たかちゃんざくら









     
にい  〜 ぽちのおもいで 〜


 それは、きょねんの秋のことでした。
 がっこうの遠足で、たかちゃんたちは、多摩川をちょっとさかのぼったあたりの、お山にでかけました。
 中腹の展望台きんぺんに、きゃいきゃいわあわあとシートをひろげ、青空と白い雲の下、赤や黄色に色づいた樹々に囲まれ、遠く青梅の町を見下ろしながらおべんとうをつっつきあったり、くにこちゃんにたいはん食べ尽くされたり、でもあらかじめそれを見越してママや恵子さんにいっぱい詰めてもらったのであんましイタくなかったり、なんかいろいろ、たのしく午後が過ぎていきます。
 たかちゃんやゆうこちゃんの水とうもあらかたのみほし、くにこちゃんは、ぷはあ、と、夏の会社帰りにビヤ・ホールへ繰り出した末端ろうどうしゃのような、ごーかいな息を継ぎます。
「いやー、のんだ、くった」
 いつものこととはいえ、やっぱしちょっと不義理も感じているのか、
「おれいに、あなばを、おしえてやろう」
 なんかアヤしげな路地に同僚を誘う不良社員のように、たかちゃんたちに目配せします。ふだんから強い対戦相手を求めて奥多摩の山中をさまよったりしているので、きっと、だあれも知らないきれいな場所なども、はあくしているのですね。
 でも、かしこいたかちゃんは、先生から『遠くに行ってはいけませんよ』と何度もちゅういされているので、すなおにはしたがいません。
 ようじんぶかく先生の視界の外にいるのをかくにんしてから、
「こそこそ」
 こっそり、くにこちゃんにしたがいます。
 おしとやかなゆうこちゃんは、夏頃まではそんな無軌道なゆーわくにいささかの躊躇も覚えていたのですが、もはや朱に交わってズブドロの誤った連帯感にハマってしまっており、
「こそこそ」
 やっぱし、ふたりのあとに続きます。
 たとえ下賎な世間に迷いこみ、何かいわれなきぼーりょくに襲われたとしても、くにこちゃんがいるのであんしん。なんだかよくわからない世界にまぎれこんで、未知の超自然現象に見舞われたとしても、たかちゃんがいればおーけー。――そんな悟りに、たっしていたのですね。


    ★          ★


 まあ、あくまでもしょーがくいちねんせいのえんそくですから、もともと遭難や転落死なんてしたくてもできない、そこそこのお山です。
 その証拠に、展望台への道からそれて、わくわくと魔境探検に踏みこんだりしても、実はちょっと下ると、斜面を造成した新興住宅街が広がっていたりします。
 でも、さんにんぐみはそんな事実は知る由もなく、くにこちゃんを先頭に、じんせきみとうの深山にわけいります。
「わくわく」
「どきどき」
「――さあ、ここだ」
 藪をぬけて、くにこちゃんがじまんげに指さしたのは、林の中にちょっとだけ開けた、くさむらのようなところでした。たかちゃんが期待していたないあがらの滝も、ゆうこちゃんが期待していた誰も知らないひみつの花園も、みあたりません。ただの空き地みたいなところで、紅葉も終わりかけたなんかの木が一本、まんなかにはえているだけです。
「……いまいち」
 たかちゃんのぶーいんぐを、くにこちゃんが、まてまて、と制します。
「こいつは、なかなか、かしこいやつなのだ」
 その木の下に歩み出て、手近な枝に、お手々をさしのべます。
「お手」
 ざわざわ、ざわざわ――。
 風もないのに、ゆっくりと枝がおりてきて、はっぱの先が、くにこちゃんのお手々に、こちょこちょとさわります。 
「……おう」
 たかちゃんは、おもわず目を見張ります。
 ゆうこちゃんは、びっくりしてたかちゃんの背中にかくれますが、たかちゃんが大よろこびで駆け出してしまうので、やだやだやだやだとおびえつつ、やっぱしいっしょに駆け出さざるをえません。
「ぽち! お手!」
 たかちゃんが、はりきってつんつんさしだしたてのひらに、ずいぶんゆっくりではありますが、ちゃあんと枝の先が下りてきて、はっぱでこちょこちょしてくれます。
「うひゃひゃひゃひゃ」
 おもしろいのとくすぐったいのとで、おもわずグッド・トリップしてしまう、たかちゃんでした。
 ちなみに『ぽち』と呼んだのは、たんに昔パパの実家で生を終えた老忠犬が『ぽち』だった、それだけのこんきょです。むかしの『ぽち』は秋田系の雑種で、けして樹木ではなかったのですが、のんびり『お手』をしてくれるかんじが、なんとなく似ていたのですね。
 くにこちゃんが、ふむふむとうなずきます。
「ぽちか。いいかもな。おれは、『あかいゆーひのわたりざくら』にしよーか、アキラにしよーか、まだ、まよってたんだ。『赤い夕日の渡り桜』だと、ちょっとながくて、よびにくい。でも、アキラだと、あんましおそれおおいかもなあ」
 ゆうこちゃんが、おずおずと訊ねます。
「……わたりざくら、さん?」
「おう。はじめてあったときは、春だった。こーんなでっかい綿あめみたく、花だらけでな」
 くにこちゃんはそう言いながら、くさむらのはじっこを、ゆびさしてみせます。
「で、あそこのはじっこを、あるいてた」
 それから、はじっことここの、まんなかあたりをゆびさします。
「で、夏には、そのあたりに、いた」
 たしかに、くさむらには、なにかがじめんをたがやした跡のような、細長いくぼみが残っています。
「で、いまは、ここんとこだ。とゆーことは、きっと、ひとり旅をしているのだ。のらざくら、いっぴきおおかみだな」
 のらでも、きれいなお花を咲かせるさくらさんなら、あんまし恐くないかもしんない――ゆうこちゃんも、ちょっと『お手』してみたいかなあ、そんな気になります。
 もとよりたかちゃんは、まったく人見知りもなんだかよくわからないもの見知りもしないたちなので、すでにがしがしと幹をよじのぼり、たくさんの枝さんにからまれて、
「わひゃひゃひゃひゃ」
 ななめはすかいにぶらさがりながら、触手物のヒロインと化しております。
 くにこちゃんが、かんしんしたようにつぶやきます。
「……おれは、お手してもらうまで、ひと晩かかった」
 やっぱしたかこは、ただものではない――腹中あらためて感慨を深める、くにこちゃんでした。


