さんかいめ 〜 わしづかみの、けいこう 〜
はーい、ちかごろまたいちおくさんぜんまんへ近づいていきそうなけはいのうかがえる、でもやっぱしめさきのぜーたくしか頭にないのでさいしゅーてきにはめつぼうへのみちをだらだらとしかしちゃくじつにたどってゆくであろういちおくにせんまんの良い子のみなさん、こんにちはー。
さて本日は、陽光のぷーるさいどから、またしんきくせー教室に戻ってしまったことでもありますし、よいこの皆さんがこれからの長い人生を歩んでゆかれる上で、とーってもためになる、まじめなお話をいたしましょう。
本日のテーマ、それは――『人食い土人に食べられない方法』です。
ちなみに今回『土人』にピーがカブらないのは、けしてせんせいやお話作りのひとが、いっぱんじょうしきをついにかなぐりすてて居直った、そんなのではございませんよ、ねんのため。単に『土人』という単語が、元来純粋に『その土地の人』を表すだけの言葉である、そんな事実を知ったからですね。これは詭弁でもなんでもなく、現にほんの半世紀前の雑誌で、せんせいのふるさとに住んでいるひとびとが、『長万部の土人』と記されているのを発見しました。もちろんせんせいのおじーちゃんやおばーちゃんは、半裸の狩猟採集民族でも、首狩り族でもなんでもありません。まあ、軽い『田舎者』程度のニュアンスでしょうか。もっともこのペースで世間の近視眼化が進み『ド目ぴー』まで至ってしまうと、「まあ、軽い『田ピー者』程度のニュアンスでしょうか」といった音声加工が必要になるかもしれませんが。
あだしごとはさておき、本題に移りましょうね。
――『人食い土人に食べられない方法』。
ひとくいどじんにたべられないためには、おおきくわけて、よっつの方法があります。
ひとつめは、「食べられる前に食べてしまう」という、きわめて単純な方法です。いっけんもっとも合理的に見えるのか、精神年齢十四歳以下のよいこなどが発作的にとりがちな方法ですが、端からみるとあまりにも白痴的で嘲笑にすら値しないので、これを『ムシケラの共食い』とも呼びます。
ふたつめは、「すぐに食べてしまうより、まだとっといたほうが、なんかよさげ」と思わせる、そんな方法です。『懐柔法』とでも名付けましょうか。
そしてみっつめは、「こいつを食べようとすると、おいしさを凌ぐほどなんかひでー目に合いそう」と思わせる――『恫喝法』とも言えますね。
さらによっつめ、「なんだかよくわからないが、とにかくこいつだけは食ってはいけない」と、深層心理レベルまで刷り込む――これは最も難しい方法ですが、それだけ威力があり、狡猾に駆使すれば半永久的に効果を維持します。これを、『宗教的洗脳法』と呼びましょう。
それでは次に、これらよっつの方法を、実例に沿ってご説明――どなたですか、そこで早くも居眠りを始めていらっしゃる、夜ごとのホームレス狩りや掲示板アラシですさみきったお目々のよいこの方は。なになに? 日本には人食い人種なんていねーから、んな話聞いてもしょーがねえ?
うふ、うふふ、うふふふふふふ。
せんせいの教育にかける崇高なまでの情熱を、あまくみてはいけませんよ。
はい、それでは廊下で待機していた人食い土人の皆様方、おもいっきし元気に乱入して、そこの無頼きどりのうんこ野郎を取り囲み、槍の穂先でなんかいろいろアレして下さいね。あ、まだしんぞーをつきつらぬいてはいけませんよ。はい、つんつんつん、と。
さてそのように、己の生命が、実際に風前の灯となった時、あなたはどんな方法で、その窮地から逃れますか?
