さんかいめ 〜 ぶよんとしてしまりのないひと 〜
はーい、いちおくにせんまんぶんのじゅうよんくらい(推定)のよいこのみなさん、こんにちわー。
うふ、せんせい、きょうはもういつにもましてきぶんがいいので、昨夜はもうおとなのぶぶんのけだるさも残らないほどにあんなこともこんなこともされちゃったりしちゃったりしちゃったので、きょうはもういつにもまして、いいかげんにお話しさせていただきますね。
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さて、その日のかえり道、たかちゃんとくにこちゃんとゆうこちゃんのなかよしさんにんぐみは、おそろいの赤いランドセルをしょって、明るいお日さまのかがやくのどかな世界のはて、青梅市の住吉神社あたりの住宅街を、おうちに向かっています。
「どどんぱっ」
たかちゃんがほがらかに――
おや、みなさん、どうかなさいましたか?
え? そこはもうこの前聞いた?
おかしいですねえ、ほら、今回のたいとるを、よくみてくださいね。きょうはまだ、さんかいめ、ですよ。
代○木○ニ○ー○ョ○学院? ――それはなんのお話でしょう。
あらあら、みなさん、そんなに小さいうちからぼけてしまっては、すぐにあるつはいまあになってしまいますよ。
あのあと、ギャラ全部まきあげるかわりに、ふだんはビンボでとても入れない六本木のこじゃれたくらぶでお酒をおごらせたとか、飲みつけないおいしいお酒をいっしょにのんでいるうちにそのあまりにもひよわでおどおどしたひくつな態度がじつはガラス細工のようにせんさいなこころのあらわれなのかなあなどとかえって母性ほんのうがうずいてしまい、のむほどに酔うほどにそのあだるとなくらぶにしみついたおとことおんなのせつないなんつーか「ああ、このひとはわたしがいないとだめになってしまう」みたいな感じ? などと思いこんでしまったとか、そんな甘いきぶんにまかせてたくしーでおくらせたらそのたくしーはいつしか渋谷の道玄坂あたりのほてるにむかっていたのであったとか、そーゆーことは『よんかいめ』のはずが『さんかいめ』であることとはまったく無関係ですので、ぜんぜん気にしないでくださいね。なんどもいうように、やさしくだまされたふりをしてあげるのが、正しいよいこの姿です。
どうしても気になるというかたは、お好きなだけ、お耳をふさいでいてくださいね。
そんなその場しのぎでなっとくするもんか、そんなひねこびたよいこのかたは、はい、あのたいせつなことばを、もういちどくりかえしましょう。
はい、元気な声で――――「これは、『めた』です」。
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たかちゃんとくにこちゃんが、公園のほうにずんずん歩いていってしまうので、ゆうこちゃんもしかたなくそのあとをついていきます。せけんの良識よりも、なかよしさんにんぐみであるという『群れの意識』にしたがったのですね。
――公園では、いつもみたいに、うばぐるまの子泣き爺いだかなんだかわからないような赤ちゃんをおたがいにおせじでほめあうおかあさんたちが、会社で蜘蛛膜下出血すんぜんのおっとたちなど知らぬげに、のんびりお話ししていました。むかしはそこそこの会社でえばりちらしていたのに今では孫にもかまってもらえないおじいさんや、すでに嫁をいびりつくして勝手にまるくなったおばあさんなども、げーとぼーるで熱くなっていました。
さて、そんないつものへいわな公園で、なにやらみにくいぶよんとしたひとかげが、べんちにすわっています。中年といってもいいとしごろのようですが、しまりのない口元に、いみもない軟弱なほほえみをうかべているので、あたまのなかはガキなのかもしれません。くびからさげた、象のようにおはなの長いでじたるかめらを、いとしげになでさすっています。そしてぶらんこやすべり台やじゃんぐるじむで遊ぶこどもたち、とくに女の子をめいんに、いみもない軟弱なしせんでながめています。
たかちゃんはそのうしろすがたをみつけると、とととととと駆けだして、そのぶよんとしたせなかに、がしがしとよじのぼりはじめました。
「やっほー、うま!」
