たかちゃんとさんた








     
【5】 天使の降臨


 廃工場に戻ると、すでに他の関係者一同があの土間に会していた。
 ゆうこちゃんのお絵かき帳が広げられたテーブルには、たかちゃんのママがノート・パソコンやモバイル・プリンターも持ちこんでおり、例の地図帳だか配送リストだかの、検討を始めているようだ。
 俺たちが連れてきた老僧に、皆は驚いたようだったが、若サンタとトナカイ以外はすでに知己である。初対面同士の挨拶は失礼ながら当人たちにお任せして、俺はさっそく検討中のスタッフ(?)に言った。
「不動様たちが使えるかもしれない」
 一同の顔が少しだけ明るくなった。
「助かりますわ」
 ママさんはパソコンの液晶画面を見つめ、キーを叩き続けながら、実感をこめて言った。しかし、予断を許さない厳しい声でもある。
「絵本も地図帳も見せていただきました。やはり、解釈はひとつしかありませんね」
 キータッチを止め、マウスで画面をスクロールしながら、
「知っているつもりではいたのですけれど――ほんとうに、この大宇宙の宝石のような星では――」
 つくづくあきれ果てた、そんな顔をしていた。
「なんて愚劣な阿呆ばかり、高い地位に揃っているのかしら」
 ママのあまりに強張った表情に、さすがの脳天気たかちゃんも、ちょっと怯えてしまっているようだ。
「えーと……声がでかくて、語彙が単純で、馬鹿でも直観的に受け入れやすいですから」
 俺がそう言い訳しながら、たかちゃんの頭を「大丈夫」と撫でてやると、ママさんもそれに気づき、ごめんね、と言うように娘の頭に手を置いた。
「今、科特隊のデータベースにこっそりお邪魔させてもらったんですけど」
 パソコンの液晶モニターには、英字と数字の表組みが、びっしり表示されている。
「アメリカ、中国、フランス、イギリス、インド、イスラエル、ロシア、パキスタン――これはまあ、あると言っておりますから仕方がありません。それから、NATOに属するベルギー、ドイツ、ギリシャ、イタリア、オランダ、トルコ――当然、アメリカの物件が各所に配備されております。そして国際海域をこっそりあるいは堂々と泳ぎ回っている各国艦載物件。これもまあ、ほとんど科特隊のデータと一致しますから仕方ないとして――」
 ママさんは例の地図帳を、ぱん、と叩いた。
「このマニュアルだと、撤去あるいは廃棄済みのはずの国家にも、多数の位置情報が記載されています」
 この美しい星はその程度の星なのだ、とは、さすがに言えなかった。
「でもね」
 ママさんは、なんなのよこれと言うように、地図帳だかマニュアルだかの、栞が挟まっていた頁を開いて見せた。キティちゃんの栞だったから、俺がいない内に自分で挟んだのだろう。
「貴子を連れて、故郷《さと》に帰ろうかしら」
 わはははは、あるじゃん。なんか見慣れた弧状列島の南よりの海岸に、なんかひとつ、マーキング。
「そこにも一艦船、四基搭載して泊まっているのは、なんなんでしょうねえ」
 こっそり寄ってるんじゃないかと思ってました、とも、さすがに言えなかった。それから、実家に帰るときはあのぶよんとしてしまりのない旦那さんは置き去りですか、とか。
「……おひっこし、やだ」
 たかちゃんがふるふるとつぶやいた。くにこちゃんとゆうこちゃんも、真顔でこくこくした。
 ママさんは気を取り直して、たかちゃんを胸に寄せた。
「うりうりうり」
「だいじょうぶよ。明日の夜がどうでも、お引っ越しなんて、こうなったら意地でもしないわ」
 それから俺たちを見回し、こほん、と咳払いをひとつ、
「とにかく、この絵本とマニュアルから推論する限り、全世界に散在する総計三万二千六百八十四基のアレを、たった三人の天使が、クリスマス・イブの夜限定で、こっそりぴこぴこハンマーでぴこぴこして回る――そーゆーことなんです」