ほうほう、この期に及んで、まだそんななんの知性も伴わないドロリ目と銃刀法にも触れないような姑息なナイフで、無駄な威嚇に走りますか。のどかな南の島の土人さんたちも、ちょっと殺気立ってしまったようですよ。
はいそれでは、ほかのよいこのみなさん、これから盛大な血液と体液が教室中に飛び散りますので、これこのように、傘や雨合羽を――
ぶしゅうううううう。
…………遅かったようですね。
ばり、ばりばり。
ぼきぼきぼきぼき。
むしゃ、むしゃ、むしゃ。
……はい、これこのように、せんせいのはなしをよく聞いていなかったがため、ひとりのよいこがあっというまに、土人さんたちの貴重な動物性蛋白源と化してしまいました。このよいこは、もっとも頭の悪い方法である『ムシケラの共食い』路線、そっちに走ろうとしてしまったわけですね。むなしく床に転がった、こんなに濁ったふたつの眼球でも、事前に土人さんたちの気配を充分窺ってさえいれば、現段階で殺意というほどの敵愾心はない、そう察知できたはずです。
たとえ人食い土人さんとはいえ、そこはそれ西洋文化流入以前の汚れなき精神風土のもとに育っておりますから、文明人と違って、『我欲のために他人を殺す』『なんかムカつくからシメる』といった概念は、皆無に等しい方々です。単に『人を食ってはいけない』という後得的禁忌を持たないだけで、死んでしまった人はきちんとおいしくいただきますが、その肉を食うために人を殺す例は、ほとんどありません。他部族との闘争すら多く代表戦で済ませてしまうほど合理的な彼らですから、部族内での殺人行為の理由も、ほとんど「精神的に傷つけられたから」なのです。そしてその場合、殺した側は罪になりません。シマツしたソレを、みんなといっしょに食べさせてもらえます。他人の心を平気で傷つけるような奴は殺されて当然、そんな合理的社会なのですね。その意味では、いわゆる文明国家――際限のない我欲や思い上がりを民主主義とやらでせっせこせっせこ糊塗しつつ、千年一日のごとく『ムシケラの共食い』を続ける文明社会のほうが、不合理のカタマリと言えるでしょう。
しかしまあ、わたくしもみなさんも、悲しいかなそんな不合理のカタマリの中を泳いで行かねばならない、いわゆる文明人です。たまたま人食い土人さんしか住んでいない南海の孤島に漂着してしまっても、やはり文明人として、きっちり生を全うしなければいけません。
それでは、こんかいお呼びしたゲストの方々も満腹されたようですので、引き続きご協力を仰ぎつつ、そのほかの路線について、ご説明して行きましょうね。
ふたつめの『懐柔法』――これは、手持ちの文明的アイテムがあれば、どなたにでも手軽に行える方法です。昔からエンターティメント系の南海冒険物でおなじみの、飴玉、煙草、ビー玉等光り物、アルコール飲料、小型ラジオ、そんな物品を小出しに与えて行けば、土人さんたちはなんの敵意も表しませんし、むしろ歓待してくれます。
前回南海の孤島に漂着したせんせい夫婦も、当然この方法で土人さんたちに対処しようと思いつつ、ヨットのセールを操っていたのですが――残念ながら、それはかないませんでした。なんとなれば、ああ、その孤島は、かの死の海と恐れられるコンパス島近海に位置しており、ウルトラQ出身の大ダコ怪獣スダール、そのイトコだかハトコだかが、にょろにょろと巣くっていたのです。
豪華ヨットはたちまちのうちに大洋の藻屑と消え、悲運な若夫婦はスダールのイトコだかハトコだかの触手に巻きつかれ、それでもお互いの握り合った手だけは絶対に離しません。それはあくまで愛のなせる技であって、夫の生命保険の受け取り人がまだ義母になっていることなどは些末事ですし、また新妻のア●ルをまだ許してもらっていない夫の肉欲的未練などもなんら無関係ですので、もーきれいさっぱり想像しないでくださいね。
そうして命からがら大蛸の触手を逃れ、絶海の孤島の浜辺に泳ぎ着いた時、悲劇の若夫婦は、もはや着の身着のままのありさまでした。
さてそれでは、すべての文明的アイテムを失ってしまったわたくしたちが、どうやって『懐柔法』を駆使したのか――。
はい、よいこのみなさんのために、ここでその実技を再現いたしましょう。
はいはい、満腹すると怠惰に寝ころんでばかりの善良な土人のみなさん、こちらにお集まりになって下さいね。あらあら、そんなよいこのホネなどしゃぶらなくても、あとでおいしいものをおなかいっぱい、お礼に奢ってさしあげますからね。いえいえ、そこでぐったりと机につっぷしているよいこは、さきほど皆さんのお食事風景を見ているうちに、ちょっとグアイを悪くしてしまっただけです。まだしかばねにはなっておりませんので、囓ってはいけません。いけません。そんなナマのお子さんよりも、松屋のぶためしの大盛りのほうが、ずうっと美味しいのですよ。
はい、それではよいこのみなさん、よっくと、ごらんになってくださいね。
たとえ身ひとつの非力な若妻に、ずらりと並んだ土人さんが槍を持って迫って来ても、けしてあわててはいけません。これこのように、にっこしと微笑みながら、ブラウスのボタンを――ちょん、ちょん、ちょん。これこのように、上から二.三個、これ見よがしに、かつ思わせぶりに外してみせて――
ちら、ちらちら。
ちら?
うっふん。
――ほれこのとーり! すべての土人さんたちのお目々は、「すぐに食べてしまうより、まだとっといたほうが、なんかよさげかもしんない」と、もう激しく語っているではありませんか!
