いっかいめ ♪ つんつくつくつく、つんつんつん ♪
さて、そのかえりみち、いつものようにのどかな住吉神社のあたりを歩きながら、
「♪ はーるかーなほーしがー、ふるーさーとだー ♪」
たかちゃんはじょうきげんで、うるとらせぶんの歌をうたいます。
「♪ うるとらーせぶん、ひーろー、せぶーん、うるとらーせぶん、せぶーん、せぶーん ♪」
くにこちゃんはもう夏のおわりに、ゆうこちゃんも冬のはじめにななつになっているので、ちょっぴりおねえさんらしく、そんなたかちゃんを鷹揚にみまもっています。
「♪ べんべべべんべーん、べんべんべん ♪ べんべべべんべーん、べんべんべん ♪」
こんどはだぶるおーせぶん、ジェームス・ボンドのテーマの元祖サントラ盤を歌ったりします。
「♪ ちゃちゃっちゃちゃーらららー、ちゃーりらりーらー、ちゃりらー ♪」
くにこちゃんやゆうこちゃんは、たかちゃんとちがって、おうちでそんな古い特撮番組や古いアクション映画のびでおを見せまくる、おたくっぽいパパがいません。ですから、なんで「べんべんべん」や「ちゃーりらりーらー」なのかはちっともわからないのですが、あえてじょうきげんのたかちゃんに、みずをさすようなやぼはしません。なにしろ、ようちえんいらい、半生に及ぶ竹馬の友ですものね。
「……たかこ、らんどせるおいたら、すぐに行ってもいいか?」
くにこちゃんが、おずおずと訊ねます。
今日のなかよしさんにんぐみせんようのお誕生会は、さんじのおやつからはじまって、ばんごはんまでのよていです。でも、くにこちゃんは、なんだか訳ありげです。そういえば、きょうはのらいぬをみつけても、ちからなくためいきをつくだけです。いつもなら、すぐにおいかけてはがいじめにしたり、しっぽをつかんでふりまわしたりするはずなんですけどね。
「うん? いいよ。おひるごはんも、いっしょにたべよー」
「……ごくり」
くにこちゃんは、おもいつめたお顔で喉を鳴らしました。そんなくにこちゃんのお肩を、ゆうこちゃんが、むごんでぽんぽんしてあげます。
それには、こんな深い事情があるのでした。
くにこちゃんのおかあさんは、いっしゅうかんほど前から、お産でにゅういんしています。はじめのうちは、もう四人目の子供だから虫がかぶったらタクシー呼べばらくしょー、そんなふうに夫婦で思っていたのですが、どうやら四人目はくにこちゃん似のとってもかっぱつなお子さんらしく、おなかのなかでげんきにあばれたりしたため、いつのまにかさかさまになってしまったのですね。
さて、のこされたちちおやは、さっぱりした気性だけがうりものの、はっきりいってせいかつのーりょくにとても乏しい下駄屋さんです。すいじせんたくなどはきっちり不得手ですし、ヘルパーさんに来てもらったり、店屋物でご飯を済ませるお金もありません。そして長女のくにこちゃんも、まだいちねんせいなので、おりょうりなどはできません。もっともくにこちゃんのばあい、たとえはたちになっても、いいえ、おっとやこどもができてからも、おりょうりなどというめめしい行為は、とことん忌避するたいぷのお子さんです。
「きょうのあさめしも、らーめんだった」
みっかまえから、おんなし愚痴をくりかえしています。
ゆうこちゃんは、きのどくそうにたずねます。
「やっぱし、ふくろの、らーめん?」
くにこちゃんは、ちからなくこくこくします。
「まあ、おとついのあさまでは、まだましだった。もやしやたまごがはいってた。おとついの晩っから、もうなんにも、はいってない。きゅうしょくがなければ、おれはもう、しぬ」
かばうまさんにたかろうにも、かばうまさんの公休日は、はるか来週の水曜です。
ゆうこちゃんは、さらに気を利かせてたずねます。
「……おひるは、おうちにくる?」
おやつやおゆーしょくがたかちゃんちだから、あんましふたんをかけては、しつれいなのではないか――そんな、ゆーこちゃんらしい、そだちのよさです。
くにこちゃんは、かんしゃのまなざしをうかべながら、ふるふると首をふります。
「さんきゅ。きもちは、うれしい。でも、ゆーこんちのひるめしは、ばたくさいからなあ」
ゆうこちゃんのおうちは、ばんごはん以外、たいてい洋食系です。それもお金持ちらしく、よーろっぱの本場物のちーずやばたーが、ふんだんに入っています。いっぽうくにこちゃんのおうちは、おみおつけやおひたしがめいんの、まるで明治時代のしょみんのような食生活を送っています。ですから、くにこちゃんは、いまだにそっち系がにがてです。
でも、武士は食わねど高楊枝――なんだかちょっとさびしそうなゆうこちゃんを、ぎゃくになでなでしてあげる、男らしいくにこちゃんでした。
たかちゃんが、ぶいぶいとじこしゅちょうします。
「きっとママが、なんか、もうできてるよ。ふとまきとか、おいなりさんとか」
「……ぐびり」
前途に希望の光が見えたからでしょう、くにこちゃんの足取りも、軽くなります。