おじさんだかおにいさんだか正体ふめいの男は、いっしゅんぎくりとこわばりましたが、すぐに人生のすべてをあきらめたような、そんなお顔でふりかえる――というより、あたまの上からさかさにのぞきこんでいるたかちゃんに、いみもない軟弱なほほえみをかえします。
うれしいような、こまったような、そんな優柔不断なお顔です。
この子があらわれてしまうと、もはや本日の邪念にみちた撮影ぞっこうはふかのうです。でも、ねてはゆめ、さめてはうつつまぼろしの、ちっちゃい女の子のすかーとの奥のナニモノかが、たとえくまさんパンツごしとはいえ、くびすじにふれてくれていると思えば、もはやそのきゅーとな小あくまの命じるがままに、身をまかせるしかないのです。
「はしれ、うま!」
そうげんきに前方をゆびさされてしまうと、げんきに走るしかないのです。
「なけ、うま!」
若白髪の混じり始めた非力な己の、これまでの惨めな人生なども振り切って、嘶《いなな》くしかないのです。
「ひひいいいん」
そうやって公園をひと回りする頃には、この一片の社会的価値もない、寂しく貧しい男の心にも、なにやら熱い物がこみ上げていたりします。――ああ、俺って、可憐なろりを乗せて果てしない草原を駆ける駿馬。
「どうどう」
たかちゃんはほこらしげに、べんちで待っていたくにこちゃんとゆうこちゃんのまえに、うまを止めます。
「ほーら、おうま」
くにこちゃんが、うさんくさそうに、そのぶよんとしてしまりのない、あせまみれのいきものをながめます。
「……かば」
「ちがうよう。かばみたいだけど、うまだもん」
そのうまだかかばだかわからないいきものは、たかちゃんのような独特の不思議感も捨てがたいが、くにこちゃんのようなショタっぽいショートパンツろりもいいよなあ、などと、こっそりデジカメのスイッチを入れたりします。
ゆうこちゃんはもはやこのバーチャルな状況に対応しきれず、でも「これはアブナイっぽいおじさんだ」と言い切るにはやっぱり育ちが良すぎて、もじもじとはずかしそうに、そのおじさんをながめています。
おお、西洋人形のような正当派美少女まで――俺はまるでこの公園に、盆と正月が一度に到来したような気がしていた。いや、三人の天使たちが、それぞれ異なった愛の香りを漂わせながら、天から舞い降りたのだ。俺はすかさず二十四回ローンで買ったデジカメのズームを広角側に戻し、まずは近距離スナップから、そして警戒が薄れた頃に遊具に誘い、あわよくばスカートの奥の可憐なパン――――。は? い、いけません。これはヤバすぎです。これでは『めた』どころか、ただの露悪的私小説になってしまいます。さくしゃが当局に目をつけられて、ごきんじょでなにか猟奇はんざいがおこったりしたとき、べっけん逮捕されたりしてしまいます。
でも、けしてお話づくりのおじさんをかばうわけではないのですが、そして『ぶよんとしてしまりのない男』が往々にして危険極まりないのも確かなのですが、かならずしもぜんぶがぜんぶ、へんしつ者とはかぎりません。それではコミケやレヴォやサンコミ会場のおとこたちが、ほとんどへんしつ者のあつまりになってしまいます。あきばのとらのあな及びしんじゅくやいけぶくろの類似の店にでいりしているおとこたちも、みんないかがわしくてへんしつ的な、唾棄すべきはんざい者になってしまいます。なかにはそうでない人もすこしは混じっている可能性があるので、いちがいに石をなげたり焼きころしたり、みけんにてっぽうだまをぶちこんだりしてはいけません。
ちょうどいい機会ですので、みなさんのようなかわいいお子さんがこれからもきよくただしく生きていくために、『ぶよんとしてしまりのない男』が、はたしていっしょに遊んでいいか、それとも石をなげたり焼きころしたりみけんにてっぽうだまぶちこんだほうがいいか、そんな見わけかたを、ここでお勉強しておきましょうね。はい、そこでよそみをしている、まったくへんしつ者の毒牙にかかるしんぱいのないあんぜんなお顔のよいこのかたも、参考までに、しっかり聞いておいてくださいね。
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じつは、いま、たかちゃんたちがいる公園には、一見おなじような『ぶよんとしてしまりのない』おじさんがふたり、おにいさんがひとり、あわせて三匹の『ぶよんとしてしまりのない』いきものがいます。
