たかちゃん、おるすばん








     
さんかいめ   〜 てぃらのさうるすさん 〜



「これはおみやげでごわす。食べてつかあさい」
 こんどのお客様は、ライオンさんよりも、もっと一般常識に欠けるお客様みたいでした。
 ドアがみしみしと、お家の中の方に押し込まれて来たので、たかちゃんは、あわててお客様に言いました。
「い、いまあけますので、ちょ、ちょおっと、おまちい」
 良い子の皆さんは、もう、お気づきですね。
 そう、こんな時には、応接間のガゼルさんにご相談するとか、おまわりさん、消防署のおじさん、自衛隊のおじさん、あるいはかとくたいのはやたさんなどに、お電話するのが、ほんとうは、おりこうさんです。もし、皆さんの中に、しょうわよんじゅうねんだいこうはんのごじらなどを知っている、ふるいおたくな良い子がいらっしゃったら、『ごじら、たすけて』と大声で叫ぶだけで、いままでどこにいたのかわからないごじらが、すぐに助けに来てくれる、そんなことも、知っていますね。
 でも、たかちゃんは、まだおっきいお姉さんではないので、とてもあわててしまったのです。
 ドアが壊れてしまったら、こまる。あわてたときに、そういった、めさきのことを優先してしまうのは、たかちゃんのようなお子さんだけでなく、まともなきょういくをうけられなかった、せいしんねんれい一八さいいかの、いっけんおとなの良い子などにも、ありがちな間違いですので、皆さんも、注意してくださいね。
 たかちゃんは、とてもあわててしまったので、ドアのチェーンを、はずしてしまいました。
 そして、壊されそうなドアを、おもいきり、外に押し出しました。
「……どおすこいっ!」
 たかちゃんが、おもいきったのとおんなじタイミングで、お客様は、すばやく、少々お待ちしていました。
 今度のお客様は、サイトBではまともなきょういくも受けられなかったのですが、映像上のおやくそくなどは、よくこころえたお客様でした。きっと、角界にはいったあと、すぴるばあぐの親方に、きたえられたのでしょう。
 たかちゃんは、玄関前の庭先へ、ころころところがってしまいました。
 とてもはしたないかっこうでころがってしまったので、まっしろなパンツや、おしりのくまさんのワンポイントのプリントなども、丸見えになってしまいました。でも、これはあくまでも、DVDはんばいそくしんのための、おたくな良い子のためのさあびすなので、ほんの1ふれーむか2ふれーむのできごとです。
「おやおやおや、こりゃあこりゃあ」
 お二階よりも、もっと高いところから、のんきそうな声が聞こえてきます。
 たかちゃんは、声の方を見上げました。
 あし、あし、あし、おまた、おなか、おなか、まだおなか。
 胸のあたりまで見上げたときには、たかちゃんは、ほんとうは、おもらししそうになっていました。でも、もうすぐおっきいお姉さんなのに、おもらしはいけません。そんな深層心理がはたらいて、ぐっとおもらしをこらえます。
 良い子の皆さん、たとえ深層心理のなせる技だといっても、たかちゃんは、ほんとうに、えらいと思いませんか。女の子の皆さんは、女の子がおもらしをこらえるのがどんなに大変か、よく知っていますね。
 男の子の皆さんは、どうでもいいです。肉体構造上、よほどの精神的破綻がない限り、がまんできるはずです。たとえば、やくざのけりがいまにもきまりそうである、とか、やみきんのとりたてがしょくばのまえまできている、とか、おくたんいのとりひきさきのたんとうしゃにつけたなんばーわんのほすてすを、さけにみだれてそのばでくどいてしまい、たんとうしゃはげきどしてさきにかえってしまい、よいがさめたらそのほすてすがとなりでねており、じぶんにはさいしがあり、あまつさえそのひまたおなじたんとうしゃとのかいごうがあることをおもいだしてしまった、とか、男の子の皆さんにも、長い人生の中ではちびりそうになることも多々あるでしょうが、死んでもちびってはいけません。でも、不幸にしてちびってしまったときは、ああ、これまでの俺は今死んだ、これからの俺は、もう生きる死人として存在していくしかないのだ、そんなふうに考えて、充分敗北感に打ちひしがれてくださいね。ひとりでトイレで泣くのも、よいことです。そうやって、男の子は、おっきい男の子になってゆくのです。
