たかちゃんはなび








     そのごお   ~ しゅぱぱぱぱぱぱぱ



 ごそごそ。
 ちらちら。
 まっくらな河原のくさむらから、ちっちゃい頭がふたつ、でたりひっこんだりしています。
 あられちゃんふうのちょんちょんあたまと、しょたっぽいしょーと頭みたいです。
 育ちすぎてすかすかになったすいかのようなまあるい頭も、うしろからのぞきます。
「あちゃー、やっぱり、いたか」
 小声でぼやいたかばうまさんの視線の先には、なにやらぐだぐだと気合いの入らないちゅーぼーやらとっちゃんぼーややら尻のかるいすべたなどが、うんこずわりで無内容な会話を交わし、また無駄な食料消費に耽っています。夏なので焚き火をするわけにもいかず、ダイソーのランプなど点しているようです。
「あー」
「たりー」
 にんげんというものは、むだにいきればいきるほど、かったるくなります。もっとも、几帳面にはたらきすぎても、うつ病ですべてがかったるくなって鴨居で首を吊りたくなったりするので、ほどほどがいちばんなんですけどね。
 さて、朝のかばうまさんの計算では、河原の対岸にある廃ホテルの屋上が、もっともうちあげに適している、そんな計算になったのでした。ひるまに下見にきたときには、その計画でらくしょーと思われたのですが、廃墟と化したほてるのろびーには、たきびのあとやコンビニ袋に入ったゴミなども見受けられたので、一抹のふあんもあったのです。
 まあ、むふんべつなことにおいては人後に落ちないやんきーたち――あのカジムたちが装っている『ヤンキー』ではなく、あくまでもにっぽんでむだながきをいみする『やんきー』ですから、あんがいモノホンの花火を上げるなどと打ち明ければ喜んで協力してくれる可能性大ですが、なんといってもこんじょーのカケラもないがゆえにやんきーをしているお子さんたちなので、事後の秘密厳守などは、甚だ疑問が残ります。
「排除計画、発動」
 かばうまさんの指令に、たかちゃんとくにこちゃんはびしっと敬礼し、ととととととくさむらを遠まわりして、かねて調査済みの裏口に回ります。
 かばうまさんは、ころあいをみはからって、『商売人もーど』に移行します。
 といっても、叩き売りや店頭デモを始めるのではありませんよ、念のため。地域密着型の小型店舗で要求されるのは、派手な口上よりも、いかに日常性の中に趣向を織り込むか、そんな呼吸です。
 かばうまさんは、ちょっと散歩に出た近所の旦那、そんなかんじで、くさむらからあるきだします。
 その手には、なぜか赤いどれみのゴム鞠などを抱えており、そのまんま廃墟のろびーに、ぶらぶらとはいっていきます。
 やんきーにーちゃんたちは、いっしゅんぎくりと警戒しますが、やがて徒党を組めば対抗可能な弱者と判断すると、とたんにナメた視線に戻ります。
「なんだあ? おっさん」
 かばうまさんは、へらへらと人のよい笑顔を浮かべて、
「貴子を、見なかったかい?」
 やんきーたちは事情を量りかね、そのあやしいおっさんを見つめます。
 かばうまさんは、焦点の定まらない目をあっちこっちにさまよわせながら、
「見なかったかい、貴子。一年生なんだ」
 迷子じゃねーの? そんな若くしてろりであることを放棄した声を掛けてくるやんきーねーちゃんを、かばうまさんは嬉しそうに見つめ、しかしふるふると首を横に振り、
「迷子、じゃあない。お盆になると、いつも、ここに帰ってくる」
 しんから嬉しそうに頬笑みます。
「……十年前から、毎年、帰ってくる。貴子。一年生なんだ。ずうっと、一年生なんだ。……十年前から……ずうっと一年生なんだ」
 これはちょっとアブないおっさんかもしんない、そんな感じで思わず腰を引いたり、頭を指でくるくるして不安げな視線を交わすやんきーたちに、
「いっしょに、探してくれないか? ……首がないから、すぐ、わかる」
 やんきーねーちゃんたちはすでに半泣きになっていますが、ふだんは惰弱なにーちゃんたちは、おんながいっしょにいると、あんがいふんばるようです。
 こりゃもう一押しだな――そう思ったかばうまさんは、しょーばいできたえたアドリブをかまします。
「……妻が、切ってしまったんだ。……首。貴子の、首。……とってもかわいい首だったのに…………妻は、屋上から飛び降りた」
 にたにたと、横窓から暗い庭を指さしたりします。
「あそこに、落ちた」
 揃った腰の引け具合を見ると、にーちゃんたちにも、どうやらキマったようです。
 さて、クライマックス。
「……あ、いたいた。貴子」
 逃げ出したくともそのきっかけがつかめないでいるやんきーたちの耳に、暗い廃墟の奥から、かすかな子供のすすり泣きが聞こえてきます。
 しくしく、しくしく。
 けして見たくはないのに、やんきーたちの首はぎくしゃくと動いてしまい――けして見たくはない物が、やっぱり、暗ーい闇の奥に、ぼーっと浮かんでいたりします。
「……おとーちゃん」
「ああ、いたいた。貴子。……ほうら、お前の好きな、どれみの鞠だよ」
 ブキミなおっさんがぽーんと放った鞠は、ぽん、ぽん、ぽん、ぽん、と、よくあるホラー映画のように、子供靴の足元に転がって行きます。
 子供はしゃがみこんで、手探りでその鞠を拾おうとしますが――首がないので、うまく拾えません。
 しくしく、しくしく。
「ああ、ごめんよ、貴子」
 謎のおっさんはふらふらと奥に歩み出して、ふと、いちばんオチそうなやんきーねーちゃんのあたりを振り返ります。
「……いっしょに、遊ぼう?」
 声が裏返ったりしています。
「もうすぐ――」
 わん・ふれーずの間に、いきなし音声ボリュームをMAXまで上げたりします。
「妻も来るよ!」
 きええええ、と、ぶるーす・りーの怪鳥音も負けそうな声が上がり、どどどどどという響きと共に、またたくまにホールは無人と化します。
 いえ、もちろん、奥でシャツから首を出したたかちゃんや、抱き合ってのたうちまわる照明および音声担当のくにこちゃん、そのふたりに駆け寄って口を塞ぎながら自分も大笑いを必死にこらえるかばうまさん、そんなのは、ちゃあんと残っているんですけどね。
 ――はい、これが去年の夏、子供会秋川渓谷キャンプの夜を恐怖のどん底に陥れた『きょーふのくびなししょーじょ』の、廃墟版りめいくです。
 後日、やくたいもない水晶玉を抱えた自称霊能生臭坊主や、つまみ枝豆さんや桜金造さんや、大御所・稲川淳二さんまでTVクルーを引き連れて押し寄せ、ただの放漫経営で倒産したホテル跡はエラい騒ぎになるのですが、それはまた別のお話です。