「いやー、これでもう、へんな夢とは、おさらばだ」
たかちゃんとゆうこちゃんは、はてな顔です。
「いや、おとついっから、らーめんになった夢ばかりみてな」
「らーめんに、なる? くにこちゃん?」
なんだかとってもおもしろそう――たかちゃんは、そうぞう力をフル回転させます。しかし人間がラーメンそのものになるという状況は、さすがに脳内でビジュアル化しません。
「――やっぱし、ふくろらーめん? それとも、かっぷめん?」
「いんや、モノホンのらーめんだ。かばうまにたかるとでてくるみたいな、うまいらーめんだ」
くにこちゃんは、まんざらでもないお顔でせつめいします。
「おれは、きれいなどんぶりばちに入ってる。おつゆがほかほかで、きもちいい。ほかほか、ゆげもたってる。ぐもいっぱい、頭にのってる。だから、らーめんになるのは、しあわせだ」
そのシヤワセそうなお顔が、やがて曇ります。
「でも、もんだいは、ひとが食いにくるのだ。はしでつまんで、くちにいれて、のみこもうとするのだ」
それは、ちょっとやだなあ――たかちゃんとゆうこちゃんは、思わず顔を見合わせます。
「だから、おれは、にげる」
こうきゅう飯店の豪華らーめんになってしまったくにこちゃんが、いかなる手段で逃亡するのか――たかちゃんの肥大化した想像力をもってしても、ゆうこちゃんの繊細な思いやりのこころをもってしても、やっぱりビジュアル化できません。
「……どーやって、にげるの?」
「はじめは、くろうしたんだけどなあ」
くにこちゃんは、感慨深げに呟きます。
「なれてみると、あんがい、かんたんだ。どんぶりばちごと、ゆっさゆっさ、からだをゆする。そーすると、がったんごっとん、なんとか、まえにすすむのだ。でも、そーやって逃げてると、どーしても、おつゆがこぼれる。ああ、もったいない。でもやっぱし、くわれるのはやだからなあ。あのちゅーか屋のくるくるまわるとこを、いっしょーけんめい逃げるのだ。そのうち、ぐも、こぼれる。おつゆが、みーんななくなる。それでも、にげる。――あれは、とてもかなしい」
くにこちゃんは、なんだか遠い目をして、空を仰いでいます。
鳥のからあげさんも、もうできてるといいなあ――つくづくそう願う、たかちゃんでした。
★ ★
「ただいまー」
くにこちゃんやゆうこちゃんとひとまずわかれて、たかちゃんはととととととおうちにかけこみます。
ようちえんの頃、てぃらのさうるすさんやみんくくじらさんがこわしてしまったおうちより、ちょっとりっぱなおうちです。
たかちゃんのパパは、とってもやさしいパパなのですが、なんといっても昔はこみけにいりびたりだったおたくやろうですので、年間所得は中の下です。そうした所得層は、こいずみ首相がこの前つめたくみかぎってしまったので、いまのあめりか盲従型政治が続く限り、早急にかそうかいきゅう化するのは目にみえています。
でも、たかちゃんのおうちでは、なんといってもママがちがいます。災害保険の水増し請求から日々のパートまでなんでもござれの、すてきなママです。らいおんさんやひぐまさんやうみぼうずさんにまで、尊敬されているくらいですものね。
「おかえりなさい、たかちゃん」
おだいどこでおりょうりしていたママが、にっこしわらいます。
いつもみたいに、とってもやさしいママです。
たかちゃんはとりあえず、ママのせなかにすりすりします。
ようちえんのころは、もっぱらおしりにすりすりしていたのですが、たかちゃんもこの春にはもう二ねんせい、ほっぺたはもうママのお腰のうえまでとどきます。ですから、ママのおたくごろしのいろっぽくくびれたひっぷらいんなどは、もっぱらパパのすりすり専用に、もどっています。
「ねえねえ、とりのからあげさん、もうできた?」
ママは、きょとんとしてたずねます。
「お昼は、炒飯なの。三時のおやつと晩ご飯は、お昼食べてから、いっしょに買い物に行きましょうね」
どうやらおいなりさんも、ふとまきさんも、まだみたいです。でも、たかちゃんのおうちのちゃーはんには、ちゃあんとやきぶたさんやたまねぎさんや、なんかいろいろはいっています。ぐのないふくろらーめんと比べたら、大ごちそうと言っていいでしょう。
「ちゃーはん、くにこちゃんのも。くにこちゃん、たいへんなの」
たかちゃんの豊かな想像力の世界では、さっき別れたばかりのくにこちゃんが、もうすっかりおどんぶりに浸かっています。
「まいにちらーめんばっかしで、もうすぐ、らーめんになっちゃうの」
いっぽんいっぽんの麺に、ちっちゃなくにこちゃんのお顔がくっついて、からみあいもつれあいながら、今しもかばうまさんにたべられようとしています。ただ、大量の極小くにこちゃんも、かばうまさんも、双方極めてシヤワセそうな顔をしているので、さほど陰惨な光景ではありません。
ママはにこにこと、たかちゃんのおつむをなでなでします。くにこちゃんのママとお友達なので、なんとなく事情を察知できるのですね。