 さて、たかちゃんは、ティラノサウルスさんの胸あたりに視線が達したところで、おもらしをこらえることができましたが、首、そしてお顔まで見上げたころには、もう頭の中は真っ白になっていました。
 あらららら、やっぱり、テレビってほんとなんだ。前の前の前の日曜日に、パパやママといっしょに見た、サヨナラおじさんのえいがと、そっくりだ。
「ママハヲデカケ、ユウガタニハカエルノウタガキコエテクルヨ」
 なんだか、たかちゃんの目が、しろっぽくぼやけているようです。
 良い子のみなさん、こういう状態を、ゲシュタルト崩壊、といいます。それは……はい、パソコンをたちあげ、ブラウザを開いて、けんさくしてくださいね。パソコンというものは、けっしておねーちゃんたちのあんなところやそんなところをこっそり夜中にだうんろーどしたり、よくぼーのおもむくがままいりもしないがらくたをらくさつしまくったり、そーゆーいつものおしごと以外にも、りっぱなつかいみちがあるのですよ。
「それは残念ですのう。これはおみやげでごわす」
 ティラノサウルスさんは、たかちゃんの前までお顔をおろすと、お口にくわえていたヴェロキラプトルさんを、ぺ、と吐き出しました。
 ヴェロキラプトルさんは、それまではぐったりしていたのですが、こっそりたかちゃんを見上げると、ぴょこんと立ち上がり、お行儀よくごあいさつのポーズをとったあと、元気に家の中へ走りこんでいきました。
 ティラノサウルスさんは、ぶわぶわぶわと笑いながら、
「おやおや、ヴェロキラプトルのやつ、死んだまねをしてやがったのか。しようのないやつだ」
 また、ぶわぶわぶわと笑います。
「でも、でえこや白菜や豆腐といっしょにちゃんこにすると、それはそれはうまいものでごわす。味噌は合わんから、醤油と味醂、ダシはあいつのガラだけで充分。嬢ちゃん、ママさんにも、そう教えてあげてくれんかな」
 角界引退後は、ちゃんこ屋さんを開業する予定の、ティラノサウルスさんなのかもしれません。
 たかちゃんのしろっぽかった目も、いつのまにかまたちゃんと黒目がもどってきました。
「はあい!」
「おうおう、いいご返事じゃのう。じゃあ、ごほうびに、面白いことをしてあげよう」
 そう言うと、ティラノサウルスさんは、たかちゃんの顔のすぐ前まで自分の顔を持ってきて、その大きなお口を、ばっくりと開きました。
「がおう!」
 ティラノサウルスさんの吼える声は、台風みたいです。
 でも、たかちゃんは、怖くありません。
 すでにゲシュタルト崩壊からは回復していますし、ここはサヨナラおじさんの映画ではなく、あくまでもたかちゃんの家の庭先で、だとしたら、むしろずーっと前の日曜に、パパやママと駅前のツタヤに行って借りて観た、ダンボやピノキオのほうに近いのではないか、そんな希望的観測さえ、抱いています。
「たかちゃん、こわくないもん」
 とがった牙の林のむこうに手を伸ばして、ざぶとんみたいに大きいベロを、ぺんぺんたたいてみたりします。
「ティラノサウルスさんのおなかのなかは、誰のおうち?」
 ぶわぶわぶわ、と笑うティラノサウルスさんの声も、こんどは台風ほどではありません。
「ううむ、さすがは、ママさんの娘さん。たいしたお嬢ちゃんだ」
「うん。たかちゃんつよいこげんきなこ」
 ティラノサウルスさんは、体のわりにはみょうに小さい腕を、かなりの努力で伸ばし、たかちゃんの頭を、なでてくれました。
「では、またうかがうでごわす。いやいや、ちょいと、平安閣で義理の妹の結婚式があって、ついでに寄っただけでごわす。それでは、ママさんに、よろしく」
 そう言って、ティラノサウルスさんは、入ってきたとき壊してしまったらしい、門の残骸を蹴散らしながら、ずしんずしんと帰っていきました。
 ……あらららら、ご門は、こわれちゃってたんだ。じゃあ、ドアもこわれても、おんなじだったかな、と、たかちゃんは思いました。
 だったら、ティラノサウルスさんも、お家にいれてあげれば、よかったな……。
 たかちゃんは、上機嫌で応接間にもどります。
「えへへー、ティラノサウルスさんに、なでられちゃった」