……ただし、男のよいこの方の場合、ちらちらさせる部分のモンダイで、相手方の趣味によっては問答無用で撲殺されたり、必要以上に愛されてホられたり、なんかいろいろ悲惨な展開となりかねませんので、次の『恫喝法』を採用したほうが、賢明かもしれません。
では、みっつめの『恫喝法』――この方法は、同じ言語圏の人食い土人の方がお相手ならば、最初の『ムシケラの共食い』同様、あんがいバカでもチョンでも可能です。
たとえばそこのよいこのかた――そうそう、頭髪と脳味噌がいっしょに縮れてしまったようなパンチパーマのあなた。あなたのばあいですと、「オイコラにーちゃんちょっと顔貸せやぁ」「おんどりゃワシを誰だと思って物ゆーとるねん」「コンクリ履かして南港に沈めたろかぁ」「ウチの若いのが挨拶に行くゆうとるでぇ」といった恥知らずな胴間声を人前で発するほど知性を放棄できれば、さほど難しくありません。
そして、そこのあなた――そちらでなんか賞味期限を三年過ぎた海苔のようにしけっていらっしゃる、ひとりぼっちのよいこの方。あなたのように陰に籠もるタイプのよいこの場合でも、けしてあきらめてはいけません。そのキショク悪い資質を、むしろぽじてぃぶに活用すればいいのです。「食べるのちょっと待ってくださいね。今、電波様の指令を受信しているので」「あなたの肩ごしにこちらを覗いている、その腐爛した女の人はお知り合いですか?」「私を食べようとしているのは、実はあなた本人の意思ではない。ガダルカナルで餓死したご親戚の因縁霊が憑依しているのです」、そーいった陰性の恫喝を行っても、言霊さえしっかり伴っていれば、不思議なほど効果があります。またお相手が人食い土人さんではなく、もっと頭の悪いイジメ同級生や腐った教師やアブラぎった上司など場合、直接の恫喝は逆ギレを誘発する恐れがありますので、『憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い』、『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね』などとびっしり書き込んだノートをさりげなく廊下に落としておく、そんな手段も考えられますね。この場合、けしてノートにお名前や指紋を残しておいてはいけませんが、といって所有者がまったく不明だと恫喝になりませんので、いかにもあなたの使いそうな、陰気でこんじょー悪げなデザインのノートを使用するのが肝要です。
しかし、相手が異なる言語圏の人食い土人さんだった場合、ちょいと厄介です。とうぜん言葉や文字による恫喝は通用しません。その場合は、『クロスオーバー恫喝』――前段階の『懐柔法』や、もう一段階高度な『宗教的洗脳法』の要素も若干取り入れた恫喝が、必要になります。
たとえば南海の孤島に漂着した悲劇の若夫婦の場合、賢い新妻は『懐柔法』によって見事発展的融和を果たしたわけですが、新夫のほうは残念ながら、土人さんたちにとってなんの存在意義もありません。意思の疎通が不可能なだけでなく、過酷な自然環境に生きる部族にとっては、ぶよんとしてしまりのないなまっちろい非力な男など、そもそも男の資格がないわけです。まあ文明国家のように民主的にこそこそイジメたり、居直って快楽殺人の餌食にしたりはしませんが、「こいつはエサ抜きで、早めに食肉化してもらったほうがいいよなあ」、そんな視線が見え見えです。
しかし、さすがにわたくしの選んだとんでもねーセレブ夫のこと、そんな屈辱的待遇に甘んじるようなタマではございません。たとえ一族以外のすべての人間が飢えに苦しもうと、身内だけは美味飽食にふけり丸々と肥え太っていなければならない、そんな北の首領様に匹敵する信念をお持ちのお方です。妻のちらちらを餌に、土人さんから槍を借り受け、大ダコ怪獣の潜む岩場に身を躍らせます。そう、自分たちだけぜーたくできる社会を築くためなら、他人の命のみならず自分の命さえ惜しくない、そんな偉大な革命精神の♪ぴー♪なのです。
迫りくる大ダコの触手!
巨大な吸盤に吸い付かれたぶよんとしてしまりのない肌は、たちまちのうちに内出血で紫色に腫れ上がり、やがて海水を血に染めます。それでも根っからの♪ぴー♪のこと、骨のへし折れそうな触手攻撃に、自爆テロもかくやと思われる無謀さで槍を振りかざします。そう、チョンガー時代は全世界のシリコンドールや等身大フィギュアをあますところなく収集し、日夜アニキャラ着せ替えに没頭していたようなお方のこと、その粘着性気質においては、大ダコの粘っこさなど敵ではありません。ブッシュ大統領やウサーマ・ビン=ムハンマド・ビン=アワド・ビン=ラーディンにも匹敵するどーしよーもない粘着性気質の持ち主なのです。ちなみにビン=ラーディン師はどーやら沖之司某と同い年らしいとのこと、いったいいつになったらかわゆいたかちゃんたちのおはなしの続きが打てるのだろうと己のキータッチのゆくえに疑問を抱きつつ、それでもだらだらとマクラを打たずにおれない粘着性気質のさくしゃもまた、ありもしねー正義やいもしねー神様のために日々共食いを煽る♪ぴー♪たちと、同程度の♪ぴー♪なのかもしれません。
ゴジラ対エビラのごとき壮絶な南海の大決闘、無慮数十分――。
やがて浜辺に生還した夫が誇らかに振りかざしたぶよんとしてしまりのない腕の先には、しっかりと防水仕様のライフル・ケースが輝いておりました。そう、海底のヨットの残骸から持ち出した、狩猟用ライフルです。
ここまでご説明すれば、『クロスオーバー恫喝』のいみは、もうお解りですね。
そう、そして天空に響き渡る一発の銃声、魔法のように落下する一羽の海鳥――こうした手法が、『恫喝法』をメインに『懐柔法』『宗教的洗脳法』の要素もある程度取りこんだ、『クロスオーバー恫喝法』です。
さて、こうして南の島に仮の宿りを得た美しい若夫婦は、人食い土人さんたちに食べられることもなく、平和的にライフルでつっついて文明的にアゴでコキつかいながら、つかのまの平穏を満喫しておりました。
しかし! いっけん平穏に見えた南海の生活にも、やがて新たな波乱の影が――いでででででで!
