま》が、よほど良かったのだろう。金属矢は本来粉砕するはずの肋骨によって背筋沿いに脇に抜け、ぎりぎり内臓を逸れていた。しかし、どちらの傷も出血や痛みに変わりはない。あのときの勇介同様、慎治も獣のように呻いて歯噛みした。
慎治に寄り添い、額の脂汗を拭ってやっている絹枝を、亜由美は水のような気持ちで見守っていた。
これから何がどう続くにせよ、自分には、もう戻る道がない。
勇介が、亜由美の肩に手を置いた。
「気にするな。正当防衛だ」
慰めながら、そんな単純な問題ではないことを、勇介も悟っていた。
あなたのためなら死ねる――そんな言葉を愛の証しのように言う者もいるが、人並みの感性を持った者なら、他者のために命を賭けるなど、さほど困難ではない。現に、見ず知らずの命を救うため死ぬ者たちが、この世には日々無数に存在する。しかし、殺すには愛がいる。自己愛であれ他者への愛であれ、殺意に匹敵するだけの愛がいる。勇介の知る亜由美よりも奥深い部分で、やはり亜由美は慎治に併存していたのだ。
いっとき翼を休めに舞い降りた青い鳥が、また自分の空に羽ばたくのを見守る――勇介は、そんな哀しい目をしていた。
*
「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん」
気の重い場を軽くしてくれるのは、近頃、いつもその声である。
口にしたフレーズとは似ても似つかぬ忍び歩きの末に、朝倉がバリケードを覗きこんだ。全身から、常軌を逸したジャスミンの香りが漂っている。
曽根も同じ香りに包まれて、拳銃を手に朝倉をガードしていた。あの正確無比な連射の後、追加の弾丸も勇介から投げ渡され、全弾装填してある。今のところ、広間の露台側でこれ以上の攻撃はなさそうだったが、まだ状況が完全に把握できない。
「でも部長、どうやって……」
勇介が疑問符そのものの表情で訊ねた。
朝倉はしみじみと、
「話せば長い事ながら――」
「――話さなければ解らない」
お約束の言葉遊びに、勇介は大いなる憩いを感じた。朝倉が昔から好んでいる、古い漫才のやりとりである。
「まあ貧民も貧民なりに、無い金はたいて大博奕したんよ。元気のないお館様に、死人も踊り出しそうなウン十万の気付け薬塗りたくったり。ダチ扱いしてもらおうと、ウン万の香水、ふたりで頭から浴びたり。でもまさか、マジに入れてもらえるとはなあ。ま、正味、気は心ってとこかもね」
朝倉は完全にハイになっていた。
「しかし曽根さん、あんた、ここまで使えるとは思わんかったわ」
豪快に曽根の背中を叩きまくると、曽根は、はにかむように笑った。
「実は自分、前のオリンピックに出てるんですよ。一〇メートルのエア・ピストルと、五〇メートルのピストルで。メダル前で負けたんで、ちっとも話題になりませんでしたけど」
確かに日本では、夏季の射撃や冬季のバイアスロンなど、銃器を用いる競技関係は、スポーツ番組でもほとんど報道されない。平和主義というより、警察組織や自衛隊自体が、なにか腫れ物扱いである。
朝倉と曽根は、予期せぬ山澤の存在にとまどっていたが、
「こちら、山澤学さんです。あの山澤精油工業の」
勇介に紹介されると、瞬時に納得した。
山澤は、もはや何事にも動じない様子で、曽根に会釈した。摩訶不思議な未来の国から、またまた有望な助っ人が出現した――隣の遊芸人のような女性の言動は、どうにも理解不能だが。
そして亜由美は男たちの背後に佇み、朝倉のふだんと変わらぬ明るい言動に、ただ瞳を潤ませていた。真に心を許せる相手は、えてして愛憎とは外の次元にいるものである。
「よしよし、辛かったね、偉かったね」
朝倉は亜由美を抱くようにして、その肩を叩きながら、
「目先の夢しか見えない野郎ばっかしだと、女は苦労するわな」
大雑把なニュアンスだけの発言が、朝倉の場合、奇妙に全状況を総括してしまう。
「まあ、夢だけで突っ走れる能天気なお嬢様もいるんだろうけど、どのみち気苦労に変わりはないでしょ」
初対面の絹枝にも、ずけずけと笑いかける。
絹枝は訳も解らないまま、ついうなずいていた。窮地を救ってくれた恩人であり、その個性に圧倒されたためでもあるが、何より慎治の朝倉を見る表情に、知己の親愛を感じていたのである。
「や、イケメン君、おひさ」
「……どうも」
微妙な笑顔で頭を下げる慎治に、