     ★     ★


 水杯《みずさかずき》、といった習慣・感覚は、カジムの故郷にない。
 それなりの悲壮感は同胞たちの胸の内にもあるのだろうが、彼らもカジムも自分たちの行動は神への忠誠に他ならないと信じているのだから、いずれ神の国での再会が約束されている。
 だから松本市内のただ一軒神に忠実なレストランで、極東での活動費には不相応なほど豪奢な夕食をふるまわれたのは、むしろ同胞たちからの祝福だったのだろう。
 食事前、そのレストランに集う何人かの外国人が、西に向かって礼拝を行った。それは神を信じる者が世界のどこに暮らしていても日に五回欠かすべからざる行為だが、カジムたちの一団は、ただ心の中でのみ聖地に向かって伏した。現在の彼らは、全員が不本意ながらアメリカ国籍のプロテスタントである。外面上は、ちょっとした好奇心と鷹揚な好意でそれを瞥見する大半の異教徒たち同様、日々の豊かな平穏にふやけた、無意味な笑いを浮かべる。
 豪勢な羊の肉を腹に詰め込みながら、カジムはふと、昨日あの河原で出会った幼女たちの笑顔を想った。
 この国に上陸してから見かけた数多の『小型の異教徒』よりもずいぶん陽に焼け、隣のショートカットの幼女などは、故国の子供たちと見紛うほど褐色に輝いていた。そして、無邪気な癖っ毛をカラフルなゴム飾りで二つに縛った、あの幼女は――。
 遙かな過去、ひとりが生きるのにぎりぎりの僅かな肉片を、意地でも「半分こ」だと言い張って譲らなかったサラは、母親が違うためか、他の兄弟よりもいくぶん白い肌をしていた。そしてどこからか拾ってきた古い色つきの輪ゴムを、唯一の髪飾りとして宝物のように大事にしていた。
 その髪飾りは、今も小さな布袋に収まり、カジムの胸に下がっている。
 ――逡巡ではない。
 幼体であれ成体であれ、異教徒は所詮異教徒にすぎない。
 また、あのサラに生き写しの幼女が、今夜、非道な搾取の象徴である都心の高層ビルで、頽廃した享楽の宴を繰り広げているはずもないのだ。
 しかし、なぜ標的が当初の政治的施設から、その民間ビルに変わったのか。
 ――考えても仕方がない。それはカジムが関与する余地のない、高邁な師たちの判断である。警戒状況、戦略的効果、さらに神の宣託――師や神が絶対に誤るはずはない。使徒としてただその命に従うのが、神の国への確実な道である。
 それでもあまねき信仰と彼個人の情緒は、心の深奥でいつまでも拮抗していた。
 カジムの瞳になんらかの停滞を読み取ったのか、同胞の一人が、ポケットからサプリメントの小壜を取り出した。
「一人旅は大変だろう。ビタミンでも補充しとけよ」
 史上、暗殺者を意味する『アサシン』の語源となった『ハシーシ』――いわゆる大麻ではなかった。むしろ、覚醒剤に近い成分である。
 カジムは陽気に礼を言って、いくつかのタブレットを飲み下した。