「ど、どなたですか? いきなしはいごからせんせいのかみのけをわしづかむ、わるいよいこのひとは!」
「どんぱ」
「あ、あらまあ、いけませんたかちゃん。あなたはあくまでおはなしのなかのよいこであって、なんぼ出番待ちが退屈だといっても、こっちの教室にまぎれこんではいけません」
「むー」
「しかしまー、どっからまぎれこんできたものやら」
「そこんとこ」
「は?」
「つくえのした」
「うっす」
「ひええええ、くにこちゃんまで。いけませんいけません。せんせいのおまたのあいだから、そのように顔をだしてはいけません!」
「いやあ、たいくつなんで、またおとしあなほってたら、ここにでてしまったのだ」
「と、ゆーことは、もしかして――――はい、ゆうこちゃん、あわててあたまをひっこめても、くるくるまきげがまるみえですよ」
「……ぽ」
はい、こーなった以上、人食い土人に食べられない方法のよんばんめ、もっとも高度な『宗教的洗脳法』は、次回へのひっぱりにするしかございませんねえ。
それではみなさまお待ちかね、よいこのお話ルーム『たかちゃんのわしづかみ』――土人さんたちの素朴な笑顔に見守られつつ、みたびなしくずしに、つづきのはじまりでーす。
「どじんさん? どんぱぱぱー!」
「DONPAPA? MUNBERAMUNBE! DONPAPAPAHAA!」
「おう、つーじた」
「……はよ、あっちもどれって」
「こくこく」
★ ★
そーしておねいさんのおしりをわしづかみながらも、「きゅう」とへばってしまったたかちゃんでしたが、それはあくまでがんめんからじめんをちょくげきする恐怖による仮死状態、小動物に例えればいわゆる狸寝入り状態ですので、
「おーい」
「ぺしぺし」
「眠ると死ぬぞー」
「……きゅう」
「生きてる生きてる」
きゅーしょくのおねいさんのほかにも、四人ばかりのおねいさんたちがいっしょになって、公園のベンチにかつぎこみます。みなさん真新しい竹刀袋を肩にしているのを見ると、剣道部の新入生なかまでしょうか。
「なんやかわいーやん、これ。パワパフっつーより、ぺこちゃん?」
「ほっぺつんつん、なんちゃって」
「……むにゅ」
「きゃー、これ、ほしい」
「ハンカチお水で濡らしてこようか?」
あやしげな上方訛りのふっくらおねいさん、凸凹コンビっぽいふたりぐみ、おとなしそうな眼鏡のほっそりおねいさん――新顔さんたちのきゃぴきゃぴ具合は様々ですが、どうやらみなさん、気のいい花の乙女さんたちみたいです。
「うーんと、この子はねえ、お水よか――」
もときゅーしょくのおねいさんは、たかちゃんとはながいおつきあいなので、その蘇生によさげな対処もわかります。きょろきょろと、公園の外の鄙びた商店街を見渡して、
「あ。あれが効きそう」
「あれって、あすこの、ソフトクリーム?」
「うん。ほんとは不二家の苺ミルフィーユの匂いかがせると、一発で起きるはずなんだけど、それがなきゃ、なんかバニラ関係」
「よー知っとるねえ。さすがは血を分けたお母はん」
「えっ、いつ産んだ、トシコ」
「産んでないよう」
もときゅーしょくのおねいさんのお名前は、トシコさんだったのですね。
「でも、まだおかんのおいどに戻りたがっとるで。ほらほら。ちんまいお手々でぷるぷると、おいどをもとめて」
「ミハル、あんたすぐそーゆーこと言うからキライ」
「セクハラおやぢかあんたは」
「西へ帰れ」
「そりゃイジメやど」
「箱根の東に阪神ファン住まわす土地はない」
「わはははは。それではボクがおいしいソフトを買ってきてあげようねお嬢さん。――逃がさんとけよ?」
ミハルさんとゆーおねいさんは、どうやら吉本系のボケ型みたいです。
そんなふうにして、おねいさんたちがよってたかってきゃぴきゃぴお世話してあげますと、たかちゃんはトシコさんの腕の中で、ぶじにいきをふきかえしました。
「……どぱよー」
お目々をぽしょぽしょしながら、とりあえず、ごあいさつします。
「はい、どぱよーさん」
やさしく返すトシコさんに、ミハルさんがおたずねします。
「そりゃ何語や」
「どどんぱ語」
「なんやそりゃ」
「なんだかよくわかんないんだけどね、起きたときは、どぱよーなの」
「どぱよー……おはよー、どぱよー……簡単そうやん」
ミハルさんは、気付け薬に与えたソフトクリームをありがたくいただいているたかちゃんに、
「なあなあ、お昼だったら、どんぴぴぱ?」
たかちゃんはふるふるとかぶりをふります。
「どんぱぱぱ」
「夜は?」
「どんぱんぱ」
つまり、『ど』『ん』『ぱ』のみの配列ですべてを表現するとゆー、きわめて難解かつ剽軽《ひょーきん》な言語のようです。
これはいじりがいのある幼児――ほかのおねいさんたちも、たちまちのうちにたかちゃんの天然攻撃に屈し、さらにきゃぴきゃぴとちょっかいを出します。