「はいはい。具体的なとこはなんだかちっとも良く解らんけど、おおむね事情は察してるつもり。委細は後日ってことでいいわ。とにかくあたしとしちゃ、早いとこ亜由美ちゃんをあっちに――」
言いかけて朝倉は、ふと顔をしかめた。
「……なんか、キナ臭くない?」
確かに、木材の焦げるような匂いが、花香に混ざり始めている。
中央階段から、青幇たちが駆け戻ってきた。
〈神棍! 火を放たれた!〉
とっさに銃を向ける曽根を、勇介が制する。
「いちおう味方です」
青幇たちは、また増えた新顔たちに一瞬尻込みしたが、露台の外の光景に気づくと、安堵の声を重ねた。
「幸運《シンユン》!」
「是聖地《シーシォンディ》!」
浮き足立つ青幇たちに、慎治が厳しく問い質す。
〈階下の状況を告げよ!〉
青幇たちはあわてて畏まり、あの年長の男が答えた。
〈敵は一名を残し討ち果たしました。しかし、その臆病者が厨房に火を――〉
山澤が血相を変えて訊ねた。
「この家の燃料は?」
「――ガスです」
慎治が答えると同時に、階下から、腹に響くような爆発音が響いた。
床が激しく揺れ、中央階段から白煙が吹き上がった。
さほど大きな爆発ではなかったが、バリケードにほど近い、厨房の真上にあたる部分は、明らかに床が歪んでいる。遠からず火が回るのは避けられない。
勇介が叫んだ。
「消さなきゃ!」
「おう!」
駆け出そうとする勇介と山澤を、
「ストップ!」
朝倉が呼び止めた。
「どうして……」
不服そうな勇介には答えず、朝倉は慎治を見据え、
「実は、道々考えてたんだけど――あんたや、そっちの絹枝さんにゃ、ちょっと酷な事を言わなきゃなんない」
慎治は覚悟するようにうなずいた。
「――はい」
「その一、この台北の館は、今、部分的に繋がってるであろう農園の館ごと、大正十三年に焼け落ちなければならない。その二、間宮春樹は、館の焼失とともに、過去の歴史から姿を消さねばならない」
朝倉は、彼女らしくない――いや、ふだん軽い人間なだけになお重々しく、厳然と告げた。
「そうしなきゃ、どう考えても、今後まっとうな歴史が続かないんだわ」
「――はい」
慎治が沈鬱にうなずくと、朝倉はころりと笑顔に戻って、
「なんちゃって、別にあんたに、館といっしょに焼けろと言ってんじゃないかんね。あんたも亜由美ちゃんも勇介君も、あたしらといっしょに帰りゃいいだけのことでしょ。山澤さんは山澤さんで、こっちでがんばってもらえばいい。まあ、台湾の間宮春樹の存在に関しては、今後、なにとぞ他言無用ってことで」
山澤は慎治に、
「このお嬢さんのおっしゃっていることは、正直少しも解らないが、他言無用だけは約束できる。私も脳病院に送られたくはないからね」
「しかし……」
慎治の振り返る先は、当然ながら、淋しげにうつむいている絹枝である。
絹枝は、あちこち穴のあいたテディベアを、いたわるように胸に抱いていた。
「絹枝さん」
朝倉は、痛々しげに絹枝を見つめた。
「あなたを見捨てたいわけじゃないの。解ってちょうだい。ただ、できれば今までどおり、あの青山の小さな家で――」
絹枝が顔を上げた。
無邪気な小娘のような笑顔を装っているが、蒼ざめた頬には、とめどない涙が流れていた。
「……そんな気がいたしておりました」
その涙を、笑顔の口元で受けながら、
「私は間宮絹枝ではないのですね。人の魂でさえ……」
春樹は叫ぶように遮った。
「言うな! 俺はお前のために戻ってきたのだ」
絹枝は、窓外の果てしない花園を見渡し、
「それは夢です。ただ、ふたりの、ふたつの夢が重なってしまっただけ」
震える声で、なお頬笑みながら、
「春樹さん、あなたは夢から覚めることができます。慎治様といっしょに、あちらの国で――」
「なら、お前も一緒に――」
「それはできません」
絹枝の笑顔が、ついに崩れた。
「わたくしは、ただ、この館が夢見ていたただの夢。夢がなにを夢見ても、現には戻れませんもの。――もう、せんから気づいておりました」
春樹の悲痛な視線を避けるように、絹枝は、亜由美に目を移した。
「ごめんなさいね、亜由美様。ほんとうは、あなたの体を借りるつもりでおりましたのよ」
亜由美は、怒りにも似た目で絹枝を見返している。
その怒りは、けしてそのことへの怒りではなく、あくまで絹枝の儚さに対する怒りだった。