「あらあら、じゃあ、こんどはラーメンじゃなくて、おいしい炒飯になっちゃうかも」
たかちゃんの脳裏に、ふと、ひとつぶひとつぶのお米のかわりに、大量の極小くにこちゃんがちゅうかなべで炒められている光景などが浮かびます。火にあぶられてつらいかと思いきや、みんなにこにこしています。大量の焼き豚さんや玉葱さんといっしょなので、あんがい楽しいのかもしれません。
★ ★
「ごめんなさい。しつれいつかまつります」
げんかんからのっそりとはいってくるとき、くにこちゃんのごあいさつは、いつもへんです。曹洞宗や真言宗のお寺さんにとっかえひっかえ入りびたって、修証義や真言ばっかり習っているからかもしれません。また、今日は背中におおきな風呂敷包みをしょったりしているので、もっとへんです。でも、きっとそれが、お誕生のぷれぜんとなのですね。
「やっほー、くにこちゃん、どどんぱっ!」
「おう、ぱんぱどぱん」
いつものようにどどんぱ語でごあいさつしたあと、
「あるつはいまー!」
くにこちゃんがかまします。
「ないぞうはれつ!」
間髪を入れず、たかちゃんが返します。
いったん終結したかに思われた紛争でも、ゆうこちゃんのいないところでは、まだ火種が燻り続けているのでしょうか。でも、ふたりの交わすびみょうな視線を見るかぎり、そこには、陣営こそ違え、熾烈な戦いを通して得た勇者同士の熱いシンパシーが香り立っているようです。ふたりをみまもるおかあさんのまなざしも、なぜかすべてを悟っているように、おだやかで、おごそかです。
「いっぱいあるから、いっぱい食べてね」
ふろしきづつみをおろし、だいにんぐのテーブルに着いたくにこちゃんのお目々から、いたいけな涙がひとすじながれました。
「なまんだぶなまんだぶなまんだぶ」
殊勝に手を合わせお経を唱えつつ、しかし唇の両端はしまりなく上方に円弧を描き、両眼はよくぼうにうるんでいます。
「はぐはぐはぐはぐ、がう、はぐはぐはぐ」
れんげをあやつるのももどかしげに、お皿に顔をすりよせてかきこむその姿は、なにか痩せ細った雨夜の野良犬が、一宿一飯の光明を得たかのようです。
おむかいのたかちゃんは、そうしたくにこちゃんの姿には慣れっこなので、ちっとも動ぜずに自分の炒飯をぱくついていますが、となりのママは、さすがに胸を痛めました。しばしれんげの手を休め、くにこちゃんのおつむをぽんぽんします。
「がう?」
「食べ終わったら、くにこちゃんもいっしょに、お買い物しましょうね。今日は、おやつも晩ご飯も、くにこちゃんの好きな物にしましょ」
こくこくうなずくたかちゃんと、慈愛に満ちたママの笑顔を、くにこちゃんはなんだか呆然としたようなお顔で見比べています。喜びが飽和を超越した時、人間というものは、そんなお顔をしてしまうものなのですね。
「……おい、たかこ」
「うん?」
「おまいんちのおふくろさんは、ぼさつさまのうまれかわりだ」
思わずれんげを置いて、神妙に合掌するくにこちゃんでした。
「かんじーざいぼーさつ、ぎょーじんはんにゃーはーらーみーたーじー」
残りご飯と残り焼き豚と残り玉葱で菩薩様に祭り上げられてしまったママは、ちょっと困ったようなお顔で笑っていますが、実は味付けにある種のサンスクリット寺院系調味料など使用したりしているので、くにこちゃんの宗教的評価が嬉しかったりもします。
たかちゃんは、例によって、なんにもかんがえていません。そもそもぼさつさまとさつまいもの違いもわかりません。でも、ぼさつさまもさつまいもも、ママもパパもたかちゃんもくにこちゃんもゆうこちゃんも、そして路傍のぺんぺん草も実は根源的に同一の存在である、そんな感覚を、たかちゃんはうまれながらに備えています。ですから、なーんにもかんがえていないこと自体が、たかちゃんのたかちゃんたるゆえん、万物との縁起なのです。
さて、お話の人の悪い趣味で、妙に抹香臭くなってきたこのお話ですが、よいこのみなさん、けしてしんぱいはいりませんよ。その証拠にママの携帯が、実にまあ作為的なタイミングで、お話の人好みのめろでぃーを奏でました。中島みゆきさんの、『時代』みたいです。
「あらあら。――はい、片桐です。はいはい。あらまあ、ムラマツさん。ええ、ええ、どうもお世話になっております。――えーと、はい、すみません。今日はちょっと、どうしても都合がつかなくて――えっ? イデ隊員とアラシ隊員が、南太平洋でビートルごと行方不明? はい、核実験で変異したミロガンダが、オアフ島に接近中――わかりました。ただちに現場に向かいます!」
そんな思いっきし説明的な会話を交わしたのち、申し訳なさそうに、しかし厳格な表情で、たかちゃんとくにこちゃんに頭を下げました。
「ごめんね。ママ、急にパートのお仕事入っちゃったの。すぐに帰れると思うけど――後で電話するね。なにかあったら、そこのお電話メモのところにね」
「はーい。いってらっしゃーい」