 具体的な個体数を出されると、さすがに俺は絶句した。マーキングは世界に数十箇所、昨夜そんな話を聞いた記憶があったので、あの不動や孔雀、そして俺は見たことがないが近頃加わったと言う愛染、その三明王が動いてくれれば、もしや楽勝なのでは――つまり老僧の話から察するに、明王と呼ばれる存在もまた広義の『天使』に他ならないのではないか。それらの機動力をもってすれば、日付変更線を起点に地球を西へ周回しながら、三十六時間以内に数十箇所くらい回れるのではないか――そう虫の良い期待をしていた。しかしその数十箇所というのは、あくまで見開き大に縮尺された世界全図に対してのマーキング、つまりマーキング自体の中に複数の施設が含まれ、それも静止施設のみだったらしい。なんと全世界には、個別にすると三万以上のぴこぴこ対象が鎮座ましまし、あるいは巡回なさっているのだ。仮にずらりとまとめて端からぴこぴこやったとしても、そう簡単には終わらない。
「……とにかく、できるだけのことを、考えてみるしか」
 恵子さんが、堅実な意見を述べた。俺もそう思う。
「おししょー」
 くにこちゃんが、老僧を見上げた。
「おししょーは、もう、ぜんぶのみょうおうと、しりあいだよな」
 老僧は、ゆうこちゃんのお絵かき帳をめくりながら、
「わしはもう、お前のように放埒には明王を呼べん。わしがそれをやったら、もう、お前に仏法を説く資格がなくなる。お前と同じ、小坊主からやりなおしになる」
「そーゆーもんなのか。……んじゃ、しょーがない。ふどーたちに、せいぜい、はっぱかけよう」
 くにこちゃんは、かぽんかぽんと腕を鳴らした。
 その肩に手を置きながら、老僧は、俺たちを向いて言った。
「――ところで、私には、そのサンタさんたちの元締めさんというお方が、そうボケているとも思われないんですがな。たかちゃんや邦念の手紙は一応読めとりますし、このゆうこちゃんの絵も、一応は見えているはず」
 老僧はお絵描き帳を広げて見せた。
「わしには、この天使さんたちは、どう見ても、この子ら自身に見える」
 そのお絵描きでは、白い雪印の舞う夜空を背景に、いかにも子供の絵らしい頭でっかちのアンバランスな天使たちが、ぴこぴこハンマーを手に、ほよほよと飛んでいた。
 確かにそれは三人組が創った話だから、天使たちのモデルも三人組なのだろう。ひとりはゆうこちゃんのようなくるくる巻き毛だし、ひとりはくにこちゃんのようなショートカットだし、ひとりはたかちゃん的ちょんちょん頭である。
 老僧は三人組をひとりひとり見渡した。
「思うに、お前たち、天使に『来て欲しかった』のではなかろう。本当は、天使になりたかったんじゃあないかの?」
「はいはいはいはい!」
 たかちゃんが、元気にお手々を上げまくった。
「わっかと、おはね、ほしいほしい!」
 くにこちゃんは不思議そうな顔で、
「んでも、おれは、ほとけさまにつかえる身だぞ?」
 そう言いながらも、当然、なりたくてたまらなそうな顔だ。
 ゆうこちゃんに関しては、言うまでもないだろう。
「……ぽ」
 そのまんまでも充分天使の代理をできそうな姿で、めいっぱい頬を染めた。
 老僧は満面に笑みを浮かべ、俺たち大人を見渡した。
「この絵本の件は、わしに預けてくださいませんかな? あなたがたには、明日の晩までに、その残りふたつの算段を、間違いなく詰めてもらうということで」
 いつもより格段に穏和な声は、誰も疑問を口にできないほど、格段に厳かだった。

     ★         ★

 ――『サンタクロースは、クリスマス・イブの晩、世界中の子供たちにプレゼントを配って回ります』――。
 そんな決まり文句を広めることは、本当に子供たちの『情操』に繋がっているのだろうか――火の気のない夜の廃工場で、あの灌漑用機材一式の山を前に、たかちゃんのママがプリント・アウトしてくれた科特隊秘蔵の情報地図を見ながら、八百長試合のシナリオを詰めていると、つくづく疑問が生じる。
 それは確かに一見『汚れなき夢』であるような気もするのだが、一方で、子供の俺が国語のテストの時などつくづく往生した、あの『この文章を、何文字以内にまとめなさい』という愚問、その解答(?)と同類なのではなかろうか。それは単なる味気ない情報処理のための感性の切り捨てにすぎず、本当の情操は、逆方向の作業で初めて育つはずなのである。しかし、ひたすら直観的キャッチ・コピーや馬鹿にでも解りやすい夢物語を量産し、人も心も経済も踊り踊らせることによって、結局この社会は、上意下達のバビロン・システムを日々構築し続けている。最近の論文重視の教育にしたところで、あくまでそのテーマは『選ぶ側』が決めるのだ。まあ、これからいい歳こいて嬉々としてジャミラをやろうという中年おたくが何をぼやこうと、世間様にはなんら影響しないだろうけれど。
