そのさん 〜 ちりちりちり 〜
みーんみんみん、みーんみんみん。
多摩川の土手には、せみさんたちの声が、あいかわらずやけくそのようにふりそそいでいます。
並木の幹や枝にとりすがってやるせなく身もだえしているのは、おもに男のせみです。
なにしろたった一週間しかナンパできないからだなのに、まだハクいナオンがオチてくれないので、「ああもうどんなへちゃむくれのスケでもいいから死ぬまでパツイチやらせてくれい」――ほんとうに身も心もギリギリなのですね。
幸いそうした男のみにくいよくぼうなどは、せみのことばなので、たかちゃんたちにはわかりません。
「いっぱつめ、いくぞ」
くにこちゃんのことばも、「パツイチ」とは、きちんと意味がちがいます。
「どどーん!」
くにこちゃんのかけ声に合わせ、たかちゃんは、しゅぱ、などとおもいっきし両手をひろげ、びょんびょんとあっちこっちにつっぱらかします。
「よし、にはつめだ。ずぱぱあああんん!」
たかちゃんはからだごと跳びあがり、うぎょぎょぎょぎょ、などと両手両足を四方八方にけいれんさせます。
「……ちょっと、ちがうな」
くにこちゃんは、冷静にちぇっくを入れます。
「ゆびのさきを、こうしたらどうだ」
ぱぱぱぱぱ。ぱぱ。
「おう、なるほど」
「もういっぺんいくぞ。ずぱぱあああんん!」
うぎょぎょぎょぎょ、ぱぱぱぱぱ。ぱぱ。
「よし、かんぺきだ」
着地したたかちゃんは、ぶい、としょうりのさいんを出します。
たかちゃんたちがなにを練習しているのか、よいこのみなさん、もうおわかりですね? ここまで描写してもおわかりでないよいこのかたは、もはやせんせいのきょーいく技術をもってしてもすでに手おくれですので、お盆がえりのご先祖様となかよく手をつなぎ、送り火の薄煙とともに、はかなくお空にのぼってくださいね。とうろう流しに乗って海にながれさるのもよいことです。
はい、たかちゃんたちが、病院に向かう土手の道、けなげにそしてふかかいに展開しているのは、きのうの夜の花火大会の、『人力あなろぐ再現ビデオ』です。いっぱつげい、といったほうが適確かもしれません。
ほんとうはたかちゃんのパパが撮影したでじたるびでおを、ゆうこちゃんに見せてあげるはずだったのですが、たかちゃんのパパは現在こそふつうのパパをやっているものの、じつは過去かばうまさん同様なんじゃくでツブシのきかないこみけ系おたくだったので、ここぞというときには、たいてい事をしくじります。あんのじょう、さいあいの妻や、なんだかよくわからないがとってもたのしめる娘など、近距離の被写体はしっかり映っていたのですが、かんじんの花火はぜんぶぴんぼけでした。
したがって、その花火大会の、華麗かつ一抹の哀感を湛えた散華の祭典をその場にいなかったゆうこちゃんに伝えるには、極めて高度な話芸や体技がようきゅうされます。れんぱつ物は、ふたりいっしょにとびあがって、うしゃしゃしゃしゃ、などとオーバーラップしたりしながら、ふたりは病院にむかって、かたつむりのようにすみやかに前進しています。
遊歩道をさんぽしているすでににんげんとしてのやくわりをおえたおじいさんやおばあさんや、夫にきせいして日々をただ怠惰な消費活動についやしているおくさまがたは、そんなふたりをほほえましげにみまもります。じぶんはそれなりに幸福なのだとじぶんをいつわりつつ、しかしなお心のかたすみにわだかまる何か漠然としたふあんをいっときでもわすれさせてくれる『ただ生きる事に忠実な幼児』を慈しみながら、呼べどかえりきたらぬおのれのなつかしき日々など、むなしく思いえがいているのかもしれません。
さて――。
そんな平和な眼差しの中から、ある一対の憑かれたような視線が、たかちゃんのちょんちょん頭と、天真爛漫な笑顔を特定します。
土手に座って向日葵の群落を眺めていたそのTシャツ姿の若い男は、それまでの幾重にも糊塗された無難な表情操作を忘れたかのように呆然と目を見開いて、ふらふらとたかちゃんたちに近付きます。