ママはそのまんまとたぱたと、お二階に駆け上がって行きました。む、三分しかない、急がねば――そんなお声も聞こえたようです。
ぼーぜんとしているくにこちゃんを尻目に、たかちゃんは、のどかにひらひらとお手々をふっています。
二階のベランダのほうから、ただならぬ轟音と振動がひびき、てーぶるの上のなんかいろいろが踊ります。しゅわっち、という叫びも響いたようです。
「おっと」
くにこちゃんは、宙に舞ったちゃーはんをはんしゃてきに確保して、それからおずおずとたずねました。
「……たかこ。おまいのおふくろさんは、いつも、ああか?」
たかちゃんは、へーぜんとちゃーはんをぱくつきながら、
「うん。ときどき」
きわめてとーぜんといったその顔つきに、くにこちゃんも気を取り直し、ちゃーはんの残りにかかります。
でも、やっぱしなにか腑に落ちないので、
「……どこで、パートしてんだ?」
「うん。げつようとかようは、えきまえのすーぱー」
「ふんふん」
「でね、もくようときんようは、かがくとくそうたい」
「……そうか」
やはりあのおふくろさんは、ぼさつさまではないにしろ、ただものではなかったのだ――くにこちゃんは、なっとくしてれんげをほおばります。ちゃーはんのお味も、なんだかありがたみが増したようです。
そうして、ふと壁のホワイトボードに目をやると、そこにはこんなまるまっこい字が、ぴんくのマーカーで踊っていました。
〜ママのきんきゅうれんらくさき〜
【月・火】 すーぱーまるほん かいけいじむ
0428―××―2856
【木・金】 かとくたいきょくとーしぶ だいひょう
03―××××―5249
だれもでないとき
×××―×××× (りゅうせいばっち、ちょくつう)
★ ★
さて、その日の三時ちょっとまえ、たかちゃんちに続く淡雪の住宅街を、ゆうこちゃんがしゃなりしゃなりとあるいています。
白いボアに縁取られた白いコートは、いっけんそこそこのキッズ・ブランドのようですが、実はとんでもねーケタの舶来こうきゅうぶらんどです。午後から降り出したふわふわの牡丹雪が、絶対に合成繊維などではない繊細なボアにそこはかとなくまとわり、ゆうこちゃんのかわゆいくちびるから流れる白い吐息にちょっと溶けて、きらきらとみずみずしく輝いたりします。それを描写するお話づくりの人も、なんでたかちゃんやくにこちゃんにはそこまで描写がないのにゆーこちゃんだけこんなにねんいりなのか、そんな読者の疑惑を真っ向から受けて、もはや開き直っております。
ゆうこちゃんは、やっぱり白いボアのついたちっちゃいてぶくろで、なにか細長い角箱を、だいじそうにかかえています。きれいならっぴんぐやおりぼんは、きっとゆうこちゃんのお手製なのでしょう、ちょっぴり乱れたり型くずれしたりしていますが、それだけにまたけなげで愛しかったりします。おうちを出るとき、恵子さんがきちんとびにーるをかぶせてくれたので、雪でぬれてしまうしんぱいもありません。
――ぷれぜんと、とってもとっても、いっしょーけんめいつくったの。たかちゃん、よろこんでくれるかなー。
期待より不安がどうしても上回ってしまうのは、やっぱりゆうこちゃんらしい、そだちのよさなのでしょうね。
さて、雪になってしまったからでしょうか、見てくれだけはそこそこの中流住宅街に、道行く人の姿は、ゆうこちゃんいがい、ひとりもありません。のらねこさんのおやこが、いっときお屋根のある居所を探して、さびしげに道をよこぎったりするだけです。
このアブないご時世に、こんな美幼女をひとりあるきさせとくなんて、親はいったい何を考えているのだ――はい、そんなしんぱいは、ごむようですよ。気のちいさいまなむすめに、いちにちもはやくじしゅせいをみにつけてもらうため、「たかちゃんちはごきんじょだから、ゆーこ、ひとりでいけるの」という当人の言葉を形だけ尊重してはおりますが、なんといってもおーがねもちのおじょーさま、それに昨年の拉致未遂事件などもありますので、きっちり三人のSPが、密かに従っております。
このSPのみなさんは、むかし陸上自衛隊に勤務していた、わたくしのせんぱいにあたる方々です。全員柔道空手の有段者であり人格堅固、とうぜん銃器の操作もお茶の子ですし、また野に下っては、銃刀法に触れない範囲の民需品を用いて人知れず敵を葬り去る体技なども、しっかり会得しております。現に、ここまでゆうこちゃんを護衛してくるわずかなあいだにも、刺身包丁を手に徘徊していた分裂症の主婦を無事拘束したり、胡乱な車で女児を見繕っていたうんこっぽい鬼畜を、事故死にみせかけてたまがわにしずめたりしております。また、さくねんまつにおこったいたましい事件のはんにんがいまだにそーさせんじょーにうかばないのは、実はすでに渓谷の水底によこたわって、おさかなさんたちの冬越しの餌になり、白骨と化しつつあるからです。