「また、降ってきたみたい」
 熱いお茶を運んで来てくれた恵子さんに、俺はしみじみ頭を下げた。
 恵子さんは、お茶を運んでくるたびにママさんに説教されている俺の、悩ましげな表情に同情するように、微苦笑を浮かべてくれた。
 そう、砂漠でただアトラクを演じて子供たちのウケを取ればいい、そんな生やさしい計画ではないのである。どこでどうふるまえば現実上のゲリラや政府軍や多国籍軍やあっちこっちの支援部隊が効果的に動いてくれるか、そんなシミュレーションを徹夜でやっても、まだ明日の夜まで間に合うかどうか怪しいのだ。その上明日の昼、たかちゃんのママは青梅と吉祥寺を往復しなければならない。その間も俺が同行して、打ち合わせを続ける手もあるが――ウルトラママのナイス・バディーなど、堪能する気力はとても残りそうにない。
 恵子さんもそれを悟り、当初の焼き餅風視線はさらりと捨てて、かいがいしく夕飯の調達やお茶汲み係に徹してくれている。まあ、そこいらの感情的ななんやかやは、引っ越しの後始末も含め、この件が終わったらまとめて俺の頭上に降りかかる恐れがあるから、明後日以降は、めいっぱい実生活上のフォローをしてやらないと。
 たかちゃんたちは例のぴこぴこハンマー・セットを抱えて、あの老僧と共に、ストーブのある休憩室に詰めている。子供や年寄りが、風邪でも引いたら大変だ。
 外の林に出ていた若サンタが、橇に乗って戻ってきた。若サンタ一族が長年整備だけは怠らなかったと言う、正調サンタ型のでかい橇である。泥棒や悪戯等もしもの事を考え、林の中の秘密の小屋に隠してあったのだそうだ。引き手はルドルフが先頭、他のトナカイが二列で八頭。サンタの橇は、九頭立てらしい。伴走している四頭は、交代要員か。
「ええ調子や」
 ルドルフが笑った。
「滑りも飛びも完璧じゃ。こんなら、わし一頭でも引き回してみせるわ」
 サンタ帽が薄く白い若サンタに、俺は訊ねた。
「積もりそう?」
「はい、もうかなり、積もってます」
 若サンタの声は、やけに力がなかった。
「じゃあ、今年はやっぱりホワイト・クリスマスだ」
 聞こえているのかいないのか、若サンタには、やっぱり覇気がない。
「どうしたの?」
「…………結局、僕って、なんなんでしょう」
 微笑が寂しげだった。
「何から何まで、皆さんのお世話になるばかりだ」
 弱気なサンタの頭に、背後からルドルフの巨大な角が、ごん、と乗った。
「何ゆーとるねん。サンタなんてのは、橇の上でふんぞりかえってガハハと笑っとりゃええんじゃ。御輿の上のもんが、下から御輿かつげるはずないやろ」
 言われてみれば確かにそうだ。
「そん代わり、御輿の上と子供の前じゃ、何があってもガハハと笑え。たとえ修羅場ぁくぐって、赤いおべべの下のハラワタ、ごっそりはみ出しててもな」
 若サンタは気をとりなおしたのか、ちょっと精悍な表情になってうなずいた。
 そのとき休憩所のほうから、
「やっほー! みてみて!」
 たかちゃんが、とととととと駆けてきた。あのぴこぴこハンマーのピンクのやつを、得意げに振りかざしている。
 皆の前で立ち止まり、
「へんーしん!」
 自分で自分の頭をぴこんとやった。
 待つこと数秒――なんにも起こらない。
「……しつれい、しました」
 たかちゃんはばつが悪そうに、ぺこりと頭を下げた。
 それから、後ろから来ていた老僧たちに向かい、フグになった。
「ぶー。もう、こしょう」
 青いハンマーを持ったくにこちゃんは、
「たかこ、おまいはどーも、ひとのはなしをきかなくて、いけない」
 余裕綽々でたかちゃんの頭をぴこぴこしながら、お説教をたれる。
「むー」
「さんにんいっしょに、ぴこ、だったろー」
 ゆうこちゃんも、白いハンマーをかかえて、こくこくしている。
