【7】 凧々あがれ
結論から言って、俺は砂漠で悶死せずに済んだ。その証拠に、こうして正月を迎えている。職場の定休は元旦だけなので、引っ越しの始末も終わらないのに、また明日から働かなくてはならないのだけれど。
人間というものはつくづく現金なもので、国土や資源や面子をめぐり殺し合いまでしていても、その奪い合う国土や資源そのものがワヤになってしまっては元も子も面子もないから、凶悪怪獣を早いとこ悶死させてしまおうと即座に停戦協定を結び、全軍よってたかって土方に早変わりしてくれた。で、朝になっていざ水をぶっかけようとする頃には、凶悪怪獣は某科特隊員のナイス・バディーのポケットに、ちゃっかり戻ったりしているわけである。
ウルトラママとの取り組みについては、残念ながらほとんど覚えていない。それ以前にあっちこっち着弾したり給水車で軽く放水されたりしていたので、熱くて痛くて赤ムケで、それどころではなかったのである。まあビートルで行き来する間に隠れていたカプセルの中では、やけにぽよんぽよんとクッションが効いている気がしたから、あ、ここは胸ポケットか、いやもしかしてお尻のポケットでは、などと多少記憶に残る部分もあったのだけれど、恵子さんには内緒である。
若サンタとルドルフが無事に正調サンタ便を全うしたのは、言うまでもない。両者とも雪山の遭難死体のような有様で帰って来たというが、その凍てついた顔の瞳は、両者同等に光っていたそうだ。過酷な一夜を通し、老練な侠客の心意気が、若いサンタに確かに受け継がれたのだろう。きっと本来サンタ・システムと言う奴は、子供への『お恵み』ではなく、子供による『托鉢』なのである。
そして皆さん最もアレだと思われる、仲良し三人組の大群に関しては――なにせ何千何万という同一ろりがよってたかって同時に繰り広げたわけだし、それを率いたトナカイたちも『もう何も思い残すことはない』『男の本懐は遂げた』『んでもこれからはもう誰がなんと言おうと幼児の大群を引率するのだけはかんべん』、そんなげっそりとやつれた顔で、ルドルフと共に若サンタに別れを告げ翌朝故郷に帰ってしまったので、まともに話を聞ける相手がいない。
だから、去年の歳末の各国タブロイド新聞(日本で言えば某スポーツ新聞のようなヨタ誌ですね)や、有象無象のネット情報(部分コピペや又聞きを繰り返した末のヨタ話ですね)から、数件のそれらしい話を紹介するにとどめたいと思う。
★ ★
【アメリカのNASAが計画していた赤外線探査によるサンタクロース追跡計画は、その追跡対象が世界中あっちこっち一度にゴマンと探査されてしまったため、システム不調を理由に中止されたと、NASAから正式な発表があった。無論初めから広報用のジョーク的サービスなので、各国の子供たちからはかなり苦情が入ったものの、当然大人は笑って聞き流した。「そりゃあサンタだってひとりで全世界回れるわけないよなあ」とは、NASA職員の弁。】
【アメリカはノース・ダコタの空軍基地に、「♪ そ〜ら〜を〜こえて〜、ららら、う〜み〜のかなた〜 ♪」と歌いながら小型の未確認飛行物体が飛来、五重六重の防御をくぐり抜けミサイル・サイロに侵入、二十基の核ミサイルを周回の後、そのまま西海岸方面に去って行った。事後の確認ではサイロ中にはなんの異常も見られなかったが、未確認飛行物体を某国テロ兵器と認識し追跡・撃墜しようとした迎撃戦闘機が六機、ダコタ砂漠と太平洋に墜落。脱出した乗組員は全員「アストロ・ボーイが機首を羽交い締めにして進路を狂わせた」と証言し、現在某空軍病院精神科にて精密検査中。なお、追跡中に「前頭部にレーダー装置を備えた四脚の飛行物体を目撃した」という証言もある。】
【北大西洋を潜行中の中国原子力潜水艦内に、突然キリスト教様式の天使が、トナカイ状の神獣(推定)にまたがり出現。乗組員が取り押さえようとしたところ、凶暴な神獣が応戦。天使も「きゃあきゃあきゃあきゃあ」と槌状の神器(推定)で応戦、艦内を羽ばたきながら周回の後、「あの、あの、おじゃまむしました」と謎の言葉を残し、再度神獣にまたがり昇天(昇海?)した。事後調査では艦内に異常はなく、空調老朽化によるなんらかの集団幻覚として報告された。しかし後日、乗組員全員が寄港先の某軍事港にて集団脱走、翌日上海駅前で『悔い改めよ』のプラカードを掲げ宗教活動に従事している現場を取り押さえられた。逮捕された元艦長は「あの天使の瞳で見つめられ、慈愛の槌で『ぴこん』と戒められては、もはや悔い改めるしかなかった」と、泣きながら語ったと伝えられる。】