いっぴきめは、そうですね。いまたかちゃんがまたがってしまっている、うまだかかばだかわからないいきものです。いっけんアブナいようですが、このいきものは、さほどアブナくありません。はい、この目をよーくごらんになってください。はい、日暮れの後の残照のごとく弱々しくはありますが、それでもかろうじて、まだ光がのこっています。つまり、まだじぶんには未来がある、と、ありもしない未来にみれんを残しております。ですから、己の腐った内的世界を、実社会と混同するほどの度胸はありません。また、このくちびるのはしっこを、よくごらんになってください。おだやかなまるみをおびて、上がっておりますね。これは、こころの底から軟弱である、そんな曲線です。こーゆーのは、『ぶよんとしてしまりがない』ものの、つねに社会に後ろ指をさされることを過剰なほどに恐れておりますから、犯罪には走りません。むしろ、罪を犯す前に自分から鴨居で首を吊ったり、富士の樹海に旅立ったりしてしまうので、放置しておいても無害です。
にひきめは、まだたかちゃんたちは気づいておりませんが、公園の横の路肩に車を停めて虚ろな視線を彷徨わせている、宮崎さんちの勤君(仮名)です。この既知外は、これまで何人ものたかちゃんたちみたいなむじゃきなおんなの子を毒牙にかけ、あまつさえそのなきがらまできずつけてしまったかもしれない、完全なきちくです。いっけん『ぶよんとしてしまりのないただのおにいさん』に見えますが、はい、この目をよーくごらんください。灰色に濁っておりますし、そもそも焦点が定まっておりません。いっけんじゃんぐるじむのおんなのこのすかーとの中を追っているようにもみえますが、ほんとうは、もうそのかわいらしいじゅんしんむくなぱんつなど、見えておりません。ただひたすら、己の濁った目の奥にわだかまった、己の腐った内的世界だけをみつめているのです。そして、このくちびるのはしっこを、よーくごらんになってください。ほぼいっちょくせんに、端までのびておりますね。ふつうのにんげんは、いくら平常心を保っても、心がある限り、唇を完全に水平に保つのは難しいものです。そうですね、いっけんおなじ『ぶよんとしてしまりのない』おにいさんでも、こーゆーのは『イってしまっている』ので、みなさんが泣こうが叫ぼうが、その声は『己の腐った内的世界』には届きません。いえ、もちろん物理的に聞こえてはいるのですが、己の腐った内的世界の音に、変換されてしまうのですね。
そしてさんびきめは、公園横のさらに角を隔てた路肩に車を停めて、姑息に細い目を光らせている、奈良から出張ってきた小林薫(仮名)という、同じお名前の素晴らしい役者さんとは縁もゆかりもない、ただのムシケラです。いや、それでは虫さんたちがかわいそうですね。社会から排泄されたただのうんこです。すでに何人ものおんなのこを毒牙にかけ、やがては命までうばってしまおうとしています。もうポイントはおわかりになったと思いますが、まずよーくこの目を見てみましょう。はい、この底意地の悪い見るからに品性下劣な視線は、もう誰が見ても嫌悪感を催しますね。しかし、濁ってはおりません。『イって』もおりません。そもそも、イこうもなにも、初めから『イく』ほどの複雑な内的世界など、持ち合わせていないのですね、うんこですから。はい、くちびるのはしっこも、よーく見てみましょう。はい、けわしいかくどで下方にくいこみ、ほんらいそのへの字がたのくちびるではありえないと思われる、みにくいうすわらいを浮かべております。ほっぺたのひきつりだけで、社会をなめきったふてぶてしい笑顔をつくっております。この世にひりだしてもらった恩を、感じるだけの神経がないのですね、うんこですから。よくこれまで、トイレに流されないで存在してこられたものだとつくづく感心してしまいますね。それはこの日本というお国が、とっても住みよい国で、うんこの権利も人としてきちんと守ってくれる、ありがたいお国だからですね。近頃はようやく、うんこも人間だが、やっぱり「うんこっぽい」というしるしをつけておく、そんなきまりができそうですが。
