たかちゃんとさんた








     
【3】 天使のハンマー


 それまで三人組で絨毯に座り、きょろきょろと俺たちの会話を聞いて、いや、ながめていたたかちゃんが、口をはさんできた。
「ねえねえ、さんたさん。たかちゃんたちのおてがみも、とどいた?」
 通知表にはいつも「ひとの話をきかない」と記されてしまうらしい天然ろりのこと、ちっとも話が通じていない。まあ、まだまだサンタなど信じている――実際目の前に座っている事実はちょっと横に置いといて――信じている年頃の幼児なのだから、当然と言えば当然か。くにこちゃんのほうが、幼児としては苦労人すぎなのである。
「たかこ、おまいは、だまってろ」
 その苦労人がたしなめた。
「おまいがなんかゆーと、はなしが、なんでも、わやわやになる」
「むー」
 下関名物ふぐ提灯のようになったたかちゃんを、ゆうこちゃんがぽんぽんと慰めた。
「……こくこく」
「すねるな。あとで、きちんと、おれがわかりやすくおしえてやる」
「ほーい」
 種々の前例を鑑みるに、それもちょっと不安なのだが、なにはともあれ、すぐにフグ化しても一瞬後には縮んでくれるのが、たかちゃんのほっぺたである。
 俺は若サンタに話を戻した。
「プレゼントが届いたのなら、すばらしいことじゃないか。その一番偉い人の、傷が癒えたのかもしれない。まあ今もなんかいろいろ物騒だけど、東西冷戦も沈静して久しいし」
 ルドルフが首を傾げた。
「じゃが、俺らの村には、そっちからはなんの話も来とらんで。あんたからの赤紙だけや」
「先ほどのルドルフさんのお話だと……一番偉い人は、まだ、ボケているのかも知れませんね」
 若サンタは悩ましげに話を続けた。
「あるいは、たまたまほんのちょっとだけ、加減が戻ったとか。祖父が晩年、アルツハイマーを病んだのですが――ああ、ますます心配になっちゃった。あれは離脱していても、一瞬意識がつながって正気な言動を始めて、その途中でまただしぬけに離脱したりしますから」
 もはやローマ法王にでも聞かれたら、激怒のあまりプッツンされそうな話の流れである。
「と言うことは――つまり、その届いた品物や配送リストに、何か問題があるのかな?」
 俺が訊ねると、若サンタがうなずいた。
「はい。まあ、納得できる物件も確かにあるにはあるのですが、なにがなんだか解らない品物なども……。もしや、ルドルフさんたちなら、何か聞いているのではないかと思ったのですが」
「……そげん話やったんか」
 ルドルフはうなるように言った。
「そんならそうと、とっぱなから言うてくれりゃええもんを」
「えと、その、いきなり未払い賃金の話が出てしまったものですから」
 ルドルフは、のそりと立ち上がった。
 飼い葉のバケツに鼻を突っこんでもぐもぐやっている配下たちを、ちょと来い、と呼び寄せ、なにやらごにょごにょと相談している。
 俺はとりあえず、頼りなげな若サンタに言ってみた。
「とにかく、その品物と配送先を、一度見せてもらいたいな。何か少しはたしになるかもしれない」
 つまりこの青年は事実上、形式的に跡目を継いだだけで、実際のサンタ業務はまるっきり素人なのである。それでは俺の店で先週雇ったばかりのフリーター青年と変わりがない。世間には熱意や善意だけでは回らない仕組みがあるのだ。俺だって本物のサンタになったことは一度もないが、多少長く生きているぶん、おたくなりの世間知は積んでいる。
「はい、そうしていただければ、実にありがたく」
 そのとき、トナカイたちが、ぞろぞろと若サンタに寄ってきた。
「すまんかった」
 一同揃って、若サンタに頭を下げる。
