たかちゃんとさんた








     
【2】 悩めるサンタ


「ほう、嬢ちゃん、わしの名、知っとるんか」
 赤鼻のトナカイは、草食獣らしからぬ三白眼を、わずかに緩めた。
「あんたとこに、ブツ回した覚えはないがのう」
 そのブツとは、やはりクリスマス・プレゼントなのだろうか。あるいはハジキ、それともシャブやコカインか。
 ほっとくとそのトナカイの背中によじ登って行きかねないたかちゃんを、俺はあわてて抱えこんだ。
「ねえねえ、るどるふさん」
 たかちゃんはラスカルのポシェットから、プリキュアの手帳とキティちゃんのラメペンを引っぱり出した。
「さいんさいん」
 トナカイの前脚が、眼前に突き出された。
 ふさふさした毛の先に覗くトナカイの蹄《ひづめ》というやつは、雪上を走るため、とてもでかい。いきなり黒い鈍器を突きつけられたように感じ、俺はとっさに力いっぱい睨みつけてしまった。前にも言ったが、俺は相手が恐ければ恐いほど、反撥して無謀に対処し結局墓穴を掘ってしまう、難儀な性格なのである。
「クロト相手に、そないなガン飛ばすなや。命落とすで」
 赤鼻のトナカイは、物騒な科白とはうらはらに、あんがい柔和に目を細めていた。
「あんた、そん子のおやじさんか?」
「……いいや。友人兼、保護者だ」
 俺が警戒をゆるめず首を振ると、腕のたかちゃんが、脳天気に説明してくれた。
「これ、かばうまさん。こわくないよ。おやつ、くれるよ」
 赤鼻のトナカイは、怪訝そうに俺の体を上から下まで検分してから、おもむろにうなずいた。
「なんや、人にしちゃあ妙にむくんどる思うたら、やっぱりケモノかいな。まあ、なんでもええ。河馬でも馬でもわしら同様、蹄仲間じゃ。いらん喧嘩はやめとこ。――ほれ嬢ちゃん、貸しいな」
「わくわく」
 トナカイは蹄の間に器用にサインペンを挟み、いかにも外人の書きそうな片仮名で、『ル』『ド』『ル』『フ』、とサインする。
「んーと、ここんとこに、たかちゃんへ、って」
「おうよ」
「ありがとー!」
 ルドルフはふっと前髪を掻き上げ、気取った微笑を浮かべた。
「……有名なんも、善し悪しや。どこに下りてもサイン攻めじゃ」
 案外お調子者らしい。
 ここは場が治まっているうちに撤退を――俺はろりたちを連れて退こうとしたが、
「まて、るどるふ」
 それまで黙って周囲の挙動を見守っていたくにこちゃんが、憮然として言い放った。
「おまいは、きくところ、もっといーやつだと思ってた」
 確かに赤鼻のトナカイと言えば、昔は気弱なイジメラレ、しかし今ではみんなの人気者のはずである。
 くにこちゃんは、ルドルフの背後で他のトナカイたちの足元にうずくまっている、枯れ枝のような人影を指差した。
「なにがあったかしらないが、そんなよわげなやつを、よってたかって、ふくろはない」
「……ほう。こっちの嬢ちゃんは、やけに威勢がええのう」
 余裕で笑うルドルフだったが、
「――!」
 突如、その顔に当初の凶眼が戻った。くにこちゃんの野生を察知したのだろう。
「…………」
「…………」
 その三白眼を、しばし真っ向から受けていたくにこちゃんは、
「――ていっ!」
 一気に宙に跳躍した。
「ぬおっ?」
 身構えるルドルフの首筋めがけ、鷹のごとく下降する。
「どおすこいっ!」
 刹那、100キロ超の巨大な獣はくにこちゃんの腕に抱えこまれ、河原の砂利に組み伏せられていた。かつて多くの人型鬼畜のみならず、野生の羆もシメ落としたと噂される必殺技、地獄の首がためである。
「兄貴!」
「おやっさん!」
 背後で殺気立つ他のトナカイ相手に、
「……ふっふっふ」
 くにこちゃんは頭目の首をねじ上げたまま、不敵に頬笑んだ。
「としょ室の、図かんで、みたぞ。おまいらとなかいは、角のでかさで、おとこをはかるとゆーな」
 久々に野生全開のくにこちゃんが放つ禍々しいオーラは、とうてい草食動物の比ではない。
「――いっぴきのこらず、ぼーずにしてやろう」
 巨大な角の片方を片手でねじり上げると、それだけで獣の頭骨がぎしぎしと軋んだ。
 ルドルフは圧迫された声帯を絞るように、
「……ま、待て。話せば……わかる」