ゆうこちゃんが、ぶじにたかちゃんちのお玄関に着いたのをかくにんし、SPさんたちは、物陰で長い待機の態勢にはいりました。わたくし同様、知床の原野で生死を賭けたサバイバル訓練なども受けておりますので、この程度の雪や寒気は、春風同様です。
――ぴんぽーん。
ゆうこちゃんがいんたーほんのぼたんを押しますと、
『はーい。ゆーこちゃん? あいてるよー』
たかちゃんのあけっぴろげなお声とともに、なんだか奇妙な声や音が聞こえてきました。
『♪ しょーけんごーうんかいくーどーいっさいくーやく ♪』
そんなくにこちゃんのお声に、ちんちーん、と、鈴《りん》の響きが混じります。
くびをかしげながらドアをひらきますと、ぷーん、と、なんだかいんきくさいお線香のけむりが流れ出します。
ゆうこちゃんは、とってもしんぱいなきもちに、なってしまいました。
おたんじょーびだとばっかし思っていたのに、これはもしや、お葬式の音や匂いではないのか。
あまつさえ、ぽくぽくぽく、などというもくぎょの音まで響いてきます。
おっかなびっくりろうかをすすみ、声のする応接間をのぞきこみますと、
「ちがうちがう、たかこ。そこは、りんを、ちょっとおさえて打つのだ」
「ありゃりゃ」
たかちゃんとくにこちゃんは、てーぶるの上にちょこんと正座し、おごそかなお顔で向かい合い、法事を営んでいるようです。
「もーいっぺん、はじめっからだ」
「ほーい」
「こほん。――かいきょーげ。♪むーじょーじんじんみーみょうほう、ひゃくせんまんごーなんそーぐー、……もくぎょは、まだだぞ」
たかちゃんは木魚撥を手に、わくわくとたいみんぐをみはからっています。
「あ、ゆーこちゃん、みてみて。もくぎょさんだよ。ほんものだよ!」
ゆうこちゃんは、ぼーぜんと立ち竦みます。
たしかに、りっぱに時代のついた木魚のようです。ひょうめんの彫りなどはずいぶんすりへっておりますが、けしてみすぼらしくはなく、日々のおつとめのまごころが、奥深い光沢からうかがえます。
「おう、ゆーこ。おまいも、おつとめ、やるか?」
香炉や線香差まで、きっちり並んでいるようです。
くにこちゃんのしょってきた風呂敷には、こんなぷれぜんとが包まれていたのですね。
★ ★
「いやー、いきつけのてらのぼーさんが、ふるいのを、くれたのだ」
たかちゃんが淹れなおしたお茶をすすりながら、くにこちゃんが胸を張ります。
「せこはんでも、これでまいにち、ただしいおつとめができる」
きっとビンボでぷれぜんとの買えないくにこちゃんのために、お坊様が、気を利かせてくれたのですね。
「ほんとは、ただの檀家にもくぎょまではいらないんだが、やっぱし、あったほうが、きあいがはいるからなあ」
たかちゃんは、そのもくぎょさんがいちばん気に入ったらしく、ごきげんでかかえこみ、ぽくぽくと軽快なエイト・ビートを奏でています。しんからうれしそうなそのお顔に、ゆうこちゃんは、あらためてたかちゃんというにんげんのふところの深さを、感じ入ったりします。
「……あの、あの……」
ぽ、と頬を赤らめながら、ゆうこちゃんもプレゼントをさしだしました。
「おたんじょーび、おめでとー」
「わーい! またまた、ぷれぜんとぷれぜんと」
たかちゃんはもくぎょを置くと、なんの遠慮もなく、がしっとその細長い角箱を我が物にします。
でも、ゆうこちゃんがなんども包みなおしたキティーちゃんのらっぴんぐや、なんどもなんども結びなおしたぴんくのおリボンなどは、とっても綺麗なので、ていねいに開きます。
「わあ……」
箱の中では、パステルカラーのいろんなお花さんたちが、花たばになっていました。ただのお花さんたちではなくて、ちょっと造花っぽいのですが、それでもきっちりみずみずしく、お花畑に咲いてるかんじです。
ぽぽ、と、ゆーこちゃんのほっぺが、もっと赤くなります。
「……あのね、ママにおそわって、つくったの。どらい・ふらわーなの。おうちの、おんしつで……」
「わーい、さんきゅー。すごいすごい」
たかちゃんは、ぶいぶいとくにこちゃんにみせびらかします。
「ほらほら、お花さんの、みいら! かわいい、みいら!」
くにこちゃんも、お花さんはさておいて、みいらは大好きです。きょねんのG・Wにはまだ知らなかったのですが、過去に入定したお上人様たちは、けっこう即身仏、つまりみいらになったりしているのですね。自分もいずれはりっぱなみいらになってみたい、そんなあこがれがあります。
「ほう。これは、みごとなものだ。ありがたや、ありがたや」
おもわずお花さんたちに、合掌します。
ゆうこちゃんは、まあちょっとした齟齬は感じたりしているものの、たかちゃんがおおよろこびなのは明らかですから、ほっとひといきです。
くんくんと花束さんを嗅ぎまわしていたたかちゃんは、まんなかあたりに、なんだか見たことのないお花をみつけました。白くてちっこい花びらがたくさんつんつんした、とっても清楚なお花です。
「ねえねえ、この白いくてかわいいの、なんのお花?」