「わしら、ちっとばかりヤキが回っとった。というか――正味、根性曲がっとったわ。すまん」
 潔く詫びるルドルフに、くにこちゃんが、よしよしとうなずいた。
「んむ、それで、いい。るどるふ、おまいはやっぱし、うわさどおりの、いいやつだ」
 くにこちゃんとルドルフは、なにやら武闘派同士らしい熱い視線を交わした。
「とにかく、ルドルフさんたちにもいっしょに見てもらおうよ。長年世界中を回っていたのなら、俺たちより遙かに経験が豊かなはずだ」
 俺が言うと、ルドルフのみならずくにこちゃんも、はりきってうなずいた。
「んむ、さんにんよればもんじゅのちえ、とゆーな」
 すっかりこの事態に入れこんでしまったようだ。たかちゃんやゆうこちゃんまで、はりきってこくこくとうなずいている。どこまで理解できているか怪しいものだが、まあ詳しい事情がどうであれ、サンタの活動実態に興味を覚えない幼児はいるまい。
「こんな夜中に出かけるなんて、とんでもない」
 恵子さんが三人組をたしなめた。
「そろそろ晩ご飯の時間じゃないの」
 俺たちにとっては宵の口でも、正しいろりにはもう夜中――なし崩しに今夜のお泊まり会の責任者になってしまった保護者としては、当然の意見である。
「雪も止まないみたいだし、明日にしようよ」
 俺は若サンタに言った。
「どっちみち活動そのものは、クリスマス・イブの夜限定なんだろ? まだ二日ある」
 正確に言えば世界で最も早くイブを迎えるのは日付変更線のこっち側(?)だが、それにしたって時差は確か三〜四時間のはずだ。逆に日付変更線を一歩あっちにまたげば、さらに一日余裕がある。ちなみに『夜』を日没から日の出までと解釈した場合、サンタの徘徊許容時間は三十六時間程度だろう。
 間合い良く、さっきの若い女中さんが、食事の用意ができたと知らせに来た。
「わーい、ごはんごはん!」
 たかちゃんは真っ先に立ち上がり、早く早くとくにこちゃんやゆうこちゃんを引っぱった。
「ばたくさく、ないだろーなあ」
 くにこちゃんが物問いたげに恵子さんを見上げた。
「大丈夫。今夜はすき焼きよ」
「わーい、すきやきすきやき!」
 たかちゃんに引っぱられながら、くにこちゃんはキラリと目を光らせた。
「おう。いいな。さむいよるには、ぶたにくにかぎる」
 恵子さんは、ちょっと困ったような顔で、
「えーと、牛肉は、きらい?」
 長岡家の経済状態による発言か、好悪による発言か、計りかねたのだろう。
「……ぎゅーにく」
 くにこちゃんは小さくつぶやいて、虚ろな目でふらふらと立ち上がった。
 三人揃って仲良く食堂に向かうろりたちの間から、
「……ぎゅーにく」
 またつぶやく声が聞こえる。足跡がよだれで濡れている気もする。このぶんだと、牛の一頭くらいは平らげてしまいそうだ。
「初仕事に備えて、元気付けとこうよ」
 俺は遠慮している若サンタを促した。今後どうなるにしろ、俺は皮下脂肪・内臓脂肪ともに満タンなので雪原の橇でも平気だが、この若サンタの体格だと、あっという間に骨まで凍えてしまいそうだ。
「わしら、草食なんじゃが」
 ルドルフが言った。
「飼い葉、もうちょっともらえんか?」
「えーと、春菊なんか、お嫌いですか? あちらにたくさん用意してありますけど」
「おう、そりゃええ。何より滋養じゃ」
 ルドルフは配下たちを顎でしゃくった。
「おい、お前らも飼い葉ばっかり食っとらんで、ゴチになろうや。春菊は夜目に効くで」

 それから俺たち夫婦と仲良し三人組と若サンタとトナカイの群れが、迎賓館級の食堂で繰り広げたすき焼きパーティーに関しては、まあ、皆さんのご想像にお任せしよう。