「?」
たかちゃんは、はてな顔です。
いつもなら知らないひとでもとりあえず「やっほ」か「どどんぱ」なのですが、あんましまじまじとみつめられてしまったので、かえってはんのうに窮してしまったのですね。
「――これは、がいじんだ」
いっぱんじょうしきに疎いたかちゃんのために、くにこちゃんがせつめいしてあげます。
「はながたかくて、いろがちょっとくろい。きっと、あらじんの、がいじんだ」
たかちゃんもこくこくとうなずきます。どうやら空飛ぶじゅーたんにのったり、らんぷの精をよんだりするひとのようです。
「やっほー!」
あらためてげんきにごあいさつしますが、がいじんさんはただ薄い褐色の瞳をたかちゃんのお顔に釘付けにしているばかりで、はんのうはありません。
「どどぱどどどん?」
どどんぱ語ならつうじるかもしれない、そう思っていちばんていねいなあいさつをしてみても、やっぱしはんのうがありません。
みかねたくにこちゃんが、がいこく語で助け船をだします。
「へろー。でぃす、いず、あ、ぺん」
がいじんさんは、たかちゃんをみつめたまんまで、つぶやきます。
「……サラ」
「おう、つうじた、つうじた」
ぱちぱちと手をたたくたかちゃんに、くにこちゃんはえっへんと胸をはります。
どうやら、『お皿』というのがあらびあんないとのごあいさつらしいので、
「さら!」
たかちゃんも元気にごあいさつします。
でも、がいじんさんは、ますますどんぐりのようにおめめを開くばかりです。
たかちゃんは、いっぱんじょーしきこそ欠落していても、感受性だけはひといちばい豊かなお子さんです。ですからその異邦人の底知れず深い瞳の奥に、湧然と溢れた『希求』『切望』『哀訴』といった概念を、なにがなし読み取ります。
「……おなか、すいたの?」
くにこちゃんも、なんだかおなかを空かしたのらねこみたいな感じだと思ったので、
「なんか、やってみろ」
「うん」
たかちゃんはぽっけからさくまのいちごみるくきゃんでいーをとりだし、がいじんさんに、ひとつわけてあげます。
「はーい」
がいじんさんは、たかちゃんのちっちゃなてのひらにのったかわいいびにーる袋を、ふしぎそうにながめています。
「いっこじゃ、たりないみたいだぞ」
「むー」
ぽっけにはもう四つしかのこっていなかったので、ちょっともったいないなあとは思ったのですが、そんなにおなかがすいているのなら、しかたありません。
「はい。はんぶんこ」
ふと、がいじんさんのお目々が、あたりに逸れます。
いつのまにか、ほかのおさんぽ中のひとたちが、ちょっと心配そうに、たかちゃんたちの様子を窺っていたのですね。
がいじんさんのお顔が、きゅうに、からりと晴れ渡ります。
「Aha! Very cute! Nice kids!」
たかちゃんやくにこちゃんの頭をいい子いい子したあと、さっそくいちごみるくをひとつお口に入れてご満悦の笑顔は、まるで山形弁でしゃべるだにえる・かーるさんのように素朴でした。
「コニチワ、ミナサマ」
まわりのひとたちは、ほっとして笑顔を返します。
たかちゃんたちも、にこにこです。
「でぃす、いず、あ、ぶっく!」
「さら!」
がいじんさんのひとみの奥が、またいっしゅん、わななきます。
しかしカジムの心に数年ぶりに蘇っていた根源的な激情は、長い過酷な訓練を経て習得した『無害な笑顔』に隠蔽され、今度こそその幼女にも、そしてその場の誰にも見抜く事が出来なかった。
★ ★
「……面会謝絶?」
アコーディオン・カーテンで仕切られた、一畳もないバックルームの中で、かばうまさんは眉を顰めます。
『うん。昨日の夜から、ちょっと喘息が出ちゃって』
携帯から漏れる恵子さんの声にも、元気がありません。
「そんなに悪いの?」
『ううん、大丈夫。薬ですぐに治まったんだけど、今日明日は念のためね。でも、貴ちゃんたち、すごくがっかりしちゃってたから。――もし明日もあなたの部屋に行ったら、慰めてあげてね』
「うん、了解」