 老僧もにこにこうなずいている。
「んじゃ、やりなおし。はい、ならんでならんで。……たかちゃん、まんなか」
 あくまで自分が仕切りたいらしい。
「へんーしん!」
 ぴこんがみっつ重なって、剽軽に響いた。
 と、三人組の頭上に、なにやらさらさらの粉雪のような光が舞い上がった。ハンマーと同じで、ピンクと青と白の、光る雪である。
 その舞い上がった光は、やがて渦を巻き、それぞれの体を包んでゆく。
「……おお」
「……あらま」
「……これは」
「……なーる」
 種々の感嘆を漏らす俺たちの前に、三人の天使――いや、正確に言えばひとりの天使と、ふたりのなんだかよくわからない羽根付き物件が並んでいた。
「……ぽ」
 ご想像のとおり、ゆうこちゃんはもはや天使以外の何者でもない。もともと白いボア付きハーフコート姿だから、頭の上でぽよぽよと揺れる光輪も、背中に生えた白鳥のような翼も、思わず教会の塔の上をくるくる飛び回ってほしくなるような姿だ。
 しかし、ジーンズに黒ジャンパー姿のくにこちゃんは――まあ頭の光輪は色違いながらなんとか天使っぽいのだけれど、背中の両側に堂々と突き出しているのは、どう見ても白銀色の超合金可変翼である。その半ばで脹らんでいる二対の吸気口は、推定ジェット・エンジンか。そして背中中央には、鉄人28号のごときロケット・エンジンまで装備している。
「いやー、としょ館の図かんは、見とくもんだ」
 くにこちゃんは得意満面で、つんつんとその最新鋭の翼を見せびらかした。
「こっちとこっちが、ふつーのそら用、のこりが水んなかだ。んで、ここんとこが、うちゅう用なのだ」
 俺たちは絶句して立ちすくむ他はなかった。
 それは、超合金可変翼のためばかりではない。
 まん中のたかちゃんのビジュアルが、ちょっとまたアレだったからである。
「てんし!」
 まあ本体のナリは見慣れたオレンジ寄りのベージュのスカート付きパンツ(推定特売二枚組千二百九十円)にピンクのファー付き中わた入りジャケット(推定特売二千四百八十円)だから仕方がないとして、背中でぱたぱた言っているのは、どう見ても巨大なモンシロチョウの羽である。頭には御丁寧にやはり推定モンシロチョウの触覚をはやし、それを囲むようにピンクの光輪がぽよぽよと揺れている。
「かんぺき!」
 もはや力いっぱいうなずいてやるしかないので、俺たちは力いっぱいこくこくしてやり、ついでに盛大な拍手を送ってやった。
 老僧は言った。
「つまり、上のお方は、やはり斑ボケらしいですな。合理的に機能統合したのか面倒なのでいっしょにしたのかは解りませんが、その使用法を、マニュアルに載せ忘れただけなのでしょう」
「……飛べるのですか?」
 俺が誰にともなくつぶやくと、
「もちだ」
 くにこちゃんの両翼が、どどどどどと炎を吹いた。
 びゅん、と発進したかと思うと、まだ閉めていなかった表の扉から、一瞬に表の空き地に流れた。直後、今度は背中中央からスペース・シャトル打上のごとき壮大な炎と白煙を吹き出し、雪を巻きながら垂直上昇して消えてしまった。
「……………………」
 しばしの沈黙の後、俺たちは残りのろりたちを振り返った。
 たかちゃんは、すでにひらひらとごきげん状態で、あっちこっち気まぐれに宙を行き来している。もはや春のキャベツ畑の、モンシロチョウそのものだ。
「ねえねえ、ゆうこちゃんも」
「……ぽ」
 まだ下にいたゆうこちゃんは、ちょっと自身なさそうに、その白い翼をぱたぱたさせた。それから、ふう、と深く息を吸いこんで――廃工場の寒々とした空間に、それはそれは優雅な、白鳥の舞いを描いた。
 俺たちが見とれているんだか呆れているんだか自分でも解らず見呆けていると、外からどどどどどと例の轟音が戻ってきた。
 びゅん、とくにこちゃんが出現し、俺たちの前でぴたりと止まり、ホバリングしながら言った。
「ちきゅーは、やっぱし、あおかった」

     ★         ★

 これで三人の天使問題は、まあ『できる限り』の範囲内で解決した。
 しかし、ここまで盛り上がっても、まだ終わりは遠い。