「ぼーずにしてから、きいてやる」
 まあトナカイの角という奴は、実用的にはほとんど雪を掘る道具のはずだから、折っても死にはしまいが、こうなると、もはやどちらが悪役か判らない。結局このろりの本能は、けして一般的正義に寄っているのではなく、正邪というものを、己の存在のもとに普遍化しようとしているのだ。もしくにこちゃんが仏教系おたくでなく一神教に惑ったりしていたら、とうの昔に世界をリセットしているだろう。
「ねえねえ、くにこちゃん」
 俺の腕の中から、たかちゃんが声をかけた。
 さっきサインをもらったくらいだから、仲直りでも勧めるかと思いきや、
「つの、はんぶんちょーだい。るどるふの、つの」
 さすがは俺の人生をいっとき狂わせた純ろりである。
 やはり最終的に犠牲になるのは『災厄』の側だったな――俺がなかば傍観者の諦念に囚われていると、
「るどるふさん、いじめちゃだめ!」
 いきなり白くてちっこいコートが、小雪を巻きながら俺たちの横をすりぬた。
 ゆうこちゃんである。
 恵子さんも慌てて追って来たが、眼前の異様な光景に、俺と並んで立ちすくんだ。
 しかしゆうこちゃんはそのまんまくにこちゃんに飛びつき、
「……ひっく。けんか、いけないの。みんなで、なかよくするの。ひっく」
 くにこちゃんの腕とルドルフの首を同時に抱えながら、例によってくすんくすんと、非力な天使の見果てぬ夢をしゃくりあげた。
 天使モードに入った幼児というものは、非力であればあるほど、この世の何者よりも尊い。その至高性を感覚できない者は、この世に居ること自体、なにかの間違いなのだ。それは実社会のリアルにけして矛盾しない、高次の哲学的アウフヘーベンである。
 恵子さんが慈母の表情で、その場に歩み寄った。そして弛緩したくにこちゃんと、泣いているゆうこちゃんと、半分落ちているルドルフを、まとめて腕に包みこんだ。
 背後のトナカイたちも、それぞれ本来の草食獣らしい気配に戻っている。
 俺の腕の中で、たかちゃんが「んむ」などと、もっともらしくうなずいた。ついさっきまでルドルフの角を欲しがっていたことなど、その場の雰囲気にまかせて、きれいさっぱり忘れているようだ。まあこうした脳天気さもまた、純ろりの純ろりたる至高性、高次の哲学的アウフヘーベンなのである。
「……良かったら、放してくれんか」
 ルドルフが力なくつぶやいた。
「もともとあんなもん、命《タマ》まで取る気、ないわ」
 背後のトナカイたちの足元から、その『あんなもん』が、ずるずると這い出してきた。
「……す、すいません。ぼ、僕が悪いのです」
 ふがいない若者の声だった。
 頬骨の目立つボコ顔で、頭を下げる卑屈なありさまに、俺はなんだか、ひどくうすら寂しい季節を感じた。なんだか学生時代のビンボな俺に似ている。まあ今でも体格の割には十二分にビンボだが、もっと心身ともにビンボで、まだ痩せていた頃。そう――たとえばクリスマス・イブだと言うのに金も女もなく、赤い衣装でパチスロの看板持ちのバイトをしていた、遠い冬の飢えた俺である。
 暗い河原のことでもあり、また帽子は吹っ飛び衣装も汚れてしまっているので、今まで気づかなかったのだが、その若者は、明らかにサンタクロースらしかった。

     ★         ★

【国際サンタクロース協会日本支部代表 黒須三太】――磨き抜かれた黒檀のテーブルで、青年が差し出した名刺には、そう印刷してあった。
 俺は社会人の習性で、反射的に自分の名刺を差し出した。【株式会社●○プリント▲▽店長 沖之司 拡】――肩書きではかなり位負けしているが、けして卑屈には感じない。なんとなれば青年の名刺は、端の方から茶色に変色し、まるで骨董級の古葉書のようにみすぼらしい。今にも角が崩れそうなほど、風化している。
「……ずいぶん年季の入った名刺だね」
 俺が思わず感嘆すると、青年は弱々しい微笑を浮かべ、なにか戦前の邦画に登場する若者のように、律儀らしく頭を掻いた。
「実は祖父の代からの刷り残りなので」
 この青年の祖父の代――太平洋戦争前後の時期だろうか。しかし、代々同じ名刺を使うというのは、ちょっと話がおかしい。