ゆうこちゃんはおずおずと、ママに教わった蘊蓄をたれます。
「うーんとね、『ひとりしずか』っていうの。きょうの、お花なんだって。たかちゃんの、おたんじょー日のお花。でね、花ことばが、『せいひつ』なんだって」
「わーい、せーひつ、せーひつ!」
大よろこびしているたかちゃんに、くにこちゃんがたずねます。
「せーひつって、なんだ?」
たかちゃんは、にこにこ顔のまんま、ふるふると頭を振りました。『静謐』などとゆーむずかしそーな言葉は、知っているわけがありません。とりあえず、うれしいので喜んでみただけです。
「うーんとね、しずかで、おしとやかなんだって」
ゆーこちゃんのウンチクの続きに、くにこちゃんは、ちょっぴり疑問を抱きました。たかこは、はたして『せーひつ』だろうか。
「わーい。たかちゃん、しずかでおとしやか」
まあ、めでたい日だからな。今日はそーゆーことにしといてやろう。
そんなふたりのいーかげんな心を知ってか知らずか、ゆうこちゃんは、またほっとしています。
実はママに教わった話だと、おたんじょーびのお花にはいろんな説があって、きょうのお花も、もうひとつあるのでした。
ボケの花です。
花言葉は、『熱情』『早熟』、また『魅力的な人』『指導者』、かと思えば『平凡』やら『妖精の輝き』やら、その名にふさわしく、なにがなんだかよくわかりません。
ゆうこちゃんも、さいしょにそれを聞いたとき、ほんとうはそっちのほうがたかちゃんなのかなあ、などとも考えたのですが、せっかくのお祝いの日ですから、あえてやさしいっぽいほうを選んであげたのですね。
★ ★
さて、ほんじつのじゅーだいいべんと・プレゼントのお披露目は、なしくずしに無事終了しました。
しかし、事後のもんだいがやまづみです。かんじんのママが、まだ帰って来てくれません。とーぜん、三じに華々しくとうじょうするはずだったごうかなばーすでーけーきも、姿を現しません。晩ご飯のご馳走は、なおのことその気配すら漂ってきません。
くにこちゃんのおなかが、ぐう、と鳴ります。
「……えーと、ばーずでーぷれぜんとのつぎは、やっぱし、ばーすでーけーき。まあ、ふつう、だいたい、そんなかんじだわなあ」
おのれのよくぼうを、あたかもせけんの良識のように糊塗しつつ、しゅちょうします。おひるに喰らったたいりょうのちゃーはんは、とっくの昔に消化されています。
たかちゃんも、異議なしでこくこくします。ちゃーはんはまだおなかにのこっていたのですが、なんといっても晴れてななつのお誕生会、むせきにんなやらずぶったくりは、おとなへのかいだんを確実にいっぽ昇りつつあるおんなとしての、自尊心が許しません。
ととととととお電話に駆け寄って、かとくたいきょくとーしぶを呼び出します。
「あのね、あたし、たかちゃん。かたぎりたかこ。はーい。ママ、いますか?」
お電話の向こうでは、なにやら切羽詰まった怒号が飛び交っています。お電話に出てくれたフジ・アキコ隊員のお声も、いつものようにやさしいお声でありながら、なんだかびみょうにアセっているようです。
「……はーい。うん、わかりました。ありがとー」
たかちゃんはきちんとお礼を言って、お電話にぺこりと頭を下げました。
「どーだった?」
「うん。まだ、みなみたいへーよー」
ちょっとおこまりで、くちびるをとんがらせたりします。
「みろがんださんといっしょに、まりあなかいこーで、まだ、おしごと」
正確には、すでに巨大グリーンモンスと化してしまった食虫植物ミロガンダと組んずほぐれつ、南太平洋から西太平洋に戦いの場を移し、マリアナ海溝のチャレンジャー海淵――地球上で最も深い海底に沈みつつあったのですが、さすがのたかちゃんでも、その詳細はつかめません。
ぴぽぴぽと、こんどはちょくつーのばっちに、お電話します。
「……あ、ママ! やっほー! あのね、あのね、けーきさんと、ばんごはん――」
でも、電話口のママは、なんだかとっても忙しそうでした。
『ごめんね、たかちゃん。もうちょっと、かかりそうなの。うん。海坊主さんも来てくれたから、夜までには帰れると思うんだけど――でゅわっ!』
ママの雄々しい叫びに続き、巨大うみぼうずさんの、蚊の鳴くようなかわいらしいお声も聞こえます。
『まあまあミロガンダさん、まあそんなに事を荒立てないで。同じUMA仲間じゃありませんか。これしきの放射能、一億六千万年もすれば半減しますから。寸足らずな人類なんて、ほっときましょうよ』
『ぎゃおおおおん』
みろがんださんは、まだちょっとごきげんななめのようです。
『たかちゃん、ほんとにごめんね。夕方には、パパが帰ってくるから、不二家かデニーズで――とうっ!』
『それじゃあミロガンダさん。お話の続きは、錦糸町のガード下の、あの屋台でいかがでしょう。おや、ご存知なかった? おかみさんの故郷から、うまい地酒が届いておりましてねえ』
『……ぎゃお?』