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さて、たかちゃんはとってもおりこうなお子さんなので、『ぶよんとしてしまりのない』いきものでも、アブないかアブなくないか、ほんのう的に見わけるちからがあります。まあ、それだけではなく、前にママにはないしょでひとりでこの公園に遊びにきたとき、いきなりその背中によじのぼって、なんだか河馬っぽいけどお馬がほしかったので「うま!」と言ったら素直にうまだった、そして「おやつ!」と言ったら駅前のマックでアップル・パイまで買ってくれた、あまつさえ夕方になったら家まで送ってくれて、心配して近所を探し回っていたママとはちあわせしたときに、「わたくしこーゆーものです」と、『なんとかかんとかステーションなんとかかんとか』と印刷してある名刺までおいていったうまであり、お休みの日にママやパパとおでかけしたとき、そのうまがとちゅうの駅ビルのなんかのお店の奥でいっしょうけんめいなんかしていた、そしてそのうまはきまった曜日にいつもその公園で放し飼いになっている、そんな経緯もあったのですね。
でも、くにこちゃんは、やっぱりこれはうまではなくかばなのではないか、そんな疑いのまなざしで、じっと『ぶよんとしてしまりのない』いきものを観さつしています。
「――うま?」
ねんのため確かめると、そのいきものはなにか期待にみちたまなざしで、こくこくとうなずいています。
これはもう、乗ってたしかめるしかないわな――満足げに降りてきたたかちゃんにかわって、くにこちゃんもがしがしとせなかによじのぼり、ゲートインします。
「そら、はしれ!」
なかなかいい出足のようです。
「ひゃっほう!」
各コーナーもいい感じで回っています。
でもやっぱり、ダービーだけでなく、障害なんかもこなしてみたいわなあ、そう思ったくにこちゃんは、公園の植えこみにむかって手綱――正確にはうまの髪の毛をむしむしとひっぱります。
「ほーら、とべ!」
うまはかろやかに跳やく――しませんでした。しようとした浮遊感はあったのですが、ばりばりばり、などとイタそうな音をたてて、植えこみをかけぬけます。「あだだだだ」などと人間のことばもはなせる、かしこいおうまのようです。
なんどか公園を周回し、こまかいクセなども確認したくにこちゃんは、べんちにもどって、満足げにうまからおりてきます。
「はーい、どうどうどう。――うん。なかなかいいうまだ。ひらばばならいけそうだ」
「うん。いいうまだよ」
たかちゃんが、自信をもって胸をはります。
あせまみれで、あちこちきずだらけになったうまは、くびすじの余韻に恍惚としながら、こくこくとアブない笑顔でうなずいています。
それをみていたゆうこちゃんも、はにかみながら、ちょっと乗ってみたいかなあ、そんなお顔でおうまさんをながめています。
もちろん、やっぱしこれはおうまさんじゃないみたいだけど、すくなくともタノシイっぽいおじさんらしい、そう思っていたのですね。
おうまさんは、ふりふりのスカートだとがしがしはアレだろう、そう思ってくれたらしく、ちゃあんとしゃがみこんで、ゆうこちゃんをむかえてくれます。
おうまさんのぶよんとしてしまりのないお顔が、なんだか期待にみちてかがやいています。おめめもうるうるしているようです。
「……どうどう」
おしとやかにちょこんとまたがったゆうこちゃんが、はずかしそうにちっちゃいおこえをかけると、おうまさんは、こんどはなんとなく回転木馬っぽく、やさしくはしったりします。
「きゃはははははは」
ゆうこちゃんも、おもわずはしたなくわらってしまいます。
ほんとうは、ゆうこちゃんのおうちはおかねもちなので、お庭もたかちゃんのおうちのお庭の推定いっせんばいのひろさですし、くにこちゃんのおうちのお庭の推定いちおくばい――くにこちゃんのおうちのお庭は、うえきばち五こでいっぱいなのです――とにかくとんでもねー広さなので、おとうさんやおにいさんにいつも肩車してもらっておさんぽなどしているのですが、おかねもちゆえにおとうさんは糖尿ぎみですし、おにいさんは東大ほうがく部にいっぱつ合格するくらいなので、あんまし体力はありません。
ですから、あまりのみごとな走りっぷりに、「このぶよんとしてしまりのないおじさんはほんとうはぶよんとしてしまりのないおじさんではなく、おうまの国の王子さまが、まほうつかいののろいで、ぶよんとしてしまりのないおじさんにされてしまったのかなあ」などと、かわゆい空想をめぐらせたりしています。