しかし絹枝は、亜由美の心を汲む余裕もなく、つい、と目を逸らし、
「でも……わたくしは、どうしてもここを離れることができないのですわ。この家が見ている夢なのですから」
歪んだ床の絨毯が、階下からの炎で燻り始めた。
中央階段からも火の手が上がり、広間は白煙に包まれつつある。
その熱を持った白煙の中に、一条の涼やかな気の流れを感じた勇介は、もしや、と目を凝らした。
あの霧の女――おそらくは茉莉花館そのものの化身が、白煙の中で異質な白霞を纏いながらたゆたっていた。静かな諦念と真摯な感謝の念が、誰の目にも、そのおぼつかない揺らぎを深い会釈のように見せた。
するうち、階下の火勢のくぐもった唸りを貫くように、外の露台から野太い声が響いた。
「何をしている、間宮さん!」
慎治は驚愕した。
「劉さん……」
劉と、あの手下の青年が、慌ただしく手招きしている。
「なぜまだここに……」
「サムライの恩義を忘れはしないよ! 早くこちらへ! 下はもう火の海だ!」
決断を迫られた慎治は、
「絹枝――」
狂おしい胸の疼きを、我がものとも春樹のものとも悟れないまま、
「――夢であろうと、どこにいようと、お前は生涯、俺の妻だからな」
「はい……」
纏綿と見交わす対の双眸、束の間のそれが永遠の契りだった。
慎治は意を決して踵を返し、
「勇介、ありがたく拝借する」
片腕と背中の痛みをこらえながら、ふたつのボストンバッグを手に取ると、
「山澤さん、あちらへ!」
「あ、ああ」
青幇たちも、慎治の後を追って露台に向かう。神棍頼みの今となっては、劉への敵愾心など二の次だし、劉たちも彼らの個々の顔など覚えていない。
「おい!」
呼び止める勇介を、慎治は粛然と振り返り、
「行かせてくれ。俺も絹枝と同じ、夢の中に入ってしまったんだ。もう帰れない。俺は、こっちで宿無しの名無しになる。あの時代に帰ったところで、ただの間宮慎治に戻るだけだ。先人の記憶を継いだだけ、少しはましになった気もするが……思い出が増えたからこそ、追い続けたい夢が大きすぎる」
「……あわてるな」
勇介は、床に置いていた重い上着を、慎治に差し出した。
「忘れ物だ」
片手の利かない慎治に代わり、山澤が受ける。
勇介と慎治は、すでに遺恨も負い目もなく、ただしっかりとうなずきあった。
そのとき――。
朝倉や曽根の側で、黙然と場を窺っていた亜由美が、毅然として露台に歩みはじめた。
「亜由美ちゃん!」
朝倉が面食らって叫ぶ。
「亜由美……」
半ば納得しつつも、未練を隠せない勇介に、
「……ごめんなさい」
亜由美は消え入るようなつぶやきを残し、唖然としている絹枝をやり過ごすと、慎治に並んだ。
慎治は、信じがたい思いで目を見開いている。
亜由美は自分の意思を固持するように、あえて慎治とは目を合わせなかった。
そして、だしぬけに絹枝を見返り、
「ああもう! うじうじとうっちゃーしい!」
鬼子母のような顔で言い放った。
「いいこと、絹枝さん! あたしゃ確かに慎治には惚れてるけど、春樹なんてアブラっこいのまで引き受けるのは御免ですからね! だいたいあんた、誰の夢だかなんだか知らないけど、だったら、そう、そっちでゆらゆらお上品ぶってる白っぽいの! その外人っぽいの! 後ろでウスラボケっと突っ立ってんじゃない! あんたが夢の御本尊なんでしょ! なら、あたしがまとめて引き受けてやるからいらっしゃい! ほらほら、とっとと来ないと後が怖いよ! あたしゃ春樹なんて、ひと晩で尻に敷きつぶしてやるからね!」
亜由美の威勢のいい啖呵に呼応するように、中央階段から炎が吹き上がり、広間の歪んだ絨毯も炎に包まれはじめた。
曽根は激しい火の粉を避けながら、朝倉の手を引いた。
「もうだめだ! 帰りましょう!」
「ああもうなにがなんだか予定がまったく計画が全然もう」
髪をちりちりと焦がしながらうろたえている朝倉に、曽根はジャケットを被せ、扉まで引きずって行った。
勇介も、朝倉の背中を押して扉に向かった。
*
外階段への通路に出たとたん、あの、いつとも知れぬ幻の白金の、真昼の静寂が三人を包んだ。
その背後、誰ひとり気配もない館の奥で、なにか咽ぶような歓喜のうねりが雅やかに渦巻きながら、何処へか、遠く還ってゆく気配がした。
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