なんとか事態は収束に向かいつつあるようです。しかし、予断は許されません。けーきもごちそーも、まだまだみたいです。
『おなかがすいたら、おだいどこの具ー多――ああん、そこ駄目! ああもう、戸棚の上のお盆の下にお札があるから、ピザでもお寿司でも――くぬ! くぬ!』
――ぷつん。
こうなると、さすがのたかちゃんも、とほーにくれます。
「……しゅわっち!」
おもわずさくらんして、うるとらまんに変身したりします。でも、それはやっぱし気合いだけの変身なので、飛び上がっても、すとんとちゃくちするだけです。これからなんべんもお誕生会をひらいて、おっきいおねえさんになったら、ママみたくなれるのかもしれません。
「まて。おまいが行っても、しかたがない」
よこでお電話を聞いていたくにこちゃんが、たかちゃんをおしとどめます。
ゆうこちゃんも、やさしくたかちゃんのお肩を抱きます。
おもむろに結跏趺坐したくにこちゃんは、半眼となって、しばし精神とういつののち、
「りん! ぴょう! とう! じゃ! かい! じん! れつ! ざい! ぜん!」
おとくいの、目にも止まらぬ九字の印。
しかしこんかいのもくてきは、不動様ではありません。
「おんまゆらきらんでいそわか! くじゃくみょーおー!」
ひとさしゆび二ほんの印を結びます。
――ずずずずずずずずず。
お庭に面したお窓から、なにやらきんきらきんの光がさしこみます。
くにこちゃんが、りりしいお顔でうなずきます。
「みろがんだが、ほーしゃのーで怒ってるんなら、あいては、くじゃくだ」
みんなで目を細めながらお外をのぞくと、お庭からはみだしそうにして、それはもう有りがたみのある金色の大孔雀明王様が、降臨なさっております。いぜんのねこちゃんのひたいのようなセコいお庭ではなく、そこそこのお庭ですから、かなり大きな明王様です。ちゅーとはんぱに洋風のツー・バイ・フォーが立ち並ぶ住宅街は、あんまし居心地が良くないのか、淡雪の中でうさんくさげにきょときょとと首をまわし、そのついでにつんつん羽根をつくろったりしているお姿は、きょねんの秋にたかちゃんがパパやママとたまどーぶつえんに行ったとき、はなしがいになっていたくじゃくさんとそっくりです。
「こいつは、どくっぽいのを、なんでもたべる」
くにこちゃん同様、きょーじんな消化力を備えた明王様のようです。
くにこちゃんがお窓からのりだして、ごにょごにょとみみうちすると、はじめは乗り気薄だった孔雀明王様のお目々が、きりりと引き締まりました。それはそうですね。いつも迷惑カラスさんの退治やら鼠さんの駆除などばかりやらされているのに、こんどはなんといっても、突然変異巨大食虫植物関係です。
「おし、いってこい!」
くー、と清らかに一鳴き、孔雀明王様がはばたきます。
雪のしじまに、数知れぬ金色の小羽根が舞います。
きりりと見おくるくにこちゃん、うるうるとかんどーのまなざしのゆうこちゃん、ごきんじょのものかげで社会通念のコペルニクス的転回に呆然自失しているさんにんのSPさん――そしてたかちゃんは、いつものようになんのきんちょーかんもなく、ひらひらとお手々をふります。
「いってらっしゃーい。よろしくねー」
★ ★
孔雀明王様を見送ったのち、おだいどこに進軍したたかちゃんたちは、さっそくママの言っていたびちくしょくりょうや、いんとく資金のそうさくをかいししました。ゆうがたパパが帰ってくるまで、手をこまねいてうんめいにみをまかせるほど、だじゃくなたかちゃんたちではありません。
「……これが、うわさにきく『ぐーた』か」
くにこちゃんは、シンクの下にかっぷめん関係のくりあ・ぼっくすを発見し、おそるおそる検分します。
「……ふくろらーめんより、すごく、おもい。かさかさ、いろんな音もする。これは、ただものではない」
たかちゃんは踏み台にのっかり、うんしょうんしょと背伸びして、とだなの上をさぐっています。
「たべる?」
「――いーのか?」
お札のお盆さがしにいそがしいたかちゃんのかわりに、ゆーこちゃんが、電気ポットやなんかいろいろ、かいがいしくお世話をしてあげます。
「いやあ、わるいなあ、おればっかし」
まあ、こんな短時間でおなかをすかせられるのは、くにこちゃんくらいしかいません。もっともゆうこちゃんなどは、どんなにおなかがすいていても、いんすたんとめんやれとると食品などというげせんなたべものには手を出さないよう、おうちでしつけられています。
おなべであっためたれとるとのぐを、ゆうこちゃんが、めんのうえにのせてあげます。ちょっとしたおりょうりのおてつだいなどは、恵子さんがこっそり教えてあげているのですね。
「……これは、ほんとうに、かっぷめんのなかまか」
くにこちゃんは、ちゃーはんの時ほどではありませんが、やっぱしじわっと涙をうかべます。
「ずるずるずる。うん、んまいんまい。ずるるるる、んまいぞ。けほけほ、けほ」
おもわずめんを気管にすいこんでしまい、むせかえるくにこちゃんのお背中を、ゆうこちゃんがぽんぽんしてあげます。