     ★         ★

 当然のことながら、もはや引っ越しの始末など考えている場合ではない。
 翌日の結構な朝飯をいただいて間もなく、俺たちは若サンタに案内されて、多摩川沿いの遊歩道をその家に向かった。
 雪はもう止んでおり、河原に薄く白斑を残す程度だ。その代わり朝の大気は氷のように鋭く、冬枯れた木立の間で、皆の白い息が煙のように濃い。土面の霜もまだ溶けず、足元でしゃりしゃりと音をたてる。
 それでも三人組とトナカイたちは、まったく元気だ。くにこちゃんとたかちゃんは、それぞれ気の合ったトナカイにまたがり、
「♪ ゆき〜のしんぐん 氷をふんで〜 ♪」 
「♪ ど〜れが河やら道さえしれず〜 ♪」
 本当にどこからそんな歌を覚えて来るやら。
 くにこちゃんは狸のような腹を抱えて、ご満悦である。
「いやー、朝っぱらから、あじのひものくいほうだい、ごはんみそしる、おかわりじゆうだもんなあ」
 以前泊まった時、西洋料理が苦手のくにこちゃんが往生していたので、今回は恵子さんが気を利かせてくれたのである。
「これからは、ちょくちょく、とまりにこよう」
 トナカイを乗りこなせず、恵子さんと手を繋いで歩いていたゆうこちゃんは、その言葉を聞いて嬉しそうに頬を染めた。
 先頭をゆく若サンタも、昨夜よりはずいぶん元気だ。晩飯の牛肉のおかげだろう。くにこちゃんや昔の俺のようなギリギリの貧乏人にとって、松坂牛はストレートに血肉になる。若サンタも、そんな生活を送っているに違いない。実際、教会に行くと四六時中飽きもせず十字架にぶら下がっている、あの痩せこけた人に似ているほどだ。

 昨夜騒動のあった河原近く、小暗い林のちょっと奥に、その工場はあった。廃工場、と言うべきか。大昔の製材所のような木造の建物で、少なくとも二十メートル四方はありそうだ。その錆びたトタン屋根の上に、『黒須製作所』という朽ちかけた看板が傾いている。
「おう、でっかい、こや!」
 たかちゃんが感嘆した。
「すげー。おれんちより、ビンボくさいぞ」
 くにこちゃんが嬉しそうに言って、身軽にトナカイから着地した。
 若サンタはその工場の裏に回り、勝手口らしいガラス戸をがたぴしとこじ開けながら、
「数年前、倒産しちゃいまして」
「何を作ってたの?」
 俺が訊ねると、
「タワシです」
 若サンタは照れ臭そうに答えた。
「『神の子たわし』と言いまして、昭和三十年代までは、ずいぶん売れたそうなんですが」
 どうやらシャレではないらしい。
「機材ももう売り尽くして、僕はバイトで食ってます」
 なるほど、見かけどおりのフリーターだったのだ。
「ここに住んでるわけじゃ――ないよねえ」
 とても人の住める建物には見えない。
「いえ、自宅は昔、父が売ってしまったので、ここの宿直室で寝起きしてます」
 扉をくぐると、そこは休憩所か商談用らしい土間だった。早い話、やっぱりくにこちゃんの家に似ている。違うのは、土間に商品棚ではなく椅子やテーブルやストーブが置いてあり、奥の框の上がガラス障子の代わりに板囲いになっており、引き戸に『宿直室』のプレートがあるところくらいか。もっとも、隅っこの『作業場』とあるドアの奥は、ずいぶん広いはずだ。
「今、お茶を入れます」
 ストーブに火を入れようとする若サンタに、
「角《つの》がつかえて入れんど」
 ルドルフが後ろから訴えた。
「あ、すみません。今、表開けます」
 奥のドアに向かう若サンタに、俺は言った。
「先に、そのプレゼントや配送先リストってのを、見せてくれないか」
「あ、はい。じゃあ、いっしょに、こちらへ」