 最大の問題は、数十箇所の基地と、あっちこっち海上や深海を移動している、えーと、なんだかよくわからないほどの数の艦船に搭載された、総数三万を超す『ぴこぴこ対象』の把握である。
 天使になったら、ほっといてもそこを察知できるのではないか――そんなはずもない。ならば初めから地図帳だのマニュアルだのは不要である。大体、あくまで本物の天使でもなく、脳味噌はいつもの三人組だ。
 再度ぴこんとやって翼を引っこめた三人組に、例の大判冊子を与えても、
「……しゃかい、きらい」
「うーんと、この『ろしあ』ってのは、えきまえの、ぼるしち屋か?」
「ふるふる。ぴろしき屋さん」
 やはり、サンタの元締めは斑ボケらしいのである。
「らちが、あかない。おれの、でばんだ」
 くにこちゃんが真っ先に投げて立ち上がり、
「みょーおーたちなら、なんでも、わかる」
 かぽんかぽんと腕を鳴らした後、
「りん! ぴょう! とう! じゃ! かい! じん! れつ! ざい! ぜん!」
 お得意の、目にも止まらぬ九字の印。
「なぅまくさまんだばざらだんかん! ふどうみょーおー!」
 あそこあたりに出るんじゃないかと期待して見たが――何も出ない。
「……あいつはさけのみだから、おきるまで、じかんがかかるのだ」
 くにこちゃんは、あっさり次に移った。
「おんまゆらきらんでいそわか! くじゃくみょーおー!」
 空から来るかと頭上を窺ったが――夜の静寂が深い。
「……あいつはええかっこしいだから、はねを、つくろっているのだ」
 くにこちゃんは自分に言い聞かせるようにつぶやいて、さらに印を変えた。
「おんまかあらぎゃばさらうしゅにしゃばさらさたばじゃうんばんこ! あいぜんみょーおー!」
 これは、俺がまだ一度も見たことのない、ニューフェイスだ。ラブラブあるいは痴情関係の明王と聞くから、どんなご尊顔かと期待して待つが――やっぱり、出ない。
「……おししょー」
 くにこちゃんが世にも情けない顔でふり向いた。
「みょーおーたちも、ふゆやすみなのか?」
 老僧は慌てる様子もなく、いつものように頬笑んだ。
「やはり、出番が違うのかも知れんの」
 それでは予定が狂ってしまう。俺は少々焦った。
「明王も、やはり『天使』には関われないのでしょうか」
 老僧は微笑を浮かべたまま沈黙している。
 そのとき、ルドルフが厳しい声で、背後の配下を呼んだ。
「おまえら、ちっと、ここに並べ」
 何事かと集う配下たちに、
「――おまえらも、そろそろ、独り立ちしてええ頃や」
「兄貴……」
「おやっさん……」
「そっちの橇は、わし一人で充分や。おまえらは、お嬢ちゃんたち、体ぁ張っても、あんじょう導け」
「そんな……」
「まだ、わしら……」
 若い声が不安を訴える中、ルドルフを兄と呼んだ年長のトナカイが、別の表情で言った。
「……兄貴のためじゃ。どつかれてもかまわん。はっきり言わしてもらうで。今の兄貴に、ひとりであれを引っぱるのは無理じゃ。わしらの倍は、引き疲れた体やないけ。あんな嬢ちゃんひとりにねじ伏せられる歳で、なんぼこのちんまい国でも、死――」
「アホ」
 ルドルフは優しげな目で、相手の言葉を制した。
「そやから、お前らに行ってもらうんじゃ。わしにはもう、そっちの届け先、十《とお》にひとつも覚える頭がない。半惚けや。上のお方のこと、とやこう言えんわ。こっちのケーキの孤児院で、いっぱいいっぱいじゃ。さっきのあの嬢ちゃんの飛びっぷりに、タメ張る骨も、もうない。おまえら皆してかかれば、昔の働き思や、何千何万でも覚えられるやろ。そん気になりゃあ、月まで飛ぶガタイもある。そんでな――」
 それから唐突に怒声を上げた。
「ナメくさるなや、こんガキゃあ!」
 さっきの舎弟頭らしいトナカイに、いきなり角から突進する。
 二対の角が、火花を散らして絡んだ。
 舎弟頭が、どう、とコンクリートの床に臥した。
 ルドルフは白い息を吐きながら、不敵に笑った。
「……このちんまい国でも――なんと言うた?」






                     
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