 さて、その後ゆうこちゃんもおっかなびっくり『お手』をしてもらい、じゆうじかんぎりぎりまでぽちと遊んだあと、
「ぽち、ばいばーい」
「んじゃ、またな」
「ぺこり」
 ちょっぴり寂しそうな――たぶん寂しいのではないかと思われるぽちを林に残し、なにくわぬお顔で展望台に戻ったたかちゃんたちは、みんなといっしょに、無事にお山を下ったのですが――。


    ★          ★


 その晩、たかちゃんは、夢を見ました。
 ぽちの、夢です。
 といっても、たかちゃんがぽちと遊んでいる夢ではありません。
 たかちゃんが、なぜだかぽちになっている、そんな不思議な夢でした。
 なにしろ桜さんになってしまったのですから、たかちゃんのひかくてきたんじゅんな思考回路にくらべても、もっとぼーっとしています。はやいはなしが、いちねん中お山の森にたたずんで、根っこからお水やなんかいろいろをじわじわ吸い上げながら、それがいまのことなのか、それともむかしの思い出なのか、なんだかよくわからない事象を、きわめて緩慢に認識しているだけです。
 思い出、という概念が山桜の木にあてはまるものかどうかはちょっとこっちに置いといて、ぽちも昔から、ぽちであったわけではありません。なんといっても桜さんのことなので、自分が桜である、という自覚すら、あんまし確かではなかったりします。
 それでも昭和の始め頃、なんかの拍子で奥多摩の山の森に芽吹いてこのかた、ずうっと桜の木をやっておりましたから、ときおり森をうろついている狸さんや狐さんや、根っこにおしっこをしていく野良犬さんや、枝にとまってちゅんちゅんぴーちくとお歌を歌ってゆく小鳥さんたちとは、ちがうたいぷのいきものなんだろう、そのくらいの認識はあったりします。
 その森は林道からずうっと奥にあり、湿気や腐葉土の養分は申し分なかったのですが、伸びほうだいの下草や、明治大正のみならず江戸の頃から古株の椚《くぬぎ》や楢《なら》さんたちががんばって茂っていたため、とっても日当たりが悪く、山桜の若芽さんたちにとって、あんまし住みよい場所ではありませんでした。ですから、初めはごきんじょで芽生えた兄弟姉妹たちも、いつのまにか立ち枯れてしまい、たった一本のぽちが、生き残っただけでした。
 といって、それほどつらい人生を送ったという自覚も、ぽちにはありません。
 椚さんや楢さんたちは、いじわるで日差しを遮っていたわけではなく、なんじゅーねんかん、ただぼーっとしていただけです。ぽちもまた、生まれてなんじゅーねんかん、ただぼーっとしていただけです。それでもただぼーっとしているうちに、春になると、じぶんだけがなんかふかふかの白いものでお化粧できたりするのだ、そんな晴れがましさにめざめたりして、ぼーっとしているなりに、冬がおわるといそいそおめかしのじゅんびを始めたりもします。椚さんや楢さんも、そんな毛色の変わった森仲間ができたことを、なんじゅーねんかんぼーっとしながら、そこはかとなく、よろこんでくれているみたいでした。
 まあひとくちに『よろこぶ』といっても、あくまで樹木さんたちのことですから、たとえば満州事変でお外の世界がなんかたいへんなことになりつつあるあたりに『う』っぽくぼーっとして、真珠湾攻撃あたりで『れ』っぽくぼーっとして、マッカーサーが厚木に降り立ったあたりで『し』、朝鮮戦争が始まった頃に『い』、そしてようやく占領が終わったころに『な』、つまり何十年かかって『うれしいな』っぽくぼーっとする、そんなあいまいなペースです。
 そんなぽちが、いつのいまにか『う』も『れ』も『し』も、『い』や『な』の気配も、あんまし感じられなくなったのに気づいたのは、にじゅーねん前だったのか、さんじゅーねん前からだったのか、それもまた定かではありません。