     ★     ★


「♪ やっまおっとこっ よっくきーけよー むっすめさんっにゃ ほーれーえるっなよー ♪」
 鉄のかたまりのような打上筒をしょって、暗い階段をいっぽいっぽのぼりながら、もはや強力伝・小宮正作さんと化しているくにこちゃんです。
 たかちゃんはちゃっかり、りゅっくごとかばうまさんにしょわれています。
「♪ はいほー はいほー ♪」
 廃ほてるだけに、もうえれべーたーは動いていませんから、六階建てのてっぺんまで、自力でのぼらなければなりません。かばうまさんは、なんどもくにこちゃんに手伝おうと言ったのですが、くにこちゃんは聞き入れません。もともと自分の質量の五○倍程度までは運搬能力がありますし、仰角を越えた一〇〇度の岩盤すら指と腕の力で這い上がるくにこちゃんです。ちゅーとはんぱな助力はかえって邪魔になります。
 まあ、本音をいえばちょっぴりきつかったのですけれど、やっぱしあのうまいめろんをたべられなかったからめんかいしゃぜつなのではないか、そんな負い目と贖罪の念があったりします。
 たかちゃんは、きほん的にあまり複雑な精神構造はそなえていません。
 いきもたえだえのかばうまさんに、むじひに鞭を入れます。
「はいよー! しるばー!」
 運動不足と日々のすとれす性過食で、かばうまさんの心臓が、いっしゅん停止したりします。
 でも、にんげんでもかばうまさんでも、いきものというものは、生きているかぎりあんがい死なないものです。たとえば、大酒をかっくらって深夜がーがーといびきをかいている最中など、おおでぶの心臓はしょっちゅう停止します。それでもちょっとするとまた動きだしたりする、そのあたりが『生と死』の賭博性です。そこには基本的に、絶対者の意志など介在しません。運・不運といった概念も、ただの比較論に過ぎません。
 たとえば当人同士が一面識もないにしろ、なぜかそっくりのお顔とそっくりな魂を持ってほぼ同時にこの世での存在をチェンジしたサラ・サリームという荒野の少女と、片桐貴子という満ち足りた国の少女は、それを慕うカジムやかばうまさんがその生と死にどんな付加価値を幻想しようと、『死ぬまでは確かに生きていた』『生きている限り死んではいない』、つまり同じひとつの存在です。それが『輪廻』であるかどうかは、その現象を意図的に司る存在などない以上、みなさんの想像に委ねるしかありません。
 いずれにせよ、その当人たちの意識に『殺す』『殺される』といった後得的な不純物が入り込まない限り、誰が何を錯覚しようと――唯一神などという巨大な幻想が幻覚の中で何をもっともらしく吼えようと、同じ『生と死』の狭間を漂う、それ自体唯一の『存在』です。


