そのよん 〜 しゅぱしゅぱ 〜
「うんしょ、うんしょ」
翌朝、かばうまさんのアパートのかいだんをのぼるたかちゃんは、なんだか大きなりゅっくをしょって、汗びっしょりです。
「あうあう」
ときどきつんのめって、りゅっくの下じきになりそうになったり、
「うひー」
そっくりかえってうしろにころがったりしそうになるのを、あとに続くくにこちゃんが、さぽーとしてあげます。
「♪ とーちゃんのたーめなーら えーんやこーら ♪」
くにこちゃんは縄でくくった自分の背丈よりも長い鉄の大筒をしょって、ほとんど、はたらくどかたのあのうた状態です。
「♪ もひとつおまけーに えーんやこーらー ♪」
いったい、いつのうまれのふたりなのでしょう。
★ ★
さて、にぶくてとろいよいこのみなさんでも、ひとなみの脳みそをお持ちのかたはうすうす感じていらっしゃると思いますが、いまのにっぽんは、とってもへんです。
けいさつのひとがどろぼうしたりするのは、おなじ人間なのでまあそんなもんだとしても、おなかまのけいさつのひとは、そのけいさつのどろぼうさんにしっかり退職金をあげたりします。
また、ちょっとまえには原子力はつでん所のひとがばけつで放射性ぶっしつをかきまぜたり、じどう車をつくるおじさんたちがいーかげんに図面をひいたり、ひこう機をとばすひとたちが、うっかり飛ばしかたをてきとーこいたりしてしまいます。
さらに電車のなかにどくをまいてひとごろしをしたぶよんとしてしまりのないくそきょーそや、みさかいなくしょーじょを毒牙にかけたくそしんぷを、いまだにありがたくおがんでいる頭のおかしいしゅうぐが、おおでをふって道をあるいています。
やみきんやふりこめさぎ、りふぉーむさぎなどにうつつをぬかし外車をのりまわすうんこやろう、そのうんこやろうから金をすいあげてえらいつもりのはくちおやじやていのうじじい――。
しゃかいの『箍』が、はずれてしまっているのですね。
おろかな『ばびろん・しすてむ』の中で摩耗していく『ひとがひととしてみんなで生きるためのあたりまえのこころ』、そしてその『ばびろん・しすてむ』を喝破したれげぇのいじんボブ・マーレィさんの心などまったく鑑みもせず亜流のラップやヒップ・ホップもどきでただ日々の愚痴を垂れ流すだけの日本の飽食した若者たち――そんな『箍』を失った社会では、およそ人が人であった昔には考えられなかった事物が、『なんでもあり』として、それはもうパンドラの箱から逃げ出す『なんかいろいろ』のように、ぞろぞろと社会に蔓延していきます。
たとえば、はなび大会のあとにものほんの花火が河原にのこっているなど、たとえそれが本来トラックから下ろされないはずの予備だったとしても、普通ならありえないことです。火工会社の現場責任者に大会中「息子さんが熱中症で倒れた」という連絡が入り、後を副責任者に任せて中座してしまったとしても、その副責任者が妻との離婚調停のズブドロでなかば鬱病に陥っていたとしても、末端の会場バイト君たちがビール片手に後始末をしていたとしても、バブル以前の日本ならば、必ずどこかでチェックに引っかかったはずなのです。
さらに、計画の変更で一昼夜を青梅の留学生のアパートに潜伏したカジムが、翌朝中央自動車道を仲間の車で向かいつつある長野某所の民間飛行場、そこに待機するセスナに積載能力限界までTNT火薬が仕込まれている事など、警視庁公安や各地警察が昔日の捜査能力・警備機能を保っていれば、絶対に有り得ないはずなのです。
でも、しかし――。
★ ★
「♪ きょーもきこーえるー よいとまけーのうーたー ♪」
きみょうな労働歌を聞きつけてドアを開いたかばうまさんは、
「……なんじゃ、そりゃ」
ぜっくして三和土にたちすくみます。
「ほいっ」
たかちゃんがりゅっくをかばうまさんにあずけて、せせこましいおへやにかけこみます。
「うひゃー、ひゃっこい」
すいてい八キロほどもあるかと思われるりゅっくをいきなりあずけられたかばうまさんは、
「うげ」
ぎっくりいきそうな腰をひっしにふんばります。
「おらよ」
くにこちゃんもすいてい数十キロはあると思われる大筒をかばうまさんにほうりなげて、せこいエアコンにかけよります。
「ぐえ」
かばうまさんは大筒の下敷きになり、内臓破裂すんぜんのダメージを受けます。
今朝もろりたちがきたら、昨日の一件で気を落としているだろうから、せめて部屋は涼しくしておいてやろう――そう思ってきのう夜間配達してもらった窓用エアコンを、朝から自力で設置していたのですが、そんなろりおやじの偽善的優しさも、ほんのうに生きるろりたちには通用しません。
たかちゃんたちはエアコンの前に陣取り、冷ぞう庫からもちだしたぴーちのふぁんたを、豪快にまわしのみします。
「ぷはー」
「ごくらく、ごくらく」
もはや、しんしんともに、ひとしごと終えてひやざけをあおる肉体ろーどー者です。
ほうふな皮下しぼうによって即死をまぬがれたかばうまさんは、三和土に転がったきみょうな鉄管を、しげしげと検めます。
「……打上筒?」
さらにりゅっくをのぞき、ぼーぜんとつぶやきます。
「……尺玉……発射火薬……」
かばうまさんは、大昔の貧乏学生時代、隅田川花火大会の現場設営で、ばいとしたことがあります。また、昔からせつなせつなのよくぼうにみをまかせ人生を誤るタイプですので、ぱっと咲きぱっと散る日本の打ち上げ花火が大好きです。ですから花火のしみゅれーしょん・げーむや、花火師さんたちの書いた専門書なども、おたくらしくじゅくちじゅくどくしています。