 お山のふもとのほうから、あっちこっちで森の木々が切り払われ、次々と新しい町ができはじめ、いつのまにか、土の下を流れる水脈そのものが枯れてきて、年老いた椚さんや楢さんは、なんにもいわないまま、ひっそりとその生を終えていきます。
 もちろんぽちはそんなこまかい事情などわかりませんから、むしろ陽の光がとてもきもちよく当たるようになって、それからとっても見晴らしがよくなってきて、やがては多摩川の渓流や、遠い青梅の町並みが見下ろせるほど周りがひらけてきたのを、やっぱしなんじゅーねんも、ぼーっとよろこんでいたのです。
 でも、やっぱり、なんとなく、なんか、アレなかんじ――。
 春の光の下で満開の花を咲かせたり、みずみずしい葉桜に夏の光をきらきら輝かせたり、楓さんほどではないにしろ、きれいなもみじで紅に染まったり――そんな季節には、樹木でも樹木なりにいそがしく、ひとりぼっちでもそんなにさみしくはなかったのですが、それから葉を落とし細い枝だけになって、ぴゅーぴゅーこがらしに吹かれたりしていると、やっぱし、なんかちょっと、アレなかんじなのです。
 やがて、やっと春風さんが、ぬくぬくになったころ――ぽちは、はるかな渓流にそって、じぶんと同じように白いふかふかの木々が、小さく小さく、でもいくつもいくつも立ち並んでいるのに気づき、ぼーっとながめておりました。
 いつもの春なら、アレなきぶんもちょっとは晴れるころなのに、なぜだかその春は、ますますアレなかんじがつのっていきます。
 そのアレなかんじは、ぽち自身には、なんであるのかよくわかりません。でも、夢のなかでぽちになっているたかちゃんは、きもちのほうもぽちっぽくなったりたかちゃんっぽくなったり朦朧としながら、それが『サミしいかんじ』であることを、そこはかとなく感じております。
 あっちに、いこう。
 その夏のおわりごろ、ぽちは、ようやくそんな観念に目覚めました。
 あっちに、いこう。


    ★          ★


 さて、そうして、世にも稀なる放浪山桜として覚醒したぽちでしたが、なんといっても根が桜さんのこと、ほんのちょっとあっちにいくのも、なかなかたいへんです。
 あっちにいくためには、あっちにいかなければなりません。
 ときどき枝にとまって、ちゅんちゅんぴーちくとお歌を歌っている小鳥さんたちみたく、お空をとんでいこうかな――。
 むりですね。
 ときおり森をうろついている狸さんや狐さんや、根っこにおしっこをしていく野良犬さんのように、じみちにお山をくだろうか――。
 これならば、なんとかできそうな気がします。
 ずりずり、ずりずり。
 こいつはまたなにをはじめたのだ――あきれ顔をしながら通りすぎてゆく狸さんの足はこびをさんこうに、右前あたりのねっこをちょっぴりじめんからひっぱりだして、ちょっと前のじめんにまたもぞもぞと根付かせて、こんどは左前あたりをひっぱりだして――。
 ずりずり、ずりずり。
 樹木としての常識はもはや超越しているわけですが、いっぽうで、なんぜん年にもおよぶ植物としてのほんのうも、ぶつりてきほうそくも、むしするわけにはいきません。ひるまにねっこを浮かせてしまうと、なんだかすごく喉がかわく――いえ、のどだがなんだかがかわいたのかなあみたいなかんじになるので、なるべくそれは夜中にするとか、倒れてしまわないようにじっくりちょっぴりずつ進むとか、そんなこんなで、進行速度はおよそ一週間にいちめーとる、がんばってもそのていどです。
 それでも、いちねんがんばれば、たんじゅんけいさんで52めーとる、でも冬場はさすがにおやすみするので、おおむねいちねんに40めーとる――まあ、なんびゃくねんかがんばれば、『あっちにいける』わけですね。もともと『飽きる』『なまける』といった感情に無縁な植物のつよみ、なんじゅーねんかがんばったけっか、ぽちは展望台のちょっと裏の山まで、なんとか下ってきたのでした。
 そして、ある春の宵、ぽちはふしぎないきものと、であいました。