 首をひねった俺に、青年はまだ頭を掻きながら、
「父も祖父も、同名なのです。僕で四代目になります。初代の曾祖父が、明治の初めに任命されて、まあ仕事柄、ずるずる世襲ということで」
 なんだか歌舞伎役者の話のようだ。
 名刺交換している俺たちの背後――豪奢な絨毯敷きの洋間では、たかちゃんとくにこちゃんがそれぞれ気のあったトナカイにまたがり、例によって戦闘訓練をやっている。
「どうどう!」
「ほれ、つきころせ!」
 トナカイたちは軽い運動程度に角を突き合わせているだけなので、まあ、あくまでも遊びである。
 また壁際の暖炉の前では、高価そうな織物のクッションにもたれ、気取ってポーズをとるルドルフを、ゆうこちゃんが一生懸命クレヨンで写生している。
「あの、あの……」
 ポーズがちょっと描きにくいらしい。
「おう。――こんなもんか?」
「……ぽ」
 ゆうこちゃんの要望に応じて脚を組み替える様など、やはり赤鼻のルドルフは、かなりのええかっこしいだった。
「で、そのサンタクロースの跡継ぎが、なんでまた、あーいったありさまに?」
 俺が訊ねると、青年はうつむいて言い淀んだ。
「……話せば長いことながら」
「話さなければ、わからない」
 これでは古い漫才である。
 そのとき、重厚な木彫りの扉をノックして、恵子さんが紅茶のトレーを運んできた。菓子類のトレーを抱えた若い女中さんも、後に続いた。若い女中さんのほうは、部屋にたむろするトナカイたちにまだ怯えているようだが、恵子さんはもはや泰然と構えている。
 俺も泰然と超高級本皮ソファーにふんぞり返った。
 恵子さんが「あんまり調子に乗らないで」と言うような、苦笑を送ってよこした。
 そうした道具立てからもうお気づきのことと思うが、当然ここは俺の新居でも、近所のファミレスでもない。三浦家の応接間である。まるで迎賓館の一室に迷いこんでしまったようだが、これでも数室ある応接間の中では最庶民的――つまり新聞勧誘員や宗教書配りや霊感壷売り等、どんなつまらない客でも上げてもらえる部屋なのだそうだ。もともと本式の洋館部分だから、床が多少土足で汚れてもかまわない。時にはサラブレッドの取引にさえ使われるそうで、蹄鉄の硬さを思えば、野生のトナカイの蹄くらい楽勝だろう。
 無論そうした流れは、三浦家の当主にきっちり了承を得ている。しかしその当主はなにせ経済界の重鎮なので、月の半分は家を空ける。現在もニューヨークに出張中である。通常の当主なら「なぜ私の留守中、家にトナカイの群れがお茶を飲みにくるのか」と国際電話の向こうで大いに悩むだろうが、そこはそれゆうこちゃんの父親だから、トナカイだろうが北極熊の大群だろうが、今さら驚かない。そしてその妻も、京都のお茶会の主賓とやらで、年末年始はそっちに泊まりとのことだった。司法試験に一発合格して法曹界に入った兄さんが休みで帰ってくるまで、夜は交替制の女中さんしか、家にいないのだそうだ。例のSPたちもどこかで警備しているのだろうが、ふだんは表に顔を出さない。
 そうして今夜はどうやら、なし崩しに関係者一同、三浦家お泊まり会になりそうなあんばいだった。それを悟って、頬を真っ赤にして喜んだゆうこちゃんの日常的な孤独感を思い、俺はちょっと涙が出そうになった。女中頭・恵子さんとの親子のような、いや、年の離れた姉妹のような親密さも、そうした事情から来るのだろう。また同時に、今後の恵子さんの共働きもゆうこちゃんにとっての幸福なのだと、俺は自分の甲斐性の無さをいくらか正当化できた。
 それにしても、今座っている空間のあまりに非現実的な豪邸っぷりに、俺はもはや私小説的世界観だのバニラダヌキ的世界観だのを、完璧に超越していた。考えてもみてほしい。この地球上《リアル》には、三浦家どころか総資産何兆円という『個人』と、預金残高が三十万弱の俺どころか荒野の難民キャンプでたった今餓死していく『個人』が、『合法的』に『共存』しているのだ。青梅の河原で赤鼻のルドルフたちと四代目邦人サンタが諍いを起こすくらい、なんでもない。
「まあ、ちょいと話がおかしいとは、思ったんやけどな。とうの昔にサン協は、本部からしてワヤじゃけん」