駅ビルのテナント・エリアにあるなんかのお店は、月に一度の全館定休日を除けば、公休はシフト制です。たかちゃんたちは、もう夏やすみ前からかばうまさんのシフトをはあくして、おへやにらんにゅうしもてあそぶ予定を、きっちり組んでいるのですね。
でも、なぜ、かばうまさんのシフト表を恵子さんまで諳んじているのでしょう。
カーテンのお外から、「店長! ネットプリントの端末、また固まっちゃってまーす!」、そんな舌足らずのきゃぴきゃぴ声が掛かります。
「ごめん、行かなきゃ。また電話する。――来週、大丈夫?」
『うん。寮で待ってる。お弁当、リクエスト考えといてね』
なんだか、とってもあやしいふたりです。
★ ★
「……めんかい、しゃぜつ」
とぼとぼと土手の道をひきかえしながら、たかちゃんがつぶやきます。
「どーゆー、いみ?」
ぜんぜんわかっていなかったのですね。
「めんかいが、しゃぜつなのだ」
くにこちゃんが、きっぱりとこたえます。
やっぱり、ほとんどわかっていません。
でも、しばらくゆうこちゃんに会えないことだけはたしかみたいなので、がっかしです。おれがあのうまいめろんをぜんぶ食ってしまったからか、そんな悔悟の念もあったりします。
「きょねん、うちのばーさんが、めんかいしゃぜつになった」
くにこちゃんが、下を向いたまんまでつぶやきます。
「うん」
たかちゃんも、その冬のことはおぼえています。
「なつになったら、はなびが、みたいといってた」
「ふーん」
くにこちゃんは、お顔をあげて、かわらの上のお空、にゅーどー雲のてっぺんあたりをゆびさします。
「でも、あっちにひっこした」
たかちゃんも、にゅーどー雲を見上げます。
おひっこししたらきもちがよさそうにふわふわしていますが、たかちゃんが跳びあがったくらいでは、とても届きそうにありません。くにこちゃんの強靱な脚力をもってしても、ちょっとむりっぽい高度みたいです。
「……ゆうこちゃんも、おひっこし?」
「……わからん」
「おひっこし、やだ」
あしもとのいしころを、ぽーんとけってみたりする、たかちゃんです。
そのはずみに、白とおれんじのどれみのお子様しゅーずも、ぽーんと河原の草叢まで、飛んで行ってしまったりします。
「ありゃりゃ」
「ありゃ」
あわててけんけんしたりさぽーとしたりしながら、たかちゃんとくにこちゃんはくさむらに下りて、どれみの捜索活動をかいしします。
「おう!」
くにこちゃんがよろこびの声をあげます。
「あった?」
「でっけーかまきり、みっけ」
「……ちがうよう」
また捜索をさいかいします。
「おう!」
こんどはたかちゃんが、よろこびの声をあげます。
「あったか?」
「みてみて。こーんなおっきい、ばった」
「おう、すげー」
すでに捜索たいしょうが、あいまいになっています。
それから三十分ほども、ばったやきりぎりすやなんだかよくわからないけどおもしろい虫さんなどをうりうりといたぶったのち、
「おーい、あったぞー」
くにこちゃんの元気な声に、「こんどはぷくぷくいもむし?」などとまとはずれな期待をいだいてたかちゃんがかけよりますと――どれみの運動靴は、なにかおっきな段ボール箱の横に、ちょこんと転がっています。
そしてその段ボール箱のむこうには、なんだかおっきな鉄の筒みたいなものが、いくつもごろごろと転がったりしています。
「おう!」
いっぺん、てれびのうんちく番組で見たことがある、大筒みたいです。
「あれ、たまや?」
たーまやー、とか、かーぎやー、とか、そんな蘊蓄ばんぐみだったはずです。
くにこちゃんも、期待のまなざしでこくこくします。
そらからふたりで箱の中をごそごそしたり、筒の中にお顔をつっこんだりして、
「……すげーぜ」
「ほんこの、はなび?」
ふたりは、がしっ、とガッツ・ポーズの腕をからませ、青空にむかって叫びます。
「どどどんぱっ!」
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