あたふたとふたりにかけより、
「ど、どーした、あんなもの!」
たかちゃんは、やはりかってに冷ぞう庫からもちだしたいちごのふらっぺをむさぼりながら、
「しゃくしゃく。かわらに」
くにこちゃんもおぐらあずきのふらっぺをかきこみながら、
「おちてたのだ。しゃくしゃく」
河原に落ちてた――有り得ないとは思いつつ、かばうまさんもおそまつとはいえ長くおとなをやっていますから、もはやこの国の社会は誰が何を見失っても不思議ではない、そんな現実を、日々の万引き補導やクレーム処理を通して、身に染みて悟っています。
「落とし物は、交番!」
せめてろりだけはしっかり育って欲しい――惰弱なおたくの自分を棚に上げて、もっともらしく諫めます。
たかちゃんはどうどうと胸をはり、ちっちゃな両のてのひらを、かばうまさんにひろげてみせます。
「じゅっこ、おちてたの」
くにこちゃんもこくこくとうなずきます。
「いちわり、もらっていいのだ」
かばうまさんは、ふたりのあたまを、いちどにこっつんこします。
「あいた」
「なんだよ」
かばうまさんは、年齢相応の、せっきょうおやじと化します。
「一割もらえるのは、ちゃんと全部交番にとどけて、落とし主がみつかってからだ。勝手に持ってくるのは、ただの泥棒だ」
くにこちゃんが、こうぎします。
「ちゃんと、こうばんにも、でんわしたぞ。これは、じどうぎゃくたいだ」
「いや、これは愛の鞭だ」
かばうまさんの言葉に、たかちゃんはなんとなく、きゅーしょく係のお姉さんのおたまのかんしょくを思い出したりします。――あいの、むちむち。
でもくにこちゃんは、ほっぺたをふくらませて、なんだかちょっとしょんぼりしてしまいます。
「……かばうまなんか、きらいだ」
ほんとうは、これはやっぱしどろぼうかもしんない、それくらいのことは、くにこちゃんにもうすうすわかっているのですね。
「……ゆうこに、みせてやるんだ。ほんこの、はなび」
無敵の超強化ろりが、ちょっとうるうるしていたりするのを見て、かばうまさんの胸が、きゅううううん、とうずきます。
たかちゃんが、かばうまさんのぱじゃまのすそをひっぱります。
「ねえねえ、ゆうこちゃん、やっぱり、おひっこし?」
かばうまさんは、なんだかわからずきょとんとしています。
「くにこちゃんのおばあちゃん、きょねん、めんかいしゃぜつ、したの」
たかちゃんは、ガラス窓のむこうの、お空を指さします。
「んで、てんごくに、おひっこししたの」
そうだったのか――かばうまさんは思わず、両腕でふたりの頭を抱き寄せます。
「さわるな。きらいだ」
「おひっこし、やだ」
かばうまさんは、うにうにとふたりを慈しみながら、
「大丈夫だよ。ゆうこちゃんは、お引っ越ししない」
しかし、それは本当に断言できるのか――かばうまさんの心に、一抹の疑念が生じます。
かつていつまでも自分と共に存在し続けると信じていたのに、小学校の夏休みに牛乳瓶の花と化してしまった幼なじみ、故郷の陸橋をバイクで下る途中空き缶に乗り上げてトラックにダイブしてしまった高校のおたく仲間、インフルエンザごときで仲良く先立ってしまった両親、たった一本の社内メールで知らされる同期入社の店長仲間の突然死――。
お窓の外では、あいかわらずせみさんたちの声が、己が生への渇望と次世代への輪廻の願いをこめて、駐車場の煤けた木々の枝を震わせています。
みーんみんみんみん。
みーんみんみんみん。
「……よし、待ってろ」
かばうまさんは、たかちゃんたちの手に、フラッペを戻してあげます。
「食ってろ」
それから机のパソコンを起ち上げ、あっちこっちにアクセスし始めます。
種々の火工会社や花火関係のデータ・ベース。国土交通省の航空写真や、車もないのに好奇心で契約しているナビゲーション・ソフト会社の街路図・地形図――おたくらしく普段役に立たない知識は豊富でも、やっぱり現状確認は必要です。
もう数年この地に住んで、夜間に航空機の低空飛行などはないと確信できますし、今時の業務用花火は高度さえ守れば火事の心配もありません。ただ、万一民家や車の屋根など汚してしまったら、洒落になりません。一〇号の尺玉の開花半径はどのくらいだったか、打上火薬の適正量は何百グラムだったか、あの病院の裏手の河原の地形は――。
なんだかとつぜんお仕事みたいなのをはじめてしまったかばうまさんを、たかちゃんとくにこちゃんは、ふしぎそうにながめます。
ふらっぺを手に立ち上がり、うしろからモニターをのぞきこんで、
「なになに? おう、はなびはなび。しゃくしゃく」
「ふん」
まだちょっとごきげんななめっぽいくにこちゃんに、かばうまさんは街路図のウィンドーを前に出し、まうすをちょいちょいなどと、さーびすしてあげます。
「ほら、『長岡履物店』」
「おう、すげー! おれんち、ゆうめいだ。しゃくしゃく」
「さて、それ食い終わったら、下見に行こうか。それから、昼ご飯だ」
かばうまさんはにっこしわらって、航空写真の河原を指さします。
「ここから上げれば、優子ちゃんにもきっと良く見えるぞ、花火」
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