    ★          ★


 そのころ、ぽちはまた椚さんや楢さんのいる林の中にはいっており、きれいなお花を咲かせて久々にウケを感じたりして、あんがいゴキゲンでした。
 ねっこで歩くのにもずいぶん慣れてきて、ほぼ二足歩行――といってもやっぱり地中の水分や養分を吸いながら進むので、ひと晩25センチ程度ですが、めいっぱい早送り再生してもらえば、いちおう二足歩行が可能です。
 ゆうがたから、そろそろ片足、いえ、片ねっこを上げる気合いをたかめ、お月様がのぼるころ、ずりずりと歩を進め――
「ぎく」
 よきせぬできごとに、ぽちは柄にもなく『アセり』をかんじます。たかちゃん本体だったら、こめかみにたらありと、ひやあせを流すところでしょうか。
 おさるさんとくまさんが、月下のくさむらで、すもうをとっています。
 まあ、ぽちはまだ国技館に行ったことがありませんし、お山には家電量販店も進出していないので、それが相撲であると認識したわけではないのですが、おさるやくまは、大昔、上のお山にも住んでおりました。でも、ふつう、おさるは熊と互角に格闘しません。また、そのおさるさんには、ちっとも毛がはえていません。そのかわり、なんだか白や紺色の、薄皮に包まれているようです。
 夢の中のたかちゃんは、『あ、やっほー、どんぱんぱー』などと、いつものTシャツにジーパン姿のくにこちゃんに手を振ろうとしますが、あくまでも夢の中ではぽちがしゅやくなので、精神的にもびっくりぽち主導です。
「…………」
 林から顔を出した桜さんを見て、くにこちゃんもまた、ぼーぜんとフリーズします。
 その隙をついて、いましもくにこちゃんにシメられつつあった月の輪熊さんは、こんなきょーぼーな小動物が棲息しているのなら二度と里には下りてくるまいと後悔しつつ、どたばた逃げ去ります。
「……こりは、おもしろい」
 くにこちゃんは、熊ならまたいつでもシメられるので、新顔のいきもののほうに、目を奪われます。
「しょーぶ、するか?」
 ぽちは、さらにアセります。こんなこわいいきものがいるのなら、こっちになんて、くるんじゃなかった――。でも、いっぺん根っこをふみだしてしまった以上、またなんじゅーねんもがんばらないと、逃げられそうもありません。
 くにこちゃんは、ぽちの気合いをはかりつつ、じわじわと間合いを模索します。
 ぽちは、やだやだやだやだと怯えつつ、それでも片根っこを上げた二足歩行途上のまんま、ざわざわふるえているしかありません。
 対峙すること、しばし――
「……やめた」
 くにこちゃんが、ふうっ、と弛緩します。
「おれの、まけだ。おまいには、かてない」
 さすがはほとけさまおたくのくにこちゃん、植物のかもし出す純粋な『仏性』を、きちんと感じとったのですね。
「よるの、さんぽか?」
 くにこちゃんは、こんだけきれいな月夜なら、桜さんだって出歩きたくなるのかもしんない、そんな結論にたっします。
「いっしょに、つきみ、するか?」
 ぽちもまた、根っこのほうにじゃれてきて「お手」とか「ちんちん」とか鳴いている毛のないおさるさんは、もしかしたらそれほどこわくないのかもしんない、そんなあたらしい情感に、めざめたりします。
 そして夢の中のたかちゃんも、くにこちゃんといっしょによぞらのまんまるおつきさまをながめながら、『わーい、おつきみ、おつきみ』などと、きわめてのーてんきに、はしゃいでいるのでした。


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 まあ、あくまで夢――それも爽やかな秋の夜の、とろとろ寝入り端の夢ですので、次の朝に目をさました頃には、いーかげんなたかちゃんのこと、きれいさっぱり忘れてしまっていたんですけどね。







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