 そのまま付いていこうとすると、たかちゃんが俺の袖を引っぱった。
「ねえねえ、おしっこ」
 寒い道をけっこう歩いたからだろう、ろりたちや恵子さんは、みんな異議なしの顔をしている。
「あ、すみません。宿直室の奥に。――万年床、敷きっぱなしですみません」
「じゃあ、先に行ってるね」
 トナカイたちは表に回り、女性軍はぞろぞろと宿直室に上がり、俺と若サンタは、表の工場スペースに入った。
 建坪の大部分を占めるコンクリ床の、ところどころが四角く斑になったり、でかいボルトを引っこ抜いたらしい穴がいくつも点在しているのは、製造設備を処分した跡なのだろう。
 その廃墟じみた空間で、真っ先に目についたのは、俺の背丈の倍ほどもある、ゴテゴテした金属の塊だった。
「ある朝、目が覚めたら、そこにありました」
 古い機械ではないらしく油光りしており、動力機関らしいピストンや、電信柱の直径ほどの穴が覗いていた。そしてその横に、ワイヤーで束ねられた無数の金属管が、ゴロゴロと山積みになっている。
 表の大扉を押し開きながら、若サンタは言った。
「それの正体は、どうやら理解できたのです」
 ルドルフたちもぞろぞろ入って来て、唖然としてその機械を見上げた。
「ネット喫茶で調べてみたら、灌漑用ポンプ機材でした」
 俺はうなずいた。そんな物を実地に見たことはないが、イメージとして、それ以外に考えられない。
「……送り先は?」
 見るからに何十トンはありそうな質感に不安を覚えつつ、とりあえず訊ねると、
「これも解ります。いえ、納得だけはできるというか――中近東の、難民キャンプですから。ただ、そこまで、橇で運べるものでしょうか」
「この星の上なら、地の果てでも海の底でも、どこでも行ったるで。しかし、こりゃあ……」
 ルドルフが配下たちを呼び寄せた。
 トナカイの群れは、阿吽の呼吸でその機械に取りつき、逞しい角を当てて四肢をふんばる。しかしその金属塊は、微動だにしない。
「……あかん。やっぱり、大将ボケとる」
 ルドルフがぼやいた。
「こないなもん、なんぼわしらでも、よう引かんど。バラして、小荷にでけんかのう」
「――それはとりあえず、こっちに置いといて」
 もっとも横に置いとけない問題を考えたくなくて、俺は先を促した。
「他の物件は?」
「はい、こちらです」
 機械の裏に招かれると、そこには平べったい段ボール箱が、山積みになっていた。ひとつひとつは大人が抱えられるほどの大きさだが、それが数列、俺の背丈を優に超えている。
「これは、配送先には問題ないのです。孤児院数箇所、いずれも国内ですから」
 ルドルフは自分の角で、器用に箱の重さを確かめた。
「なんとか橇に積めそうやな。分けてしょってもええ」
 しかし若サンタは、まだ悩ましげな顔をしている。
 箱に印刷されているレタリングを見て、俺もなんだか、とてもいやあな予感がした。
『不二家』『クリスマス限定 キティちゃんサンタの苺ミルフィーユケーキ』『大丸六個』。
 俺の胸には、ふたつの悩ましさが渦巻いていた。
「……いつ届いたんだっけ」
「一週間ほど前です」
 まさか、生ケーキじゃないだろうな――この悩ましさは、たぶん若サンタと同じ悩ましさだろう。
 しかしもうひとつの悩ましさは、このプレゼントの選択センスに起因する。
 そのとき、
「おう! すごいすごい!」
 案の定、たかちゃんの歓声が廃工場中に響き渡った。
 ととととととこっちに駆けてきて、若サンタの胸にぴょんと張りつき、
「やっぱし、とどいた! りくえすと! りくえすと!」
 ああ、やっぱり。
 背後ではくにこちゃんが、あのでかい機械にがしがしよじ登り、