【英国のドーバーに近い某軍事基地のミサイル格納庫から、深夜突然『猫踏んじゃった』のメロディーが流れるという異常事態が起こった。関係者は述べる。「きわめてスローテンポで、奇妙なピコピコ音ではあったが、確かに『猫踏んじゃった』に間違いない」。監視カメラの録画では、複数のミサイルの先端を鍵盤に見立て、夢中でひらひらと飛び回りながら一生懸命玩具のハンマーで弾き回っている、体長一メートルを越す紋白蝶状の生物が確認されている。保安要員が駆けつけたところ、その生物は「しつれい、しました」と言い残し、合金製障壁をすり抜けて消えてしまった。保安要員は、「サー・アーサー・コナン・ドイルは、やはり正しかったのかもしれない。あれは紛れもなく、フランシスとエルシーが撮影した妖精の仲間だった」と述べたが、後に空軍省は「監視カメラの映像は捏造されたものであり、事態そのものがクリスマス・ジョーク」と発表した。しかしほぼ同時刻、フランス西部でも同様の異常事態が報告されており、その際のメロディーはミヤザキのアニメーション主題歌『となりのトトロ』、言い残した言葉は「どどんぱ」。ただしこれを目撃したフランス兵たちは、直後のワイン飲酒が発覚し、全員拘留中である。「そりゃ飲まなきゃやってらんないだろう」――彼らの共通した意見である。】
【北朝鮮内陸部の休耕地(ペンタゴンによる分析では、大規模地下軍事基地と推定されていた)が、直径四十キロに及び、一夜にして向日葵畑に変貌しているのが、二十五日早朝、アメリカの軍事衛星によって確認された。ワシントン政府筋の発表では、「遺伝子操作による促成栽培技術の、研究施設だった可能性が高い。核開発関係施設でなかったことは国際平和上喜ばしいが、いずれにせよ無闇な遺伝子操作は、地球生態系への影響が懸念され、引き続き厳重な監視が必要である」とのこと。なお、大統領はこの報告を受け、「確かに油は採れるし種も食えるし、平和的でハッピーな花じゃないか。金一族の意外な人間性を見た思いだ」と述べた。ただしプライベートでは、こう発言したとも伝えられる。「なんでヒマワリ? ならず者どころか病気だぞ、おい」。
余談であるが、年末の脱北者によると、その研究には日本人が関わっていたのではないか、そんな風聞があるようだ。詳細は未確認だが、「えへへー、しっぱい」「きにするな」「ごめんね、ごめんね」、その三つの日本語が、意味不明のまま現地周辺の民衆に広まっているらしい。】
★ ★
斑に雪の残る渓谷の青空に、幾つもの凧が泳いでいる。
主に河原で遊ぶ子供たち、そしてその親たちの揚げている凧だ。
快晴だがそのぶん風が強く、親たちは寒そうに襟を合わせたりしているけれど、子供たちは凧の揚がり具合のほうが優先なので、もっと吹けもっと吹けと空を煽っている。
俺と恵子さんは住吉神社に初詣した後、川向こうの釜の淵公園でも散策しようと、鮎美橋を渡った。
本当は早く帰って引っ越し後の整理を続けなければならないのだが、俺が正月は元旦しか休めないので、恵子さんも、寝正月ならぬうろつき正月に賛同してくれた。
恵子さんの和服姿を見るのは、初めてだった。朝、着付けから帰って来たときは、短絡的に思わず押し倒したくなってしまった。しかし、俺はもちろん恵子さんも着付けができないので、それは御法度である。
鮎美橋はけっこう広くて近代的な橋だが、人と自転車しか渡れない。元旦の午前中から川を渡る用事は少ないらしく、ほとんど人通りがなかった。
その中ほどに、見慣れた三人組の姿が見えた。
凧を揚げるくにこちゃんを、たかちゃんとゆうこちゃんが応援している。
「おう、すごいすごい。いっとーしょー」
「おうよ。くものうえまであげてやる」
「わくわく」
近づいて見ると、くにこちゃんはねんねこ半纏姿で、背中にともこちゃんをしょっていた。四人組だったのである。
「あけましておめでとう、みんな」
恵子さんが声をかけると、四者四様の声が返った。俺はひとりひとりに新年の挨拶を返した。
「やっほー! あけおめ!」
「ましてでとう」
「おう、おまいも、めでたいか?」
「めでたいぞ」
「あけまして、おめでとう、ございます」
「ほんねんも、よろしく、おねがいいたします」
「だあ」
「ばあ」
たかちゃんはにこにこと、しかし必死に手のひらを突き出している。
「……! ……!」
ゆうこちゃんは、さすがにそうしたはしたない真似はしない。そもそも現金を持ったことが、ほとんどないらしい。青梅の商店なら、小店から駅前のスーパーまで、フリーパスである。もっともいいとこのお嬢様らしくしっかり躾けられているので、買い食いなど滅多にしない子だ。
両手で凧の糸を操るくにこちゃんがどう出るか――俺は無言でにこにこと、その挙動を興味深く見守った。