「えーと、そのソフトは、トシコお母はんではなく、ワイ――美晴おねーさんが、さしあげました」
あるいみ、りっぱにかばうまさんの代わりを確保できたわけですね。
「ありがとー」
ぺろぺろ。
「おう、トシコ母はん、ようシツケとるねえ」
「産んでないってば。前の小学校の子だよう」
こくこく。
「きゅーしょくのおねーさん」
ぺろぺろ。
凸凹コンビのおねいさんたちは、同じ小学校出身だったらしく、なにか思い出したようにうなずき合っております。
「そうか、たかちゃんだあ。一年四組名物の」
ふるふる。
「にねんよんくみ、かたぎりたかこ」
ぺろぺろ。
「きゃはははは。ほんとにペコちゃんほっぺたなんだねえ」
「ぶー。ぺこちゃん、ちがう。はいぱーぶろっさむ」
「きゃはははは。ふくれたふくれた」
トシコおねいさんも、久々にたかちゃんのほっぺたふくらましを目にして、懐かしげにほほえみます。
「……たかちゃん、元気にしてた?」
なでなで。
「あーい」
たかちゃんも、あこがれのおとなのおんなたちにおもちゃにされる微妙な悦楽を、ひさびさに満喫しております。
コーンのしっぽまでしゃりしゃりとおいしくいただいたのち、
「ごちそーさまーでございました」
おとなのおんなモードで、しっかり『お手々の皺と皺を合わせて、しあわせ、なーむー』します。
「きゃはははははは」
「お母はんも、しっかりしとるからねえ」
「産んでないってば」
「でもほら、まだ、下《しも》半身にしゅーちゃくしとるやん」
「うん?」
ミハルさんの指摘に、トシコさんがみおろしますと、たしかにたかちゃんの視線は、トシコさんのおしり近辺に向けられているようです。
「……どしたの?」
たかちゃんはにっこし笑って、
「あったかい」
なんだかお手々をわきわきさせながら、感触の余韻にひたっているようです。
「やわらかい」
ふんふんと、お腰のあたりになついたりもします。
「いい、おしり」
さきほどの精神的ショックで、なにかアブナイ方向に目覚めてしまったのでしょうか。
トシコさんは、こんわくします。
ミハルさんも目を丸くして、
「げ、マジ、ペコちゃんもセクハラおやぢ?」
ほかのおねいさんたちもきょとんとしておりますと、
「なんか、わかる……かな」
眼鏡のおねいさんが、ぽつりとつぶやきました。
今までほとんどお口を開かず、ただ笑っているだけだった、おとなしそうなおねいさんです。
たかちゃんのおつむをぽんぽんしながら、怪訝そうなお仲間に、
「この子、五月病かも」
ほかのおねいさんたちは、くびをひねります。
たかちゃんも、いっしょになって、くびをひねります。
ごがつびょー。なんだかてれびのうんちくばんぐみで、そんな病気のおはなしを、きいたおぼえがあります。このところじぶんでもかんじていた、せーしんてきなふあんてい感は、なにかのおびょーきだったのでしょうか。だったらたいへんです。ママやせんせいに知られたら、びょーいんに拉致され、ちゅーしゃされてしまいます。
「……ちゅーしゃ、やだ」
おねいさんは、眼鏡の奥の細っこいお目々をもっと細っこくして、
「あはは、ごめんごめん。だいじょぶよ」
こんどは、やさしくなでなでしてくれます。
「でもこの子、もう一年生じゃないよ。あれって、新入生とか新入社員の人とかの病気でしょ。なるんだったら、あたしたち、みたいな」
そうトシコおねいさんがおたずねしますと、
「うん、だから、ちょっと違うかもしれないけど――小学校と中学校って、なんか、入る時の気合いが違うじゃない。あたしなんか気が小さいから、今年はもう、ついこないだまで、びくびくびくびくしてた。中学入ってきちんとやってけるかとか、インキくさいからイジメられないか、とか」
「へー」
ミハルさんは不思議そうです。
「ちーちゃん、んな子に見えんけどなあ。どっちかっつーと、試験前にはよろしくおねげーしますだお代官様あ、って感じ?」
トシコさんもほかのお仲間も、こくこくとうなずいております。
「まあそっちも、がんばるけどね。――で、とりあえずそれはこっちにおいといて、ほら、みんな、覚えてない? 小学校で、二年生になった時」
「ワイは過去にこだわらん女やねん」
ミハルさんは、反射的にボケます。
ほかのふたりは、すかさずツッコみます。
「一歩歩くともう忘れる」
「そーゆーの、鳥頭、ってゆーんだよ」
ミハルさんは、きっちりボケを重ねます。
「おう、カシワで上等や。鍋にしたらうまい」
ついつい漫才――もといトリオ芸に流れそうになる他の三人を、トシコさんが、ちょとまて、と制します。
「あたしも、よく覚えてないんだけど」
眼鏡のおねいさんは、ちょっと考えこんで、