 暖炉の前から、ルドルフがポーズをとったまま、話に加わってきた。
「それでも、ま、なんつーか――俺らも昔の男花、死ぬる前にもういっぺん咲かしたろ――そんな歳になっとったわけや。そやけ、そいつからエアメール届いた翌朝には、僅かな残党探し集めて、はるばる大陸越えて飛んできたわ。当節そんな地球の裏に、根性のええサンタがまだ生き残っとったか――そげな夢、追っかけてな」
 ゆうこちゃんがクレヨンの手を休め、ルドルフの話に聞き入っている。たかちゃんもくにこちゃんも、いつの間にか紅茶とケーキの皿を手に、暖炉の前に寄ってきていた。プレゼントをくれるはずのサンタ本人より、赤鼻のトナカイに集まってしまうというのは、やはり見た目のリアリティーの差か。
 三人のろりのハテナ兼ワクワク視線を、至近距離でモロに受けてしまったルドルフは、ふと、視線を宙に逸らした。 
「……やめとこ。綺麗事や」
 ニヒルに苦笑いしながら、
「あんたらに嘘は言えても、こん子らに嘘は言えんわ。これでも昔ゃあ、絵本や童謡の主役張った身じゃ」
 それまで若ぶって張っていた声に、やや老いの音色が加わった。
「本部つぶれた時ワヤになっちまった未払いの賃金、ちっとでも回収できんか、そう思うとったんや。まあそれが無理でも、またいっぺん橇引いて聖夜の修羅場あくぐりゃ、来年いっぱいは、女房子にうまい草たらふく食わしてやれるけん」
 気取ったポーズの割には、ほとんど雪国からの出稼ぎ親爺だ。
「ま、そんな胸算用でいたとこに、そいつの懐具合、聞いちまってな」
 ルドルフは、怒りではなく諦めの視線で、うなだれている若サンタを顎でしゃくった。
「そいつ、文無しや」
 若サンタは申し訳なさそうに、しかし真顔で言った。
「……けしてトナカイさんたちを騙そうなんてつもりは、無かったのです。これだけは信じて下さい」
 俺は当惑していた。
 トナカイたちの立場はなんとなく想像できたが、肝腎のサンタクロースという職制の在りようが、ちっとも想像できない。つらつら鑑みるに、実際世界中の子供達にプレゼントを配るとすれば、無尽蔵の資金が必要になる。ビンボな山の中で育った俺が、まだサンタクロースを信じていた頃にもらった安玩具、あれだって仮に両親でなくサンタの出費だったとしたら、日本中で何億、世界中なら何十兆円も必要になるのではなかろうか。
 俺の隣に座った恵子さんも、もの問いたげにサンタを見つめている。ちなみに若い女中さんは、他のトナカイたちにバケツで飼い葉を与えながら、ふんふんふんふんと懐いてくる鼻と角の群れに、往生しながら面白がっている。
「……僕も、曾祖父が着任した当時の『本部』や『組織』の実態は、よく知らないんです。昭和五十五年の生まれなもんで」
 若サンタが、ぼそぼそと事情を語り始めた。
「祖父や父の話によると、大正の始め頃までは、ほぼ無尽蔵の資金が毎年届いたらしいのです。いえ、資金と言うより、担当地域に配布するプレゼントの現物ですね。トナカイさんたちの賃金は本部決済で、毎年お呼びするとすぐに飛んできてくれたそうですし。サンタクロース自身はボランティアみたいなものですから、あくまで委託された橇の整備、そして年に一度の宅配が任務です。ですから日常生活はごく平凡な社会人、仕事も家庭も別にあります。僕の家は、その頃からこの町で小さな工場を営んでおりました」
「しかし、全世界の子供に一夜にして配るとなると、膨大なサンタが必要なのでは?」
「いえ、その頃でもサンタ数は日本で十数人、全世界で二千人弱だったと言います」
 俺は納得できず、首をひねった。
 若サンタは、ごもっとも、そんな顔で、
「意外に配送条件が狭いのですよ。『その子供がサンタクロースの存在を心から信じてくれている』、これは特にキリスト教圏など確かに多いのですか、そこに『サンタクロース以外にプレゼントをくれる人間が一人もいない』、その条件が加わりますから」
 なるほど、元来ギリギリのボランティアだったのだ。それにしたって全世界なら大変な数だろうが。しかしこれで、俺が昔もらったペコペコのブリキの自動車や粗悪類似品地球ゴマは、両親の出費と確認できた。いっそ俺の家がきれいさっぱり無一文だったら、希望どおりにカメラやラジオがもらえたのではないかと、俺はちょっと損をしたような気分になった。