    ★          ★


 さて、応接間にもどりながら、たかちゃんは、ちょっと心配になりました。
 さっき、ヴェロキラプトルさんが、家のなかに駆けていってしまったままです。
 たかちゃんにきちんとごあいさつしたくらいですから、きっと悪いヴェロキラプトルさんではないと思うのですが、なんといっても、サヨナラおじさんの時には、大人を食べたり子供を追いかけたりしていた、あくやくの恐竜さんです。ダンボやピノキオにだって、わるいひとはでてきます。たかちゃんにはきちんとごあいさつするヴェロキラプトルさんでも、ガゼルさんやしゃけさんを、いじめないとは限りません。
 たかちゃんは、ととととと足をはやめ、あわてて応接間をのぞきました。
 ガゼルさんとヴェロキラプトルさんが、テーブルの上の碁盤をはさんで、碁を打っています。
 パパがときどきお客様と使っている、たかちゃんもときどきいたずらしてみる、ぱちんぱちんと、おもしろい音のするおはじきです。
「……いやあ、これはいけません。投げですよ」
 ガゼルさんは立ったまま考え込んでいますが、
「……なにをおっしゃる。私の方が悪いでしょう。どっちにしても、細かいです」
 ヴェロキラプトルさんは、ゆったりとソファーにくつろいで、ときどき、お皿のホウレン草やレタスを、つまんで食べています。
 たかちゃんが見ているのに気がつくと、ヴェロキラプトルさんは、鷹揚に会釈をして、
「やあ、お嬢さん。これはパパの碁盤かな。無断でお借りしてしまって、どうか、御容赦を」
 なんだか、今までの中で、いちばんできたお客様のようです。
「……うーんと、……えーの」
 もの問いたげなたかちゃんの様子を見て、ヴェロキラプトルさんは、すかさずその場の空気を読み取ります。
「ああ、お嬢さん、ご心配なく。私、宗教上の理由で、鳥獣の類は、いっさい絶っておりますので」
 たかちゃんには、ガゼルさんの最初のころと同じように、なにをいっているのかよくわかりませんでしたが、ガゼルさんよりすこし年配の、やっぱり落ちついたきもちのいい声です。
「たかちゃん、だいじょうぶだよ。このおじさんは、僕とおんなじで、お野菜しか食べないそうだ」
 ガゼルさんが、通訳してくれました。
 たかちゃんは、ほっとして、あらためてごあいさつします。
「えーと、どーぞ、おくつろぎください」
「はい、えらいね、たかちゃん。この草、とってもおいしいね。なんていう草なのかな」
 ヴェロキラプトルさんも、調子をあわせてくれます。
「うーんとね、いまたべてるのが、ほーれんそー。さっきたべてたのが、れたす」
「うーん、この香りだと、純粋に無農薬の、有機栽培だね。ママが買ってきてくれるの?」
「うん!」
「すばらしいお母さんだ。たかちゃん、いいママがいて、幸せだね」
「うん! たかちゃん、しやわせだよ」
 大好きなママをほめられて、たかちゃんは、とってもうれしくなってしまいます。
「お台所に、まだ、いっぱいあるよ。まっててね」
「ありがとう。そうだ、お水も、もう一杯いただけるかな、たかちゃん」
「うん!」
 台所に走っていくたかちゃんを見送りながら、ヴェロキラプトルさんは、優しく目を細めます。
「そうか、まだそんなに子供だったのか。どうも人間の年齢や性別は、我々には、ちょっと測りかねますなあ」
「そうですね。私たちガゼルなら、半歳くらいでしょうか。ヴェロキラプトルさんだと……」
「ははははは、卵を出て母親の顔をやっと覚えたくらいでしょうよ。我々は、短かいからねえ」
「でも、私などから見れば、失礼ながら、ずっとお若いはずのあなたが、まるでこう、なにか、旧知の師でもあるかのような……」
 ガゼルさんは、ほんのさっきから碁を打っているだけなのに、ヴェロキラプトルさんには、なにか私淑に近い感情を、抱きはじめているようです。