     ★     ★


 アメリカの某映画プロダクションがロケハン用にチャーターしたセスナは、ライト・アップされた松本城上空を予定通り周回した後、東南東に進路を取った。
 そのまま八ヶ岳中腹の夜間ロケ予定ホテルを上空からチェックし、明日の都内上空ロケハンに備えて、調布飛行場に下りるフライト・プランである。
 通信でエンジン不調を訴え消息を絶ったのは、奥多摩上空と思われた。
 その奥多摩の山肌を縫って飛行を続けながら、カジムはただ高揚していた。
 あの最後の晩餐の席で、生まれて初めてと言ってもよい美味な食事を続けながら、いかにも軽薄なヤンキー青年らしく、自分で飛ばしたジョークを思い出す。それはサプリメントが効き過ぎて、夜間息子の始末に困った男のジョークだった。
 同胞たちは、腹を抱えて笑い転げた。
 その笑いが表層のみのものであるのか、気の置けない仲間同士の猥談を心から楽しんでいるのか、周囲の異教徒たちのみならず、すでにカジム自身にも判別できなかった。
 ただ高揚が湧き上がっていた。
 今、操縦桿を握りながら、ひとりくつくつと思い出し笑いを浮かべる。
 その高揚はなんの曇りもなく持続し、むしろ時を追って高まる。
 ――そう、神の門は、すでにその高層ビルの真上に開かれているのだ。自分はただそこに向かって飛べばいい。そこに集っているのが政治家であれ軍人であれ民間人であれ、そして幼い子供であれ、異教徒の搾取者どもであることに変わりはない。偉大な神の前で、それらは無価値に等しい。むしろ聖戦の駒と成すことが、彼らにもまた救いとなるのだ。
 目には目を、歯には歯を――。
 しかしその概念を生みだした古代バビロニア自体が、搾取の上に築かれた砂上の楼閣であったことを、カジムは一度も教えられたことがない。
 そして自分の眼底で、まだ妹の笑顔と重なっているあの幼女の笑顔は、徒な高揚感の奔流により、すでに情緒の奥底に押しやられていた。
 若いカジムに与えられたタブレットは、適量をやや越えていた。
 それでも彼の使命を果たすには、通常ならばなんの問題もなかったのだろうが――。
 やがて辿る飛行コースのほんの僅か南に、あの河原が位置している事も、カジムは知らない。


     ★     ★


「わくわく」
「わくわく」
 なんとかぶじに屋上までたどりつき、そこいらの廃材で打上筒を固定するかばうまさんの横で、たかちゃんとくにこちゃんは、おもいっきしわくわくしています。
「わくわくわくわく」
 かばうまさんは、おうちで計ってきた火薬を、ようじんぶかく筒の底に入れます。
 最近のはなびは、玉のおしりにあらかじめ発車火薬もくっつけてあって、電気着火するしくみのものが多いのですが、落ちていたのはまだそこまで準備されていない玉だったようです。でも、かばうまさんの知識も、もう二十ねんちかく前のきおくが主ですから、かえってこのほうがいいのかもしれません。
 花火玉のおしりを、ちょいちょい、などといじくって、それからてっぺんの竜頭に縄を掛けます。
「どっこいしょ」
「まて、かばうま」
「ん?」
 くにこちゃんが、じぶんをゆびさして、おれおれ、と、じこしゅちょうしています。
 この重量だと、自分の脂太りした弱腕よりも鉄腕ろりのほうが確実かもしれない、そう思ったかばうまさんは、いったんくにこちゃんに縄を渡しますが、
「…………」
 筒の高さは約一五〇センチあります。
「…………」
 くにこちゃんの身長は一二〇センチ弱です。
「……どっこいしょ」
 けっきょく持ち上げる重量がなんばいにもなります。
「まっすぐ下ろせよ」
「まかっとけ」
 くにこちゃんは八キロ以上もある玉を、軽々と筒の底に下ろします。
「さて、準備完了」
 かばうまさんは、腕時計のライトを点けて、
「おう、ジャスト・タイム」
 お昼に恵子さんに電話を入れて、夜の九時ちょうどになったら、ゆうこちゃんと窓の外を見てくれないか、そんなお願いをしてあるのですね。
 もちろん詳しい事情など説明したら、見かけはろりっぽい恵子さんでも精神年齢がきちんとかばうまさんよりも大人ですから、止められるのは判りきっています。ですからあくまでも、お店で買ったナニをアソコあたりでどうのこうの、そんな曖昧なかわゆい情報だけ、与えています。
 着火専用の落し火は拾ってこなかったようなので、大きめのマッチで代用することにします。
「ねえねえ」
 こんどはたかちゃんがじこしゅちょうします。
「入れたら、すぐに耳塞ぐんだぞ」
「こくこく」
 マッチ箱を抱え、おっきな筒の口まで持ち上げられたたかちゃんは、
「ごくり」
 たかちゃんを抱えたかばうまさんと、くにこちゃんは、そくざにものかげにたいひする体勢をとって――
「しゅぱっ!」


     ★     ★


 前方右手の夜空に出現した、その巨大な七色の光の花は、かつてカジムが見た何物にも似ていなかった。
 強いて言えば空爆の光、あるいは王宮の花火――いやしかし、そんな禍々しさとも、乱雑な華美さとも無縁だ。
 その光はほぼ真円に無数の燦めきを放射し、さらに周辺にちりちりと無数の小花を咲かせながら、最終的には直径三〇〇メートルを越す花を開いた。