「うーん、あたしだけかなあ。今年はともかく、昔、小学校に入った時は、もうホントぴかぴかの一年生って感じで、すっごく張り切ってたのね。まだイキオイもあったから、一年間ずうっと、一生懸命ぴかぴかしてたし」
「ふんふん」
「でもね、そうして二年生になったら、なんか、急に、気が抜けちゃったのね。なんだかほら、まわりの空気が、みーんな新しい一年生のほうに行っちゃって、あんまりかまわれなくなったみたいで、いっくらぴかぴかしてても、おーいこっちも見てくれよう、みたいな」
凸型おねいさんが、なーる、とうなずきます。
「なるほど、あれだね。いやいや、あたしゃいっつもずるずるなんとなく上がってるけど、ガッコじゃなくて、もっと昔。弟。弟ができたとき、そんな感じだった」
ちーちゃんさんも、うれしそうにうなずきます。
「そうそう、たぶんそんな感じ。なんか寂しいの。でね、家に帰ると、赤ん坊みたいにお母さんにべたべたさわりまくってね、あんた二年生じゃなくって幼稚園にもどったの、なんて、お母さんに笑われたりして」
「うん、わかるわかる。あたしも弟かまってるママのおしりに、ほっぺたすりすりして、あんたじゃまよ、ぼん、なんてね」
たかちゃん本人は、そんな会話を聞いていても、なんだかよくわかりません。とりあえずあっちこっちのおねいさんをきょろきょろしながら、お手々をわきわきし続けております。
「――おお、なんかこれ、まんまやん」
たかちゃんのわきわきに、おねいさんたちの視線が注がれます。
「と、ゆーわけで、トシコお母はん」
ミハルさんが、なんだかわるだくみを思いついた時のくにこちゃんのように、にまあ、とじゃあくなほほえみをうかべます。
「愛に飢えてるペコちゃんに、思う存分、おサワリさしてあげなはれ」
「えー?」
「ペコちゃん、ちがうよ。たかちゃん」
「はいはい。たかちゃん、さあ行け!」
まあ、さすがのたかちゃんも、ミハルさんにさあ行けと言われてトシコさんにはーいと行くほど、むせっそーなお子さんではありません。こいずみさんのイラク派兵とはちがいます。お手々わきわきは、あくまで無意識の願望の発露であって、いちおうトシコさんご本人にも、お目々でおうかがいをたてます。
「…………」
たかちゃんの、あくまでいってんのくもりもないわくわく視線こうげきに、
「…………」
トシコさんの母性本能は、ついに羞恥心をしのぎます。
おずおずとたかちゃんにおしりをむけ、
「……はい」
わしっ。
おねいさんたちが固唾を飲んで見守る中、たかちゃんは目を閉じて、お手々をむにゅむにゅしながら、
「じーん」
感極まって、うなだれております。
さすがにトシコさんはまっかっかになって、
「えーと……そろそろ……」
没我状態のたかちゃんの代わりに、ミハルさんがお答えします。
「えーやん、へるもんやなし」
ますます、くにこちゃんに似ておりますね。
「どないや、たかちゃん、グアイは?」
「……すっごく、いー」
たしかにトシコさんのおしりは、今どきの娘さんとしては稀に見る堅実な精神とは別状、戦後二世代に渡る欧米型食生活が実を結び、ひとむかし前の中学一年生などとはモノの違う、年齢詐称風俗営業可能なほどの発育をとげております。
「なんや、くやしいなあ」
ミハルさんが、ちょっとお顔をしかめます。
「たかちゃんや、こっちもためしてみいひん?」
くいくい。
ミハルさんも、おのれの上方性人格には人知れずちょっぴり複雑な自省があったりするのかもしれませんが、ひっぷらいんに関しては、あくまでおんなとしての自負を抱いているようです。
たかちゃんはシヤワセのれんぞくにどきどきしながら、ミハルさんのおしり――トシコさんよりちょっとウエストごと太めなぶん、なお豊饒なそのおしりを――わしっ。
「……どないや」
「じーん」
「……ぷるぷるしてるよ、この子」
「ふっふっふ、勝ったぜ、東京のおじゃうさん」
トシコさんのこころに、むらむらとしっとの炎が燃え上がります。上方にもミハルさんのおしりにも恨みはありませんが、もともとたかちゃんは、トシコさんを慕ってわしづかんできたお子様ですものね。
「……たーかちゃん、おいでー」
清楚な制服の胸の奥に隠された、噂のFカップチャイドルもかくやと思われるふくらみを誇示するように、たかちゃんの気を惹きます。
うりうり。
たかちゃんは、ふらふらとお手々を移ろわせます。
わしっ。
「……いい、ちち」
トシコさんは、よゆーでミハルさんを見返します。ふっふっふ。
ミハルさんは、がっくしと肩を落とします。
「あかん、ちちでは、トシコに負ける」
「なんのなんの」
凸型おねいさんが、果敢に参戦します。
「上には上があるのだよ」