「すげーぜ! やったやった!」
 てっぺんから若サンタの頭上にダイブしてきた。
「なんだ、しんぱいさせやがって!」
 痩せた若サンタは、ふたりのろりの重みに耐えきれず、見事に尻餅をついた。
「ねえねえ、ゆうこちゃんのは?」
「そーだそーだ。ゆうこのが、いっとー、すげーんだ」
 ふたりは全体重や腕力を駆使して、若サンタを窒息寸前に追いこんでいる。
「……ぐ、ぐえ」
 さて、そのトリのゆうこちゃんは、と見ると、恵子さんの袖を握りしめながら、赤くなったり青くなったり、信号機のように心配している。
 恵子さんは事情がつかめず、ただきょとんと首をかしげた。
「えと、あの……」
 若サンタが、必死でろりの下から這い出してきた。
「とゆーことは……これ、どーゆーことか、わかるかな?」
 不二家の段ボールの裏から、銀色のジュラルミン・ケースを引きずり出す。
「わくわく」
「むふふふ」
「……どきどき」
 三者三様の視線を浴びながら、若サンタはケースを開いた。
 赤い布張りの型クッションに、ちっこい玩具のような物が、三つ並んでいる。
 ――ぴこぴこハンマー?
 それはどう見ても、ピンクと青と白の、ぴこぴこハンマー三色セットだった。
 三人のろりが、歓声を上げた。
「どどんぱ!」
「おう、どどぱんど!」
「……どんぱ!」
 きゃぴきゃぴとひとかたまりになって飛びはねているが、無論俺たちは、なにがなんだか解らない。
 ケースの蓋の内側に、マニュアルのような大判の冊子が帯留めされている。
 若サンタはそれを引っぱり出し、
「これは、配送先リストなんでしょうか」
 ろりたちはわいわい転げ回っているばかりで、聞いてくれない。
 若サンタが開いて見せたその内表紙には、世界地図が見開きで印刷されていた。そしてそのあちこちに、多数の蛍光マーキングが点在していた。
「丸印、妙に多いね」
「品物は、おもちゃのハンマー三個だけなんです。でもマーキングは、全世界にざっと数十箇所あります。そして――見て下さい」
 若サンタは、太平洋のあたりを指差した。
「これは、船なんでしょうか。太平洋に限らず、あちこち海を動き回ってるのも、うじゃうじゃと」
 さすがは一番偉い人の印刷物だ。確かに印刷のマーキングが、あっちこっち、うろうろ泳いでいる。
「……うひゃあ!」
 素っ頓狂な声が、工場に響いた。
 そんなおまぬけな恵子さんの声を聞くのは、去年のゴールデン・ウイーク以来だろうか。
 恵子さんは、わたわたと俺の腕を掴んできた。
「えーと、ほら、いつか話したでしょ。『天使のハンマー』のお話」
「て、天使のハンマー?」
 俺が餓鬼の頃、憧れのお姉さんたちが聴いたり歌ったりしていた、アメリカのフォークだろうか。
「えーと、ピーター、ポール&マリー? いや、作曲はピート・シーガーか」
「違う違う。あの歌じゃなくて、あの子たちが作ったお伽話よ」
 そういえばそんな話を、リー・ヘイス作詞の古典的反戦フォーク以外にも、いっぺん聞いたような記憶がある。
「えーと…………あ」
 俺は絶句してしまった。
 思い出した。
 あんまり思い出したくなかったが、思い出してしまった。
 思い出してしまったものは仕方がない。俺は若サンタとルドルフを、こち来い、と手招いた。
 怪訝そうに顔を寄せる若サンタとトナカイの首を、両手で抱えこむ。
「えーとね、ちょっとね、未確認とゆーか、確認法自体が、ちょっと、とりあえず思い当たらんのだけど」
「ごくり」
「なんやねん、うじゃうじゃと男らしゅーない」
 仕方がないので俺は言った。
「たぶん、あれ、対核兵器用玩具」

     ★         ★