 ――なんだ、神の国の門は、もう開いたのだ。

 それならば、何も無駄な飛行など続ける必要はない。
 カジムは正常な情緒を失いつつも、感覚的には限界まで鋭敏化していた。
 当然、自分の目視能力も信じていた。
 カジムは網膜に焼き付いた残像を追って、大きく南に旋回した。
 それは神の光なのだから、カジムにとってはあくまでもそこに在り続ける光である。 
 光の中で、サラが笑っている。
 遙か遠い日々の、丸い柔らかそうな頬で、優しく笑っている。

 カジムは神の門を追い続けた。


     ★     ★


「……わあ」
 窓辺に佇むゆうこちゃんの瞳に、ぱあっ、と光の花が咲きます。
 お人形さんのようなきらきらおめめに、もっときらきらのお星様が飛び交います。
「きれい……」
 恵子さんも、想定のすうじゅうばいはあるモノホンのはなびに、ただ言葉を失っています。
 美しいことは天地神明にかけて美しいのですが、通常おもちゃ屋さんでモノホンの花火は売っていない、じゃあなんなのだ、これはある意味とってもヤバいのではないか、そんなおとなのはんだんがはたらきます。
 でも、すなおにきらきらしているゆうこちゃんの瞳を曇らせるような、野暮な恵子さんではありません。
 夜空のお花がすうっと消えるのに合わせて、やさしくお窓のカーテンを引きます。
「……さあ、おねんねしましょ。早く元気になったら、そのぶん、いっぱいみんなと遊べるわよ」
 花火は消えてしまっても、まだきらきらおめめのまんまで、こくりとうなずくゆうこちゃんでした。


     ★     ★


 かばうまさんは、ただぼーぜんとお口をはんびらきにして、夜空をみあげています。
「……おう」
 かばうまさんにかかえられたまんま、たかちゃんがつぶやきます。
「いっき、げきつい」
 かばうまさんは夜空を見上げたまんま、ぷるぷると首をふります。
「……当ててない」
 くにこちゃんも、ちょっとヤバげなお顔で、かばうまさんの裾を引きます。
「だよな! おちてないよな!」
 うちあげ成功のよろこびもわすれ、さんにんそろって、そのせすなを目でおいかけます。
 せすなは南から西にどんどんたーんしながら、夜空のかなたにさって行きます。
「……当ててない」
 ああ俺の人生よまだ終わらんでくれい――そんな、かばうまさんの悲愴なねがいもむなしく、せすなは落ちなくても奥多摩山塊のお山のほうで、せすなのゆくてに「あらよ」とせせり上がってきたりします。
 かばうまさんは、かくごをきめて、きりりとふたりをみつめます。
「よし!」
 それは、すべての責任は俺にある、そんないっけんりりしいまなざしにも見えたのですが、
「逃げるぞ!」
 たかちゃんとくにこちゃんを小脇に抱え、あっさりすべてのせきにんをほうきし、明日への逃亡を開始するかばうまさんでした。


     ★     ★

 
 ――神はどこにもいらっしゃらないようだ。

 地平線まで続く草の海を、ただ風だけが渡っている。 
 柔らかい光の粒子に包まれながら、カジムは茫洋と緑の草原に佇んでいた。
 その掌を、小さな掌が引いた。
 温かい、柔らかい指だった。
 見下ろすと、サラの健やかな笑顔があった。
 カジムは呆然と目を見開いて、その栗色の瞳を見下ろし続けた。
 そんなカジムを見上げながら、サラは小首を傾げ、無邪気に頬笑んでいる。
 カジムは草原にひざまずき、その小さく柔らかな体を抱きしめ、頬をすり寄せた。
 くすぐったそうに身をよじらせるサラの髪は、草の匂いがした。
 カジムが胸の袋から輪ゴムの髪飾りを取り出し、その癖っ毛をふたつにまとめてやると、サラはあの岸辺の向日葵のように、きゃははと笑った。


 すべては夢なのだろう。
 その多層的時空にサラはすでにいないし、カジムもまたひとときそこに立ち寄っただけの、ただ空《くう》の中を繰り返し輪廻するひとつの魂に過ぎない。
 あるいは、限りなく無限に近いその時空――『法身仏』の胎内を漂っていた記憶の残像たちが、いっとき心を触れ合ったのか。
 いずれにせよ――。


 セスナがカジムの柩となって小河内ダムの暗い湖底に沈んでいく時、カジムは爽風の草原でサラを抱きしめながら、優しく頬笑んでいた。






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