「言葉にだまされちゃあ、いけませんよ、ガゼルさん。宗教などときどって言っても、あなた、サイトBに昔の気風は残っちゃいません。父などは、学究施設時代の頃を、よく懐かしんでおりましたが、今では、ただの小島の遊園地ですからね。おまけに例の件以降、ティラの連中のレスリングごっこくらいしか、売り物もないような田舎です。まあ、みんないつまでもティラの餌になって納得して死んでいくわけじゃなし、観光客が置いて言ったバイブルやら、雑多な本やらなにやらをみてみると、どうも東洋の仏教とかいうもの、読みかじりですが、真言宗か曹洞宗あたりが、ああいうところで死んでいくには、ちょっと良さそうと思っただけでしてね」
「でも、それだけで、肉食恐竜であるあなたが、草食の道を、進み得ていらっしゃる」
「ははははは、あなた、お若い。あんまり考えこんじゃあいけません」
 そう言って、ヴェロキラプトルさんは、ガゼルさんに、台所の方を顎で示してみせます。
 台所からは、たかちゃんが冷蔵庫をあけたりしめたり、戸棚から新しいカップを出したり、ふと気になってしゃけさんのシンクをかきまわしてお味見をしてみたり、あちこち踏み台をかかえてとたぱたしている音が、さっきから聞こえてきます。
「たとえば、あなた、……あと一晩で飢え死にしようというとき、あなた、あの草が、食べられますか?」
「……あのお嬢さんは、草ではないでしょう」
「草は草、人も草、ヴェロキラプトルも草、ガゼルも草、羆だってライオンだってティラの奴らだってしゃけだって、みーんな草」
「……はあ」
「そこはまだ感心するとこじゃありませんよ。ただのたとえ話じゃありませんか。で、あなた、食べられますか?」
「……食べられっこないでしょう」
「そうですね。あなたは草食だが、もしサバンナにあの片桐貴子という草が生えていても、たぶん食べられない。たとえ飢え死にしそうでも、やっぱり食べられない。では、その草が、もう枯れていたとしたら、いかがですか。もう花も実もつけられない、草としてはもう生きていない、でも腐ってしまっている訳ではないから、食って食えないことはない、そんな草だったら、いかがですか」
「……でも、枯れてしまっていたら、それはたかちゃんという草では、ないのではないでしょうか」
「だからただのたとえ話と言っております。人の子という草も、いずれは枯れます」
「……やっぱり、食べないでしょう」
「なら、結構。はい、それが、あなたの空《くう》、ただそれだけのことですよ。あとは飢え死にしたらしたで、それはやっぱり、あなたの空。で、あなたという草が、枯れて土に帰ってしまっても、そこもやっぱり、あなたの空」
「……それは、なぜ?」
「なぜって、あなた、あの子食べなかったじゃないですか。ということは、あとに残った世界も、ひっくるめてみーんな、あなたの空」
「……なんだか、よくわかりません。禅問答みたいだ」
 真剣に考えこんでしまうガゼルさんを見て、ヴェロキラプトルさんは、思わず吹き出します。
「だから、禅問答なんですってば。さあさあ、もう一局いきましょう。己を律するのが、己ばかりだと思っていると、大間違いですよ。対局、ってくらいですからね。いやあ、でも、その空に、ティラの奴らだけは、いてほしくないものですなあ」
 そう言って、ヴェロキラプトルさんは、また鷹揚に笑います。ガゼルさんを、からかっていただけなのかもしれませんね。


    ★          ★


 その頃、うわさのティラノサウルスさんは、駅前の松屋で豚めしの大盛りを食べながら、内心、深く自らの欲望を恥じていました。
「……ふう、危なかった。また人を食っちまうところだった。おいらもまだまだ、修業が足りねえ。見ていてくれ、ママさん。いつかはきっとジュラ相撲の横綱になって、あんたへの恩義に報いてみせる。見ていてくれ、ママさん。次にあんたやたかちゃんを訪ねる時が、今はしがねえこのおいらの、一世一代の土俵入りだあ」
 そうして、豚めしの上に熱い男の涙を流しながら、たとえ知らずにパパさんを食べてしまうことがあったとしても、ママさんとたかちゃんだけは絶対に食べるまい、そう心に誓うティラノサウルスさんでした。







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