 それはふた月ほど以前、冷たい雨の降り続く、ある晩秋の日曜日――。
 仲良し三人組は、例によってくにこちゃんの家に入り浸り、ともこちゃんを肴に酒を飲んで――いや失礼、なんかいろいろ、うだっていた。
 遊びもしつくし、歌も歌いつくし、僅かなおやつも食いつくし、といって外はしとしと雨だから、赤ん坊をしょって散歩に出るわけにもいかない。くにこちゃんの家には、中毒性のゲーム機などもない。三人のろりと一人の乳児は、卓袱台の前にハムスターのごとく群体を成して体温を保持しながら、テレビを見ていた。
 そのけだるい午後に、たまたまザッピングした教育番組で、長い紛争のさなかに枯渇してしまった難民キャンプの子供たち、あるいは地方行政の破綻により補助金が限界まで縮小されてしまった孤児院の子供たちやらを、清く正しげなお兄さんやお姉さんが、子供向けに噛み砕いてレポートしていたらしい。
 三人のろりは、それまで半年に及び、きわめてお気楽にとはいえ、曲がりなりにも赤ん坊の成長に関わってきていたので、まあたぶん人間の『生』そのものに、なんらかのアレを感じていたのだろう。ふだんなら「ああかわいそう」と心を痛めて五分後にはきれいさっぱり忘れてしまいそうな社会問題を、妙に深々と心に刻んでしまった。
 子供というものは、一度何かにかぶれると、その正邪を問わずとても短絡的だ。たかちゃんが「ことしのくりすますは、ぷれぜんと、いらない。あっちのみんなに、ぷれぜんと」とか言い出すと、くにこちゃんも侠気《おとこぎ》方面で負けたくないので、「ようし。んじゃおれは、さばくに、みずをとどけてやる」などと、例年自分のもらうプレゼントとは、経費《かかり》のケタが違うことを言い出す。
 ゆうこちゃんが、それらしい趣向をふたりに取られてしまって寂しがっていると、今度はテレビで核兵器問題を取り上げ始めた。これも子供向きにショックは和らげてあるものの、広島やら長崎やらに始まって、現在の核拡散防止運動やその矛盾まで、清く正しげなお兄さんやお姉さんがせつせつと語っていた。その終盤でくにこちゃんは天に向かって怒りの咆吼を上げ、脳天気なたかちゃんまで、今後の人生いったいどーしたものやらとおろおろ居間を駆け回ったと言うから、繊細なゆうこちゃんなど、どれほどトラウマを負ってしまったか想像に難くない。
 そこでトラウマ昇華のため、ゆうこちゃんによって考え出されたのが、『天使のハンマー』である。一見ただのぴこぴこハンマーだが、そこはそれ神様の特注品だから、大変な破壊力がある。どのくらい破壊的かというと、そのハンマーで核弾頭の鼻の先をぴこんとやっただけで、「かくばくだんがお花ばくだんになってしまいました」、それくらい破壊力がある。子供たちの設定から科学的に推測すると、たとえばエノラ・ゲイに搭載された広島型のリトルボーイを投下前にぴこんとやっただけでも、広島市街は爆心地から半径二キロにおよび、一瞬にしてひまわり畑になってしまう。まして現在の大型核ミサイルをぴこんとやって数発も飛ばせば、全世界の文明圏がことごとくひまわり畑になってしまう、それほどの破壊力らしい。ただし、生物殺傷能力や衝撃波はない。
 たかちゃんやくにこちゃんも大いに感動し、その日は夕方まで『天使のハンマー』物語で盛り上がり、みんなでせっせとでっちあげた話を、ゆうこちゃんが愛用のお絵かき帳にせっせと描きとめた。ゆうこちゃんは家に帰ってからも、夢中でその絵本もどきをテコ入れしていたので、恵子さんが気づいて見せてもらうと、「……ぽ」などと頬を染めながら聴かせてくれるお話が、とてもおもしろかわいい。それでいっしょに絵本のテコ入れを手伝い、後日俺にも、その話や由来を聞かせてくれたのである。