「んむ、そーゆーしくみだったのか」
 数個目のケーキを飲みこんだくにこちゃんが、こくこくとうなずきながら言った。たかちゃんやゆうこちゃんは、話の半分もわからずきょとんとしているが、くにこちゃんは趣味の仏教修行を通して、大人の話から大筋の意味を悟るのに慣れている。まあ小学二年生なりの、かなりとっちらかった解釈をしてしまう場合が多いのが、玉に瑕だが。
「どーりでおれんちには、組み立てひこーきしか、とどかなかった。きょねんのさんたは、やっぱし、おやじだったのか」
 今回はしっかり把握しているようだ。
「おれんちが、もっともっとびんぼーなら、へりこぷたーのらじこんが、とどいたのかもな」
 俺はくにこちゃんを力いっぱい抱きしめてやりたくなった。いや、貧しい家庭に育った者同士、慰め合いたくなったというのが正しい。俺も昔、Uコン飛行機――当時はラジコンがなく、地べたから直接ワイヤーで曲芸のように操っていたのだ――が欲しくて欲しくてたまらなかったのに、あの竹籤や木や紙で作るゴム動力飛行機のキット袋が届いてしまい、サンタの懐を疑ったことがある。
「ま、いいか。おやじとつくると、はんぱなしでとぶからな、ぷろぺらひこーき」
 俺はくにこちゃんといっしょに飛行機を組み立て、空き地で飛ばし、夜はいっしょに風呂に入りたくなった。隣でちょっと涙ぐんだりしている恵子さんには、もちろん内緒である。
「……大正の始め頃まで、と言ったね」
 俺は漠然と、裏事情が想像できた。
「第一次世界大戦の頃だな」
 青年は、沈鬱な顔でうなずいた。
「――しかし、その後も細々と、現品は届いたらしいのです。しかし昭和に入ると、どんどんその質が落ちて、希望リストだけで現物はサンタ自身の裁量、そんな年もあったそうです」
「自腹――純ボランティア?」
「はい。それでも、リストが届くうちは、まだ良かったのです。祖父の代の末には、リストすら届かない年もあったそうですから」
 第二次世界大戦――裏事情を想像するほど、俺は暗澹たる気分になってきた。サンタクロースという存在がどんな組織であれ、あくまで人類の『善意』あるいは『総意』に関わっているとすれば、その対極にあるのは――世界規模の諍いである。
「こっちの飼い葉代も、その頃から溜まりっぱなしや」
 暖炉の前で、ルドルフが紅茶をすすりながらつぶやいた。
「もとから本部の場所も知らんし、あくまで風の噂やがな――御輿《みこし》のてっぺんのお方が、どうもいけんらしいで」
 その話は若サンタも知らなかったのだろう、俺たちといっしょになってルドルフを見つめた。
「まあ死んではおらんっちゅう話やが、頭がいかれてもた。なんや、心配して地べた見下ろしとったら、いきなりどえらい光で、まず片目がつぶれちまった。それからごっつい音がして、かなつんぼや。あわててもう片っぽで窺っとったら、そっちもピカ、ドンで――両方、わやや。いきなりそんな目におうたら、誰だっておかしくなるわ。なんや、それっきりあっちこっちご近所の宇宙《うつ》、ぶつぶつ徘徊しとるらしいわ。ずいぶん歳や聞いとったから、ボケちまったのかも知れんなあ。……ま、ただの噂やけど、それっきり便りがないのも確かじゃけん」
 俺は思わずうめいていた。
「片方は、たぶん……一九四五年八月六日だな」
 隣の恵子さんが、目を丸くして俺を見上げた。
「……八月九日に……次?」
 十中八九、当たっているだろう。
 俺たちが暗澹たる思いで沈黙していると、若サンタはなぜか、ちょとまて、と言うように両手を広げた。
「それは確かに、そうだったのかも知れません。戦後の父の代も、おととし僕が後を継いでからも、実は一度も本部からは音沙汰無しですから」
 そう言う割には、表情が暗くない。ただ戸惑っている、そんな顔だ。
「しかし……実は、届いてしまったのですよ、この前。現物と、配送先のリストが」






                     
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