いつしか公園のベンチ近辺は、たかちゃんを徳川将軍と仮想した、大奥のおんなたちのあいとにくしみのるつぼと化します。まあ、きほんてきに剣道部に入ってしまうようなおねいさんたちばかりですから、『大奥』というよりは、『新喜劇・女巌流島 〜きゃぴきゃぴ編〜』〈特別ゲスト かしまし娘・海原千里万里・その他爆笑オールスター総出演!〉、そんなあんばいでしょうか。公園の爺婆やお母さん方も、そんなほほえましい一群を、ほのぼのと笑いながら瞥見しております。ただし道行く男子中学生の群れなどは、ああ、オイラたちもちっこいガキに戻れればあんなこともそんなことも合法的に許されるんだよなあ、と、やくたいもない幼時回帰願望に浸りつつ、虚しく垂涎しているようです。
そしてたかちゃんは、おねいさんたちのやーらかいあったかいぬくもりを、ここをせんどとわしづかみまくりつつ、ああ、己の喜びが他者の喜びとダイレクトに重なるとゆー状況はすでに涅槃なのではないか、などと思っているはずはありませんが、とにかくとってもシヤワセです。
――わーい。みんな、よろこんでる、よろこんでる。
★ ★
さて、ひとしきりおねいさんたちにもてあそばれあるいはもてあそんだのち、
「このまんま別れてしまうのはあまりにもったいない」
というおねいさんたちの総意によって、たかちゃんはよってたかって――もとい、よられたかられつつ、おうちまで送られて行きます。
「いやー、こん子はなんや、テクニシャンやねえ」
「だからそーゆー言い方やめなってば」
「でもさあ、なんつーか、わきわきに、えーと、『愛』があるって感じ」
「うんうん、それ、言えてる」
「赤んぼとも、ちょっとちがうよね。全然うざったくないし」
「なんや、ごっつー、ナゴむんよ」
既得権でたかちゃんとお手々をつないでいるトシコさんは、そんなお仲間の会話に、重々うなずけるものがあります。思えば小学校生活最後の一年、たかちゃんとなんかいろいろやってる間には、まあなんだかよくわからないとんでもねーことも多々あったわけですが、不思議に一度も『違和感』を感じたことがありません。
たとえば現在も、たかちゃんは時々自分を見上げて「えへへへへー」などと笑顔を浮かべつつ、ふと気づくといつのまにか手を離れて、道端の蟻の行列について行っていたりします。蟻さんの後を追いかけて、そのまんま蟻の穴に入って行こうとしたりもします。普通のお子さんなら、蟻の穴に潜り込むのは、サイズの関係で、どーしても不可能です。しかしどうもたかちゃんといっしょだと、たかちゃんのみならず、いっしょにいる自分まで『大きい人間のままで』『蟻の世界に潜り込んでも』ぜんぜんおかしくない、そんな不思議な感覚があります。
自分もたかちゃんと同じクラスのくにこちゃんやゆうこちゃんだったら、幼児の感性として普通なのかもしれませんが、トシコさんはもう十三歳、今どきの女子中学生として立派な第二次性徴を迎えておりますし、初々しい思春期の感性なりに、現実の醜さや理不尽さにもある程度妥協を重ねながら、なんとか女子中学生をこなしているのが現状です。夢想としてのメルヘンに、あくまでメルヘンとして浸ることはできるが、もう鵜呑みにはできない――そんなお年頃なのです。
でもたかちゃんといっしょにいると、何が現実で何が夢なのか、そんな境界が、実はもともとこの世にありはしないのではないか、そんな気がします。愛とか憎しみとか、そんな境界も実はもともとこの世にはないもので、『在るべきもの』と『在るべきでないもの』の差異もなく、ただ無数の『在る』と『在る』が、無限に拮抗しながらその無限の果ての『融和』を目指してくるくると流れており、自分もまたただその流れに流されながら、『融和』を模索するだけでちっとも理想になど近づけず、いつも思い悩みながら流れあぐねるばっかりで、それでもたかちゃんといっしょに手をつないだりわしづかみあったりしていると、『いっしょに、いようね』、そんな温もりが、ただそれだけで果てしなき流れの果てに向かって自分を流してくれている――もちろんトシコさん自身がそうした思考をしっかりと頭の中で紡いでいるわけではないのですが、ニュアンスとしてそんな感じなものですから、トシコさんは思います。――ああもう、なにがなんだかわかんない。でも、ま、いーか。
ついつい物思いにふけっていたトシコさんの腕を、
「ねえねえ、トシコ」
お胸自慢の凸型おねいさんが引っぱります。
「あの子、今、あすこでカラスとジャンケンしてなかった?」
マジに己の目を疑っているお顔です。
その指差す方をトシコさんも窺いますと、いつのまにかまた手を離れたたかちゃんが、道端のごみ収集スペースで、どこかの馬鹿が違う日に放置した生ゴミ袋を漁るカラスと、なにやら睨み合っております。
「わはははは、リカが狂った」
ミハルさんが、笑いながら口をはさみます。
お胸自慢のリカさんは、とっても悩ましげに、