「……あれを、まんま、リクエストしちまったわけか」
 廃工場の休憩所でお茶をいただきながら、俺はうめいた。
 たかちゃんたちは、嬉しそうにこくこくとうなずいた。
「そーだよ。たかちゃんのおてがみと、くにこちゃんのおてがみと、ゆうこちゃんの絵ほん。あゆみ橋のまんなかから、ふーせんにくっつけて、お空に、おくったの」
「絵本って、どんなお話なんですか?」
 若サンタが、興味津々で訊いてくる。
 メイン・ライターのゆうこちゃんはもじもじと頬を染めるだけなので、俺と恵子さんが顔を見合わせていると、たかちゃんが率先して語り始めた。
「うーんとね、さんにんの天使さんが、さんたさんのとこに、おりてくるの」
「うん」
「んでもって、くりすますいぶにね、せかいじゅー、げんしばくだん、ぴこぴこするの」
「うん」
「ちょっとしっぱいして、みたけさん《御岳山》、ひまわり山になったりするの」
「うんうん」
「んでも、ほかの、きちんとぜんぶ、ぴこぴこするの」
「うんうんうん」
「えーと――おしまい。めでたしめでたし」
 たったそれだけながら、たかちゃんは深々と頭を下げた。
 くにこちゃんとゆうこちゃんが、ぱちぱちと拍手すると、たかちゃんは「や」「や」「や」と手を振った。
 まあ実際は、天使たちのぴこぴこに関する脳天気なサブ・ストーリーなども幾つかあるのだが、大筋は確かに、それだけなのである。
「お絵かき帳までくっつけて、風船、よく上がったなあ」
 俺が感心すると、
「おこづかい、ぜーんぶ、ふーせん」
 たかちゃんは、得意そうに胸をはった。
「んむ。やっぱし、たかこが、ただしかったのだな」
 くにこちゃんがもっともらしくうなずいた。
「さんたのりくえすとは、窓から大ごえでどなっても、だめなのだ。おうめにいるさんたは、下っぱなのだ」
 若サンタはかわいそうに、すっかり気を落としている。
 ゆうこちゃんはそんな若サンタを存外頼もしそうに見つめて、目が合うと、ぽ、と頬を染めながら、ぺこりと頭を下げた。現にサンタがそこにいるのだから、お願い物件は必ず有効になると信じているのだろう。
 若サンタもルドルフたちも沈思黙考するばかりなので、俺は提案した。
「簡単そうなほうから、ひとつひとつ、確かめよう」
 大人はともあれろりたちを悩ませたくないので、俺はなるべく剽軽に言った。
「じゃあ、はじめに、たかちゃんのリクエスト、審査しまーす」
 たかちゃんは自分でぱちぱちと拍手した。この子はほんとうに単純でありがたい。
 まず、恵子さんに訊いてみる。
「俺は詳しく知らないんだけど、苺ミルフィーユって、そんなに日持ちする?」
「生クリームだったら、冷蔵庫で三日くらいかしら」
 ああ、やっぱり。
「でも、カスタード・クリームやバター・クリームだったら、もう作り方によって色々よ」
 まだ希望があるかも知れない。
「悪いけど、あの届いてた奴、確かめてくれないか? ひとつは、開けちゃってもいいだろう。どこかに賞味期限とか、書いてあるかも」
 恵子さんはうなずいて、作業場に向かった。
「配送能力には問題ないよね?」
 これにはルドルフがしっかりうなずいた。
「楽勝や。こんなちんまい国なら、端から端でも五分で飛んでみせるわ。ま、サンタの命は保証できんけどな」
「大丈夫です。死んでも耐えてみせます」
「おう、その意気や」
 となると、問題はやはりケーキの日持ちだけだ。最悪、俺が新たに買うという手もあるが――預金残高が心細い。
 やがて、恵子さんが携帯を畳みながら帰って来た。