「けほ。すまんすまん」
ものめずらしそうにかっぷをのぞいているゆうこちゃんに、くにこちゃんは、めんとぐを、ちょっとつまんでさしだします。
ゆうこちゃんは、ぽ、と頬を赤らめ、おっかなびっくりお口に入れます。
「んまいな」
「……うん!」
ほんとうはゆうこちゃんも、いっぺんいんすたんとしょくひんを食べてみたくて、しょうがなかったのですね。
さて、そのとき――
「おう! みっけ!」
ふみだいのたかちゃんが叫びました。
ととととととてーぶるにかけてきて、
「みてみて。すごいすごい」
お手々がぷるぷるとふるえています。
「のぐちのおじさんじゃないよ! おねーさんだよ!」
くにこちゃんも、いきをのみました。
つやつやのお札の上で、とさか頭の野口英世さんではなく、のっぺり白塗りの樋口一葉さんが、やさしくほほえんでいます。
「…………これは、もしかして、ごせんえんさつというものか?」
くにこちゃんのお声も、ぷるぷるふるえています。
たかちゃんは、いっしゅん、すごく不安になってしまいました。そんなばくだいなざいほうが、我が掌中に存在していいものだろうか――こきゅーをととのえ、おさつのすみっこの、まるの数をかぞえます。
「いち、じゅー、ひゃく、せん……ご!」
こりはたいへん! やっぱし、てんもんがくてきなきんがくのおさつです。
「……おい、たかこ」
くにこちゃんが、真顔でたずねます。
「おまいんち、もしか、ゆーこんちよりもかねもちか?」
たかちゃんは、なんぼなんでもそこまでではないだろうと思いつつ、あるいはそれに近いのかもしれないと、くびをひねります。ゆうこちゃんは、もともと『げんきん』という下賎な通貨とはほとんどおつきあいがないので、ただきょとんとしています。
くにこちゃんは、てーぶるのすみにおいてあったくりあふぁいるに、ふらふらと手を伸ばします。たかちゃんのママが、パート疲れの時やなんとなく家事を手抜きしたい時に利用している、あっちこっちのデリバリー食品パンフです。印刷用画像処理時、実物以上に詐欺スレスレまで彩度を高められた、おすし、ぴざ、かまめし、てんぷら、ふらいどちきん、そのた、もうなんかいろいろ――くにこちゃんのお目々は、もはやウツロです。脳内のシナプスの街道を、盆と正月とくりすますとお誕生日が、徒党を組んで暴走行為に及んでいます。お口の中に、とめどなくだえきがあふれます。
「……ごくらくだ」
たかちゃんも、お目々に透過率50パーセントの乳白色レイヤーを重ね、すでに正気を失っています。ごせんえんとゆーてんもんがくてきなおさつがあれば、お部屋いっぱいのばーすでーけーきを買ってきて、うきよのしがらみをなにもかもかなぐりすて、そのなかにだいびんぐしたり、さらにもぐりこんでありさんごっこができるのではないか――そんなファンタジーの世界に旅立っています。
ゆーこちゃんだけが、かろうじて理性を保っております。生半可な経済感覚とは無縁なだけに、せんえんもごせんえんもまんえんも、おじさんやおばさんのお顔が違うだけみたい、そんなかんかくなのですね。
「……あの、あの、たまごさんと、はちみつさんと、かっちゃだめ?」
おずおずと、おねだりモードでたずねます。
「うん? そんなもんなら、ひゃくおくまん個は、買えるぞ」
くにこちゃんの説得力に満ちた計算結果に、たかちゃんも、こくこくとうなずきます。
ゆうこちゃんは、にっこし笑って、
「たかちゃんに、たまごやき、やいてあげるの。おたんじょう日だもん。恵子さんに、おそわったの。たまごやき、はちみつさん入れると、とってもおいしーんだよ?」
たかちゃんのおつむに、ぴーん、となにかがひらめきました。
あこがれの、とんとんとん、ぐつぐつぐつ。
もうようちえんのころから、おだいどこの包丁さんやお鍋さんを使って、とんとんとんやぐつぐつぐつをやってみたくてしょーがなかったのですが、それはおっきーおねーさんになってからと、いまのところきんしです。でも、きょうはひじょうじたいです。ほんとうなら、ママがりっぱなお誕生日のごちそうを作ってくれるはずだったのに、きゅうにおでかけしてしまったのです。そして、だいじなおきゃくさまをおもてなしするときは、てづくりのおりょうりがいちばんといつも言っているのも、そのママにほかなりません。
もうすぐななつなのだから、おっきーおねーさんだって、きっと、もうすぐ。とんとんやぐつぐつのみならず、じゃーじゃーじゃーだって、ゆるされてもいい――。
あまいきけんなおとなのひあそびのゆーわくが、たかちゃんをさしまねきます。あこがれのきゅーしょく係のおねーさんなども、まぶたにうかびます。
たかちゃんは、たからかにていげんします。
「ねえねえ、おかいものにいこう。でね、でね、たかちゃん、おりょうりするの!」
★ にかいめに、すすむ
★ いんとろに、もどる
★ もくじに、もどる
|
|