「……うーん、そーだよねー。でもね、ホント、そう見えたんだよ。あの子がカラスをわしづかもうとしてね、カラスがいやがってよけてね、そんであの子がジャンケン構えて、そしたらカラスもジャンケン構えて、いーちにーのさんっ。……で、あの子がグーで、カラスもグーで、おあいこ」
「疲れてんねん。あんた毎日朝練なんて出とるから。てきとーサボればいーやん」
「……そーする」
それで決着したようなので、あえて余分なコメントは避ける、かしこいトシコおねいさんでした。
★ ★
「へえ、なかなかいー家に住んでんねえ」
ミハルさんが感心したのも無理はなく、ようやく再建できたたかちゃんのおうちは、冬に崩壊してしまったおうちよりも、さらに立派なおうちです。いちばんはじめのおうちを下の中とすれば、まずまず中の上と言っていいでしょう。もちろん、いまだにおたくのケを残すパパの甲斐性ではなく、すばらしいママによるほけんのみずまし請求の賜物《たまもの》です。
「ほんじゃ、たかちゃん、またオサワリしてなー」
「あーい」
「だからアンタそーゆー言い方やめなってば」
「またね、たかちゃん」
「あい!」
「さよなら」
「どぱんぱ!」
「……わからん」
最後まできゃぴきゃぴと別れを惜しんでおりますと、にこにこ手を振るたかちゃんの前に、ふと、ミハルさんがしゃがみこんで、
「むに〜」
たかちゃんのほっぺを、わしづかみます。
「おお、のびるのびる」
「ひうううう。なにほふる」
「おかえしやん。ちちとしりの、おかえし」
うーむ、たしかにあんだけわしづかんどいて、こんくらいのおかえしは、しかたないかもしんない――たかちゃんもなっとくし、おとなしくほっぺをひきのばされます。
「うひゃー、キショクいい。むにむに」
「うぃー」
ほかのお仲間も、物欲しそうにしゃがみこみます。
「そんなにいい?」
「おう、オサワラレのひゃくまん倍キショクえーわ」
「どれどれ」
「むに〜」
しまいにゃトシコさんまでいっしょになって、たかちゃんのほっぺのあまりのキショクよさに、夢中でひきのばしてしまいます。でもなぜか、眼鏡のおねいさんだけは、にこにこ見守るばかりです。
「あれ、ちーちゃんはいいのん?」
「あたし、オサワラレ、してないもん」
「そーだっけ?」
「だってほら、あたし、みんなと違って、ほら」
なるほど、確かにちーちゃんおねいさんは、背丈の割には、お肉がとっても少ないタイプです。今どきの十三歳だと、たとえば凹型おねいさんのようにちっこいタイプでも、お胸やおしりにはそこそこおんなのけはいなどただよっているものですが、ちーちゃんさんは、どうやら昭和レトロたいぷの中一さんなのですね。
「たかちゃんも、つまんないよねー、こんな、おほねばっかしじゃ」
ちーちゃんさんは、そう言いながらしゃがんで、たかちゃんのひっぱりぐせのついたほっぺを、うにうにと整えてくれます。その優しい笑顔がちょっぴり寂しげなのは、常々「女は顔やカラダじゃない」などと勉学・運動にツッパッている『いいんちょタイプ』のちーちゃんさんでも、やっぱり内心なんかいろいろ、アレなのかもしれません。
しかしたかちゃんは、いま、すべてのおねいさんを、あますところなくわしづかみたいタイプのお子さんになっております。
ととととととちーちゃんおねいさんのはいごにまわり、
「わしっ」
おしり、わきわき走査。
「…………」
とまどっているちーちゃんさんの代わりに、ミハルさんがおたずねします。
「……どないや?」
たかちゃんは、陶然とお答えします。
「……さいこー」
「え?」
ちーちゃんさん本人をふくめて、みんなで小首をかしげておりますと、
「むにっ」
たかちゃん、続いて、おちち走査。
「もみもみもみ」
「……ないやろ?」
「ふるふる。――あかんぼ、よにんぶん、よやく」
うっとりと、しかしおごそかにだんげんするたかちゃんに、
「……ほう」
ミハルさんもマジ顔でつぶやきます。
ちーちゃんさんが、なんかうれしそーなかなしそーな不思議なお顔になって、たかちゃんをかかえこみ、おもいっきしだきしめます。
「ぎ、ぎぶ、ぎぶ」
窒息死の危機を感じて、たかちゃんがぎぶあっぷしますと、
「……おかえし」
ちーちゃんさんは、たかちゃんのほっぺを、そっとひきのばします。
こんどはぜんぜんいたくないので、ほっとしてみをまかせる、いえ、ほっぺをまかせるたかちゃんです。
「うぃ〜」
――なんだかよくわからないものの、とにかくよかったよかった、そうしみじみうなずきながら、ふたりをみまもるトシコさんやミハルさんや、とうとう今回いちぶお名前が出ませんでしたがセリフはどっかにあったし、そのうちきちんとお名前が出る予定なのでとくにもんだいはないと思われる、なかよしおねいさんたちでした。
★ よんかいめに、すすむ
★ にかいめに、もどる
★ もくじに、もどる
|
|