くにこちゃんはしばらく空を見上げたりこっちを見たり悩んでいたが、そのうち「べ」と舌を突き出した。お年玉を口に蓄える気らしい。まるでシマリスだ。
恵子さんが、くすくす笑いながら、ハンドバッグを開いた。どうせどこかで会うと思って、ポチ袋を三つ、すでに用意している。
そのままみんなに与えるかと思いきや、恵子さんは俺にそのポチ袋を預けた。ああ、いい呼吸だ。
「ほい、たかちゃん」
「ありがとー!」
「はい、ゆうこちゃん」
「……ぽ。……ありがとーございます」
くにこちゃんは明るく笑いながら、舌を突き出し続けている。
俺はそのちっこいベロにポチ袋を乗せかけて、さすがに躊躇した。
「…………」
けしてじらしたわけではないのだが、ねんねこやズボンのポケットでは、超活動的ろりのこと、落っことしてしまいそうだ。
「…………」
くにこちゃんの目が、三白眼になった。
「……おまいは、ことし、めでたくない」
結局、ねんねこをちょっとつまんで、ジャージの胸ポケットに入れてやる。
「ほい」
「んむ。めでたいな」
ついでに背中のともこちゃんを突っついてやると、林檎のようなほっぺたで、また「あー」と挨拶してくれた。
「すごいわねえ。ほんとに雲に届きそう」
恵子さんが空を見上げて感嘆した。
「おう。おやじとつくった、とく大だ。いとをきらなきゃ、うちゅーまで上がるぞ」
蒼穹遙か、かろうじて四角く見える白い凧のちょっと下に、俺は奇妙なふくらみを見つけた。糸に、何かくくりつけてあるらしい。
「あのなんかぶら下がってるのは、秘伝か?」
特製の重心でも工夫したのかと思ったのである。
たかちゃんがふるふると首を振った。
「さんたさんの、えらいひとに、おくすり」
ゆうこちゃんがこくこくとうなずいた。
くにこちゃんが糸を操りながら言った。
「めぐすりだ」
「そー。おとしだまで、かったの」
「こくこく」
「あんなふくろくっつけて、どうだかなあ、とおもったが」
くにこちゃん手元の巻き糸は、するすると快調に、いくらでも吸い上げられてゆく。
「これがふしぎに、あがるのだ」
「上でも嬉しがってるぞ」
俺は断言した。
三人組も恵子さんも、それぞれうなずく。
凧はすでに豆粒のようになって、ふと、糸だけになった。切れたのではない。糸はまだ、びょうびょうと風を鳴らして張っている。
「……雲に届いた?」
恵子さんが怪訝な顔をした。
山や高原ならいざしらず、普通、平地でそれはない。
しかし実際、俺にもそう見えた気がする。
くにこちゃんが、手際よく糸を戻し始めた。
「わくわく」
「んむ、ちょっとまて」
「どきどき」
しばらくすると、凧はまた四角く見えてきた。
目を凝らして、その下を見つめていると――凧の下には、糸だけだった。
「おう!」
「やったな!」
「ぱちぱち、ぱちぱち!」
「きゃー」
大喜びしている三人組、いや、四人組を見下ろしながら、俺は思った。
届いたのかもしれない。
強風で袋が飛んだだけかもしれない。
しかし、それはどちらでもいいのだ。
くにこちゃんの手元までたぐり寄せられたでかい凧は、白い凧ではなかった。
あの絵本にあったようなピンクのクレヨンで、ゆうこちゃんの丸まっこい字が――いつものちまちま文字よりずいぶん大きく、こう書いてあった。
☆ おねがい ☆
せかいに せんそうが なくなりますように
せかい中のひとが なかよく へいわに くらせますように
☆ かみさまさんへ ☆
俺は無性に子供が欲しくなっている自分に気づき、傍らで目を潤ませている恵子さんの手を、改めて強く握ったりしてしまった。
― 終 ―
……いい具合に終わっておいて、お邪魔虫。
ちなみに、あの『天使のハンマー』一式が、その後どうなったか。――秘密である。三人組との約束で、どうしても秘密なので言えません。ごめんなさい。
まああれらの天使用玩具が今どこにどうしているにしろ、俺には今回の大騒動が、本当のハッピー・エンドだとは思われない。俺を含む人類という奴のこれまでの長い歴史を思えば、もしも自分たちの煩悩の塊がことごとく『お花ばくだん』になってしまうと悟ったら、人類などというシロモノは、次の代替物件を探すだけなのではないか。生物兵器、化学兵器――政治家や軍産複合体の喜びそうな悪魔の玩具は、いくらでもある。
願わくばこれからの向日葵畑が、すべて本来の種子による実りでありますように。
そして、もしもこの地上すべてが、ただ向日葵の咲き乱れる果てしない丘になってしまった時――人類は過去の馬鹿さ加減に大笑いしながら、子供たちを連れて――ほんのちょっとでも、空に近づけますように。
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