たのしい回転木馬がおわると、さすがにうまもつかれたみたいで、ぐったりとべんちにすわりこみました。もともとちょんがーで不摂生な生活ばかりしているし、こんびに弁当やらほかべんやら、かたよったものばかり食べているので、尿に糖こそでていないものの、血中脂肪はてんこもりのうまなのです。でも、今日ばかりは、今にも破裂しそうな大動脈の鼓動を胸に感じながら、ああ、死ぬまでこうしていたい、などとはかない夢にひたりきっています。実際ざんぎょうつづきで、その疲れをごまかすためについつい深夜にほかべんの大盛りをかっくらいながら大酒かっくらったりするため、いつ胃ぶくろに穴があいてもだえ死んでも、ふしぎではないからだなのです。
くにこちゃんは、まだまだ死ぬまで走らせるのがダービー馬のほんもうだろうと、さかんにけったりはりとばしたりしているのですが、うまは「ちょ、ちょいまち」などと息もたえだえにつぶやくばかりで、立ちあがるけはいはありません。
「おやつ、くれ」
死んでゆくのなら、そのまえに、目的のものをもらわなければなりません。
「……ちょ……ちょいまち……」
「うーん、これはもう、ばにくにするしか」
無情に言い放つくにこちゃんの袖を、やさしいゆうこちゃんが、くいくいとひっぱります。
「それは、かわいそうだよう。ぞうげのふねにぎんのかいで、つきよのうみに、うかべるんだよ?」
なんだか、うたをわすれたかなりやの方法論を、適用しようとしています。キスしてあげるとおうまの王子さまにもどるのかなあ、などとかわゆい推測もしているのですが、いかにぼさつさまのようなじあいにみちたゆうこちゃんでも、さすがにこのあせまみれのぶよんとしたいきものにキスしてあげるほど、人生を捨ててはいません。
「だいじょうぶ。ちょっとやすませると、またはしるもん」
たかちゃんは、いつもとちがってきょうは三人がかりなのを、勘定にいれていませんね。
「よーし、あとでまた、しょうがいにちょうせんしよう。そのあとで、おやつな」
おそろしい言葉をのこして、くにこちゃんは、じゃんぐるじむにむかってかけ出します。
たかちゃんとゆうこちゃんもそれにつづきましたが、たかちゃんはいっぺんととととととかけもどってきて、
「かめら、かしてね」
さんじゅうまん円もするでじたるかめらを、おうまのぶよんとしてしまりのないおなかからもちあげ、りっぱなすとらっぷも、首からはずしてしまいます。
「えへへへへー、かめらまん、かめらまん」
じょうきげんで、いろんなすいっちをぽちぽち押してみたり、きれいな液晶がめんをうにゅうにゅとちっちゃい指さきでこねたりしながら、またふたりをおいかけます。
息もたえだえのうまは、もうどうなってもいいや、そんなふうにちからなくうなずきながら、まっしろになってもえつきようとしています。
そろそろどこかの血管がはれつするか、胃ぶくろに穴があくのかもしれませんね。
こうして、たかちゃんとくにこちゃんとゆうこちゃんは、いっぴきめの『ぶよんとしてしまりのない』いきものにも、しょうりしたのです。
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はーい、よいこのみなさん、きょうのお話は、ここまででーす。
え? これでおしまいか、ですって?
まさか、だてにとちゅうでヤバゲな講釈を並べたわけではありませんよ。
まだ真のしょうじょの敵が、ふたりもせんぷくしているではありませんか。
さあ、いっぴきめの『ぶよんとしてしまりのない』架空の人物っぽくないおじさんは、ほんとうに、まっしろになってもえつきてしまったのでしょうか?
こしたんたんとたかちゃんたちにねらいをさだめる架空の人物っぽくない既知外や排泄物に、たかちゃんたちは、はたして正義のてっけんをくだせるのか!
もう二じかんも打てばおわってしまいそうなお話を、あまりの眠さにここでくぎってしまう、こんじょーなしの作者にみらいはあるのか!
それでは、よいこのみなさん、次回『青梅街道地獄のカーチェイス! 天使たちの怒り・完結編』にごきたいください!
……たいとるが、ちょっとかわったかもしれません。
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