「OK。脱酸素材入りの、個別包装だわ。賞味期限は二十六日の朝ですって。念のため知り合いのケーキ屋さんに訊いてみたら、あの包装はもともと保存用の製品だから、冬なら年明けまで平気だろうって。賞味期限なんて、もともと保険みたいなものだし」
 すばらしい時代である。一見生に見えるナントカケーキが、半月も日持ちしてしまうのだ。そういえば観光地の土産物屋のケーキなど、カスタード・クリームと書いてあっても、常温で半年もったりする。まあ中身の成分を考えると、防腐剤の塊のような気がして、ちょっと怖い気もするのだけれど。
「よーし、たかちゃんのリクエスト、解決!」
「わーい、かいけつ、かいけつ!」
「次は――くにこちゃんのリクエスト、審査しまーす」
 くにこちゃんは、あっさり言った。
「おれのは、へーきだ」
 悠々とお茶をすすりながら、
「いざとなったら、じぶんで、かつぐ」
 それが可能なのが、このろりの脅威なのである。
「でも、あそこの砂漠までだと、ずいぶんあるぞ。途中には、海もある」
「いいんだ。くりすますがだめでも、おとしだまにする」
 確かにこの子なら十日もあれば、地球半周くらいできるだろう。しかし、国境問題あるいは中近東の戦闘地域――説明しあぐねる俺に代わり、ルドルフが言った。
「嬢ちゃんの根性は買うが、それ、まずいんじゃ。クリスマスの朝までに配りきらんと、あれらは消えちまう。次のプレゼントになるための、精《スピリッツ》に戻っちまう」
 くにこちゃんは、さすがに考えこんだ。
「ねえねえ、くにこちゃん」
 たかちゃんが言った。
「おふどーのおじさん、よぼう」
 例の不動明王のことだろう。
「いんや、だめなのだ」
 くにこちゃんはむっつりと腕を組んで、
「まえに、おししょーさまに、きいてみたのだ。ほとけさまも、ぷれぜんとをくばったら、もっとにんきがでるんじゃないか、ってな」
 それも確かに、良案かもしれない。
「んでも、だめなのだ。やそ教と仏教は、ちがうのだ」
 くにこちゃんは遠い目を宙にさまよわせ、
「ほとけのみちは、ちがうのだ」
「どう、ちがうの?」
「それが、じぶんでわかったら、おれもりっぱなぼーずになれる――おししょーさまは、そういった」
 俺も会ったことのあるあの老僧は、柔和な外見に似合わず、子供に媚びない主義らしい。
「……あの、あの」
 ゆうこちゃんが、ぽしょぽしょと言った。
「パパに、たのんでみるの。ひこーきとか、へりこぷたーとか」
 三浦財閥の力をもってすれば、物理的にも経済的にも、それは可能かもしれない。しかし、国際社会の表でそれをやるには、やはり期間が足りないのである。
 俺はゆうこちゃんの無邪気な善意を傷つけないよう、軽い調子で答えた。
「うーん、ちょっと重すぎて、飛べないだろうなあ」
「じゃあ、おふね?」
「お船なら運べるけど、何ヶ月も、かかるかなあ」
 しょんぼりしてしまうゆうこちゃんを、たかちゃんとくにこちゃんが両側からぽんぽんと慰めた。
 俺は、ひとつの裏技を考えていた。
 俺の知る限り、この世界にはもうひとり、『なんでもアリ』方向のキャラが存在するのである。 
「俺が思うに――ここは、たかちゃんのママに、ちょっと頼んでみたいんだけど」
「あ」
 たかちゃんが、ぽーんと手を打った。
「ママが、しゅわっち! ひとっとび!」 
 はりきって立ち上がり、俺の手を引っぱりながら、
「いこういこう! きょうは、おうちにいるよ!」






                     
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